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清水宗治が切腹するまで

2012年01月29日 21:58

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:15:37.70 ID:dV7cpYjB
天正10年(1582)6月

備中高松城で対峙する毛利輝元と羽柴秀吉であったが、秀吉は輝元の陣に使者を派遣し、
安国寺恵瓊を呼んで、和議についての話を始めさせた。

秀吉からの和議の条件は以下の通り

・伯耆の国は矢橋川を境界とする
・備中は河辺川を境界とする
・残りの中国筋は尽く毛利家の進退するものとする
清水宗治には切腹を仰せ付けられること

「この条件であれば信長公へ御和平は相整い、毛利の御家もつつがなく、秀吉も面目を立てることが
出来ます」

安国寺恵瓊はこの条件を持って毛利輝元に報告する。毛利の現状からすれば上々の
和議内容であろう。しかし輝元はこれに断固として反対した

「国分け(領土割譲)の事はともかく、当家にあれだけの忠義を尽くした清水に切腹を申し付けるなど、
そのようなことは出来ない!断じて罷りならん!」

安国寺は説得したものの、輝元は2度にわたってそう言い切った。
こうして状況は膠着した。ここに秀吉は密かに蜂須賀彦右衛門正勝、生駒雅楽頭親正を安国寺のもとに派遣し
内々にこう説得した

「毛利は現実を見るべきだ。近辺の国主はみな尽く秀吉になびいている。それらは全て証拠のあることである。
特に、小早川隆景殿が弟同然としていた上原元将さえ毛利と手切れをいたしましたぞ!
この現状では、この和平案を承諾するのが最善ではないか!」

安国寺、答える
「輝元様があれだけ言い切られた上は、これ以上説得した所で聞かれはしないだろう。」

それから安国寺は密かに高松城に入り、清水宗治に対面すると、これまでの和睦交渉の経緯を
ありのままに伝えた。
宗治は聞き終わると

「私の切腹の有無の事だけで和睦交渉が滞っているのですね。
毛利の御家の安否がどうなろうとも、拙者の事をお捨てにならないと決断された。
生々世々(生まれ変わり生き変わっても永遠に)、かたじけない儀であります。
このように扱って頂いたこと、家の面目、これに過ぎるものはありません。

こんな時は一命を投げ打ち、後代に名を残すことこそ武士の願うところであります。
この一命、片時も無駄に伸ばすつもりはありません。
しかし御両三殿(毛利輝元・吉川元春・小早川隆景)に申し上げても、私の切腹には賛同されないでしょう。
そうなれば秀吉との和平が整うこともありません。

安国寺殿、秀吉のもとに行き、清水は条件を承知した。御両三殿の御意に背いても切腹する。そう伝えて欲しい。
そして早々に和平のことを調え、この高松城に残る者たちは無事、毛利本陣に送り届けるようにし、
その上でこの事を御両三殿に披露してください。」

安国寺恵瓊は直ぐに秀吉のもとに向かい、この事を語った。
秀吉は感動し

「神妙無比である。清水の望むとおりにしよう」

と、清水宗治に伝えた。
こうして清水宗治は、6月4日、切腹することと決まった。

清水宗治が切腹するまでの過程である。
(萩藩閥閲録)




649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 18:35:56.38 ID:lzWD42wk
毛利家ってなんでこんなに家内の結束が固いんだろうな
清水だって毛利の中じゃ外様なのに

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:02:30.89 ID:zB0rRwcG
出典から分かるように大本営発表だから美談にしてるが・・・

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 20:13:27.85 ID:skFjOdns
まあこれ御両三殿がすぐに了承してたら高天神城落城後の武田みたいに
国人衆が歯が抜けるようにボロボロ織田に下ってあっという間に滅亡だからな

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 20:33:24.55 ID:bIApyMfZ
え?これ備中高松城攻めの話だぞ?
清水宗治が切腹する二日前に信長死んでるけど
そういうフォロー?

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:04:04.52 ID:J1U8VOXD
>>652
確か、明智から毛利への密使が間違えて羽柴の陣に入ってしまって
急いで撤退していく羽柴軍を不審に思った毛利が調べて初めて、信長が死んだって気付いたが
通説じゃなかったっけ?

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:13:18.80 ID:/TYHd38b
どっちが正しいねん(笑)

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 05:51:29.66 ID:35cGvL6C
>>652
当時2ちゃんは無かった

安国寺恵瓊、島津義久宛書状

2012年01月22日 21:57

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 16:44:28.82 ID:MfyVFNAi
いい話でも悪い話でも無いが、ちょっと面白い天正13年(1585)3月15日付、島津義久安国寺恵瓊書状

『今まで書状をお送りしたことがありませんでした。今、謹んでこの書状を送ります。

この愚僧(恵瓊)は毛利家に仕える者です。
所で最近、羽柴筑前(秀吉)と毛利の間に和睦の義が相整い、これに伴い色々と情勢の変化があったので、
秀吉よりその説明のため、豊州(大友家)まで使いを下向させます。

ついては秀吉は、貴家(島津家)に対して、鷹を所望されています。
でありますので、この書状を以てそれを申し入れます。

尤もご持参なさるのは難しいでしょう。貴国は豊後まで国境を遠くへだったっております。
ですので、休庵(大友宗麟)まで飛脚によって送っていただければ、そこから秀吉のご覧に入れます。

羽柴筑前から貴家への書状の書礼が粗末ということで、島津家に対して礼を失しているように思われたでしょうが、
これは今、彼が公家となったためなのです。
どうかこのあたりをご分別いただければ、この上の喜びはありません。

京都において何か御用のことがあれば、どうぞどんな事でも仰ってください。
今後の猶の音信を期して。恐惶謹言。

三月十五日
島津殿
           安国寺』
(薩摩旧記雑録)


島津義久が秀吉の書状の無礼さに怒った、という話は有名ですが、そのフォローを安国寺恵瓊
していたのですね。




「朝山日乗は全く異能の人物です。」

2012年01月21日 22:00

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 16:59:55.98 ID:rJgb+r7o
『信長之代五年・三年者可被候。明年辺者公家などに可被成候かと見及申候。
左候て後、高ころびあをのけにころばれ候すると見え申候。
藤吉郎さりとてはの者にて候。』

この言葉で有名な、安国寺恵瓊の天正元年12月12日付書状。
実はこの書状には、もう一人別の重要人物に関する人物評が書いてある。
それは織田信長の使僧であり、フロイスから「日本のアンチキリスト」「庶民の欺瞞者」「肉体に宿りたるルシフェル」
と罵倒された朝山日乗について、である。
恵瓊は、こう言う

『日乗は全く異能の人物です。信長にとって彼は、昔の周公旦に対する太公望のようなものです。
似合いたるものは出会いたるとはこの事なのでしょう。

然しながら、今現在において彼の行なっていることは、我ら芸州にとっても重宝と言うべきでしょう。
今度の調え(将軍義昭追放にともなう混乱の処理)も、みな尽く彼の奔走によって成立しました。

ただ、これは危ういと考えます。我々は藤吉郎(羽柴秀吉)への取次まで、日乗に頼っています。
この事について、どうか御推量ください。』

この時期の朝山日乗に存在感の大きさを、存分に表している記録であろう。
(吉川家文書)




815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 18:52:38.98 ID:bTMAn5bQ
でもこの後すぐ失脚するよな?

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 19:04:01.78 ID:GA35w0jv
>>815
失脚というのはキリシタンが言っているだけで、実際には死亡年から見ても、この時期あたりから
体調を悪くして表舞台から去った、と見るのが今は主流だと思う。>日乗

天正11年12月15日、安国寺恵瓊・林就長連署書状

2012年01月17日 21:58

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 17:51:55.78 ID:Qq//8JEl
天正11年(1583)12月、毛利氏は賤ヶ岳の合戦に勝ち、名実ともに覇者となった羽柴秀吉に対し、
国境画定の作業を進めていた。しかし毛利氏の実効支配が進んでいた美作地域の、羽柴方への
割譲に、家中から強い不満が噴出し、毛利家当主輝元もこの家中世論を無視できず、国境交渉の停滞も
起こりかねない状況となった。

これに危機感を抱いた毛利の交渉担当者、安国寺恵瓊林就長は連署の書状を送り、輝元に決断を迫る。
その書状にはこのようにあった


『現在、毛利家中の上下の心中を見れば、去年以来の数度の戦闘の事を忘れ去って、今では今回の
国境策定は理由のないものだと考え、皆がのぼせ上がっております。これはある意味仕方が無いのかも知れません。

ですが思い出してください。前に鳥取城を攻められた時、北口(山陰方面)の衆はその救援すら出来ませんでした。
また去年、南面(山陽方面)の冠山城、宮路山城が攻め落とされ、高松城が二重三重に取り巻かれる。
我々はそうなってからようやく軍勢の集結をして出陣したのではありませんか?
その状況は今だって来年だって変わりません。上方の軍勢は10日や15日の間に出陣するというのに、
この芸州では、たとえ御三殿様(毛利輝元・吉川元春・小早川隆景)が既に途中まで出立したとしても、
軍勢が集結するまで50日。少なくとも30日以内ということはありえません。
このようでは南北の入口の一つすら守ることは出来ません。

これらは児島、松山、高田などの割譲について、今も毛利家中の意見があまりに無分別なので書いているのです。
その事は解っていただけると思いますが、驚かれることもあるでしょう。

御三殿様、そして福原貞俊、元俊殿によりご内談なされるのは、恐れながら今この時です。
正月も何も関係ありません!かつて大内家が崩壊するとき、日頼様(元就)は正月の儀式をとりやめられ
弓矢を取ってご出陣成されました。
逆に尼子経久は毛利に攻めいった時も正月の儀式をし、恐れながらこれにより我々は神風を得ました。
こう見れば正月の儀式など、目出度いことではありません。

大内義隆がどうなったか、よくご存知でしょう。
山名、赤松、土岐、細川、朝倉といった人々は皆大大名だったのに、今は跡形も無くなりました。
我々の直ぐ近くでは、名家である河野殿に、長宗我部が戦うごとに勝利を収めています。
九州ではあの大友殿が、百姓のような者である龍造寺に追い詰められています。

また、現在の天下の形勢をみるに、甲斐武田殿、また直近の柴田滝川、彼らは自分たちの都合を主張し、
そのため即座に敗亡しました。
われら芸州は未だ6,7ヶ国を保っております。それらの統治は安定しており、長久のものとなるでしょう。
これは鉢開きのご正慶というべきです。

小僧のごとき私(恵瓊)がこのように申し上げるのは、口幅ったいことではありますが、今日、京都五畿内の事は
言うに及ばず、日本の半分ほどを見回している私の目は、世の中を見ていない連中のそれとは少々違います。
そして芸州の、殿のお側の人々は慢心していて、世の中が見えていません。

今の世の中というのは、男に華麗な衣装も言葉遣いも必要ありません。どんな分限者であっても、駆け馬一疋で
公の用を成すことが出来ます。しかし今の殿の周りでは華麗な分限者ばかりを召し連れ、そうでない人々を
排除しているように見えます。仏の前で説教するようなものではありますが、今の公私のご分別は
間違っているように見えるのです。繰り言ではありますが、あえて申し上げました。』
(毛利家文書・12月15日安国寺恵瓊林就長連署書状)

安国寺恵瓊による、本能寺のおかげで虎口を脱したというのに、早くも喉元過ぎて熱さを忘れている毛利家中と
輝元に対しての警告である。




726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 18:00:18.20 ID:aikk9VdH
>逆に尼子経久は毛利に攻めいった時も正月の儀式をし、恐れながらこれにより我々は神風を得ました。
富田城を元旦に奇襲して奪った経久なのに


729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 18:37:48.39 ID:j1diPcou
外から分析するには優秀みたいだけど中から分析することは難しいらしい

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 18:48:40.65 ID:yCrqyqtG
安国寺恵瓊を見損なってた
なかなか気骨あふれる坊さんじゃない
もし安芸武田家が残っていたら、毛利家にとって脅威になっていたかもな

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 19:20:03.42 ID:/tGk8T7T
ただこういう人はやっぱ家中で浮きやすいよね

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 19:57:32.92 ID:dbkQhh6d
しかし自説の確かさを主張する為とはいえ、俺は家中の有象無象とは訳が違うぜ!現状を知ってるぜ!
ってのはどうなんだろう。この人、普段からこんな感じだったのかな
いかに言ってることが正しくてもこんな調子ではなかなか納得してくれないと思う
ちゃんとコンセンサスがとれなければ実行する時に困るのに

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:13:56.12 ID:/tGk8T7T
決定権握ってる人間さえ納得させればあとの有象無象はどうでもいいって感じかね?
タイプ的に呉起とかそっち系かな。
学識ある坊主ならそういう失敗例もよく知ってるはずだろうに。

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:25:32.91 ID:sXotpZ+3
>>730
関ヶ原時は時流を見誤った

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:38:11.66 ID:qMWzSwQN
首脳陣は恵瓊の言ってることぐらいわかっててどう説得するかを考えてたんじゃないかと思うんだけどなあ
こんな(首脳陣にとっては)わかりきってる正論ではなく、説得方法を考えればいいのにとも思う

そういう意味ではテンプレイメージとしての三成、兼続に近いのかね

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:43:11.33 ID:gTd9uPVJ
正論を唱える人ってのは必要なんだけどお前ら馬鹿だから俺が正しい事言ってやるぜ、じゃ駄目だよな
本多正信と足して2で割りたい。

間違えて正純と足すと大変なことになりそうだ

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 21:10:29.49 ID:DPfD7WuH
というか毛利前田宇喜多上杉の領土削らないで恩賞足りるわけないじゃん
前田→上杉ときたら次は宇喜多か毛利しかないだろうに
徳川はその四つつぶせば関ヶ原なくても天下とれるのはわかってんだから
前田みたいに靴の裏舐めるか戦うかどっちかにしろよ阿呆ってことだろ常考

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 23:04:22.97 ID:Q2xA8n9Z
>>735
この頃の毛利家は、まだまだ国人連合から抜け出し
きれてないので、重臣間の利害を調整するのが大変。

ただ恵瓊は、ここで遅れると毛利家の危機だからこそ
必死になって訴えてるんだと思う。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 01:18:34.85 ID:tVZOeYNU
毛利は拡大期には機敏な行動が目立ったのにいつの間にか行動が重くなってしまったよね
元就死後も勢力は順調に拡大しているのに何というかもっさりした動きに

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 01:31:26.52 ID:o97eQVGB
地味なお兄ちゃんこと隆元が死んじゃって財政破綻寸前に追い込まれたからな

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 02:38:28.80 ID:xwullzVz
俺も安国寺恵瓊を見直した

佐々成政程度には

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 02:51:33.41 ID:od/ZFm3w
中央との交渉役は嫌われ役でもあるからな
徳川家中での石川の例もあるしw

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 09:16:08.54 ID:lAeSGNxI
時流を読むのに長けてると言うより秀吉に懐柔されてるだけ
賢い奴は、秀吉が死んだら手のひら返して、徳川に接近してるし

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 09:41:20.91 ID:stsKgq93
関が原でも懐柔されただけなのかな

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 11:40:50.84 ID:wogidobT
合議制ってのは、
大きな間違いは減るかもしれないけど、機敏な行動を取るには向かないよね~

元就さんは自分が死んだら天下とかよりも大毛利の現状維持を第一に考えて、
両川体制しいたと思うわ~

まぁ、TERUさんじゃなくお兄ちゃんが生きてたら話しは違ったのかもしれないけどw

安国寺恵瓊さんが佐世元嘉さんにお手紙書いた(天正11年9月16日)

2011年11月28日 22:01

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 01:53:51.43 ID:3GmFzwgC
酒の話題に便乗しようとして遅参
安国寺恵瓊さんが佐世元嘉さんにお手紙書いた(天正11年9月16日)

「昨夜は酔っちゃって正直スマンカッタ
 私、たしか御若衆なんかを呼びつけたりしてたよね /(^0^)\

 そりゃそうと、秀吉の言い分は全部伝えてあるんだけど、結論出す気あるの?
 戦になれば八割方こっちが負けるよ?
 境目の件は可能な限り調整済みなんだから隆景元春にこれ以上グダグダ言わすな
 条件出揃ってるし、とにかくここらで手を打つって、もう輝元様の口から言ってもらって
 それで異議が出るんなら、そいつは毛利の家臣じゃない!
 グズグズしてたら御家のためにならないよ

 仏祖・天道も照覧あれ! 上方びいきで言うわけじゃないんだからね!
 和平と戦争の得失は和睦次第、早く態度決めなって
 ちなみに上方衆は、人数・手柄・手早さ・米と銭・武略の仕掛けが揃ってる
 こっちは、人数も少ないわトロくさいわ米も銭もないわダメダメじゃん! 以上

 まだ酔いが残ってるよマイッタね 恐惶謹言
 ※この書状は読んだら燃やして」

かなり大事な話し合い中にやらかしたようです
その前にアンタ坊さんだろと思わないでもないが、恵瓊さんが飲んでいたのは断じて酒ではない!
きっと般若湯だよだぶんそのはず

アツい坊さんの威勢のいい話でした




788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 11:24:56.50 ID:EWmHiAqZ
燃えてないじゃない

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 11:34:13.81 ID:8eS7uQ70
読んだら燃やしてって手紙結構残ってるよね
燃やさなかった結果がこのザマだよ!

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 18:18:57.20 ID:ciI+xNbT
豪快な坊さんですな

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 18:32:13.56 ID:VnzvfWOM
戦国時代というか、昔の坊さんは豪快な人多いよね
顕如さんとか

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 19:12:28.67 ID:65zlB4ww
これは確かものすごい追い詰められてたんじゃなかったっけ?

秀吉から領土割譲を迫られて、返答期限まで決められてるのに両川が納得しなくて期限ギリギリ。
実際に交渉担当してる恵瓊は秀吉軍の状況を目の当たりにしてるから、まともにぶつかっても勝てないと踏んでる。

もう、飲むしかねーって状況だったはず。

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 20:10:38.37 ID:S3SavluT
顕如みたいに嫁さんがたくさんいる坊主だとそれだけで憎たらしく感じる

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 20:18:37.62 ID:AvVTirdD
一向宗は妻帯OKだからなw

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 22:55:51.97 ID:atGJQ3Ct
>>794
宣教師「No More Ikkou!!」

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 11:59:50.05 ID:7+SNWqNs
むしろ浄土真宗以外の妻帯してる僧侶が憎たらしく感じる

恵瓊の涙

2011年09月22日 22:04

恵瓊の涙

安国寺恵瓊 豊臣秀吉 小早川隆景

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 21:52:55.97 ID:XYztUoVD
関ヶ原の戦いって各地で色んなことが起こってて面白いのに
あまり細々とした所は取り上げられないので勿体無いな
関ヶ原合戦トリビアとか面白そう




46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 21:56:47.14 ID:cO/iIDeX
じゃあこれはどうだろう
安国寺恵瓊の項目が見つからなかったからないとは思うが…

小早川隆景が毛利輝元に
「私は安国寺恵瓊と太閤殿下の面前に同席した事がある。
その時に話がたまたま大政所様のご逝去の事に及んだので太閤は涙を流された、すると恵瓊も同じように涙を流した、
別に悲しみがあった訳ではなく太閤へのへつらいの涙である、太閤はそれを見抜けずに恵瓊への親愛を深められた。
もし太閤が亡くなられたらおそらくあの僧が国を誤らせるであろう。」と語った


隆景が遺言に恵瓊を用いるなと残したのにはこういう背景があったという話




47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 22:51:51.23 ID:BAAMQKeQ
流石の人誑し人材鑑定士もカーチャン死んだ悲しさで目が曇ったのかね

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 23:06:02.43 ID:YAn3gnLd
間違いなくこの件で秀吉は狂っちゃったね
ここから妄想性人格障害が酷くなっていくんだ。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 00:31:42.86 ID:U/Fr1EFI
作左がファイヤーしてたらどうなっていたことか…

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 08:14:21.76 ID:qWPr6evw
姉朝日姫、弟秀長、息子鶴松、母大政所、と3年連続で立て続けに家族が逝っちゃったからな
そりゃ天下人でさえ辛さで頭もおかしくなるわ

モンタヌス日本誌・小西行長の最期

2011年07月30日 23:04

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 03:49:32.32 ID:HkL5D/QP
関ヶ原の後の事

『内府様(徳川家康)は日本全土の君主と成るに至ったが、他の君主のごとく勝利の後に暴虐を行うことは無かった。
彼は捕虜となった敵に対しても穏和の手段を執ったが、ただ3人のみは許さなかった。
内閣員(奉行衆)の軍を率いて彼に対抗した近江の王・治部少輔(石田三成)、肥後半国の王摂津守殿(小西行長)、
毛利殿が顧問とせし安国寺(Ancocugis 恵瓊)である。

彼らは甲斐守(Cainecanis 黒田長政)に捕らえられ、始めはその身分に応じた待遇を受けたが、程なく
大阪で幽閉され死刑を宣告された。彼らは大阪において痩せ馬に乗せられ市内を引き廻されたる後、荷車をもって
都に輸送された。彼らの周囲には庶民群集して、貴人の不幸を憐れむ者もあり、またこれを嘲る者もあった。

治部少輔は第一の車にあり、その次に安国寺、摂津殿は最期にあった。
ラッパ手が各人の前に行き、彼らが謀反人なるを以て恥ずべき死刑に処せられることを声高に叫んだ。

この時摂津殿はいささかも勇気を失わなかったが、それに対して他の二人は自分たちの無罪を弁じて
当局者の処置に対し嘆き訴えた。

彼らが刑場に近づくと、近隣の仏教僧が数人やってきて彼らに説諭し、全ての罪悪を浄めるための、
多くの笑うべき儀式を行ったが、これは不潔なる精神を持たずに阿弥陀の前に出ることを得るためである。
これによって処刑者はいささかの心の慰安を得永久の生に確信を得たように成るのだ。

しかし摂津殿は頑として僧の説諭を拒み、あくまでキリスト教徒たる態度を示した。

刑場に上がる時、僧の長が現れた。彼は常には外出せず、ただ高貴なる人が悩む時において顔を出すのみである。
彼は多数の日本僧を従え、手には釈迦の聖典を携えていた。

様々な呪文を唱えまた、作法を行った後、治部少輔と安国寺とが死せんとする時、この僧の長は聖典を出して
接吻させた。
しかし摂津守殿はこの時僧を罵って、己がキリスト教徒であることを公言し、そうして帯の間からキリストとマリアの
小さな絵を取り出した。これは皇帝チャールズ5世(神聖ローマ皇帝カール5世か)の同胞ポルトガル国の女王
カザリンがイエズス会の手を経て彼に贈ったものである。

彼はこの絵を両手に掲げ、これを熟視して祈祷をなし、首を差し出して処刑人の刀を待った。
処刑人は3度刀を振り降ろして、これを斬首した。
他の二人も同様に処刑され、その屍は焼かれた。

摂津殿の屍はイエズス会員の手にわたり、都において長い屍衣を以て覆われ、ローマ教会の儀式によって
埋葬されたのである。』
(モンタヌス日本誌)

日本では過小評価されがちな小西行長ですが、ヨーロッパでは他の二人が彼の引き立て役となり、
実に立派な死に様だったと伝わっていたのですね。と言うお話。




231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:04:56.92 ID:Ph5z2QvA
AcasicamonだのAncocugisだのCainecanisだの、古代ローマがギリシャ人みたいな字面だな

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:27:26.92 ID:Q8q2ORIl
たぶんモンタヌスが織田信長と松永久秀に会ったら二人とも弾正で同じ名前だと思うんだろうな

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:54:44.45 ID:UWCYjXCF
>>230
おお?いい話じゃないですか?
小西行長りっぱに見えます。
ラッパというのは、当時日本のどんな楽器にあたるのでしょうね。

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:58:52.80 ID:a15vGj++
>>232
その場合「同じ名前」ではあるんじゃないか。
>織田信長と松永久秀
受領名も名前の一部ってことで。


235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 07:58:58.04 ID:V8fb9BAd
キリシタン補正ってすごいんだなw

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 08:15:25.06 ID:FvcDezSX
ラッパって法螺貝かな?

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 08:15:50.15 ID:Ph5z2QvA
>>235
たぶんカイネカニスも、聡明で思慮深く、家臣から慕われることこの上なく、けっしてダメヤンさんじゃなかったんでしょう

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:13:46.48 ID:buoFAfWc
>処刑人は3度刀を振り降ろして、これを斬首した。


一太刀で斬ってあげてください(´;ω;`)

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:25:23.53 ID:SdbJLH6S
山田浅右衛問も時には失敗したというから…

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:27:33.61 ID:RMxcrKRc
まあ、そのせいでヨーロッパで苦痛を与えないギロチンとかが生まれたわけだしなぁ

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 11:44:11.04 ID:mc/ELILf
>>232
実際モンタヌスは関ヶ原の描写で、同じ中納言だからか織田秀信と小早川秀秋を
同一人物として描いてるw

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 15:29:06.54 ID:EZqkUVWf
>>230
甲斐守がCainecanis
Canine Canisなら犬の犬か
ところで安国寺がAncocugisってことは
上で出てきたGiciasuはジシヤスなのか

羽柴秀吉「古狸の寄り合いは」

2011年06月03日 00:00

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/01(水) 22:18:28.69 ID:BGXzuNAQ
天正10年(1582)6月2日、本能寺の変、起こる。
これを知った備中高松城攻め最中の羽柴秀吉はこの情報を秘し、急遽毛利との和睦を図る。
毛利家を預かる毛利両川こと吉川元春、小早川隆景からは、長門・周防・安芸・出雲・石見・伯耆・備後・備中半国、
この八カ国を安堵の条件ならば和議に応じる、との見解を、安国寺恵瓊を通して秀吉方に伝えた。
これを聞いた秀吉は

「その坊主、ここに連れてこい」

と安国寺を御前に呼ぶ。安国寺は秀吉にお目見えし、両川の所存を朗々と説明する。
安国寺はその語りも上手く頭の回転も非常に早いため、秀吉を始めその場に居た者たち、すっかり聞き入る
風情であったという。

説明を聞き終わると秀吉は

「ここは『信長公』のご好意もあり、いかにも両川の望みのようにいたそう。」

と、毛利側の条件を飲むと表明した。すると安国寺

「これはこれは、時の面目も保ち、国家の安泰も図れます。満足この上ない思いです。
…ですが、このありがたき上意の趣きを伝えるのに愚僧の口上だけでは、両川も心許なく思うことでしょう。
願わくば先の国々安堵の『信長公』のお墨付きを、頂戴いたしたいのですが…。」

秀吉苦笑いしながら
「坊主!お前は残る所も無い曲者だ!さりとて能き使いである。
さて、わしも今ここで墨付を遣わしたいとは思うが、お前も分別してみよ、この和睦条件は未だ仮初のものであり、
わしの方としても所領の事だけを取り上げて証文を出すわけにはいかない。
その方は一旦帰り、我々の申す所を両川に申し聞かせ、その上で重ねてここに来い。
それでもこの和平への考えが変わらないのなら、墨付などは、その上のことである。」

安国寺、これを心得たという表情で
「上意の旨、畏まりました。
されば両川が筑前守(秀吉)様の仰せの趣きをお請けした場合、その事を誓紙にして『信長公』に
差し上げるべきでしょうか?」

秀吉は『この坊主、わしの心を見定めようとする質問を、ズバズバとしてくる奴だ』と思ったが
「いやいや、誓紙など無用である!和睦の後にさらに保証を求めるなら、それは心次第である。
誓紙は、両川がその時心に懸けられること。今は無用である!」

この言葉に安国寺も納得した風情で、御前を下がろうとし立ち上がったがたがその時、こんな『独り言』を漏らした

「私の質問に心広く答えるようなことをせず、石に手を詰めたるように(動きがとれないように)されてしまっては、
もうどうにも出来ませんな。
さても良き『天下取り』の御下地かな。」

「坊主待て!」

秀吉は咄嗟にそう声をかけ、安国寺に大金を与える。さらに「坊主は良き武士の下地である」と
馬、具足、腰の物などを揃えて与え

「又来るときはその長衣ではなく、武士の格好をして来い!それが似合っていればこれからいよいよお前の事を
目を懸けることにするぞ。」

と、いかにも親しみを込めて語り聞かせる。

安国寺が毛利陣へと帰ると、秀吉は疲れはてたような表情で言った

「古狸の寄り合いは、恐ろしき事なり。」


秀吉と毛利の和睦交渉における逸話である。(古郷物語)




449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/02(木) 01:45:25.92 ID:G3FheDs9
豊臣政権下で毛利は秀吉の内部工作で引っ掻き回されて弱体化してるんだから、
安国寺は狸といっても批評家みたいなもんなんだろうな
まあ社会に出ると、実戦力にならない批評家ってのが一番厄介者なんだがw

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/02(木) 06:23:58.59 ID:sTsCY0xj
田嶋先生の事を言ってるのか?

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/02(木) 10:16:41.58 ID:dzhM6Unw
おまいの頭の中には批評家は一人しかいないのか

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/02(木) 17:48:53.57 ID:6qiRdeTB
恵瓊は本能寺の情報をつかんでるの?

もういない信長との約定なら好きな時機に破棄できるから、それを狙ってるように読めるが。