「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」

2016年09月08日 17:40

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 04:37:46.33 ID:HJ7j8xdk
慶長19年、大坂の御陣にて、小栗忠政は御使番・斥候の役目を承り、糧米3千俵を
恩賜され、与力20騎、弓・鉄砲の同心100人を付属された。

11月、後藤又兵衛基次と森豊前守勝永(毛利勝永)は仙波の人家に火をかけて城中
に引き入った。この時、船場の橋をも焼き捨てたのか実否は定かでなかったので、

本多正信を介して、「急ぎ見て参るように」との(徳川家康からの)仰せがあったため、
忠政はすぐさま1人で馬を馳せて行ったところ、

河野権右衛門通重は、御勘気を受けた身であったので忍んでいたのだが、忠政に伴う
ことを乞うた。それから、2人はともども船場の橋際に至り、忠政は馬を止めて静かに
その実否を見届けた。通重も徒歩で橋の向こう方に渡った。

城兵はこぞってその勇気を感心し、「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」
として、矢玉を放つ者はいなかった。

その後、忠政は帰って、敵の様子をつぶさに申したので、(家康から)「敵近く危うき所
に至り、よく見定めて帰った!」との、御感に預かった。

――『寛政重修諸家譜』




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 07:09:12.21 ID:17UvBhRK
あれ?河野の手柄は?まさか…

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小栗上野介は幕末の一人物だよ

2016年02月08日 18:00

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/07(日) 21:47:33.00 ID:v2SG8Npp
これは明治時代の話になるのだがご容赦を

勝海舟は政敵・小栗上野介忠順について氷川清話の中でこう評していた

小栗上野介は幕末の一人物だよ。あの人は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にもほぼ通じてしかも誠忠無二の徳川武士で先祖の小栗又一(忠政)によく似ていたよ。
一口にいうとあれは三河武士の長所と短所とを両方備えておったのよ。しかし度量の狭かったのはあの人のためには惜しかった」

当時は小栗又一忠政が誠忠無二の三河武士として高く評価されており子孫の上野介も初代又一に例えられたのは非常な名誉だったかもしれない



111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/07(日) 21:55:24.17 ID:YvvETfm6
>>110
勝海舟はどんな話でも自分を持ち上げる為に他人を使うから大嫌い

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/07(日) 22:37:06.32 ID:SGOzzvqe
福沢諭吉「せやな」

113 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/02/07(日) 23:28:07.22 ID:t9+ef2vY
小栗さんの子孫は漫画家になったんだよな
昔、ジャンプで連載された
テンテン君の作者がそうらしい

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 19:22:35.46 ID:gDL8B/I9
>>110
小栗上野介さんものすごい面倒くさそうです

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 19:33:17.55 ID:SQuCyOuj
幕臣で一番めんどくさそうな勝海舟がそれを言うのも面白い。
そういえば、勝海舟を大久保彦左衛門にたとえる人がいるけど、
晩年の境遇はともかく、実績があまりにも違いすぎだろうに…

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 21:29:47.41 ID:Iwd3FKrA
>>116
これどっちのが実績あると見るの?

戦国贔屓だから
戦国時代に武功を上げた彦左の方が実績あると考えたけど

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 21:39:52.32 ID:ZgTfYKA/
局地戦で活躍しただけの人と日本を揺るがしかねない事態を何とかした人とじゃ
流石に勝のほうが実績あると思うけどな

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 21:40:41.93 ID:wm+Ql6zV
そら海舟やろ

120 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/02/08(月) 21:44:21.48 ID:OlPz/peZ
大久保って愚痴日記出したのが功績だろ?
海舟とはラベルが違うと思うが

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 22:13:29.21 ID:ncGGk0Ei
伊藤博文も勝海舟もちょっと前の先祖が農民って所が幕末乱世

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 22:16:20.27 ID:leHnml7m
昨今の幕末史研究では、江戸無血開城も、いわゆる西郷と勝の会談よりも前に決まっていたらしく、勝はどうも、それを自分の手柄に
でっち上げたフシがあるらしいぞw

123 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/02/08(月) 23:20:32.83 ID:QKtuFps3
勝みたいなハッタリ野郎に比べたら小栗の方が有能だな
明治維新で薩長がやろうとした事はみんな
小栗が考えてた事のコピーだから

正直、小栗上野介と河井継之助は生かして欲しかった

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 23:48:57.97 ID:wm+Ql6zV
そろそろ板違い

「あのような理不尽者には」

2016年01月10日 14:22

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/10(日) 10:09:30.91 ID:l4mamycO
久松彦左衛門は小栗又市(忠政)と人返しのことについて遺恨があった。

「このような事は使いでは埒が明くまい。じかに又市に会って埒を明けるぞ!
いかに又市が武辺者であるとしても、頭が割れぬはずはあるまい!」

彦左衛門はそう言って又市のところへ行った。

しかし又市は、「あのような理不尽者には」と言って、対面しなかった。

――『武功雑記』




そう言うと取ってきた首を

2014年09月02日 18:55

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:18:52.58 ID:wQw+R2C8
関ヶ原の決戦の折のこと。

徳川家康の旗本である米津清右衛門正勝は、敵の首を取って来て、小栗又一忠政に向かい
「俺は早くも高名をしたぞ!」
と言い放った。米津と小栗は、かねてより仲が悪かった。

小栗はこれを聞くと
「お前ががシラミ首を取るのなら、俺は兜付きの首を取って見せよう!」
そう叫んで前線へと向かった。

米津清右衛門はこの首を家康の御覧に入れたが、家康は見るなり
「清右衛門、お前は使番ではないか!使番は敵の先手の様子を見てすぐさま本陣に注進するのが
その役割である。首の一つや二つ取って何の用に立つか!」と叱りつけた。

米津が御前より下がると、やがて小栗又一が兜首を取って帰ってきた。そして米津に向かって

「これを見よ!お前に出来る程度の事が、俺に出来ないと思ったか!」

そう言うと取ってきた首を道端の谷川へと投げ捨てたのである。
(明良洪範)

米津清右衛門さん、せっかく首をとったのにふんだり蹴ったりというお話。


関連
「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」と自慢した。


103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:25:35.97 ID:IBLbPvNW
首をとられた二人が可哀想

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:32:13.96 ID:i9DExyOu
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6415.html
前にも出てるようだが出典は書いてないな

「広宣の挨拶は奇妙だ」

2012年10月30日 19:58

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 00:28:44.16 ID:xScnRV2g

徳川家の家臣である小栗又一は己の武功を誇り甚だ人を軽蔑し、
多少の誉れのある者なら「米数米数」と言って嘲っていた。

ある時、又一は勝れた武功があってもそれほどの増地がないのに、
久世広宣坂部広勝が知行を多く賜ったことに腹を立てていた。

そんな時に又一と広宣がばったり出くわした。又一は腹を立てた顔で、
「お前たちは何事をして、多分の御加増を取ったのだ」と言い咎めた。

これに広宣は笑って「この耳たぶが厚いので御加増を取りました」と、自分の耳を
引っ張って見せた。これには流石の又一も白けて笑いながら通り過ぎた。

人々は「広宣の挨拶は奇妙だ」と感じあったという。

――『名将言行録』




「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」と自慢した。

2012年05月17日 21:00

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 12:45:25.18 ID:3RWKz1S1
関ヶ原の戦いの時、徳川の家臣・米津清右衛門正勝は敵の首を取って
きて小栗又一忠政に向かい「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」
と自慢した。

実はこの二人かねてより仲が悪かった。又一は「貴様がしらみ首を
取るならば、俺は兜首を取ってみせるわ!」と言い返して先陣へ馳せた。

正勝はさっそく首を主の家康に見せたが「使番の仕事は先手の様子を
早く本陣に伝えることであろう。首の一つや二つが一体何の役に立つと
いうのか!」と叱られてしまった。

さて、一方の又一は宣言通り兜首を取ってきて正勝に向かい
「ほれ見ろ。お前にできることが俺にできないわけないだろ」と言うと、
首をその辺の谷川に捨ててしまった。

関連
そう言うと取ってきた首を


228 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/17(木) 13:32:47.66 ID:jAtkeGHb

>>227
兜首を捨てるとは…めんどくさい三河者らしいや

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 13:43:06.94 ID:wBTEnuY+
徳川の戦いでそんなホイホイと兜首が取れる訳ないし
自演乙と言う話なのだろう

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 13:53:21.97 ID:MiYy4jIx
兜首って別に大将の首という訳ではなく侍の首って事だから

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 14:03:31.68 ID:5bwNOItT
じゃあしらみ首って何だ???

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 15:27:42.42 ID:dSUi5V82
多分、雑兵の首

正勝「首取ったど」
又一「雑兵の首じゃんwじゃあ俺は侍の首取ってくる」

正勝「首取りました」
家康「お前の仕事は何か考えろ、ああ?」

って話だろう