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沼田の御方勇力の事

2017年03月05日 18:37

小松姫   
694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/04(土) 21:18:47.48 ID:TjB0caXZ
 沼田の御方勇力の事

中務太輔忠勝の男女の子共皆武勇のほまれ有
まつ第一の娘おますと号するは、
家康公御養女として後に真田伊豆守信幸に嫁す
これを沼田の御かたといふ

此沼田の御方勇力無双にて、父のゆつりを得て剛騒なり
尤賢女の道を正しうして、貞女の操をうしなわす、
家康公ふかく是を感心し給ひて、御寵幸を蒙り奉る


ある時、沼田の方、信州まつ代の城下にて花見の返るさ、
とある松の木の元に立ちやすらひけるに、
八寸まわり計の下枝、地をする計はゐさかりて、
其さまおもしろかりけるに、皆人申しけるは、
此枝を手折て立花にさゝは然るへからなんとたはむれるに、
沼田の方聞て、いと安き事なり手折て家つとにせんとて、
打かけのすそいさゝかからけつゝ彼木の元に立より、
なんの苦もなくくたんのえたをふつ、とねち切れれは
有合女中はいふにおよはす付々のさふらい迄、
大きに其力量を感しけり

(後略)

(九六騒動記 第六)

本多家には、小松姫が怪力だったって伝えられてたんだね



695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/04(土) 21:24:48.32 ID:x2xTiC3w
てっきり根っこごと引っこ抜くのかと
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真田昌幸「そういう事は時と場合による」

2016年10月31日 09:38

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/30(日) 23:52:44.11 ID:ky4QU8i1
慶長5年、真田安房守(昌幸)は下野国犬伏という所から引き返し、信州へと向かった。
その途中の上野国は徳川家の領分であったため、人数を連ねて通ることは出来ず、昌幸は
真田左衛門佐(信繁)、桑原若狭、佐藤軍兵衛の四騎にて上野国赤山の麓へかかり、夜を日に継いで
沼田へと到達した、

安房守は沼田へ行き、左衛門佐では沼田の町に火をかけ焼く恐れがあると、木村土佐という家老を
沼田に遣わし、安房守は沼田に参着した。

沼田は伊豆守(信之)の領地であるが、普代の所であるから、百姓たちは急ぎ城へ参り、
「大殿が突然こちらにお出でになられた!」と伝えた。
伊豆守内儀(小松姫)はこれを聴くと

「伊豆守は家康公の御供をして東に向かった。家康公は今頃下野におられるはずだ。であるのに
安房守殿が帰ってくるのは不審である。」

そう考え、留守居たちに「大手の門に寄らせてはならない!」と命じ、門を固めているところへ、
桑原若狭が表れ、「安房守様をこちらにお連れしたい」といろいろ申し上げたが、内儀は
「城口にも近づけてはならない!」と拒絶し、安房守は仕方なく、沼田の町にある正覚寺という
浄土宗の寺に立ち寄ると、そこに石庵という半俗の者が参って「伊豆守様はどうなさったのでしょうか?」
と尋ねた。これに左衛門佐が

「伊豆守殿は浮木に乗って風を待っているのだ。」

と言い放ち、石庵は、これは話にならないと座を退いた。

安房守一行は暫く休息を取ると沼田を通過する事にしたが、沼田の町は伊豆守の行方がわからぬと
大騒ぎに成っていた。この様子に左衛門佐は腹を立て、「沼田の町に火をかけましょう!」と安房守に
申したが、安房守は「そういう事は時と場合による!たわけた事を!」と叱りつけ、その後は昼夜の境無く
上田へと急いだ。

この伊豆守内儀とは、本多中務(忠勝)の娘である。

(慶長年中卜斎記)

有名な逸話ですが、この慶長年中卜斎記だと真田信繁は何故か、
沼田に火をかけたくてしょうがなかったようですね。



268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/31(月) 23:09:10.75 ID:PVC4EiTg
>左衛門佐は腹を立て、「沼田の町に火をかけましょう!」
>安房守は「そういう事は時と場合による!たわけた事を!」

草刈昌幸と堺幸村で見たかったなこのやりとり

信之と小松の眠る場所

2011年11月13日 22:02

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/13(日) 01:09:09.65 ID:gp55a6R6
信之と小松の眠る場所

小松姫の御霊屋のある大英寺(余談ですが真田家の中で一番大きく最も古い)
内部は極色彩の彫刻で彩られ、格式高く天上画はなんと天女。
元々は上田の芳泉寺にあったものを、信之が松代移封の際にこの大英寺を建てて移したとの事。
後に火災が起きると言う大事態になりますが、その時も当時の藩の方が必死に護り抜いたそうです。

ちなみに松代移封が告げられた帰り道、信之は小松の墓前に寄った形跡が残っていて
何を話したかは分かりませんが、当時の心境を亡き嫁の前で零したのかもしれない。

長国寺には生前の二人の仲睦まじさを表すかの様に、夫婦の位牌が寄り添って祀ってあります。
信之の御霊屋にはこっそりと目立たない所に派手で豪勢な彫刻があり、現地の方の憶測だと

「真田め…またこんなとこに金使いやがって!」
と思われるのが鬱陶しくて隠したんじゃないですかねーらしいw

それにしても長国寺、大英寺、勝願寺、芳泉寺、正覚寺(他にもあったらすみません)嫁関連の多すぎだぜ兄貴
どんだけ好きだったんだよと小一時間

あと最近は松代へ「信之公のファンです」と言って見学に来る人も増えたみたい。
やったねお兄ちゃん!

以上、旅行した時に聞いた真田夫婦の話でした。




527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/13(日) 11:55:10.54 ID:QYDARDmB
>>518
お兄ちゃんは本当に小松のこと大事にしてたんだなぁ
そりゃ我が家から陽が消えたと嘆くよね だからこの夫婦大好きだ
信之に関しては、殿いつの影響もあるのかな
殿いつで信之好きになったという意見もちらほら見る
やはりああいうモノの影響は凄いな 西の目立たないお兄ちゃんもぜひ出てほしいもんだ

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/13(日) 14:30:02.89 ID:sEFzUP4n
>>518
確か兄ちゃんのお霊屋の内装?が家康と同じなんじゃなかったっけ?
父と弟の事があったにせよ、幕府からの信之に対する信頼は凄く厚かったんだろうな

小松のお墓見に行った時、そこだけ空気が全然違う感じでびっくりしたよ
何か女性のお墓なのにキリッとしてて背筋が自然と伸びるみたいなw
兄ちゃん小松の事よく分かってんなーと思ったw


541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/13(日) 17:42:17.74 ID:9l3y1WRC
>>536
日光の眠り猫の人だっけ

信之・小松婚姻異説

2011年11月02日 22:00

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/01(火) 23:19:37.14 ID:inc8dMqX
信幸嫡男で思い出したけど、こういう異説があったな

信幸の嫁小松は、最初は家康の養女ではなく、そのまま本多忠勝の娘として嫁になる予定だったが
昌幸が「うち嫡男まで出してるのに、その嫁がたかが家臣の娘とか、何それ有り得ないわー」
と抗議したので、家康が秀吉にどうしようかと相談したところ
「じゃあ、家康殿の養女にすればいいじゃない!」と言ったのでそうしたら
昌幸もそれで納得したそうな




706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 00:17:12.41 ID:WzQBxX/K
ちょw
鬼嫁フラグ立てすぎだろwww

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 08:43:38.70 ID:744E6zj9
忠勝さんと昌幸さんの当時の領地だと、昌幸>忠勝かね?

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 09:59:23.97 ID:VXMcBxhk
陪臣の娘を大名の跡継ぎの嫁にできるかよ
認めれば、与力でなく傘下に収まることになっちまう
それでなくても敵対していたんだ

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 10:04:31.87 ID:E5jCb4nP
そんなこんなで迎えた嫁はry

713 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/02(水) 11:03:45.36 ID:nbdt+PeF
>>704
家格とか、やっぱり気にしたのかね。真田の親父殿。
異説に突っ込むのも野暮だが、家康が秀吉にいちいち相談とかするかよ。自分に手駒がなければ親族・家臣の子女を
養子・養女として送り込むの、当たり前の手段でしょ。
送り込む人間がふさわしいかどうかはともかく。

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 11:09:52.21 ID:a83mYE12
いちいち相談ってか、分かりきってても一応お伺い立てて顔を立てるというか機嫌を取ることってありそうだけど

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 11:43:44.91 ID:XOdZQAXO
「真田の要求を呑んだ」ではなく「秀吉の提案を受け入れた」にした方がいいんだろうな。

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 12:15:14.22 ID:kDIsOKv9
世間体ってのも関わってくるしなぁ
大名ともなると結婚相手を選ぶというのも大変だ

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 16:13:47.83 ID:iVFmf9ts
家康も秀吉が生きてる間は気を使っていたけど、
秀吉が死んでからは禁止されてた婚姻関係を勝手に進めて、
他の五大老から問い詰められてしらばっくれてたり。
だから単に秀吉が生きていたので一応ご機嫌を取ってみた、
程度の所だろうな。

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 16:35:40.49 ID:iqOMclv6
>>717
あの婚姻問題については、そもそも大名間婚姻の許認可は誰がするのか、という問題があって、
家康はそれが自分にある、三成や前田利家などはそうではない、という対立だった。

で、結果的にどうなったかというと、利家は大名間の婚姻に対する家康の許認可権の存在を認めちゃってるわけ。
例の和解の後も家康と伊達や福島との婚姻は、そのまま何の問題もなく進行している。中断すらしていない。
その意味では利家は家康に屈服したといっていい。

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 18:59:34.68 ID:dD7n84RL
ありなんありなん

720 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/02(水) 19:43:35.40 ID:s+dcQMi9
あの人は若いころはすぐキレて人を斬り殺してたのにじじいになってからはずいぶん
丸くなっちゃったからなあ~

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 19:46:02.52 ID:pWv6enYO
鬼武蔵ももっと長生きしてじいさんになったら
丸くなったのかな……

大名行列を見た真田の奥方小松姫は

2011年08月18日 23:00

小松姫   
453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 17:22:34.41 ID:U8ysjJKW
北陸道と中仙道を結ぶ北国街道の途中に上田宿がある。
真田六万石の城下町であるこの地を加賀の前田家の大名行列が江戸への上るために通った時のこと。

大名行列を見た真田の奥方小松姫は家来に命じて将軍家への献上品を奪い取らせた。

当然将軍家からお叱りがあったが小松姫は「親の物は子の物だから」と格別気にも止めていなかった。
そこでこういった乱暴を止めるために真田家は四万石を加えた十万石として
北国街道から外れた埴科郡松代へと移らせることになった。
―――
信憑性は低いというかありえないレベルだけどこういう事をやりかねないというイメージを持たれていたんでしょうか。





454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 17:32:19.04 ID:bGEQedZY
この件でまた信之の寿命が縮んだというイメージを
このスレの人たちは持ってると思います

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 18:17:16.14 ID:OWmd0UbH
それが無ければあと20年は生きていたな…。

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 18:32:09.03 ID:4GYXA+99
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-816.html
こっちと同じ話じゃ、と思ったが、こっちはお咎めなしか

458 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/18(木) 18:44:05.83 ID:B764rqvz
前から疑問だったが、小松姫は将軍家の娘とは言っても養女ですよね?血の繋がりがあるわけでもないのに
そこまでの横暴が許されたんですか?それとも養子でも実の子供と同等の扱いになるんですか?

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 19:13:12.61 ID:ycknKA/j
忠政にも桑名を通った御用金をだまし取った前歴があるし、
平八郎の子供の城下を通るときには注意が必要だな。

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 20:27:33.91 ID:bGEQedZY
結果的に献上品ぶん取った上に所領6万石も増えたんだから
真田家が得したいい話では?

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 20:28:38.81 ID:bGEQedZY
間違えた。4万石だった。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 20:44:08.12 ID:BAxFDuf8
小県は実高が倍以上あったとか聞いたことあるな

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 21:05:57.03 ID:e+R91V+2
>>458
>養子でも実の子供と同等の扱いになるんですか?
うん、そのとおり


469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 00:52:35.59 ID:WeEy62cB
>>460
松代に移った後、家臣が集団で上田に帰って帰農する事件があったりするから
万々歳でもなかったようだ。
実質峠一つ越えれば上田領に帰れるというのもあるのだろうけど。

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 00:56:34.84 ID:9L0EVvs6
>>469
江戸時代の半ば過ぎ頃に家臣が集団で帰農してくれればありがたいんだろうな

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 09:35:27.88 ID:nNdhUbN7
家臣は田畑があれば食うに困らないし、真田家はいい口減らしが出来るし
確かに誰も傷つかないな

こまつ姫とかぐやご飯

2011年06月26日 23:13

小松姫   
362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/26(日) 00:46:44.61 ID:k9duF8mx
本多忠勝が大多喜城主であった頃の話。

彼には「こまつ」という姫があり、忠勝は彼女を大変可愛がっていた。
姫は大変利発で、周りからもたいそう可愛がられすくすくと育ち、いつの頃からか剣術にも熱中し、
城の庭からは「えーい!」「やあー!」というような可愛い声が聞こえてきて、大多喜の人々は
それをとても微笑ましく思い、いつも姫のことを話題にしていたそうだ。
そんなある日のこと

姫が城下に遊びに出かけ、あぜ道を歩いていると突然、叫び声が上がった

「狂いシシだー!!」

なんと、巨大な猪が猛然と駆けてきたのだ。
人々は慌てて逃げ出す。ところが猪の走ってくる方向の畦に、赤ん坊の入った竹籠が!

「誰か、子供を!子供を!」

母親が叫ぶ。迫る猪。と、その時である!

姫はとっさに赤ん坊をだきかかえ母親に渡す。そして振り向きざま、迫ってきた猪に

『ガッ』

一閃!猪に一太刀を浴びせる!

大猪は叫び声を上げ竹やぶへと逃げた。姫、さらにこれを追いかけ竹やぶに入り猟師の仕掛けた
猪罠の方向にこれを追い込み、見事捕らえた。
そして姫は人々に

「これで大丈夫。もう心配しなくていいよ。」

と、声をかけた。
この時竹やぶ越しに陽の光が姫にそそぎ、キラキラと輝いているように見え

「なんときれいなんだ。輝くように美しいとはまさにこのことだ。」

と、城下の人々は感嘆し、彼らはこの日から、姫のことを「かがやく姫様」と呼ぶようになり、やがて言葉が縮み
「かぐや姫」となった。

このような事もあり、姫は城下の人々から大変慕われ、彼女が信州上田の真田信幸との結婚が決まり
大多喜を離れる時には、城下の人々皆が見送ったという。

そして、姫が去った大多喜では、この姫様のことを忘れないよう、筍をつかった炊き込みご飯を「かぐやご飯」と
呼ぶようになった、と云う。

大多喜に伝わる、『こまつ姫とかぐやご飯』というお話。

(浅井清恵 ふるさと民話さんぽ「広報おおたきNo.427」より)




364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/26(日) 01:09:16.55 ID:htS1QpnD
>この時竹やぶ越しに陽の光が姫にそそぎ、キラキラと輝いているように見え

こまつ姫についたあだ名が真田家繋がりで小松明・・・な訳ネーか

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/26(日) 01:11:34.46 ID:MSxHVO8u
我が家から光が消えた、と信之が嘆いたとされる話は
小松明のような恐ろしい存在がいなくなった、という意味だったのか

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/26(日) 01:47:41.54 ID:gyuGdQe1
民明ネタかと思った

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/26(日) 08:08:46.59 ID:legXsIAX
ごめんなさい、「かがやく姫様」と書かれているにもかかわらず
『こまつ姫とかやくご飯』に空目してしまいました・・・

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/26(日) 09:06:49.73 ID:yxoy3sXT
早く朝御飯食べちゃえよw
お腹すいてんだろ

375 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2011/06/26(日) 23:01:03.13 ID:9WF9L7wJ
>>362
真田昌幸「本多家に謀られたかぁ!」

大坂の陣直前、小松殿より真田家重臣団への書状

2010年12月01日 00:00

小松姫   
545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/30(火) 09:50:21 ID:2hkiFQ/V
小松姫の講談が公開されてたよ。
特に新しいエピソードは無いけどね。

http://www.podyose.com/




549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/30(火) 12:07:00 ID:HgyGrIXf
>>545では、逸話というほどでもないけど小松さんネタ

“突然の陣触れのでしたので、支度もロクに出来ず、さぞ大変だったと存じます。
そちら(大坂)で他家と万事調整して行くのも難しいこととは存じますが、よろしくお願いします。

また、今回は河内守(長男・信吉)が大将ですが、息子はまだ若く、信之様のようには行かないし、
最近は幕府の法度も固く、さぞかしやり辛いでしょう。

ですが、どんな難しいことを言ってきても、御陣のうちは信之様に免じて忠義を尽くし、
奉公していただくよう、お頼み申し上げます。
この書状は、家老衆に回覧の上、御意見をいただきますよう、お願いします。

少なくてお恥ずかしいのですが、金子を用意しました。どうぞ皆様で分けて下さい。”
(まことニすこしにてはつかしく候へ共、金子すこし進し候を、みな手前よりうけとり候べく候)



大坂の陣直前、小松殿より真田家重臣団への書状。
息子に「兄弟のうちどっちか死んでも良かった」、本気でそんな事言う親はいませんよ・・・





554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/30(火) 20:31:18 ID:WUbndmjP
>>549
大阪の陣で弟が豊臣側に付いて胃が痛い時期に
小松に小遣いまで減らされる信之の悪い話ですね

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/30(火) 20:46:07 ID:RPMfp4R4
少なくてお恥ずかしいのですが、金子を用意しました。どうぞ皆様で分けて下さい

「それ、今月のわしのお小遣い…(´;ω;`)ウッ」

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/30(火) 20:47:57 ID:Rx6fe16p
「ご飯はまだかの」
「おじいちゃん、ご飯は昨日食べたでしょ」

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/30(火) 20:59:36 ID:WIjO28Qo
普通に小松姫の気遣いできるいい話なのに、お前らときたら・・・

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/30(火) 21:00:00 ID:OFM+wjju
>>557
鬼嫁過ぎる・・・