わが国にとって幸いであるのはことさら言うまでもない

2017年07月13日 17:31

945 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/07/11(火) 18:03:36.07 ID:aeyCj/OX
 前田肥前守利長なる者がいる。加賀大納言の子である。前田はその姓である。
大納言は、もともと、家康と官爵勢力ともに相等しかった。
秀吉が死に臨んで、秀頼を肥前守に依託して、「そこもとは、備前中納言秀家とともに、秀頼を奉じて大坂に居られよ。
諸事を調護するのは、そこもとにこれを一任する」と言った。
秀吉がすでに死んで、大納言も戊戌年冬に死んだ。
肥前守が、越中・加賀・能登の三州の地を襲ぎ、秀頼を奉じて、大坂に居し、その威勢は家康に劣らなかった。
高く門楼を建て、それが大坂内城と斉しいほど高かった。
彼はひそかに、上杉景勝・伊達政宗・佐竹義宣・宇喜多秀家・加藤清正・越中守らと、
家康を殺してその土地を分けようと謀り、血を啜って同盟し、盟約がすでに定まってから越中に帰った。
石田治部少輔が、たまたま家康にとがめられて、その領地である近江州に退いていた時に、
その謀を知り、ひそかに書面で家康に告げた。
家康は、己亥年9月9日、秀頼に挨拶するとかこつけて虚に乗じて大坂城に入って拠りどころとし、
肥前の家来を呼んで、その門楼を毀たせようとした。
家臣たちはみな、「わが主君は外におられ、まだ何の命令も聞いてはおらぬ。
死はただ一度のこと。内府の[命]令に違って死ぬとしても、
我が主君の命に違って死ぬことはない」
と言ってその命令に従わなかった。家康の怒りはますます激しくなった。
肥前の妻の甥であった秀家が行って肥前の家臣を喩し、撤去させ、
「そち達の主が私に言いおいた言葉がある。私が責任を取ってやろう」
と言った。
家康は、遂に関東の諸将に[命]令して、肥前が倭京に上ってくる道を塞ぎ、
又、石田治部少輔[三成]に[命]令して、近江州の要害を防備させた。
肥前守も城や隍を修理改築して固守の計を取り、
ひまひまには、狩猟にかこつけて、精兵数万を率いて越中・越後などの地に出没し、
景勝などともひそかに相互援助の盟約を結んだ。
群倭が家康に和解を勧めているが、家康は多分聞き入れないであろう。
思うに、この勢いでは、戦わなければすなわち和解するであろうし、和解しなければすなわち戦うしかない。
和解を、幸いにして、成立させないですませたならば、醜奴[倭]の方城はまさに一つの戦場になるであろうから、
わが国にとって幸いであるのはことさら言うまでもない。

(看羊録)
※前田利家が死んだのは己亥


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血肉の惨禍は

2015年10月01日 13:53

姜ハン   
376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/01(木) 06:25:04.74 ID:ZcP9QP2f
 朝鮮へ再挙することが遂に決まり、(豊臣秀吉は)侵略に加わらせる諸倭に命令を下した。
「人は両耳を持つが、鼻は一つである。朝鮮人の鼻を割いて首級に代えよ。〈一卒がそれぞれ一升の鼻をとり、その数に達してのち、生捕りを許可せよ〉」

 諸倭は、命令により、各々わが国の人の鼻を割いて塩づけにし、秀吉(のもとに)送った。
〈秀吉は、それを点検し終えて、(伏見の)北郊十里ばかりの大仏寺(方広寺)の傍らにあつめて埋め、小高い一丘陵を造った。
血肉の惨禍はこれを挙げて知り得ようというものである。〉

(看羊録)

実際は耳塚ではなく鼻塚である



姜ハン「看羊録」より、小早川秀秋評

2012年06月19日 20:58

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 21:58:38.95 ID:TOaqXHhj
東洋文庫版 姜ハン「看羊録」p143
大体、その性格が軽薄で、感情の起伏が激しく、その兄たちに及ばぬこと甚だ遠い。
舜首座(藤原惺窩)は、以前、金吾に書を教えたことがあったので、その人となりを非常に詳しく知っている、
ということである。

関が原以前の秀秋についての評だけど、もともとこれならよけいに陰口叩かれてたかも
しかし、後世秀秋がいろいろおとされるのは肖像画のせいもあるきがする
TERUくらい威厳のある肖像画なら評価が高くなった可能性が




975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:00:22.85 ID:BpDD4Ukp
>>974
ぽやっとした坊ちゃん坊ちゃんしたのじゃなくて、それなりに武将っぽい肖像画も有った気がするが

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:05:11.84 ID:QNxDRloj
評価のあたりは記録に残り難いから難しいところはあるけど
松野重元が同時代人から忠義者と高く評されたことや小早川家の重臣が再仕官に時間がかかってるあたり
後ろ指を差される雰囲気はあったんじゃない?

裏切りの仕方はともかく数少ない豊臣家の血族だし加増された先が義兄の秀家の領地だしなあ

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:06:25.59 ID:P7Y0aDgd
>>974
つまり藤原惺窩のコメントがないとわからない

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:12:17.11 ID:TOaqXHhj
藤原惺窩のコメントが一行目だと思ったんだが
まあ親友の長嘯子先生と比べればたいていの若者がその評価になりそうだ

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:15:51.46 ID:TOaqXHhj
訂正2行目

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 02:19:56.46 ID:TGDRJFLC
姜も惺窩もコテコテの朱子学者だから同時代の評価とは言っても時代を先取り
というかむしろ後世の朱子学視点の評価の元になった可能性もあるよね
兄に劣るっちゅうても長兄の長嘯子は武将としては絵に描いたような無能やんけ、とか
惺窩の知ってる秀秋はそもそも何歳の時だ?とかそのままには受け取りにくい