fc2ブログ

「常陽四戦記」から真壁久幹・太田資正と小田氏治の戦い

2023年03月25日 18:28

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/24(金) 19:44:43.66 ID:G01vG6zG
常陽四戦記」から真壁久幹太田資正小田氏治の戦い
続武家閑談」にもあるが「常陽四戦記」とまったく同じ文だった

真壁城の氏幹入道道無(真壁久幹)と小田天庵は長年あらそっていた。
元亀四年(1573年)四月、天庵が筑波山からつづく青柳山を越して、真壁と山ひとつ隔てた小幡村に出てきたため、道無は出兵した。
道無は、小田勢は真壁の西から攻めてくると聞いていたが、実は山を越えて小幡から攻めようというのであった。
太田三楽斎(太田資正)とその子梶原源太資晴(梶原政景)は柿岡に住んでいた。
資晴は佐竹の媒酌で道無の婿となっていたため、小勢ではあるが真壁に加勢することにした。
しかし小田勢は容易ならない相手であるので、真正面から当たることを避け、小幡の近辺にあった要害無双の古屋敷に入った。
太田勢は敵を突いては屋敷に戻ることを繰り返して時間稼ぎをした。
そうこうしているうちに道無勢が山を越えて来たのが旗でわかった。
天庵は太田親子を捨てて真壁勢に向かって備えた。
小幡の地は三方が山で囲まれ、平地は十町もない狭いところであった。
真壁勢は山から下って戦ったが、弓鉄砲は用いなかった。
これは小田勢の後ろの太田勢を討たせないためであった。
こうして小田勢は後ろから崩れて退却し、真壁勢は追い討ちをかけた。
道無の息子に安芸守十六歳と式部少輔十五歳がおり、坂本信濃守という剛のものがついていた。
安芸守は敵と組みつつ、山上から転がり落ちた。
安芸守の従者は助けようとしたが信濃守は叱って助けさせなかった。
とうとう平たいところまで落ちてきたが、敵が上になって安芸守の首を取ろうとしたため、馬取が敵の右手をとらえ、
吉田というものが駆け寄って安芸守に首を取らせた。
式部少輔も組み打ちの高名を得た。
こうして敗北した小田勢は、来る時に通った道を引き返した。
そこに真壁勢が山を登って追い打ちをかけたため、天庵は一度も振り向くことなしに四里の道を退いた。
三楽は追い打ちの軍には加わらず、小田勢の先回りをして先に小田城に乗り込み、門を固めて立て籠った。
天庵は小田城に入ることがかなわず、一里ほど離れた藤沢の城に入り、幾度も小田城を奪還するために競り合った。
三楽は高楼を建て、天庵の軍の動きを見張り、近い時は早鐘を、遠い時は狼煙を上げて真壁に知らせた。
こうして合図を定めて加勢を頼んだため、小田城を堅固に保ち、太閤の小田原の陣の時まで三楽とその息子の梶原資晴は小田城に在城したということだ。



スポンサーサイト



「続武家閑談」から小田氏治と上杉謙信の合戦

2023年03月22日 19:31

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/21(火) 22:11:36.43 ID:U41itv3c
続武家閑談」から小田氏治上杉謙信の合戦

永禄二年(1559年)四月二十八日、常州信太郡小田城主、讃岐守氏治入道天庵と越後の上杉輝虎入道謙信が真壁部山王堂において合戦をした。
小田天庵は年来戦争に長けており、結城・佐竹・宇都宮をはじめ近辺の諸将どもが攻めあぐねたため
示し合わせて諸方から攻めたが、完全な勝利は得られなかった。
そこで謙信の使者が上州に来られたのを幸いとして諸将は謙信の出馬を乞い
「小田氏を退治してくだされば幕下に属する」と約束した。
謙信は早速同意されて「八幡出馬しむるべし」と自筆で短冊に書いて諸家の使者に授けた。
使者が昼夜行軍で返事を持参した時には、もう謙信の先手は宇都宮の氏家原にまで来ていた。
諸将は謙信の行軍が迅速なことに驚いた。
謙信は八千の軍で昼夜通し行軍し、四月二十八日の夜、山王堂に着陣し堂を本陣とした。
堂下の道と原との間は四町ほどの深泥であり、その向こうは三十町ほどの芦野であった。
小田天庵は二千ばかりの人数で居城よりうって出て筑輪川を渡り、背水の陣で深泥を前にして備えた。
辰の刻ごろに謙信の軍勢はしずしずと山王堂を降り、真一文字に深泥を越えて行った。
小田の先手は弓・鉄砲・槍・長刀で、打ち殺し、射殺し、突き倒ししたため謙信軍の手負、死人の人数は数知れなかった。
しかし越後勢は少しも怯まず、討たれた人馬を泥の中に埋めるように踏みつけ踏みつけし、ついに小田勢を原へ追い返した。
こうして申の刻までには小田は打ち負けて引き返した。
天庵は最前渡った筑輪川を乗馬にてわたり、居城に引き返そうとした。
しかしあまりに馬が疲れていたため、川上へ馬の頭を向ける、水を長い時間飲ませた。
越後勢は天庵を大将と見て、川端から矢や鉄砲玉を雨のように降らせたが天庵には当たらず、天庵は難なく川を渡り小田へ帰城した。
諸将は謙信の余りの迅速さと威厳を恐れ、城に引きこもっていたが、謙信が勝利ののちおいおいに参上して謝辞をのべた。
謙信は諸将たちを先手として小田城へ押し詰めた。
天庵は四、五日ほど籠城したが、大軍が名将の指揮によってとりまいて攻めてきているため、小田家老の信太鴨之介が
「防戦はもはや叶わないでしょう。
天庵様には藤沢の城へ退かれ、再起を図ってください。
それがしはこの城に残って切腹いたします」
と諫めたため天庵はひそかに退去し、鴨之助は自害した。
謙信は勝鬨を上げさせてそのまま上州に帰られた。
翌日、天庵は藤沢よりうち出て小田城を取り返し、元通りにした。
鴨之助はもともと宇都宮氏が持っていた坂戸城の城主であった。
近年小田方に攻め取られていたのを、鴨之助が切腹したのちは、小栗城にいた宇都宮家老の小宅三左衛門がすみやかに取り返し、宇都宮没落の時まで在住した。

続武家閑談」といっても
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4877.html
で紹介されている「常陽四戦記」の文章そのままだった

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/22(水) 12:58:52.19 ID:m4SjUIWQ
次の条に山王堂の戦いの追記があった

右の山王堂の一戦を、稲川石見という当時十八の真壁の侍が、戦場である芝野の上の明神山で見物していた。
両軍が攻めあっている間は戦場はしばしば煙霞のようになり、物の色がわからないほどであった。
戦いが終わると、霧がはれるように見えたという。

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/22(水) 12:58:52.19 ID:m4SjUIWQ
次の条に山王堂の戦いの追記があった

右の山王堂の一戦を、稲川石見という当時十八の真壁の侍が、戦場である芝野の上の明神山で見物していた。
両軍が攻めあっている間は戦場はしばしば煙霞のようになり、物の色がわからないほどであった。
戦いが終わると、霧がはれるように見えたという。


小田城再乗っ取り

2019年10月13日 17:43

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/13(日) 15:15:04.76 ID:EPNnuZ5J
>>508 の後のこと

小田天庵(氏治)と彦太郎守治父子は、小田城は取り返したものの、昨年大晦日の遺恨を果たすべく、
真壁暗夜軒道無(氏幹)を討とうとしていた。

天正元年(1573)四月下旬、小田父子は4千の兵を率いて筑波根の尾根続きである青柳山を越え、
新治の乙幡村へ着陣した。ここは真壁氏幹の領内である。小田勢は家という家に火をつけ狼藉を
働いた。

乙幡より太田源左衛門資晴の居る柿岡は行程一里半ほどの場所であるので、この噂はすぐに伝わり、
資晴はこの事を片野に居る父の三楽斎へと伝えた。三楽斎こそ、昨年真壁とともに小田を追い落とした
張本人である。三楽斎父子の他に、太田新六郎康資も共に資晴の加勢に来た。
しかし太田勢は小勢、小田方は多勢であるので、一戦を交えると太田方はすぐに近くにあった古屋敷に
駆け込み、その中に立て籠もった。そして小田勢が退くと打って出て、返せば古屋敷に逃げ込み
立て籠もる。そんな事を4、5回も繰り返して時を稼いでいるうちに、真壁氏幹と息子の右衛門太郎広幹が、
次男右衛門次郎久幹、甥の掃部介たちを引き連れ駆けつけ、小田勢が西の方より押し寄せると聞いて、
その方へと馬を急がせていた。所がそうではなく乙幡に敵が有ると解ると、山手に出ようと近道を駆けた。

真壁勢が近づくのをはるかに見た小田天庵父子は「これこそ当面の敵である。」と、太田父子を捨てて
真壁勢に向かった。この場所は三方を山に囲まれ、その中に十町ばかりの平場が有った。狭い場所であるが
小田勢はその中いっぱいに、蜘蛛の子を散らしたように待ち伏せた。

真壁氏幹はこれをよく見破り、先鋒が矢を射かけようとするのをしばらく止めると、敵の先鋒には
目もくれず、弓鉄砲を敵の本陣に向かって激しく射込ませた。小田勢はまたたくまに裏崩れをはじめ、
右往左往した。

(中略)

かくして小田勢は敗北し、もと来た道をしどろになって退く所を、真壁勢はすかさず追撃した。
天庵父子は帰りの四里ほどの道を、一度も返すこと無く逃げていった。
この時、未だ古屋敷に籠もっていた三楽斎父子は軍勢を外に出すと、逃げていく小田勢には手も触れず
ただその傍を一緒にどこまでも走った。そしてやっと小田城の近くになると、小田勢が言っているのと
同じようにわめきながら、味方を装って敵とともに手勢もろとも城内へなだれ込んだ。それから城門へ
上がって太田の旗を押し立てた。

これを見た天庵父子は歯噛みをして口惜しがり、残兵を集めてすぐに奪い返そうとしたが。後より
真壁勢がすぐに追い付いてきたため、このまま前後を敵に挟まれてはどうにも成らないと、城を捨て、
天庵は藤沢城へ、彦太郎守治は木田余城へ逃げ込み、後日の運に任せたという。

(関八州古戦録)

天庵様が鬼真壁に敗れるというお話。なんで直接小田城乗っ取りを企てた太田父子ではなく
真壁氏幹を目の敵にしたのかはよくわからない。


三楽斎の小田城乗っ取り

2019年10月12日 15:49

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/12(土) 12:05:11.95 ID:zZ547gHR
常州の小田讃岐守入道天庵(氏治)は、家の吉例の行事として。毎年十二月の大晦日の夜、
家臣を集めて連歌の会を催し、これを年忘れとした、その後夜明かしで酒宴を張るのも
恒例となっていた、

この頃太田三楽斎は片野の砦に住んでいたが、この事を知って色々と工夫をしたが、ついに
小田城を乗っ取ろうと決心した。
そのころ天庵は藤沢城に住み、小田城には息子の彦太郎守治が入っていたが、彼のもとでも
この行事は行われていたのである。

三楽斎はまず、真壁氏幹入道道無に相談し、佐竹、多賀谷も巻き込んで密議を行った。
彼はこのように説明した
「これは必ず成功する。小田城中には二、三内応する者もあり、大晦日の夜に兵を出せば
正月には城はこちらの手にあるだろう。」

これに多賀谷側より「その内応する者とは誰か」と問われると、三楽斎はそれらしき書状を
二、三出してみせた、それで安心したものか、真壁、多賀谷、佐竹も彼の企てに同意した。

その年の大晦日、三楽斎父子、同新六郎康資、真壁掃部介、坂本信濃守、佐竹より岡谷縫殿介、
根本太郎、多賀谷より家人の白井全洞などが集まり、小田城近くまで進んだ。そこで人馬を休めつつ
手引の者を待ったが、いっこうに現れない。
佐竹側が
「三楽斎殿、これはどういうことか」
と尋ねると、

「内応のものが有ると言ったが、あれは嘘だ。」

と答えた。
一同驚き
「嘘だと言うが、証拠の書状まで見せたではないか。」
「だからそれが嘘である。」
「ではあれは偽の書状か」
「いかにも。そうでもしなければあなた方は同意しないと思った。」
「それは酷い。そのような事なら我々は帰る。」

憤る彼等に三楽斎は
「まあ待て、連歌のことについてはよく調べてある。小田城の者達は必ず遊び呆けて酒に成り、
家中一同は酔いつぶれて物の役に立つものは一人も城中に居ないだろう。
ここは一つこの三楽斎に任せて頂きたい。決して悪いようにはしない。」

こうも三楽斎の術中に落ちた以上、一同も今更否とも言えず、夜明け近く、貝を吹き盾を叩き、
一斉に鬨の声を上げ小田城に攻めかかった。三楽斎の旗本である益戸勘解由、高橋上野介、石井峰岸
などの勇士は真っ先に大手門を押し破り城中へと乱入した。

小田方はこんな事が起こるとは夢にも考えておらず。連歌の後の酒宴で酔いしれていた所で、寝耳に水の
驚きようであり、周章狼狽はその極みに達し、太刀よ物具よと探す者はまだいい方で、堀を乗り越え、
狭間に潜って逃げ出し、敵を防ごうという家来は一人も居なかった。
彦太郎守治も仕方なく脇虎口より逃れ出て、菅谷金吾入道全久の木田余城へと退散した。
三楽斎はやすやすと小田城を乗っ取ったのである。そしてしばらく番兵を入れて様子を見ていたが、
取り返しに来る様子もなかった。

ところが二月に入って異常に雪が降ったのだが、その大雪の日に小田彦太郎守治は、菅谷、大藤、月岡
といった家臣を率いて不意に押しかけ、小田城を取り戻した。
こうして元のように小田守治が城主に戻ったのである。

(関八州古戦録)

続き
小田城再乗っ取り


身の毛がよだつほど輝虎を恐ろしいと

2019年10月04日 17:34

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/04(金) 10:52:23.96 ID:YX5u5dct
永禄7年(1564)、北関東の佐竹、宇都宮に合わせて、多賀谷、益子、真壁、笠間、小宅、茂木、久下田の
諸将は連署を以て上杉輝虎(謙信)に、「この際小田氏治讃岐入道天庵を討つべし」との申し入れがあった。
小田天庵は、先に黒子表で大敗した後、小田原の北条氏康と合体し、府中の多気守国、水戸の江戸道房、
総州の千葉利胤、守谷の相馬治胤と組んで旗を上げようとしていた。
小田家の武力は衰えたとは言え、右大将頼朝以来の名家であり、兵法に長け家人に剛勇な者が多く、
まだ油断できない故、今のうちに叩くべきだというのである。

輝虎は先に言ったように闊達な武士であり、すぐにこれを引き受けて、長尾一党の新発田、柿崎、山本寺、
色部、中条などの面々と八千騎を率いて越山し、夜を日についで、4月27日には小田天庵の領分、
真壁郡山王堂に到着した。ここは山が高く、崖下に南北四町ほどの深田があり、その小川を隔てて
東に四方三十町ほどの広野がある、そこを最適と見て輝虎は陣を敷いた。そして土地の国侍を招いて
尋ねた

「この辺りに名うての侍があるか。」

「この先、北に十四町ばかり行った所に三浦党の末裔という一団がおります。」と答えた、
それが平塚山城入道自省で、小田天庵旗下の平塚、菅谷、飯塚、久松と言った四天王に並ぶ者であった。

「随分と頑固な侍で、もし夜討ちでもされたら危なく、御用心が必要です。」

そう忠告されると、輝虎はからからと笑い
「その男なら四年前、氏康と不和に成った所を、結城、佐竹の手合に攻められ、きたなくも黒子表の
大崩と言われた負け戦の張本人であるぞ。

むしろこちらから朝駆けして焼き討ちをし、首を取ってもいいし、今夜でも向こうが夜討ちをかけるなら、
それこそ天の助け、迎え撃って一人も残さずなで斬りにして死人の山を築いてやろう。」

そう豪語したので、国侍達は呆れて物が言えないどころか、身の毛がよだつほど輝虎を恐ろしいと思った。

(関八州古戦録)



249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/05(土) 11:41:01.69 ID:McdmRo5l
謙信が力量を認める人ってあまり居なそう

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/05(土) 11:50:12.14 ID:qu2SVqsq
>>249
臼井城で白井胤治にこっぴどく負けたときは、白井胤治を評価するのではなく、
戦いの記録自体を抹消するような人だからなぁ。

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/05(土) 12:29:27.70 ID:G98VYBxx
そんな人おったんやな
なんていうか謙信て信玄といい勝負やな、昔とは違った意味で色々とw

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/05(土) 15:31:54.55 ID:RQ1NmQev
>>250
蓑輪諒「最低の軍師」のモデルか
臼井と白井でややこしい

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/08(火) 03:42:28.50 ID:uGdeufcI
>>250
いや臼井城攻めは北条側の史料も戦死者数などが過大で捏造の疑いあるとされてるし、上杉側も上田衆を中心に感状を出しているため一定の戦果はあったと認識している。また直接被害を被ったのは先手の房州勢。
上杉軍は撤退したわけだから北条軍の勝利となるだろうけど、よく言われるような最強の軍師が謙信に圧勝!みたいなのは如何にも江戸時代の軍記ものっぽくて実像と少し違うと思う。
だから研究家もまだ臼井城の戦いに関してはまだ検討の余地があるとしている

【ニュース】小田氏治がNHKの歴史番組で取り上げられます

2018年05月28日 19:47

955 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/05/27(日) 21:10:54.20 ID:DN4fvMPd
小田氏治がNHKの歴史番組で取り上げられます
NHK総合の番組「歴史秘話ヒストリア」で、小田氏治が取り上げられます。
小田氏治の肖像画(法雲寺所蔵、当館寄託、茨城県指定文化財)などが、番組内で紹介されます。
当館では、この放映に合わせて、「小田氏治像」「小田治久像」「小田天庵公一百五十年忌祭録」を7月15日(日曜日)まで展示します。この機会に、ぜひご覧ください。

【放映日時】6月13日(水曜日)午後10時25分から11時10分まで
http://www.city.tsuchiura.lg.jp/page/page011080.html

マジか、ついに天庵様が



956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 21:53:13.74 ID:2DMcxkmq
ネタ枠がついにここまで来たかw

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 21:58:25.37 ID:hrR0WwC7
前にも立花宗茂と今川氏真とセットで取り上げられてはいたようだ
それにしても「知恵泉」のサイトのURLが
http://www4.nhk.or.jp/chieizu/2/
でまるで信綱のような

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 22:07:23.92 ID:JvE4goeo
天庵様が明日の番組でNHKデビュー

先人たちの底力 知恵泉 年末SP「負けたのによく生き残った!戦国武将特集」

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 01:42:58.86 ID:0tvEr/AT
小田家関連がNHKで放映されると聞いて飛んできました
やったぜ天庵さま

天庵様が評価されたいい話?

2017年12月02日 16:47

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 12:50:43.86 ID:GOvwcdD1
天庵様が評価されたいい話?
https://i.imgur.com/y8K8GlR.jpg
https://i.imgur.com/6km3PPs.jpg
y8K8GlR.jpg

6km3PPs.jpg
「信長の野望・大志」小田氏治に、固有の志と新規顔グラが付いたようです


483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 14:24:55.78 ID:JrO/NKpY

>>482
志ってのは武将ごとの特殊能力みたいなもんか?そのままだなw

484 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/12/02(土) 15:48:02.45 ID:lswRTCY1
割とこことかのネット人気が結実した感じはあるね

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 20:56:41.41 ID:ahxGdGrj
>>482
該当スレを見てるとゲーム自体は相変わらずのPKで完成みたいだね

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 23:24:01.56 ID:nH2o62HC
>>482
ノブヤボの新作か?
STEAMで買おうとしたけど評価がほぼ不評でやめた

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:45:39.57 ID:6njRx29M
>>487
大志はダメ。まだ創世のほうがマシ。
もしくは天翔記を武将数を増やして改変してほしい。

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 10:20:50.81 ID:rUjZUDQr
は、覇王伝を…

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 11:14:53.43 ID:oaLfCx1Z
大志はスマホ対応でうっすくなったみたいやね

天庵様がNHKデビュー!

2014年12月28日 17:02

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 22:07:23.92 ID:JvE4goeo
天庵様が明日の番組でNHKデビュー

先人たちの底力 知恵泉 年末SP「負けたのによく生き残った!戦国武将特集」
http://www4.nhk.or.jp/chieizu/x/2014-12-27/31/03287/
http://www.nhk.or.jp/pr-image/39bb6d9ed2ef8d7e9c6eb8bf865b31c4_s.jpg
39bb6d9ed2ef8d7e9c6eb8bf865b31c4_s[1]

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 23:09:38.37 ID:CZFs0xMt
>>439
宗茂が取り上げられるのか・・・直近の大河でもはぶられてたっけなぁ・・・

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/27(土) 02:26:09.29 ID:j/LdjyBr
この3人は誰でしか?

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/27(土) 05:12:28.69 ID:cOWLXt/n
チート設定、ファンタジスタ、猫の人

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/27(土) 09:49:00.53 ID:D3wq38Xv
天庵様の画像ググってみたら萌え画像しか出てこねえよ!




31日の午前7時から再放送があるようです。解説で黒田基樹先生も出られ、非常に良い番組でしたので、
良かったら見てみてください!

http://www4.nhk.or.jp/chieizu/2/

天庵様が天羽鉄斎の諫言を聞かなかった話の詳しい内容

2013年09月17日 20:44

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 05:40:12.00 ID:pwMBEeys
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3198.html
これの、天庵様が天羽鉄斎の諫言を聞かなかった話の詳しい内容

常州の小田天庵親子(氏治、守治)は、先年居城小田城を太田三楽斎に乗っ取られた後、
家臣・赤松疑渕斎(則実)の守っていた手子丸に移り、何とか小田城を取り返そうと策をめぐらしたが、
兵数に劣りなかなか思いを果たせないまま、虚しく時を過ごしていた。

そうであったが小田家には、四天王と呼ばれた土浦の菅谷左衛門大夫、海老ヶ島の平塚石見守、
木田余の赤松疑渕斎、藤沢の飯塚美濃守を始めとして、他にも天羽源鉄斎江戸山城守、大藤小太郎、
尾上、只越、月岡といった、世に知られた勇将、知将が有り、かつては周囲を囲む反北条派の
佐竹義重、多賀谷、真壁、梶原なども、これを攻め落とすことができなかったのである。

ところがこの年、小田家の知将と名高い天羽源鉄斎が明日をも知れぬ様態となり、天庵親子が駆けつけた。
天羽源鉄斎は老衰していても頭ははっきりとしており、天庵親子に寝たまま手を合わせて
見舞いの礼を述べ、そして苦しい息の下から氏治に言った

「我が小田家は、多年多賀谷、佐竹と矛を交え争い、片時として安堵の思いをしたことはありませんでした。
それは全て、こちらが小国であり、相手が大国であったためです。
ただ策を以って、これまで支えてまいりました。

御屋形様、私が死んでも策は同じです。決して城を出て、平地で戦ってはなりません。
必ず、城にこもって闘いぬくのです。籠っている内に、後詰めとして土浦、藤沢、海老ヶ島などの諸城より
援軍が来て、これを追い払うことが出来るのです。」

氏治はこれに
「よくわかっておる。源鉄斎老人の采配の通り、これからもその戦術を以って望むつもりだ。」

「およそ険に寄りて守れば、一人で20人の敵を防ぐことが出来ます。一人が一人と戦っては、
佐竹の多勢にどうして抵抗することが出来るでしょうか?
返す返すも、敵の誘いに乗って野戦をなさってはなりません。どんな事があっても、籠城して防戦一途の
戦いこそが御寛容ですぞ!」

天羽源鉄斎は繰り返しそう言って死んだ。
源鉄斎は誠に軍配知略の老武者で、小田家にとっては高き山、深き海とも頼む支えであり、それが朝の露と
消えた今、小田家中では誰一人として肩を落とさぬ者はいなかった。

ところが、この源鉄斎の死は瞬く間に近隣に聞こえ、中でも佐竹義重は「時ぞ来たれり」と、源鉄斎の
死の直後、9月下旬には早速三千余騎にて手子丸へと押し向かった・
小田氏治はこれを聞くや、なんと、直ちに兵を出して途中で迎え撃とうと人数を集めたのである。
重臣の江戸山城守は直ちにこれを諌めた。しかし氏治は怒り

「何故止めるのか?佐竹の手の内はかねて知るところだ。恐るるに足らず!」
「しかし敵は多勢、味方は無勢です。それを要害もない平地で迎え撃つのは、源鉄斎殿が遺言したように
危険です。」

「お前もまた源鉄斎か!その言葉、耳にたこができるほど聞いた。
源鉄斎が死んだ後だからこそあえて出て戦うのだ!
籠城をしていては負けることはなくても、いつまでも勝つことは出来ない!
まして、小田城を奪った太田三楽斎の一族も、佐竹軍の中にあるときく。今こそ運を天に任せて一戦せん!」

「しかし、みすみす敗れる戦いを」

「弓馬の家に生まれたものが何をいう!?負けるも勝も時の運である。敗れてもそれは恥辱ではない!
不満ならお前一人籠って城を守れ。私は城を出て敵を迎え撃つ!」

そう言って氏治は一千騎で城を出て、手子丸山を後ろに三ツ州浜形の紋所の旗印を立て、堅陣を敷いて待ち構えた。
(関八州古戦録)

結果↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3828.html





331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 08:09:34.98 ID:qzNqXkT7
すごいなもうほとんど落語だなw

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 09:05:20.85 ID:CVlsAicP
天庵様は勝ち負けなんて既存の価値観には囚われていないのだろうw

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 10:27:01.67 ID:Ms3Rn8aK
だから智将の遺言無視は死亡フラグだとあれほど…

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 10:33:36.39 ID:Hju/o4aU
残機数=菅谷さんの残息子数

この分だけ天庵さんはコンティニュー可能です

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 16:40:15.75 ID:UV3pihuF
天庵様の馬耳東風スキルは上限値です
これ以上は上げられません

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 17:23:36.36 ID:ZsSfSWx2
私が出陣したと聞けば城を出てまいりましょう

とか三楽に見透かされてる可能性すらあるからなぁ・・・

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 19:23:58.87 ID:rvEnV6IU
別の織田さんが寡兵で大勝したウワサを聞いていたのだろう

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 19:26:55.98 ID:lvu9nkbE
ゆるふわおつむの愛され系大名 小田天庵

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 22:23:06.22 ID:sIuN1FPa
天庵様には台風一過なみの清々しさがあるな

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 22:34:09.07 ID:Ml3ywiVR
後始末する人間の身にもなってみろ的な意味でだな

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 01:05:57.59 ID:zmdLB0WI
人が死んでんねんで!

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 17:30:50.19 ID:ncvSfgl5
死んだ者たちの想いを背負い次こそは勝てるはずとの力強いコメント頂きましたー

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 18:05:57.33 ID:HaeJ4URT
もうやめて!
菅谷さんの息子の残りは0よ!

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 18:16:33.22 ID:khhtk1VM
従兄弟とか居るだろ、大丈夫、大丈夫

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 19:25:37.66 ID:Ot7COYJP
安心、納得の天庵様クオリティ


雑談・天庵様で大河作ったら

2013年02月16日 19:50

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 14:48:57.59 ID:u5vvY0yg
天庵様で大河作ったら問題無さそうだな

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 15:04:48.23 ID:HLCuktbM
あの軍神に挑み、民に愛され、不屈の心を持つ男…
話題性やメッセージ性もバッチリだな!!

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 16:23:24.38 ID:h+9LZ1Yt
>>574
天庵様の場合、最終回はどーしたら良いんだ

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 16:58:50.06 ID:pO46lMSw
頭に浮かんだのが漫画版のデビルマンの最後
理由がまったくわからんけどwwww

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 02:06:01.29 ID:PcH8+oDT
>>577
あの奥州藤原氏を興から亡まで大河で描けるんだから弱小天庵様の些細な興亡程度なら余裕だろう

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 07:14:56.81 ID:xxfBOTXE
奥州藤原氏はドラマチックに滅んだけど、天庵様は・・・

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 08:27:41.85 ID:/YV5FSHG
つか、藤原三代で半年じゃねえか。
その理論だと天庵様の大河は2ヶ月で終わる。

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 10:49:03.17 ID:p0S3xEwM
織田かと思ったら小田だったで苦情殺到だろ

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 11:39:39.38 ID:/O+SNlF+
タイトルはこれでお願いします

「家康が最も恐れた男 小田氏治

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:10:29.97 ID:obKfq3In
天庵様にもその称号かよwwww

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:20:36.26 ID:xxfBOTXE
そういや家康って関東諸大名と通交があるけど、天庵様とはあったのだろうか?

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:21:19.66 ID:eRPrsEYq
>>584
「家康が最も(警戒した豊臣秀吉と戦った北条氏政と敵対していた佐竹義宣が少し)恐れた男 小田氏治

こうか!

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:52:32.12 ID:Ziy3iXx3
天庵さまの娘が結城秀康の側室だっけ?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:00:29.95 ID:Hoeyod+u
YES
でも家康との直接的なつながりってないような気がする

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:18:06.55 ID:XezMpZLU
たしか息子の守治一家も妹の縁で秀康の家臣になってるよね

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:52:46.21 ID:xxfBOTXE
いっそ大河は菅谷一族にしたらどうだろう。ハッピーエンドだし

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:36:57.35 ID:1JiT4w5T
福井藩史事典っての借りてきたんだが、家臣の一覧(幕末頃?)に小田家が見当たらんなぁ。
水戸(江戸)と山川は高家として扱われてるのに。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:56:43.38 ID:m172MTMb
>>613
断絶したとかでなければ、越前松平家が分裂してるから
福井藩じゃなくて、別の藩なんじゃないかな。

結城の紋を継いだ、前橋松平家あたりはありそうだけど。

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:58:08.46 ID:ED2zy0Da
何らかの理由で苗字が変わってる可能性もあるなあ。

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 12:00:20.43 ID:m172MTMb
そういや八田氏に戻したのも居たっけか

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 12:10:37.90 ID:1JiT4w5T
うん八田は100石でいるな。
しかし水戸の米百俵とか山川の二十人扶持とかどんだけ落ちぶれてるんだか。


太刀影光れば氏治の首は前に落ちた

2013年01月03日 19:54

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 13:49:56.89 ID:wIuyxsJR
天正中の初め、小田家は土浦城を佐竹勢に囲まれたうえに、一騎当千と
頼んだ海上武経と行方幸菊丸の討死によって城中の空気は失望一色となった。
そこに佐竹軍が鉄砲を激しく撃ち掛けてきた。

その頃、常陸両国にはいまだ鉄砲がなかったのだが、佐竹はこれを求めて
絶え間なく撃ち掛けてきたので城中の者たちは肝を潰し「これは一体
どうしたことだ。人間の行為とは思えない」と恐れをなした。

既に大手の軍は破れたと知った小田氏治は守治、菅谷、由良、丘見らに
向かって「氏治の運命ここまでなり。自害する。防矢を射させよ」と命じた。
諸臣は「心得候」と涙ながらに敵陣へと馳せ向かっていった。

氏治は広縁に曲録を置かせてその上に座り、法華経六巻、寿量品を心静かに
唱えた。そして結跏趺坐し、近習の櫻井豊之助に目配せすると櫻井は後ろに
廻り、太刀影光れば氏治の首は前に落ちた。豊之助もまた刀を取り直し腹を
一文字に掻き切った。

野中瀬入道鈍斎は氏治自害と聞いて攻め口より来たり、その有様を見て
「それがしは君と同年にして幼少竹馬の昔より付き添い奉った。死ぬ時は共に
と申し上げましたのに先立ちなさるとは、恨みに思いますぞ」と泣きながら
法華経をしばらく唱えて、自身も腹を切って殉死した。

誠に日本は義国なりと白居易が誉めたのもその通りだと思い当たるばかりである。

――『小田天庵記』

小田天庵記では自害したことになっている氏治公であった。
一応「越前で死んだって説もあるよ」と紹介されてはいる。







5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 13:52:43.03 ID:LBHjonDx
一瞬ポカーンとなった
不死鳥だから、死んでも灰から蘇ることくらいあるよね

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 13:55:28.46 ID:XLLsn5J4
そこで自害した事にしておけばそれ以降の黒星も無かったことに・・・ならない気がする

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 14:15:51.82 ID:/5wrQpZm
氏治殿がまた死んでおられるぞー!

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 14:20:23.68 ID:HQEuFh0X
天庵様は大陸に渡って…渡って…


帰って来たんだよ!

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 16:32:28.49 ID:T3iNMd/x
さすが天庵さまだ、首を斬られてもなんともないぜ。

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 18:47:16.28 ID:yPRMNO+J
青森あたりに何故か天庵様の墓があるに違いない

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 19:12:05.85 ID:nynan+pS
ここで死んだことにしといたほうが軍記的にかっこいいからね、仕方ないね

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 19:18:35.89 ID:rZWVXNrF
天庵1「わしが死んでもいずれ第2、第3のわしが現れるだろう」
天庵2「わしが死んでも代わりはいるもの」
天庵3「多分、わしは3人目だと思うから」

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 19:37:42.51 ID:HQEuFh0X
天庵様、またエゲレス商人からその様な怪しげな石の仮面などお買い求めになられて…お戯れが過ぎまするぞ

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 20:04:32.89 ID:XLLsn5J4
守治「どんなありえない負け方をしても元気に帰ってきていた父上が・・・」
菅谷「思い返せば何故ここまで生き延びれたのか不思議だったが・・・」
野中「死んでしまわれるなんて信じられませぬ・・・」
櫻井「小田城を取り返すぞという殿の声がまだ聞こえて来そうで・・・」
天庵「そうだよ小田城まだ取り返してないじゃん!ごめん今の自害なし!」
一同「ギャー!」

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 20:06:57.91 ID:wIZdr5L4
氏治「オール・フィクション!」

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 21:30:22.66 ID:zP9mTyd7
天庵様なら切腹しても生きてるかもしれないなw

17 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/03(木) 22:51:33.33 ID:pGc6Ni5S
氏治「俺は不可能を可能にする男だ」

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 22:53:58.41 ID:Cz5MolTa
日根野さんの記録を超えるのか
[ 続きを読む ]

ネタ・「小田は勝つ」

2012年09月08日 20:31

407 名前:「小田は勝つ」作詞作曲TEN歌AN[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 14:49:43.28 ID:hvtbgZHu
心配ないからね 配下の想いが主君にとどく明日はきっとあるどんなに困難でくじけそうでも信じることをけしてやめないで
carry恩carryout討ち負け討ち取られ戦する切なさに少し疲れてもおー もう一度夢見よう
愛される喜びを知っているのなら
夜空に落城を見つけるたびに願いを託し儂は生きてきた
どんなに困難でくじけそうでも信じることさ必ず最後に小田は勝つ




常陸桂芳院縁起

2012年01月24日 21:59

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 05:16:44.12 ID:r3WO69rk
常陸の和泉という所に、東條兵部少輔重定(あるいは頼重)という武将があった。
彼は元々江戸崎の土岐大膳大夫治英の一族であったが、彼の領地のあたりは全て
東條庄であったので、この地名を苗字としたのだという。

ところで、この東條重定は、小田天庵氏治が未だ小田に在城の頃、双方に
不快のことがあって、いつも争っていた。

ある年、和泉から18~9丁(約2キロメートル)ほど隔たった小坂という場所で
天庵と戦った。
この時江戸崎の土岐治英も兵を出し重定を援けたが、天庵は強力に戦い、
重定はついに敗北して討ち死にした。
これにより東條の家人たちは和泉の城を保つことが出来ず尽く退散。
和泉の城は落城した。

この時、東條重定の母は年老い病に臥せっていたが、土岐治英は彼女を哀れんで
引取り、江戸崎と龍崎の間にある太田という所に小さな庵を作って、そこに隠居させ、
俸米の地を与えこれにて養った。
彼女の死後、その庵を寺として、彼女の院号を以って寺の名とし、桂芳院と称させた。
そして彼女に与えていた俸米の地をそのまま、その寺領とした。

今(江戸時代)に至るも、桂芳院はその寺領をそのまま保っている。
(常陸治乱記)

常陸桂芳院の縁起ですが、珍しく天庵様が大勝しているお話w




837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 05:33:30.23 ID:MJwUdaGo
土岐氏の武徳も地に落ちたものだorz

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 10:09:57.39 ID:Z6vjVqwK
所詮足利の血が濃い者に土岐氏は勝てぬのだ

ということにしておこう

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 11:45:49.48 ID:FEiIr49O
>>836
どうせ戦は菅エモンが…とか勘ぐらず、素直にいい話にいれてやれよ。

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 14:23:19.72 ID:vh/sRUfE
天庵様が勝つ…、だと…

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 15:09:23.73 ID:BBCl8Ghd
天庵様が勝つ=悪いスレ的に悪い話
問題はない

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:02:01.57 ID:OaLnnoKf
東條重定の母のことも気にしてあげてください

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:26:14.50 ID:iOJZHP+1
これで常敗将軍の名は返上だな

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:31:31.15 ID:+5H+T6Ny
完敗将軍でいいな

常に負けるわけではないが負ける時は・・・

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:34:17.85 ID:SLM0l4pE
本拠地がもうちょい北なら
「常北(常に逃げる)将軍」でよかったんだが

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 16:39:03.50 ID:sRo5f9ME
佐竹ばっかり取り上げられるけど名門だし
郷土の誇りとしてチバラギ将軍じゃだめ?

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 21:34:11.70 ID:iOJZHP+1
チバラギ民からしたらてんあん?誰それ?状態だから無理じゃね

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:44:53.70 ID:if+3Xdll
一時将軍

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 22:49:21.19 ID:9E0Hg5p3
あんまり小田天庵様をおだてんな

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 23:13:40.70 ID:izby63zw
審議中

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/24(火) 23:19:25.00 ID:IU6XPqGH
天庵「もう二度と勝てなくなってもいい…ありったけを…」

小田天庵は不死身なり

2011年10月27日 22:03

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:35:53.22 ID:AZtUluXL
小田天庵は不死身なり

【佐竹・小田】常陸下野の戦国大名【宇都宮・小山】スレにあったものを一部編集
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156093325/

「常陸小田氏の盛衰」
・弘治二年(1556)三月 結城氏に海老島の戦で敗れ、小田城落城、氏治土浦に落ちる
・同年 八月 氏治小田城奪還

・永禄七年(1564)一月 上杉、佐竹らに山王堂の戦で敗れ、小田城落城、氏治藤沢・土浦に落ちる
・同年 八月 氏治小田城を奪還
・同年 十一月 佐竹勢に攻められ、小田城落城、氏治土浦へ
・永禄八年(1565)十二月 氏治小田城奪還

・永禄九年(1566)二月 上杉、佐竹勢の攻められ、結城と交渉の上、小田城「開城」
・同年? 時期不明ながら、氏治小田城を奪還

・永禄十二年(1569)十一月、太田三楽、梶原、真壁らに手這山合戦で敗れ、小田城落城、氏治土浦、藤沢に
(こののち小田氏の主力は、土浦、藤沢両城に移る)
・元亀二年(1571)末 氏治小田城を奪還
・元亀三年(1572)末 太田三楽により、小田城最後の落城
(こののち、藤沢城→土浦城→手子生城と順に落されていき、滅亡)





271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:43:41.65 ID:AZtUluXL
勇気と交渉の上、小田城「開城」
勇気→結城でorz

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:51:46.08 ID:AZtUluXL
小田城より先に土浦が落とされてたら
天庵様どうしてたんだろう?

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:57:02.65 ID:pLMLjsD3
>>271
退くのもまた勇気、みたいな意味かなと普通に読んでたw

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 20:34:58.66 ID:aYYvmuZ5
>>272
「殿様ごど餓いさしちゃなんねど!」な領民が面倒見るから平気

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 21:45:57.31 ID:lwcGuOFM
天庵様、二十年近く取ったり取られたりしてたんだな
負けても負けても取り返す、小田の(リカバリー)力は天下一イイイイイ!

土浦落城

2011年07月12日 23:20

983 名前:1/2[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:12:27.13 ID:QvufKzfG
天正2年(1574)1月、小田氏治らが籠る土浦城に、車丹波守忠次、梶原景国、北條治高ら佐竹勢にとる攻撃が始まる。
土浦城南ノ手を任されていた江戸崎監物の寝返りにより多くの兵が逃亡、さらに有力武将である海上主馬五郎武経が
討ち死にするなど、小田方は一気に劣勢となる。

2月27日、西ノ木戸を守る菅谷正光は、氏治の嫡男・彦太郎守治、そして沼尻又五郎とともにわずか200騎ほどで
佐竹勢1500の中に斬り込み大いに打ち崩したが、佐竹はこの頃まだ常総には広まっていなかった鉄砲で攻撃、
雨の降るように撃ち出し、小田軍の端武者の中には「これは人間のなす事では無い!天魔の仕業だ!」と驚き
逃げ落ちるものも多くあった。

帰城した菅谷正光、小田守治、沼尻又五郎は氏治の御前に出、こう申し上げた。

「今や味方の兵は多くが討ち死にし、あるいは負傷しました。もはやこの城を保つことは、大変困難です。
これは氏治様の運の尽きというものなのでしょう。その御名を辱めぬ為にも、ここで御自害あるべきです。」

と、ここに現れたのが、同じく敵を追い払い帰城した野中瀬鈍斉沼尻播摩守である。
野中瀬は怒鳴る

「これは口惜しき次第である!小田殿がこんな所で、闇々と自害していいはずがない!
幸いにも私は氏治様と同年であり、佐竹勢に顔を知られていません。
ここは私が殿に入れ替わって自害し、敵を欺きましょう!」

沼尻播摩守はこれを聞いて感じ入り

「よくぞ申した野中瀬殿!それがしは御嫡男守治と名乗り討ち死にしましょう!さあ、殿と守治様は
早々にお逃げください!良将たる者は千騎が一騎となっても生き延びて、会稽の恥を雪ぐのを本意とするものです。
私には息子の又五郎がありますので、心やすく御先途を見届けることが出来ます!」

と、早くも守治の具足を脱がせようとし、また野中瀬も装束を氏治のものと取り替えようとした。
しかし小田親子は二人とも涙を流し

「お前たちの死なせてまで、自分の命が助かったところでどうするというのか!お前たちと死を共にする!」

そう言って承知しようとしない。これに野中瀬、沼尻は大いに腹を立て

「さても言い甲斐のない事でしょうか!我ら両人の忠死を意味のないことにする事こそ、恨みに思います!
我々の願いが叶わないのなら、我ら二人はここで刺し違えて死にましょう!
それを犬死とお考えに成るのなら、ここはどうか、聞き分けてください。
伝え聞くところによれば平知宗は対馬に落ちて平家の残党狩りの難を避け、源義経は奥州衣川の館において
自害したと見せかけ、蝦夷に退いたそうです。古今の名将にも例のあることで、決して恥ではありません!」

984 名前:2/2[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:12:51.28 ID:QvufKzfG
この説得に、氏治親子ももはや詮方なく、、彼ら両人の方策に任せた。
ところが今度は、沼尻播摩守の嫡男、又五郎がこう抗議した

「私には父上の最期を見捨てることなど出来ません!共に討ち死にいたします!」

沼尻播摩守は目を怒らせて叱りつける

「ああ、お前は日本一の不覚者だ!死ぬのも忠なら脱出するのも忠義だ!
私が死ぬのはな、お前が世間に通用する男に成長したと見込んだためだ。
後の守りも安心出来る故に、ここで討ち死にし敵を欺くことが出来るのだ。
もし私の言葉に背くのなら、お前は永遠に勘当する!」

又五郎は地に伏せ、むせび泣きながら父に詫び、氏治親子を守りと共に城を落ちることを約束した。

枯れ草を集め城に火をかける。
そして氏治、守治はそれぞれに分かれて城より落ちる。
沼尻播摩守はそれを助けるため自分を守治と名乗り、菅谷左ヱ門尉正光らと共に城より討って出る。
野中瀬鈍斉は櫓より大音声で

「ここにあるは清和天皇十二代六条判官為義が三男新宮十郎蔵人行家の子息八田武者所右衛門尉朝家には
八十五代小田讃岐守氏治入道天庵である!
武運尽きて今自害いたす!人手に掛かり犬死して、後世人の嘲りを受けてはならない!
我が首をとって高名をいたせ!」

と火に包まれた城内で十文字に腹を斬って果てた。沼尻播摩守もまた、散々に暴れまわり佐竹勢の多くを倒し、
やがて猛火の中に入り自害した。
佐竹陣に切り込んだ菅谷左ヱ門尉正光、由良信濃守成繁、岡見中務少輔宗治、沼尻又五郎家忠、片岡、中野、中村、小野、小造、星宮、
雨宮、天野、吉原、木村、石堂等の十六騎は、その生死すら知れず、という。

首実検の際、双方共に姿年齢が近しく、また首も焼けていたため、佐竹はこれを氏治親子の首と信じた。
これにより氏治親子は無事、片岡治部左ヱ門の中館城に落ち行きた。

土浦落城についての逸話である。




985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:20:05.98 ID:vG2Q8YKd
由良成繁……?

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:22:44.69 ID:NgizOAj5
>>983
>良将たる者は千騎が一騎となっても生き延びて、会稽の恥を雪ぐのを本意とするものです。

天庵様はまさに良将中の良将

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:56:08.04 ID:aJ0i/sNY
早く逃げてくれよw

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 21:32:39.40 ID:g3vN+9b/
由良成繁のお化けでも出たのか?

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 21:46:14.75 ID:80pQY3oH
同姓同名だよきっと

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 23:59:39.04 ID:RBSalYw0
>>983-984
これだけ地の利、人の和があって
天の時もそんなにないわけじゃないのに
負けを重ねた天庵様の才能が怖い

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 00:21:33.67 ID:wQxFR99D
菅谷正光「気付いたら城に残る方になってた件」

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 02:23:12.49 ID:LrlZpw0b
天庵様はもう天命としか

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 02:28:49.77 ID:UmlrcuFz
ここで俺も死ぬ!と言えるのが天庵様のいいところ

996 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/13(水) 09:05:15.87 ID:YQAP3Kcg
この種の名分論を振り回して説得する逸話は思い切り漢学の影響だな。

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 12:30:17.68 ID:E5dMtRSY
三河武士の場合、言い争いで脱出できなそうだな

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 13:30:00.86 ID:0UsNduM9
まぁ、三河武士の場合、いざとなったら、まどろっこしい説得なんかせずに強引に殿サンのケツを蹴り上げて逃がすだろうから、少なくとも大将は生き残るよね。
あとは誰が代わりに死ぬかだけどw

999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 13:37:30.06 ID:euMxNlHc
天庵様は家臣にも民にも慕われる名君なのに軍略を誰かに任せる分別があればなあ
なんで戦場ではひたすら匹夫の勇なんだ

信田喜八のたたり

2011年06月16日 00:06

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 18:15:20.74 ID:LL4RQ3MR
永禄7年(1564)の小田占領後、城将となったのは佐竹義斯であった。
小田の領民が小田の殿様を信奉していたことは佐竹でもよく知られていたらしい。
小田のことを知るある者が「一年以内に取り返されないよう注意することだ」と言うので
義斯は「首を鴉につつき砕かれることはあっても城は取り返されない」と答えた。

しかし翌年、義斯は城を奪われてしまった。これを見た人は
「小田の鴉はなんと大きいのだ。人をつつき出してしまうとは」と笑った。

この時、城を急襲して取り戻したのが小田の家臣である信太氏であった。
彼は佐竹に降伏してからは無二の忠臣をよそおい、反撃の機会をうかがっていたのだ。
しかし、これは極秘のうちに行われたらしく、彼の妻子ですら知らぬことであった。

息子の喜八などはまさか父の謀叛などと思いもよらず、義斯のもとに駆けつけたために
捕らえられてしまった。そして義斯は虫の居所が悪かったのか喜八を虐殺したのである。

こうした経緯もあって喜八は怨霊となり「城を守ろうと駆けつけたのになぶり殺しにされた」
と佐竹北家にたたりをなした。また、その母もたたりをなしたのだという。




674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 20:28:30.65 ID:lTHquxx4
小田民は洒落がわかるなw

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 22:13:54.74 ID:M+Y8Y9Vp
喜八が悪いわけじゃないがそりゃ殺されても仕方がないような

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 22:59:04.63 ID:/YBYFMLQ
>>675
謀略の一貫と疑われても仕方ない一方で
親兄弟で奉公先が違うというのも珍しい話でも無いしなあ。

「てんあんさま」と「てんなんさん」

2011年05月15日 00:04

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/14(土) 12:52:04.41 ID:Xw8aoi88
どっちに書き込んでいいかわからなかったんでコチラに。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5179.html
の企画展に行ってきました
ロビーに天庵さんの肖像画のパズルが置いてあったので、完成させて受付に持って行ったら
肖像画のポストカードをもらったのですが、その時に学芸員さんと話をしたところ
土浦では小田氏治さんは「てんなんさん」と呼ばれているらしいのです
(自分が「てんあんさま」と言ったら学芸員さんに「てんなんさん」なんですよー、と言われた)

ちょっと新事実かなーと思ったのでカキコさせていただきました



631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 08:59:40.89 ID:kSgp9Mlq
>>627
て・・・てんねんさん?

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 10:11:12.41 ID:mI4URhjt
うーむ、オレの中ではすっかり小田天然さんになってしまった

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 14:30:47.97 ID:wLQO66vA
天難さん……。

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 14:53:48.81 ID:vAGggpRG
てんにゃんにゃん

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 17:56:35.26 ID:O6fD5bGZ
難点さん。。。

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 17:58:17.46 ID:lFMq/7WQ
誰一人ポジティブな方向に改変しないあたりさすが天庵様といったところか

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 20:46:39.91 ID:N6eM/+nA
>>636
天楠さん、つまり大楠公を上回る英雄のことであるよ…

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:21:27.11 ID:m7f+I3eh
あぁん?小田城ひとつ守り切れいのに籠城のプロ以上の器だって?

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:34:31.55 ID:hn1psn31
人望とか

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:34:52.81 ID:I8bHC0Ro
命を守るのはプロ

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:36:25.12 ID:t9HNTIkM
七生報国と言って自殺した人はプロじゃないって?


643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 23:20:19.45 ID:8y13wA7k
そんなにおだてんなんよう

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 00:08:45.16 ID:CES5O28m
山田くん、座布団持っていって!

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 20:11:37.66 ID:+kbhffK8
鹿「我に天難辛苦を与えたまえ」

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 20:15:56.58 ID:tK+5Qme5
いや、あんた含めて尼子十勇士じたいダジャレばっかしだし
(山中鹿之助、秋宅庵之助、横道兵庫之助、寺元生死之助、皐月早苗之助、
早川鮎之助、大谷古猪之助、高橋渡之助、藪中茨之助、荒波碇之助
尤道理助、植田稲葉助、川岸柳之介、井筒女之介、阿波鳴戸之介、破骨障子之介)

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 20:21:03.75 ID:+kbhffK8
>秋宅庵之助
>横道兵庫之助
>尤道理助
このへん、何となく笑いどころが分からぬ……。

『田土部合戦~小田さんの勝ち戦~』

2011年05月10日 00:00

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:55:07.07 ID:FR4+IJt/
はじめまして。ここのスレのアイドル小田さんの本をみつけたので、その中からまだ未出であろう逸話を
紹介させていただきます。
出典は小丸俊雄『小田氏十五代―豪族四百年の興亡―(上)(下)』(1979,ふるさと文庫)ですが、
今回の逸話について本の中でも一次資料が記されていない上に、逸話の内容が内容なので恐らく
信憑性は薄いと思われます。
まあ、民間の伝説の一つだと思って、かるーい気持ちで読んで下さい。
それでは本編をどうぞ。タイトルは『田土部合戦~小田さんの勝ち戦~』。

天正元年四月十一日。手這坂でボコボコにされ、砦台でもボコボコにされ、藤沢の城に落ちのびていた小田氏治
それを今度こそ攻め滅ぼさんと、梶原美濃守景国、北条出雲守治高、真壁入道道夢といった
いつもの対小田メンバーがおよそ一千騎を従え藤沢へと出発しました。
これに対し小田勢は菅谷、由良、行方刑部少輔などが一千騎を率いて迎え撃つ構えを見せました。
もちろん、この存亡を賭けた戦に、当主の小田氏治さんも自ら兵を率いて出陣します。

梶原勢と小田勢は田土部川で遭遇。川を挟んで対峙することになりました。しかし、総大将は我らが小田さんです。
「対峙などしていられない、すぐに出撃だ!」
敵の目の前で渡河を始めました。現在の茨城県に田土部川という川は無いので、後世に残らないぐらい
小さな川だったのかもしれませんが、それでも渡河は渡河です。梶原勢もチャンスとばかりに矢を射かけます。
しかし、あろうことか小田勢は対岸へ辿り着き梶原勢へ突入。鬼神の如き強さで敵を押しまくり、
北条出雲守治高の息子、犬五郎を討ち取り梶原勢を小田城まで押し返すという大勝利を収めました。
(続く)

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:59:39.63 ID:FR4+IJt/
これでめでたしめでたし、と終わらないのが小田氏クオリティ。
この敗戦において、梶原勢の石島駿河という人がただ一騎になって撤退していました。それを小田勢の
伊渡賀正兵衛の子、伊渡賀甚助と、大塚道雲の子、大塚虎之助の二人が見つけます。
「いくぞ、虎之助! マグネットパワー・プラス!」
「任せろ甚助! マグネットパワー・マイナス!」
「「クロスボンバー!」」
甚助と虎之助は石島駿河を挟み撃ちにして槍で突きました。ところが運が良かったのか、穂先は
草摺の合わせ目に当たり、石島駿河はほとんど無傷でそのまま逃げていきました。

さてその後、手柄を逃した甚助と虎之助は呑気なもので、自陣でこのことを色んな人に話していました。
「いやぁ、鍋の中の鳥を打ちもらしちゃったよ」
「ほんとほんと。運が悪かったぜ」
これを聞いたのが彼らの親です。自分の子供が手柄を立てられず、中途半端に傷を負わせて敵を逃がしたのが
恥ずかしかったのでしょうか。すぐに手紙を書くと使いを出して石島駿河に送りました。
届いた手紙には次のようなことが書かれていたといいます。
「今回はウチのバカ息子たちの若気の至りであなたを討ちもらしてしまいました。お怪我は大丈夫ですか?」
(原文:こなたの倅共、若気故に貴殿を討ちもらし候。手疵は如何に候や)

これを読んだ石島駿河も、律義に手紙を返しました。
「わざわざお手紙ありがとうございます。お宅の息子さんたちがへっぴり腰だったおかげで助かりました。
まあ、大した怪我ではありません。次の戦場で機会があったら、また槍を合わせましょう」
(原文:御使かたじけなし。御子息たち腰がぬけ、この石島駿河助かり候。手疵なるほど軽く候。お気遣いあるまじく候。
重ねて一戦の節、返礼申さん)

息子の尻拭いを親がするのと、勝ち戦でもどこか抜けてる小田勢のしまりの悪い話。




106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:06:05.01 ID:KESICShn
小田勢て、ガチ殴りあいになると強いよね。
大将の戦略戦術があれだから局地戦で挽回するしかなかったのか。

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:16:38.63 ID:4DirppR1
関東の中小の領主さまのところは、なんだかんだいっても
小競り合いには強いと思う。那須さんのところとか

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:40:03.60 ID:USX/iMwo
確かに那須は追い込まれてからが強いよねw

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:55:26.78 ID:1m0vamNm
那須が意味不明なのは家中不一致の極みなのに合戦になると団結するとこ
義重からしたらなんで調略できないのかわからんかったろうな

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 12:26:57.00 ID:nINtvDaI
家中の連中も嫌いだけど
他家の連中はもっと嫌いとかなのかね

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 13:53:29.77 ID:veRne1dA
>家中不一致なのに合戦になると団結するとこ

初期の徳川(松平)でも同じことやってるので、
1国以下の大名系は大体そう。

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 19:00:46.64 ID:XB4kshqF
那須は守ると強いが頭数が慢性的に不足してるので城攻めは割と失敗する

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 21:35:29.50 ID:QF8TEyaG
内輪で仲良く(?)ケンカしてるのに邪魔すんなって感じなのかなw


169 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/14(土) 17:16:49.94 ID:LJ4sQyC0
>>100

>出典は小丸俊雄『小田氏十五代―豪族四百年の興亡―(上)(下)』(1979,ふるさと文庫)ですが、
今回の逸話について本の中でも一次資料が記されていない上に、逸話の内容が内容なので恐らく
信憑性は薄いと思われます。


出典は『東国戦記実録』とか『小田天庵記』あたりだね。これらの軍記だと小田氏治
腹を十文字にかっさばいて潔く自害するし、『東国戦記実録』では片野三楽・梶原美濃守親子が


「太田重郎弓押取、暫ク覗ヒテ兵ト射ル。其矢誤タス梶原美濃守ガ首筋ヲ射切タリ。
三楽ハ古沢弾正ニ討レケレバ、残ル者ドモ地ニ臥テ降参セリ」


って感じで佐竹や多賀谷に攻められて殺されたりするから史実の勉強に最適だと思うよ。

雑談・各所で天庵様が

2011年02月26日 00:00

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 20:07:35.89 ID:P/RN/4Vy
てか某スレで某政治家を天庵様に譬えた奴でてこいw
見てたらいきなり名前出てきてコーヒー吹くかと思ったわw

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 20:21:44.70 ID:Wo819EIS
天庵様にぴったり合うのは、やる大矢だと思うんだ。
というかあのAAもぴったり合うと思うw

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:21:38.30 ID:MDGu0TqT
>>949-950
そう言えば天庵様がついにゲームに登場。
http://www.unicorn-a.com/products/gesen18/sengoku3/char/oda2_uziharu.html

天庵様のことは想像以上に世間にも広まっているのか?w


953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:31:59.50 ID:+wCwcXkb
よりによってこのゲームかよw

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:34:57.65 ID:GNZCv7sX
信長の野望には昔から普通に出て来るけどな
ってよりによってクソゲーで有名なエロゲーシリーズかよw

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:36:04.06 ID:/eEadD8y
こういう下積みを積めばやがてはもっと輝かしい舞台に上がる日が来る・・・

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 22:43:49.65 ID:UiH4Rqsk
『天賦の敗将』ワロタ

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 23:06:33.63 ID:GYK8Jyxy
鬼武蔵が出る日も近いw

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 23:31:29.72 ID:jPs8y5ZV
>>952
なんか戦国ランスと天下統一と信長の野望の蒼天録を混ぜたようなゲームだな
てか大友宗麟が過大評価されてる気がするw

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/24(木) 23:33:02.04 ID:TtpJm1WM
>>957
太閤Vの鬼武蔵の武力に納得がいかない

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 03:45:21.65 ID:zVnSmgEM
自分より弱い相手にいかに暴虐に振舞えるかなんてパラメーター無いものw

984 名前:人間七七四年[[sage]] 投稿日:2011/02/25(金) 23:03:40.09 ID:4IYz9iLD
>>952
なんで北条や徳川より先に小田が出てるんだよw
絶対ココ読んでるやつが作ったろ

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:09:25.68 ID:UOGjODTL
四天王が、「東の四天王 長可」等として出てくるゲームがあったら、どうしよう・・・

軍師孝高(or直茂)「君は本当にバカだな・・・」
君主長政(or勝茂)「・・・(ちくしょう、いつか殺してやる・・・)」

なんてのは、もっと嫌だが

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:28:08.15 ID:UXi8VYEa
>>984
一番最初に公開するインパクトがあって、尚且つ後にとって置く弾は大物を用意したいっていう、
なんかそういう判断だろう

984 名前:人間七七四年[[sage]] 投稿日:2011/02/25(金) 23:03:40.09 ID:4IYz9iLD
>>952
なんで北条や徳川より先に小田が出てるんだよw
絶対ココ読んでるやつが作ったろ

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:09:25.68 ID:UOGjODTL
四天王が、「東の四天王 長可」等として出てくるゲームがあったら、どうしよう・・・

軍師孝高(or直茂)「君は本当にバカだな・・・」
君主長政(or勝茂)「・・・(ちくしょう、いつか殺してやる・・・)」

なんてのは、もっと嫌だが

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/25(金) 23:28:08.15 ID:UXi8VYEa
>>984
一番最初に公開するインパクトがあって、尚且つ後にとって置く弾は大物を用意したいっていう、
なんかそういう判断だろう

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/26(土) 03:20:52.37 ID:gjjFlY8y
21世紀の御世にも光り輝く天庵さまのカリスマとはことほどさように神々しいものだ >952

天庵様・軍神様に振り回される人々

2010年11月17日 00:00

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/16(火) 00:50:16 ID:TRCFI7RL

常陸国に勢力を伸ばす小田天庵氏治。
そのあまりの強大さに悩まされた周辺諸豪は、佐竹・結城・宇都宮を中心に同盟を
組んで小田家に対抗する。
しかし、それでもどうにか五分に持ち込めた程度。小田天庵の勢いを押し返すまで
には至らなかった。

困り果てた反小田連合は、ちょうどその時上州に来ていた上杉輝虎に着目する。
「お前達も俺の幕下に入れ」
そういう通告が来ていたのに対し、
「小田天庵を締めてくれたら、喜んで馳せ参じますよ」
と返答したのだ。

その返事を聞いた輝虎、
「ん、わかった。じゃあ早速行くわ」
と、越後から率いてきた八千の兵のみを連れて、進軍を開始。
真壁道夢が送った使者が復命した時には、既に下野国氏家原にまで輝虎の先鋒が到
着していたと言うから、恐るべきフットワークである。

この進軍速度に天庵は仰天。しかし、天庵以上に仰天したのが連合軍の諸氏である。
「俺等、全然準備出来てないよっ!?」
「天庵相手に八千の越後勢だけで戦うのか!?」


まぁ、戦自体は、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4003.html
こんな感じでいつもの天庵クオリティなので、安心して見ていられる。

ついでに言うと、命からがら逃げ出した負け戦のくせに、天庵様ってば逃走途中で
「馬が疲れてて可哀想……」
と言って川辺で馬を休ませ、たらふく水を飲ませたりしている。
当然発見されて弓矢鉄砲を雨霰と撃ち込まれて九死に一生を得る訳だが。


この「山王堂合戦」の結果に驚愕したのは小田家だけではない。反小田連合の諸勢
力もである。
上杉軍のスピードに付いて行けなかったのもあるが、自分達が力を合わせても勝て
なかった相手に独力で挑む、と聞いて少々の反発もあった。
「お手並み拝見」
とばかりに高見の見物をしていたのだ。

予想外の結果に慌てて兵を出し、小田城を取り巻く。
大敗に合わせて連合軍+軍神に囲まれた小田城。
天庵は信太鴨之助の進言に従って、藤沢城へと退却。天庵の身代わりとして鴨之助
が切腹、小田城は陥落した。

が、勿論輝虎が上州に帰った翌日、天庵はあっさりと小田城に復帰。
結局連合軍は、鴨之助が城主を務めていた坂戸城を、城主不在となった隙に宇都宮
勢が乗っ取っただけの結果に終わった。


スカッと大敗した割には被害が少なかった小田軍。(いや、人的被害は多大だろう
が)「軍神鳴動して坂戸一城」と言った所か。

『常陽四戦記』から、軍神様・天庵様というマイペースな連中に振り回される周辺
諸勢力のお話。
……冒頭の一節への突っ込み、お待ちしております。だってそう書いてあるんだも
ん。仕方ねぇじゃんwww




633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/16(火) 23:41:43 ID:DvvhC7eM
>>628
小田さんちはいろんな軍着物的逸話があって面白い
実は本当は名将だったのかもしれないし

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 05:14:15 ID:VzGxn/FS
リカバリーできる程度にいくらでも負け続けることができる能力というと天才のように思えるふしぎ