180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/11(日) 17:57:54.15 ID:d4UKo8Oh
安芸国、毛利陸奥守大江朝臣元就という人物、その先祖を尋ねると、鎌倉三代の将軍の執権であった
因幡守廣元であり、彼は太枝の姓を改めて、大江を用いた。以降、元就の家は大江嫡流を称した。
元就の父もまた廣元という(毛利弘元)。兄を興本という。興元の子、幸松丸早世のあと、毛利の家は断絶の
危機にあったが、古老たちが協議して元就を呼び出し、吉田郡山城へ入城させた。
これ以前、元就は多治比三百貫を領する、非常に小さな存在に過ぎなかった。
しかし毛利の家督を得た後、智謀人に優れ、武勇世に類なく、遠近がその徳化に帰伏すること、まるで草が
風になびくようであった。
元就は、『之を用いるときは行い、之を捨てるときは蔵る』という孔子の言葉を思い出させる人物であった。
(甫庵信長記)
甫庵信長記の毛利元就評である。
181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/11(日) 21:37:25.61 ID:p6f96Ngh
京都の江氏嫡流はどう思って読んだだろ。
安芸国、毛利陸奥守大江朝臣元就という人物、その先祖を尋ねると、鎌倉三代の将軍の執権であった
因幡守廣元であり、彼は太枝の姓を改めて、大江を用いた。以降、元就の家は大江嫡流を称した。
元就の父もまた廣元という(毛利弘元)。兄を興本という。興元の子、幸松丸早世のあと、毛利の家は断絶の
危機にあったが、古老たちが協議して元就を呼び出し、吉田郡山城へ入城させた。
これ以前、元就は多治比三百貫を領する、非常に小さな存在に過ぎなかった。
しかし毛利の家督を得た後、智謀人に優れ、武勇世に類なく、遠近がその徳化に帰伏すること、まるで草が
風になびくようであった。
元就は、『之を用いるときは行い、之を捨てるときは蔵る』という孔子の言葉を思い出させる人物であった。
(甫庵信長記)
甫庵信長記の毛利元就評である。
181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/11(日) 21:37:25.61 ID:p6f96Ngh
京都の江氏嫡流はどう思って読んだだろ。
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