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西国無双 吼える

2021年08月25日 17:35

464 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/25(水) 06:58:55.01 ID:iSd1b4il
西国無双 吼える

慶長5年(1600年)、9月15日の関が原での西軍の敗報を受けて立花宗茂は弟の立花直次と大坂城に戻り毛利輝元に東軍との決戦を具申した。
しかし、返答が無かったため宗茂は柳川への帰国を決め、先ずは人質となっていた母・宋雲院らの救出を御座船の船頭である鶴田・村田の両人に
命じた。
両人は忍びの術の達人であったため命がけの冒険の末、宋雲院と島津公の夫人(島津亀寿)を救い出して島津夫人を薩摩邸に送り届け、主人・宗茂の元へ
戻り、こうして母子相伴って帰国の途についた。

その途上、犬子島(現在の大阪市西区江之子島)の関にて番卒がこれを誰何し宋雲院を抑留しようとした。
これに対し宗茂は

「さらば番人を悉く踏み殺し急ぎ馳せ過ぎよ」

と大喝し、従士吶喊して番卒を撃破し主従なく乗船して柳川への海路に入り3日後に無事九州へとたどり着いた。
https://i.imgur.com/i0XcWAx.jpg
i0XcWAx.jpg

立斎(公)旧聞記』『柳川史話

鬼武蔵といい、またも理由なき理不尽な暴力が関守を襲った悲しい出来事であった。
いやまぁね、彼らは彼らでただ真面目に勤めを果たしてるだけなんですけどね。
事態が事態、相手が相手だけに仕方ないんだけどね。

恐らくまだ出てなかったと思うのですが、既出だったら相すみませぬ。



465 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/25(水) 07:57:42.48 ID:uqmKi5tY
https://i.imgur.com/Xbw0J6c.jpg
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立花宗茂と直次の母・宋雲院

2021年08月22日 16:54

宋雲院   
943 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/22(日) 10:04:55.98 ID:2Egr4wVK
立花宗茂と直次の母・宋雲院

天正14年(1586年)の岩屋城の戦いでは落城後に島津の捕虜になるも救出。

慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦い時は人質として在坂または在京の身。戦後、宗茂が奪還して柳川帰国のちまた徳川の人質として上洛。

以後、息子・宗茂の浪人時は同行してたのかどうかは不明ながらも慶長16年(1611年)に江戸で死去。

当時はこう言う人生はざらかも知れないけど、凄い激動の後半生だと思う。夫・高橋紹運を死に追いやり、自身を捕虜にした島津勢と旅路を共にした時とかどう言う心境だったやら…

高橋紹運とその許婚・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-410.html?sp

(参考:立花資料館 天叟寺所蔵宋雲院肖像)
https://i.imgur.com/CpPieZt.jpg
https://i.imgur.com/ZIocOtP.jpg
CpPieZt.jpg
ZIocOtP.jpg