fc2ブログ

石田軍記 巻五 勢州安濃津城落城之事

2021年12月19日 15:32

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/18(土) 16:26:32.43 ID:6b3dO41e
石田軍記 巻五 勢州安濃津城落城之事

富田は本丸へ入らんとする所に毛利が兵に中川清左衛門、紫の幌を懸け、芦毛馬に乗りて、信濃が跡より打って城に入りせんとす。
大勢押し来るを富田取って返し槍振り回し突き払う所に、分部右馬助も駆け合わせ、爰に詮と闘いけるに、
城中より容顔美麗なる若武者、緋威しの鎧に、中二段黒皮にて威したるに、半月打ちたる冑の緒をしめ、片鎌の手槍押し取り、富田が前に進み出で、踊り挙がり振り回し受けつ絡めつ。
西江水に構えて衝き掛け、早中川をば突き殺して、五、六人に手を負わせ、残る奴原四方に押し散らし。
槍捧げて立ちし風情はさながら牛若殿、いにしえもかくならんと。
いずれも目の醒めて感じける。
富田は定めて分部が扈従ならんと思いて、かの若武者は左京之助の少年かと問いければ、
右馬助申されけるは、曾て見知らず。左京が家の子にあらず。その上、内冑を見れば年頃は四五(二十)にて眉を抜き、化粧し鉄漿燕脂さしたれば必定女に極まりたり、といい合いて、
富田引きしなに内冑を見入りたれば、かの若武者馳寄りて未だ討たれさせたまわで。
浮世にながらえたまうか、というを見れば富田が女房なり。
わらわはここまで参る事、討死にしたまうと聞こえしによって。
同じ場にて枕を並べ討死にせんと思い、かく支度して参りしに、御目に懸かる嬉しさは申すも愚かなり、と。喜び泣きに涙を流るれば、
信濃守は肝を消し、御身いかなることにてか、かく働きやしたまう。まずこなたへ入りたまえとて、本丸にぞ伴いける。
この奥方は宇喜多安心が娘にして隠れもなき美人、心賢くありける故、このたびの働きも
義経の静、木曽殿の巴、山吹も是にはいかで勝るべしと、見る人聞く人驚かぬはなかりけり。
さて寄り手の軍勢は術を尽くし、種々に攻めれども、城兵さらに屈せずして堅固に守りてきびしく防ぎ戦えば、虎口を少し退きて
五月の早天より、竹束をもって仕寄り、翌月に至りて矢文を射る。
高野山の與山上人の扱いになりて和睦を調え城を明け渡しぬれば

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/18(土) 16:36:28.44 ID:6b3dO41e
続き

蒔田権之助、中江民部、山崎右京、請け取て番をぞ勤めける。
富田夫婦は同州の一身田専守寺に引きこもり、のちに入道して高野山にありけるを
関ヶ原平均ののち、内府君、富田を召し出され、戦功を感じたまいて伊予国宇和島十万石をぞ賜りける。
折節信濃守が門に何者かしたりけん
「城を退く 信濃よしとは 見えねども 伊予のどやかに 命のぶたか」



スポンサーサイト



富田信高の妻

2021年12月18日 15:44

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/18(土) 11:58:52.21 ID:HqeQe7BJ
勢州安濃津の城主、富田信濃守信高の妻は、宇喜多安心の娘であった。

石田三成の乱(関ヶ原)の時、西軍の毛利秀元長束正家安国寺恵瓊等が安濃津の城を攻めること急であった。
城中に、富田信高に対し追手が切って出、敵は気負い掛かって引き取り難く、既に危ういとの知らせが聞こえると、
信高の妻は甲冑を着け、片鎌の手槍を以て出撃し切って廻り、毛利秀元の士である中川清左衛門という
大剛の武者を突き殺し、五、六人を手負わせ、信高と共に本丸に引き入った。

その後、高野の與山上人(木食応其)の扱いによって、信高は西軍に城を明け渡し、同国一身田専修寺に入り、
剃髪して高野山に在ったが、この戦功によって、関ヶ原合戦の後召し出され、豫州宇和島十万石を賜った。

志士清談

安濃津の戦いでの、富田信高の妻の活躍についてのお話



899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/18(土) 12:53:24.30 ID:6b3dO41e
そして妻の縁戚の坂崎直盛のせいで改易に
ついでに江戸の儒学者榊原篁洲「榊巷談苑」の本文の最後には
「このくににて、女の軍したるは、巴・板額ぞ世人もよくしれり。
北越太平記に、富田信濃守が妻の安濃の津にて軍したることをのせたり。本より據なきことなり。信ずべからず。
北越太平記・東国太平記は、紀州の宇佐美竹隠がつくりて、その名をばかくしけり。
おのれ宇佐美駿河守が末なりければ、件の太平記の中にも、事に寄せて駿河守をほめかがやかしけるとぞ。
さて景勝は大御所の神武にもまさり、政宗などは物の用にもたらぬ人の様にかきなしたり。」
と書かれている模様

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/18(土) 16:25:40.08 ID:6b3dO41e
ついでに井上泰至「江戸の発禁本」によれば
篁洲が富田信高の妻の話を創作と断じたことについて
「関ヶ原軍記大成」の著者、宮川忍斎が安濃津城の戦いについて収集した家録類にはまったく見えず、後人の文飾ではないか、としていることをあげている。
なお宇佐美竹隠(定祐)が「北越太平記」や「東国太平記」の安濃津城の戦いについて用いたものは、内容のいい加減さで有名な「石田軍記」の以下の記事の丸写しだとか

大久保忠隣改易

2019年07月22日 15:51

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/21(日) 19:06:48.78 ID:ARl2F+J7
一、翌年2月4日(1614)、大久保相模守(忠隣)江戸発足。上方筋で切支丹が起こったので
  仕置きのために上京。宗門の者どもを成敗して後、板倉伊賀守(勝重)をもって相模守の改易
  を仰せ付けられ、井伊掃部頭(直孝)に御預けなされた。

  この節、里見安房守(忠義)と佐野修理大夫(信吉)に改易を仰せ付けられた。ただ大久保相
  州の縁者たるによってこの如し。

  一族家来まで御咎めあり。相模守の子供の大久保右京(教隆)・同主膳(幸信)・同内記(石
  川成堯)、いずれも津軽・南部へ御預けなされた。大久保加賀守(忠常)はそれ以前に相果て
  られた故、孫(大久保忠職)が家督を致していたが、これは家康様の御息女・加納様(亀姫)
  と申す方の御婿である故、江戸の屋敷に閉門致した。

  森川内膳(重俊)は相模守の姪婿なので、酒井左衛門尉(家次)に御預けなされた。日下部河
  内守(正冬)、これは茂助(村越直吉。道伴の父)の娘を相模守の娘分に致して婿に致し、こ
  れによって館林の榊原遠江守(康勝)に御預けなされた。山口但馬守(重政)は縁者たるによ
  り御改易。

  谷六右衛門は相模守が取り分けて目を掛けられた故、松平将監に御預けなされた。石川主殿頭
  (忠総)は相模守の次男であるが、他名を継いだので知行の大垣に閉門致した。その他に摂津
  半兵衛は、その時は江戸奉行だったが当座の出仕を留め申した。

一、富田信濃守(信高)に改易を仰せ付けられた。もっとも罪科は相州とは別罪である。家康様は
  常々、御慈悲をもっぱら要に遊ばされたところ、御老年に及び厳しく御仕置きを仰せ出された
  と、世人は唱え奉ったという(家康様常々御慈悲を専要に遊ばされ候所、御老年に及び稠しく
  御仕置仰出され候と、世人之を唱ひ奉り候由)。

――『村越道伴物語留書』



奇特なる志の留守意

2018年10月28日 18:04

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 17:59:53.82 ID:4Ch0sdeQ
富田信濃守(信高)が津城に居た時、彼の留守の折、天守に夜な夜な光るものが現れた。
これについて家老の坂三左衛門は「留守居をしている以上、このような事を見届けもしないのは
油断である。とにかくこれを見届けなければならない。」と申した所、若い武士たちが何れも
「我々が見届けます。」と申したため、坂は「ならば私は無用に致す。」と申した。

ある夜、坂は一人密かに天守へ上がり、そこに伏せていると、案の如く何者かが窓より飛来し、
声を立てて鳴いた。そこを即座に抜き合い切り留めた所、それは梟であった。

そして信濃守へ『このような説が有ったため、私が見届けました所、その正体は梟でした。
城には少しも変わったことはありませんので、虚説などを聞いて気遣いなさいませんように』
と申し伝えた。

徳川家康は後にこの事を聞いて、「奇特なる志の留守意である。」と仰せに成ったという。
(武功雑記)



412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 18:19:09.19 ID:+TS1W7u4
俺が、俺が、どうぞどうぞ、ってダチョウ倶楽部みたいやな

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 20:26:55.22 ID:My4sFSdU
じじいが出しゃばって仕事を増やそうとするからウチらがやっとくからじじいは寝とけよって諌めたのに張り切っちゃって若いのの面目が潰れた話し

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 22:33:18.79 ID:aGV4WMpp
城に梟とは絵になりそう
ハロウィンっぽくて良いね

高橋元種の改易

2016年08月31日 21:30

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/30(火) 20:11:06.04 ID:ec+RNKRo
高橋右近大夫種統(元種か)はもともと豊前国に所領を持っていたが、日向の懸にも土地を有していた。
大友家が滅亡した後、天正16年7月、豊前より日向に移り、松尾城に居住し、その後慶長8年、再び
懸城を築いて松尾城から移った。

元種は初めのうちは行状も正しく、領民たちも皆その政に懐いていたが、中頃より行状大いに乱れ、
酒宴にひたり女色に溺れ、無道の挙動多かった。

その頃、板坂出羽守(直盛)という大名の甥に、水間勘兵衛(宇喜多左門か)というあぶれ者が有った。
彼が故あって、直盛の厩預かりの侍を討ち果たして出奔した。直盛は大いに怒って将軍家に訴えたため、
将軍家はあまねく天下の諸侯にその捜索を命じた。

この水間勘兵衛は伊予国、飛田信濃守(富田信高)内室の従兄弟であったので、一旦は富田家を頼って
匿われていたが、富田信高も匿いきれないと考え、官兵衛に扶持を与えて、肥後の加藤家を頼って
遣わした。しかし加藤家でも匿いきれず、高橋家を頼り、高千穂の山奥に匿うことと成った。

ところがこの水間勘兵衛は、元来悪逆無道の者であったので、高千穂において召し使っていた人夫の一人を
手打ちにした。この時、元種の家老である花田備前守は元種に向かって
「あの水間勘兵衛を加藤家に返されるべきです!」
と諌めたが、元種はそれを承知しなかった。
しかし、勘兵衛に殺された人夫の父は、我が子が非命に死んだことを無念に思い、関東まで密かに上り、
板崎家に訴え出た。

こうして水間勘兵衛の匿われた場所が露見し、高橋元種も隠しきることは出来ず、勘兵衛を搦め捕えて
関東に差し出した。
時に慶長18年夏、駿府において富田、加藤、高橋の三家が召され裁判が行われた。

富田家は勘兵衛に扶持を与えた罪により改易を仰せ付けられた。
加藤家は申し訳が立って無罪。
高橋家は匿い置いた罪によって、元種ならびにその嫡男に、出羽山形への配流を命ぜられた。

(日向纂記)

高橋元種が、富田信高と坂崎直盛の対立に巻き込まれて改易と成ったお話。



46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/30(火) 20:20:27.58 ID:8e77uKs8
>>45
>人夫の一人を手打ち
匿われてるのにクズすぎるだろw

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/31(水) 00:05:59.17 ID:L4DywtDZ
叔父がクズなら甥の坂崎もクズでその甥もクズという連鎖

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/31(水) 00:35:56.01 ID:udK35cdD
>>45
正確には元種一家は棚倉の立花家預かりだな
しばらくは宗茂が元種のために復権の活動してくれてたらしいけど

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/03(土) 19:54:56.38 ID:AJFlgTjl
>>45のレスを見て思ったけど坂崎出羽守って歩く爆弾みたいなものだな

・宇喜多秀家(宇喜多騒動で家臣激減。関ケ原敗北で八丈島配流。ある意味直盛による最大の被害者)
・中村九郎兵衛(加賀前田家出身。宇喜多家執政。大坂で直盛に襲撃されて加賀へ逃亡)
・宇喜多忠家(息子が起こした騒動のせいで宇喜多家を退転隠棲する羽目になる)
・富田信高(直盛甥隠匿事件で改易に追い込まれた人その1)
・佐野信吉(富田信高の弟。直盛甥隠匿事件で改易に追い込まれた人その2)
・高橋元種(秋月種実の子。直盛のせいで改易に追い込まれた人その3)

以上は坂崎直盛被害者の会と言っていいと思う

その他

・千姫(直盛の逆恨みで襲撃されそうになった人)
・本多忠刻(忠勝の孫。小松姫の甥。千姫の再婚相手。直盛のとばっちりを受けそうになった人)
・立花宗茂(西国無双。千姫奪取未遂事件時に直盛の乱鎮圧の計策をひねり出したのはこの人らしい)
・柳生宗矩(宗茂の計策を胸に直盛を説得し切腹に追い込み乱を鎮める。二枚笠紋を直盛から譲られる)
・小野寺義道(元・出羽横手城主。直盛に恩義を感じ直盛十三回忌時に墓を建立)
・明石全登(大坂城七将星。元・宇喜多家客分。キリシタンになったのは直盛の勧めという)

この人返しの事件によって

2014年02月07日 19:13

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 20:08:41.76 ID:C1uIRSh/
坂崎出羽守(直盛)は家来の左門という者の屋敷の前を遠乗で通ったところ、

屏に馬の沓を引っ掛けて置いてあるのを見て腹を立て、左門を呼び寄せて叱ったうえに、
その沓を左門の首と下あごに括りつけて座敷牢へ入れて置いた。

左門は牢番の者に酒を飲ませるなどして色々と工夫し、ついに牢を抜け出して
富田信濃守(信高)方へ駆け込んだ。そして富田方から加藤肥後守(清正)に預け、
加藤方から高橋右近(元種)方へにがした。

この人返しの事件によって高橋は改易にあい、また富田家老の掃部という者の子を、
坂崎は人質に取ったのである。

――『武功雑記』





安濃津城・化け猫の怪

2012年05月07日 21:00

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 21:14:14.08 ID:cTDmFpmn
天正の末頃、安濃津城の富田信高の嫡男・千丸が原因不明の病にかかった。
病は日に日に重くなり、信高夫婦や千丸の祖父・一白は都から有名な医者や、僧侶、修験者を呼び
手を尽くしたが、一向に効き目が無い。

ところが、城の者たちはおかしな点に気が付いた。若君には二人の老女が、看病役として付き添い、
病状を信高や典医に報告するのだが、なぜ今まで気が付かなかったのか。
いつのまにやら、素性不明の老女が一人増えている。しかもその老女、
いつも白い綿帽子を目深に被り、口数少なく、あきらかに挙動不審。

あきらかにあの女、尋常の者ではないと、家老たちの意見が一致した。
翌朝、その老女が通りかかると朝の挨拶をかわすと見せかけ、
一斉に取り囲み、無理やり綿帽子を剥ぎ取った。

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 21:14:56.20 ID:cTDmFpmn

    r‐-、                    ,,、
    | `ヽ\                      /,^ヽ
    |   `、\               /, ´  |
    |    `、:.\            /, ´    |
    |     ヽ: :.:`''ー‐-ァ‐rー - ,ィ´, ´.     |
    |   , ,,、」: : : : : :,、'´:;,:;:;:`ヾ〈 ゝ-、     ,!
    |  ,ィ´: : : : : : :,ィ´:;:;:;:;:;;゙;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;゙、    !
    ,ゞ゙': : : : : : :,;'´:;:;:;:;:;:;:;,;゙ ゙:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ゝ、 /
    /: : : : : : : :.,;゙:;:;:;:;:;:;:;,.'´  `ゞ:;:;:;:;:;:;:;,. '´ヾ,k
  .,イ: : : : : : :,イ:;:;:;:;:;:;:;,;゙       ゙;:;:;:;:;:;;: : : : ,;;;i
  j: : : ,..,ィ;:;:,ィ´ ̄iIヽ,      ,ィ Ii ̄ノゞ: : ,;:;:;!
  ゙i: : :.,.'"´``  ̄`''ヽ     ゝ´ ̄ '´`ヽ、j;:l
   |!'´                    , ,,. _ ,リ
  イ    ,.、`ヽ,     r-‐-、    ,;゙ `ヽ、, ,!`ヽ、
   `, `丶、,.'´,.゙;     ゝ ,r'     ,;``ヽ ,イ/``丶'、
     `ゞ、,' ,` ,ヽ、ゞ.、.   _人_    ,イ   ,ィ´ゝ`、ヽヽ ヽ
  ,、 ' ´,、'´,、゙`,、 、'´, `ヽ、     ,.ィ´ _, ィ´`丶、  丶丶 `、
., ´, , ' , ' ,'   `ヽ、  `"゙゙゙゙´  ,ィ´  `丶、 `ヽ ` 丶 、
 ,'. ,'  ,'  ,'       `ー====='i       ヽ  `, ゙, ' ',
.,'  ;  '                            ;  ;  ;  '
                                  '  '

なんと、その老女、年老いた大きな猫であった。
すぐさま家老たちは化け猫を取り押さえ、信高に報告した。
信高は居室の前の庭に生えている梨の木に猫を縛り付けると、
唐渡りの闘犬を数匹つれてきて、猫相手にけしかけた。
ところがこの猫、屈強な闘犬に吠え掛かられてもまったく動じない。
それどころか澄ました顔で居眠りをはじめてしまった。

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 21:16:02.52 ID:cTDmFpmn

      \ ZZz…/

        i^,\ _,,_ /^l                   ∧∧, ゴ、ゴルァ…
        lノ  ⌒ i|l ⌒ヾノ        ク、クゥ~ン…   ;ミ゚Д゚;彡.;
      シ " ( ー)  (ー )ミ          ; /⌒ヽ'´ヽo;ミ   ,,ミ.;
     メ  = ⌒(__人__)⌒=ヽ         .;(`ω´;U( )▼;ェ;▼; キャイン!キャイン!
    彡       ヽ/    ;ミ         ;(ノ (ノ ヽ) (u u)、;.
      ヾ         ン


その様子に逆に犬たちが怯えてしまい、尻尾を巻いて後ずさる始末。
そこで信高、今度は城門前の橋の欄干に猫を縛り付け、晒し者にし、
そのまま干乾しにしてしまおうとした。

ところが、二、三日後。見張りの者がふと目を離した隙に、
猫は影も形も無くなっていた。カンカンに怒った信高、
すぐさま城下中を捜索させたが件の猫はみつからず、
間もなく、千丸は衰弱し息を引き取ってしまった。
結局、その猫が何の因縁があって千丸を害したのかは
最後まで分からぬまま、信高は伊予の地に去り、
代わりに藤堂高虎が安濃津の城に入った。

がこの化け猫、そのころに再び現れ城下で様々な怪異を起こすようになった。
元淡路水軍頭領・菅達長の屋敷の植え込みに化け猫の巣があると噂になり、
捜索隊が組まれたりもしたが、結局化け猫は捕まらず仕舞で、
そのうち騒動も下火になっていったという。




58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 22:46:29.79 ID:TzQObvuf
オチのない化け物話って結構もやもやするな

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 23:37:46.81 ID:D4z4nqEV
誰か佐竹義宣を呼んで来い

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 23:53:02.51 ID:cH/2mGpz
化け猫大★勝★利
奥さんはなんとかできなかったのか?

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 00:25:33.68 ID:RDTmrJB4
鍋島「化け猫すら殺せないとは情けない。」

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 07:04:13.17 ID:OfoBUiOE
>>55-57
この化け猫はもしかして、嫡男の病気を見に来た
単なる野次馬じゃね?