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名大将の二代目は

2014年10月26日 18:54

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 00:34:21.48 ID:6Qcj69rk
武田信玄家臣、室賀入道(信俊)があるときこのように言った

「名大将と言っても、一国ばかりの大将のことは世間でもさほど大きくは申しません。
せめて二ヶ国も取って、その近国三ヶ国ほどと自分の国、五ヶ国のにおいて鉾先を振って名を取り、
三ヶ国、四ヶ国、五ヶ国を支配する大将は、敵も多くその沙汰することも多い。

このように多くの敵と戦って種々の智略を用いれば、世間もそれを沙汰して名を呼びます。
一国ばかりでは敵も少なく、しかし名も少ないのです。

さてまた、どこであっても、一代の間越度のなかった大将の二代目にとって、易き事と大事の二つがあります。

まず、易き事というのは、前代の威光によって、跡を継いだ大将は、少しのことでも四方において
おおいに沙汰する事ができます。これを易きといいます。
しかし一方で、少しの悪しきことでも世間は大きく悪しきと事と取り成します。これを大事といいます。

易き事、大事の中に、易きは稀です。何故なら四方に響き渡る大将の二代目は、少しばかり誉れある働きを
しても、前代より劣っていると批判されるからです。これを以って、大事は多く、易きは稀だということです。」

またある時、室賀入道が馬場美濃にこう語った。
「人が恐れるほどの名大将の二代目は、だいたい9年は苦しからずして、10年目は必ず危うくなります。
それはまず、最初の3年は先代の威光によって何とか取り回し、大事なく過ごせるものです。
次の3年は、代替わりに取り立てた者達が競争し、それによって皆が競って勇むため、これまた大事が有りません。
そして最後の3年は、悪しき仕置と言われながらも、兎も角も過ごせるものです。こうして都合9年。

このようにあった後、10年目は大いに危うい。しかし、それを過ぎれば必ず敵方も代替わりがあり、その仕置に
混乱が生じて、この方にとっては大吉となります。私はそのように考えます。」

(甲陽軍鑑)

室賀入道信俊による、二代目の大将についての考えである。
考えてみれば武田勝頼が滅びたのは、信玄の死から9年目ですね。




621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 02:01:33.84 ID:viWyMq/x
テル「殴る人がいれば大丈夫だよ

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 02:22:49.64 ID:IlQqpZxb
この予言に馬場美濃がどう返答したのかが気になる

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 06:16:20.84 ID:+0H3TQuc
>>620
敵方もその直後に代替わりしているな、そういえば

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 06:32:24.87 ID:nvDGXYSO
甲陽軍鑑の後付けエピソードはお約束だからなぁ

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 07:36:17.96 ID:nLwZBdvp
甲陽軍鑑 民明書房どちらが信用できるんだろう

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 08:13:52.74 ID:DlX65fLV
>>625
信長公記は?

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 09:12:16.67 ID:Lztw9WSA
甲陽軍鑑って平山優先生とかが積極的に史料として採用しているじゃん

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 09:36:09.83 ID:FZVfo7yX
名将言行録だけを信じろ

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 10:24:43.52 ID:03Sev5Ys
それ読みたいなと思ってるけどどこに売ってるかわからない

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 10:33:28.69 ID:N6NPnIwQ
国会図書館の近代デジタルライブラリーで読める
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778849

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 10:52:30.10 ID:03Sev5Ys
>>632
ありがとう!

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 11:08:06.43 ID:Lztw9WSA
名将言行録そのものは信用ならないよな

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 11:29:45.57 ID:nvDGXYSO
平山氏とかが、甲陽軍鑑を史料として使うのは戦国の風俗や習慣などの部分であって
記載されている出来事や日時をそのまま使うのは危険極まりないと言ってるけどね。

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/26(日) 12:05:11.02 ID:0PS2zBrf
室賀も信俊死後9年目で真田に滅ぼされてる

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生島足島神社の願文

2010年09月14日 00:01

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/12(日) 21:30:57 ID:VLobXEZk

長野県上田市にある生島足島神社
少なくとも平安時代には存在したという長い歴史を持つ神社であるが
この神社には戦国時代には珍しい女性の願文が現存している。

右敬申上今度さん州
なか志の(長篠)におひて室賀被
致籠状(城)さおひなく罷帰侯者
為法樂能を五三番神
前ニ而可致之侯 仍如件

元亀四年八月十七日
みつのとの と り

壱 叶 
三かわ 


書き手の壱叶と三かわの夫である室賀信俊・経秀兄弟は前年より武田信玄の三河侵攻に従い
信玄の死による本隊の撤退後は最前線の三河長篠城に配属されていた。
当時長篠城は徳川家康によって攻められており、籠城中の夫達の身を案じた壱叶と三かわが
夫たちが帰って来ることができたなら、法樂能を五十三番、神前にて行うと捧げたのがこの願文である。

なお長篠城はこの直後に落城しているが、室賀信俊・経秀の兄弟は無事脱出し、帰還を果たしている。