150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/24(日) 19:18:43.37 ID:oi+Wmvg6
慶長二十年(1615)五月七日、大御所(徳川家康)は茶臼山より四、五丁という所まで至った時、
大阪城本丸の辺りから煙が立ち上った。
丁度この頃、小出大隅守三尹が大御所のもとに馳せ来た。
大御所は大隅守に「かの煙を見よ」と仰せになった。
これに三尹答えて曰く
「近頃笑止なる事に御座候(最近になく気の毒なことです)」
と申し上げた。群臣たちは「奇怪の詞かな」とささやきあったが、家康公は仰せられた
「汝は秀頼に筋目があるのだから、尤もの一言である。」
そして、哀れに思し召す御気色にさえ見えた。
この様子に、大阪落城の悦びを申し遅れじと、ここに参り集まった人々の中でも、豊臣家の御恩を被った輩は、
世に恥ずかしきことに思ったという。
この後も大御所は、宿老の者に向かって「大隅守が申した事、神妙の至りである。」と、
御感最も浅からざる様子であった。
或る本に、小出大隅守の父秀政は、尾州中村の人であり、秀吉公と同じ地に生まれたため、
幼い頃より相親しく、その後秀吉公に仕えて奉公の労を積み、ついに泉州岸和田を給わったという。
また或る本に、新井白石先生曰く、小出播磨守(秀政)は大政所の妹(栄松院)を妻にしたという。
(新東鑑)
151 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/04/24(日) 19:53:20.62 ID:VIZvEaiS
笑止は現代の意味で捉えちゃうと危ういなホントw
慶長二十年(1615)五月七日、大御所(徳川家康)は茶臼山より四、五丁という所まで至った時、
大阪城本丸の辺りから煙が立ち上った。
丁度この頃、小出大隅守三尹が大御所のもとに馳せ来た。
大御所は大隅守に「かの煙を見よ」と仰せになった。
これに三尹答えて曰く
「近頃笑止なる事に御座候(最近になく気の毒なことです)」
と申し上げた。群臣たちは「奇怪の詞かな」とささやきあったが、家康公は仰せられた
「汝は秀頼に筋目があるのだから、尤もの一言である。」
そして、哀れに思し召す御気色にさえ見えた。
この様子に、大阪落城の悦びを申し遅れじと、ここに参り集まった人々の中でも、豊臣家の御恩を被った輩は、
世に恥ずかしきことに思ったという。
この後も大御所は、宿老の者に向かって「大隅守が申した事、神妙の至りである。」と、
御感最も浅からざる様子であった。
或る本に、小出大隅守の父秀政は、尾州中村の人であり、秀吉公と同じ地に生まれたため、
幼い頃より相親しく、その後秀吉公に仕えて奉公の労を積み、ついに泉州岸和田を給わったという。
また或る本に、新井白石先生曰く、小出播磨守(秀政)は大政所の妹(栄松院)を妻にしたという。
(新東鑑)
151 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/04/24(日) 19:53:20.62 ID:VIZvEaiS
笑止は現代の意味で捉えちゃうと危ういなホントw
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