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妙秀は人が死んだ後に借銭が少しあると聞けば

2016年03月09日 18:19

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/09(水) 06:18:22.49 ID:MxI7Zgjc
 妙秀は人が死んだ後に借銭が少しあると聞けば、

「さてさて、その子供はめでたい譲りを受けたものだ、冥加があるだろう。
親の心は高きも賤しきも、自分の身を切り詰めて子に譲りたく思うものです。
 まして下劣の者どもは自分の身に着たい物を子に着せて、珍しい物があれば自分で使わず子に与えます。
老い衰えて見苦しい姿となるまで田舎遠国へもへつらって廻り、金銀を貯え持つのは皆子に譲りたいためです。
 そうであればこの譲りを受けるのは、親を剥ぎ、親の咽を絞め、親に恥を与えるものではありませんか。
この道理を心に持って、分に過ぎて親の譲りを受け取った人々は猶更考を尽くすべきです。

 遺産を譲り受けた富貴の身としては、親が死んで『これは』という程の仏事もなさず、
一生の恩を忘れて、その忌日だけにさほど聞こえのない僧をただ一人二人招いて弔うだけでは不足であります。
自ら香花を供養し、慇懃に僧の給仕するべきです。

 また親が借金を負ったのは、子に譲るべき物をたくさん使ったためです。
親が苦しみながら持っていた借状を将来に相続する子には、仏神の御恵みがあり天命に叶ったのを数々見てきました。
返す返す考えるに、欲深く貯えた金銀を譲り受けることは恐ろしい事です。」
妙秀は常に申していたという。
(本阿弥行状記)




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『遠きは花の香』

2016年03月08日 13:10

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/08(火) 08:04:27.69 ID:zmeUVn88
 妙秀が常に申すことでは
「親子兄弟は近くに住むことはよろしい事ではない。『遠きは花の香』と言われています。
住居が近ければ、下働きの者がたびたび行き来して、良きことを言わない。
またもし火事に遭うことがあっても、兄弟で別々の家があるとその方へ立ち退いて、差し迫って事を欠かない。」
とのことであった。
(本阿弥行状記)



『土蔵にただ今火が入ってきました』「さてさて、嬉しいこと嬉しい事」

2016年03月05日 14:09

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/04(金) 23:33:07.35 ID:2bHsAD0P
 昔大火事が有った時、私たちの聟の家も類焼に遭った。
召し使っていた女が『土蔵にただ今火が入ってきました』と
嘆き来たのを妙秀は聞くと

「さてさて、嬉しいこと嬉しい事」

と言った。光悦が側に居り

「何という事を仰られますか。人が聞いていますよ」

と言うと、

「確かにそうですね。しかしこの者の先祖は無慈悲けんどんで、わずかな金を貸して悪くない物を質物に取り、
持主が金を返したので質を返してほしいといっても、『もはや期限の日も過ぎたので外へやってしまった。』と
偽って返しませんでした。

 その道具の持ち主は高値で売り払ったものの、後に妻子を養おうと思っていた物を取られ迷惑していたというのに、
むごいことにあの者は返さなかったのです。
 そうやって人の宝を痛ましくも自分の物にして高価で売り渡し、
何につけても欲深く貯えて置いた財宝が今にも蔵の中にあります。
この財宝があるうちは聟は災難に遭うだろうと日夜心苦しく思っていました。

 そこに蔵へ火が入ってきたと聞いたので、あまりの嬉しさに何のわきまえもなく
先の事を言い出してしまいました。
許してください。」

妙秀は返事した。
(本阿弥行状記)



413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/05(土) 13:21:27.73 ID:i83ZJqNE
テレビとかで詐欺の報道見る度にバカだなあと思うけど騙される時は騙されるんだよ明日は我が身とはよく言ったもんだ

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/05(土) 22:36:52.81 ID:BiCLFBQb
これがその「災難」なんじゃ…
災難にあい続けることはなくなったってこと?

義理を知らない者には必ず災難が来るものだ

2016年03月03日 18:18

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/02(水) 22:27:24.64 ID:ymgD2YIm
 何の某とかいう者が、侍の娘を娶り子を三人産んだ。
しかし、侍は娘がその後に疱瘡にかかり見た目が悪くなったといって、娘の元から去ってしまった。
初めの時よりますます大切にするべき事だというのにと、人々は侍を見限った。
だがその指摘みたいに大切にされる事がかなわない女はあまたいる。

 親がいるときに嫁としてもらったら、親が死んだ後に嫁の元から去るものではない。
また親の身の上が衰えたからといって去るものではない。
嫁が盛りを過ぎたからといって去るものでもない。



 光悦の弟に宗智という者がいた。
京中で隠れない大正直者であったが、かの妻と離別した者と時々出会っていると妙秀が聞いて

「世に隠れない畜生と伴にいる者もまた畜生である。私の子ではない。」

と勘当した。これはあまりの事だと人々が申していると

「私もさように思いましたが、
我が一類が多いのでこのような義理に違う者もいるだろう
と思ったので見せしめにしました。」

と彼女は申した。

 また本妻が年老いると夫婦仲が薄くなり気随放埓となり、成人した子供の思いにも恥じることなく、
本妻の心を痛めさせる義理を知らない男がいる、
との話を妙秀は聞くと、

「さような者とは必ず疎遠にするべきだ。義理を知らない者には必ず災難が来るものだ。」

と申していた。
(本阿弥行状記)

宗智さん、ちょっととばっちりのようなきがしないでもない



富貴な人ではけんどん(けちで欲深い)なので

2016年03月01日 10:44

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/01(火) 04:24:57.41 ID:RUUgDYNK
 妙秀には男子が一人、女子が二人いた。姉の方の娘は尾形という者の方へ遣わした。
しかし、仲人が偽って身の上が良いように申していたが尾形家は殊の外貧しかった。
「娘は内心ではさぞかし苦しく思っているだろう。」と光二は大いに悔やんでいた。
 しかしこれに妙秀
「身が貧しいことは苦しくありません。富貴な人ではけんどん(けちで欲深い)なので有徳(富み栄える)となったの
だろうと心もとないです。
 この聟の親は正直正路で親に孝行な者です。このことを確かに聞き及び心が引かれたので娘を遣わしました。
先祖が善心であることに勝る宝があるのでしょうか。
 第一に夫婦仲の事は心安く思ってください。彼らは頼もしいですよ。」
と申された。

 さて程なく娘夫婦は男子をもうけた。男子は尾形新三郎といった。
尾形家は浅井殿の御家来筋のものであったので、台徳院(徳川秀忠)様へ御台様(お江の方)が御輿入れなさった時、
聚楽から伏見へ、かの妙秀の孫の新三郎もしおれた袴と肩衣でお供に参っり、その後も常に式台に詰めていた。

 程なく(秀忠が将軍となり)天下の御台様とならせられました。
御台様は(姉の淀のいる)大坂へ言付けをなされたおかげで、尾形家は大坂へ呉服を差し上げることができ、
それで御台様の御用は申すに及ばず、その家柄により今に至るまで上様方のおかげで
かの者の子孫は見かけ良く世を渡っております。

 とにかく妙秀はけんどん大欲で有徳になった者は程なく滅ぶ、と申して大いに嫌っていました。
(本阿弥行状記)

この尾形新三郎宗柏の孫に
五千円札の燕子花図でお馴染み、 尾形光琳がいます



しかし妙秀は、

2016年02月29日 22:02

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/29(月) 02:24:48.36 ID:7U1uPL/A
 人を殺めた者が血刀をさげて走り込み、妙秀本阿弥光悦の母)を人質に取った。
しかし妙秀は、
「私はあなたを助けましょう。こっちへ来てください。」
と納戸の内へ押入れ外から掛け金を掛けて、自身はそのまま家の外の近くに出て座った。
 追手の者どもが数十人駆け入ってきた。
妙秀はまだ若い女であったが顔色も変えず、
「これは何事ですか。」
と言うと、追手は
「人を切った者がただ今この家へ走り入った。」
と話した。妙秀は聞くと、
「何と恐ろしいことでしょう。裏へ走って行ったのかもしれません。
よく探してください。」
と言って大いに騒いだ。追手たちは『さては隣家にいるのだろうか』と隣を探したそうだ。

 日が暮れた後、妙秀は彼にかたびらを着替えさせたり編み笠を被らせたりして、
旅費などをやって去らせた。
(本阿弥行状記)

なぜ妙秀はここまで手厚くしたのでしょうね



397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/29(月) 06:56:16.84 ID:Ekt8UXVi
知り合いだったとか
あるいは宗教の同門
実は光悦の本当の・・・

このほかに何もなかった

2015年11月07日 06:41

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 02:04:31.39 ID:f79wvY34
 本阿弥一族の多くは光二と妙秀の孫ひ孫である。その上人柄を畏れて大いに重んじ、我も我もと孝を尽くしたそうだ。
そうであるので、大勢の子孫達は、田舎土産そのほか時候にあった衣服などを度々送っていたのだが、
妙秀はすぐに皆裁ち切り、帯、えり、頭巾、手覆、帛紗などにして多くの人に与えたそうだ。

 小袖を送っても肩にもかけないので仕方がないから、銭を送ったらひとしお喜んだ。
その銭で色々様々な物を山ほど買い置いて、家を持っている者には、箒、ちりとり、火打ち箱、火箸、または硫黄木、ささらの類を与え、
力仕事をする下男、草履取には、草鞋、金剛草履を、女には糸、綿、鼻紙、手ぬぐいを与えた。

 また厚紙を求めて手でよく揉んで、菜売、乞食、非人をも招きよせて、『寒い時節にはこれを背に当てよ』と多くの者に持たせた。

 何の分別の無い者達にも、『親を大切にせよ、気遣い苦労をかけるな、嘘を言うな、そうすれば神仏の加護があるだろう』と、教訓していた。

 が、九十歳で死んだときには、唐縞の単物一つ、かたびらのあわせ二つ、浴衣、手ぬぐい、紙子の夜着、木綿のふとん、布の枕だけで、このほかに何もなかったそうだ。
(本阿弥行状記)



妙秀は親類の者どもが婚姻を決める際に

2015年11月05日 07:04

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/05(木) 02:01:23.78 ID:657yLLV6
 妙秀は親類の者どもが婚姻を決める際に、他人と取り決めると聞けば気に入らず、親類の中の者と聞けば喜んだ。


 一類の者が数多くいるのに他家へ遣わすのは、その娘に傷があるようである。また私達一族に成人の娘いるのに、よそに尋ね求めることはいらいらするだろう。
幸いにも私たちの中にお似合いの者がいるのに貰わないのは、親子の思いが無い証しであり、全く頼もしくない。

 また物好みして外から求めても、仏が花を降らせるような事はないものである。その嫁の先祖がどのような非道を行っていたかもわからない、
とくに現世での名誉と利益にこだわって、金銀等を持参する嫁を求めるのはふがいなく禍の基である。
 金銀を宝として好むべきではなく、大切な兄弟の仲が悪くなったり、恥を晒すのも、多くは金が原因である。貧乏な者が死んだあとで、兄弟仲が悪くなる事は無い。
金銀を持って来た嫁のためにもならない。何事につけても金を持って来るので、気遣いは必要ないと思われる事にも気を遣ってしまい、殊の外身持ちが難しくなるものであろう。
 
 また賢い男ならば、金を持って来た女であるので甘やかすと人目が恥ずかしくて、たいした事もないのに目を光らし、夫婦の仲も悪くなるだろう。
女の心が清浄で賢ければ、持って来た金を男にまかせ誠の夫婦の心地がするはずであるが、男よりも金を大事に思って、わだかまりのある目の色を見てしまったらなんとも嫌な事であろうか。

 人の身で大事なのは縁組である。夫婦の仲が互いに大切に思っていたら、どれほど貧しくても耐えられるだろう。互いに思いあったものが親を捨てて走り行くのもよくあることである。
欲深く鼻の先にのみ知恵がある者は、富貴であることだけを良い事だと思って、自分に過ぎた婿や嫁を取ることは浅ましいことである。
 婿のおかげで生活できている者は仕方がないが、婿も嫁も相手を『真実の我が親なり、我が子なり』と思う程の志あるものを好むべきだ。

自分に過ぎた婿を取れば、もったいないことにも娘を侍女や賄いのようにするのは富貴を好むためである。
また自分に過ぎた婿を取れば、万事が華麗になって自家の作法に反し、必ず家が滅亡する兆しとなる。
 
 ただ大身も小身も、身の分際に応じて婚姻を取り結ぶべきだ。
多くの人の中で敬うべき者は、親、主君、祖父、祖母、兄、姉、伯父、伯母である。
さらには舅、姑を親同然に思うべきである。このため忌服も同然なのである。疎かに思うのは天理に背くというものである。

(本阿弥行状記)

身内との結婚を推奨しているのが印象的ですね





こうなった子細を語らなければなりませんね

2015年10月15日 16:03

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/15(木) 01:36:28.67 ID:58hpvlqi
光悦が若い時に、朝早く門外に出ると下小川に人が多く集まっていた。走り行って見れば太刀屋与三という者がからめ取られて、引き立てられて行った。
急いで立ち帰り母の妙秀にこの事を申すと、妙秀はしばらくものを言わなかったが、

「縛られた上に黒い胴服を羽織らせられ、家の中で編み笠をかぶらせて出て行ったか」
と言った。光悦は仰せの通りであったと申すと、妙秀は手を合わせて拝みながら、

「そなたはよい親を持ちました。こうなった子細を語らなければなりませんね。」
と次のような話をした。

「昔この家の隣に何の誰という者がいました。たいした咎も無かったのに、ただ今召捕られた与三が訴え出て、何年か前の今月の今日の朝召捕られて、ついに殺害されました。
そのときも、縛られた上に黒い胴服を羽織らせ、家の内で編み笠を被らせられて出て行った。隣のことなのでよく見ていて、月日もその有様もいささかも違いません。
これは何という事でしょう。凡夫の知恵の及ばないことです。報いが明らかになるのは目前です。
またよい親を持ったという事は他の事ではありません。与三が告げ口ゆえに成敗された者は、家を没収されて門が閉ざされていたのを、そなたの親の光二がお奉行の所に参り、
『私が家の隣の没収された屋敷をしばらく預からせてもらいたい』とのことを申したので、
『お上はいずれお聴きになるであろう。そなたは御用人であるし、とくにいつも名物の腰物を拝領しているのだから、別に土蔵を拵えておくとよかろう。』
と仰られた。
『かたじけない幸せです。』と申して、また明日御礼に参上したときに、よいついでと思って、
『御成敗された者のせがれを召し使いたい。』とのことも申したらすぐに許しが出ました。
『重ね重ねかたじけない』とのことを申して、退出してかの者のせがれを尋ねると、近江国堅田という所の百姓に使われていたので、早々に呼び寄せた。
さて町の年寄を呼び寄せて、『この没収された家は彼はいくらで求めていたのか』と尋ねると、鳥目四十貫であるとのことであった。
すぐに親が買い求めたようにその子に四十貫の銭を取らせて、下京皮の店という所で小屋を買わせて、皮屋を習わせました。
今も一類のところに出入りする皮屋某というものは彼の事である。
よく理解しなさい。咎のない者を成敗させた与三は、ほどなく浅ましい報いを受けました。
光二は拝領した屋敷の値段の分だけ子に与えたり、特に流浪していた子を尋ね出して一人前にした報いもまた無駄でありましょうか。」

まことに他のことよりもまずこのように大きな野山を拝領し、そのうえ妙秀の子孫百人に及ぶが、広い屋敷を持たない者はいない。
江戸でも会所屋敷等を拝領しているものは五人いる。家柄のよい人々でさえ容易にできないことなのに、京都に住みながら(鷹ヶ峰に)下屋敷さえも下されましたことはかたじけないことでございます。
孫やひ孫で出家したものは各本寺の主となり、数百所の末寺末山を領し、ほどなく退いては静かな山林を住み家とするものもいる。
女子は他家へ行ったといえど、皆大きな屋敷の主となる。
慣例のように善悪の報いが明らかになったことを板倉(勝重)殿へ話さなければならないと、鷹ヶ峰を早朝に出て、嫡子光瑳の所へ立ち寄って、孫達を集めて語ったそうだ。
(本阿弥行状記)

縛られた上に黒い胴服、編み笠は今でいうジャンパーやら毛布のことなんでしょうな




光悦がこのような人になったのも

2012年11月17日 19:57

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/17(土) 14:40:57.47 ID:Wze4zVIT
本阿弥光悦の行状記を人から借りて読んだが、光悦の芸は一つとして
妙手に至らぬものはない。その手習いの反古を見ると一つの字を数限りもなく
写している。

このような小さなことにも意を深く用いたから筆道は高く凡境を抜けた。
その他にも刀剣の鑑定も行ったし、茶事は小堀遠州に学ぶなど文武を兼ねた。
人となりは一時の傑物といえる。

むかし北鷹峯は丹波に続く山をめぐり人家は少なく樹木が深く生い茂った。
だから盗賊が常にこの辺りに隠れて旅人を悩まし、京城などへも入っていたのだが、
関東より厳命があって、光悦がこの地を賜り住み始めた。それより盗賊たちは
皆逃れ去ってしまったのだから、その武勇の程が窺える。

光悦がこのような人になったのも母の妙秀という尼の教育によるものだったそうだ。

――『仮名世説』