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これが馬場美濃の小山田弥三郎への返事である。

2019年06月21日 16:29

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 14:36:04.55 ID:f5pcw5Wk
ある時、馬場美濃守(信春)のところへ振る舞いに内藤修理(昌豊)・山県三郎兵衛(昌景)・土屋右衛門尉
(昌続)・小山田弥三郎・高坂弾正・真田源太左衛門(信綱)・小幡上総、この衆が参られ、よろずの雑談の
中で小山田弥三郎が申すには、

「各々聞き給え。世間で物の分かりを言って人に教えることが学問者の業である。しかれば学問者の中に物知
りは多い。智者は少ないものであろうが、一文字を引けない人にも智者はいよう。山本勘介などは智者という
者であると信玄公は仰せであったから、さて物知らずであってもまた智者と言って別なのである」

と言えば、そこで馬場美濃が申される。

「小山田殿が宣う如く、松木桂琳は学問をして物を良く読むので、唐の諸葛孔明のことを某が尋ねたところ、

諸葛は百姓なれども大将(劉備)がこれを抱えなさりたいがために、いかにも慇懃な出で立ちで諸葛の宿へ大
将自身がいらっしゃった。けれども2度は留守として押し返し、3度目にかの諸葛は竹を耡っているところへ
大将が行き当たり、何程も慇懃になされたのでここでは諸葛は鍬を投げ捨て、今の大将を守護して軍法を仕り、
戦にその大将が勝ちなさった。

その事を本に向かって申している時は『松木桂琳は物知りかな』と存じた。その時に甘利の同心・春原惣左衛
門が私めの方へ見舞いした。かの惣左衛門は真田殿の家中で武辺・智恵・才覚・弁舌すべてが備わった武士で、
信州村上殿へ武略として真田一徳斎(幸隆)が差し遣し、村上頼平公(義清。頼平は父)を信玄公が押し倒し
て勝利を得なさった。

それは春原が賢き智計の武士なる故で、某は大剛の誉れを感じ、互いの冥加のために春原を一入慇懃にもてな
した。それを松木桂琳が見て、春原が座を立ち帰った後に私めに申すには、『人の同心足軽で殊更小身な者に、
どうして馬場殿ほどの人が殊の外慇懃になされる』と不審がった。

それ故、そこにおいて私めが存じたのは、諸葛は賤しき百姓なれども大きな大将が慇懃になされた談義を言い
ながら、これを不思議と疑うのは、松木桂琳の口と心は合わぬと存じた。そういうわけで、物の本に向かって
談義するのは物知り、本に向かって読む術を知らずとも、心の至っている人を智者とこそ申すのであろう」

これが馬場美濃の小山田弥三郎への返事である。

――『甲陽軍鑑(品第四十下 石水寺物語)』



183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 14:43:58.60 ID:QGNI5dtj
>>182
まさに頭でっかち…

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 20:51:41.49 ID:M9YcI+sb
>>183
でも現代でもありがちなことだわ

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 20:52:28.59 ID:M9YcI+sb
と言うか小山田さんと馬場さんの良い話のような
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気遣いは分別の花

2014年10月13日 18:52

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/12(日) 20:33:42.27 ID:LUVDo2cI
武田信玄家臣、小山田弥三郎がある時、内藤修理亮(昌豊)に問うた

「心の至らぬ若者に、気遣いをするようにと教えたのですが、それからはどこにも出かけず、
物も言わず、なんでもかんでも気遣いばかりしています。武士道においても良くなっているようには見えません。
これはどうすればいいのでしょうか?」

内藤修理、これを聞くと
「侍がそういう様子であるのなら、その人に知恵が付いたということです。
気遣いとは分別というものの花です。この花はやがて実になります。それを分別と申すのですよ。」

そう小山田に述べたという。

(甲陽軍鑑)



33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/13(月) 05:20:16.17 ID:si0zCDjC
立派なニートの出来上がり