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前田利家夫人、および奥村永福夫人のこと

2015年05月25日 18:37

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/24(日) 18:30:13.16 ID:yG6n96NO
天正12年(1584)、佐々成政は、前田利家の重臣・奥村助右衛門永福の守る、能登末森城を囲んだ。
世に言う末森城の戦いである。

成政は旗本を以って前田利家の後巻(救援)を抑え厳しく攻め立て「この城を打ち破れば
能登一国は即座に我々に従う。後巻が来ない内に乗っ取れ!」と下知した。

奥村はわずかに300ばかりの兵でここを守っていたが、あまりに激しく責め立てられたため、
「もはやこれまでである。自害しよう」と言い出した。

ところが、この奥村の妻は、小袖をたすき掛けにし鉢巻をして、刀を横たえ粥を煮て、
手桶に入れて下女に持たせ、城内の人々に手ずから汲んで食させながら、こう言って回った

「昔、楠木という大将は日本国を敵に受けて籠城したと聞き伝えられています。
明日には金沢より後詰めの軍が到着するでしょうから、今宵、ただ一夜だけ防いで下さい!」

奥村はこれを見て「今日の振る舞い男子にも優っている。さりながら女の力によってこの城を
持ちこたえるというのは口惜しいことだ。」とつぶやいた。

一方、佐々成政方は負傷者も増え、敵も容易くは落城しそうもないのを見て、これは火攻めに
すべきだと進言するものもあった。しかし成政は
「この城の大手の門を取って富山の城門とするのだ。また石動山の衆徒も私に心を合わせた。
慌てて火攻めを行う必要はない。」と下知し、既に二、三の丸を攻め取って夜が明けるのを待っていた。

この末森城から前田利家のいる金沢まで九里ばかり。その日の酉の刻(午後6時頃)、末森城より、
夜が明けるまではなんとしても城を守るという注進が入った。

前田利家はこの報告を聞くや金沢城の広間に出て、嫡子利長を呼んで
「汝はこの城の留守をせよ!」と命じた。しかし利長は

「いいえ、私が真っ先に出て佐々を打ち破ります!ここに残り留まるなど思いもよりません!」

これを聞くと利家
「ならば父子で打ち向かおう。敵の不意を打ってこそ利もあるだろう。兵を整える必要はない、
馬に鞍を置き次第一騎がけに打ち出よ!一足でも早く出る事こそ今夜の功だと思え!」
そして富田与五郎に
「おまえは津幡に行って不破彦三に末森の後巻きの先手をするように申せ」と下知した。
富田は直ぐに自宅に戻って馬を引き出し、不破彦三の元へと駆けた。

利家は士卒に「皆汁をかけて飯を食え!」と言いつつ具足を着て庭に自身の黒毛の馬を用意させていた。
この時、前田利家の婦人(芳春院)が三方にのし鮑を入れて入ってくると、利家・利長父子に従う者達に
向かって語りかけた

「おのおの、よく聞いて下さい。私は利長の母です。今日の後巻きは誠に大事の軍です。
それぞれ心を合わせて功名して下さい。

もし、末森城を敵に取られたなら、皆々、討ち死にしなさい。
私も人手にはかかりません!」

そして利長の側近くに進んで我が子に対し「末森が落城したなら、あなたも討ち死にしなさい。」と言った。
利長これに「生死の別れですね。」と答えた。

利家はこれを見て「荒心であることよ。成政を打ち破ること必定である!」と言い放つやいなや、
具足の上帯を締めて、結ぶ端を切り捨てて馬に打ち乗り出撃した。
この時前田父子の兵はわずかに100人余であった。利家は馬上で
「味方が少数である事こそ吉事である!佐々が思いもよらない所に斬りかかって打ち勝つであろう!
奥村を死なせては生きる意味もない!」と叫んだ。
(明良洪範)

末森城の戦いにおける、前田利家出陣までの逸話である。




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奥村永福の妻

2013年05月02日 19:50

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/02(木) 18:18:59.52 ID:m+xnMj9D
佐々成政は八千の兵を率いて前田家の侍大将・奥村助右衛門永福が守る能登末森城を囲み、
成政は本陣をもって後巻を抑え、厳しく攻めた。成政は「この城さえ破れば能登一国は即座に
打ち従うことだろう。後巻のないうちに乗っ取れ!」と命じた。

末森城はわずか二、三百ばかりの士卒で敵を防いでおり、永福は「これほど強く攻められては、
もはやこれまでだ。自害しよう…」と悲観的であった。

しかし、その妻は小袖を掻き取り、鉢巻をして刀を横たえ、鹿をたくさん煮て下女に持たせ、
塀内の人々に自ら配り食べさせていた。

そして「昔、楠とかいう大将は日本国を敵にして籠城したと聞きます。
明日は金沢より後詰のあることでしょう。ただ、一夜を防ぎなさい」と励まし廻っていた。

これについて永福は「今日の振る舞いは男子よりもすぐれている」と言った。

――『責而者草』




169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/02(木) 21:47:00.01 ID:xLl5yIBO
末森城では、鹿の養殖でもしていたのだろうか。

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 08:57:08.53 ID:ZVfYmyJK
以外に数がいるし増えやすいのが鹿なので山に入れば豊富にとれたのかも

前田家最大の見せ場・その真相

2010年01月20日 00:04

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 01:01:40 ID:NnvdFm16
「前田家最大の見せ場・その真相」

前田家にとって唯一の、いや最大の見せ場「末森城攻防戦」。
佐々成政が急襲した末森城を守るのは、前田利家の部将・奥村助右衛門永福の兵五百余。
利家が最初に家来にしたという、村井又兵衛とならぶ二大功臣といわれる男だ。
その助右衛門の妻である「つね」も、身体が弱く普段は病床に臥していたにもかかわらず、
戦が始まるとと自ら薙刀を掻い込んで、城中を警護し、時には兵士に粥を振る舞ったり、
酒をあたためて馳走したりした。
が、兵力にまさる佐々勢は水の手を断ち、さらに三の丸を占領、二の丸をも脅かしはじめた。

助右衛門「……もはやこれまでだな。城に火を放ち、潔く自害いたそう」
つね「何をたわけたことを……」
助右衛門「え?」
つね「昔、楠正成は全国の兵を相手に籠城したと聞いております。
   あなたは、たかが佐々の勢に囲まれただけでしょう!?」
助右衛門「……」

妻に叱りとばされた助右衛門は奮起、本丸のみにて佐々勢の猛攻に耐えた。

同じ頃、「兵が足りない」と援軍を渋っていた利家は、正室おまつから
「普段から兵も雇わず小金ばっか貯めてるからでしょうが!?銭つれて戦に行け!!」
尻を蹴飛ばされるようにして出陣。
前田利家の後詰が佐々成政の軍勢の背後から襲いかかる。
ここに形勢は逆転し、佐々勢は落城寸前まで追い込みながらも、末森の囲みを解いて
越中へ向かって敗走した。

利家と助右衛門のちょっとかっこ悪い話。




831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 08:50:27 ID:+Ob0JNxS
>>824
女は強いなw
対して男は情けないw

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 09:01:46 ID:O46BzNkO
「普段から兵も雇わず小金ばっか貯めてるからでしょうが!?銭つれて戦に行け!!」

現代日本の軍事費ももっとかけろという戦国の女からの警告だな

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/19(火) 09:34:11 ID:KLPzMLPQ
>>832
軍事費にするなら俺にくれと利家君が言ってたよ

845 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2010/01/19(火) 22:16:58 ID:OZp+qZJ/
まつの舞いを見まいぞ、か。