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大身の方に嫁がせて物入りになれば

2018年04月28日 17:39

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/28(土) 00:23:20.19 ID:zEPPlm+W
大身の方に嫁がせて物入りになれば


明暦2年、土佐藩主・山内忠義は末娘の重姫を
豊後国森藩1万2500石の領主、久留島通清に嫁がせた。

忠義公が縁組を公にする前、備前の新太郎様(池田光政)がそれを聞き付けて*
「今度御息女を久留島信濃守(通清)に御縁組なされると聞いたのですが
 信濃守は小身者ですので不相応に存じます」
と仰せられたので、忠義公は
「仰せのごとく信濃守は小身者です。貴方様は御大身なので左様には
 思われないかもしれませんが、私は小身ですから大身の方に嫁がせて
 物入りになれば、たくさんの家来を養うことが出来なくなるでしょう。
 それが小身の信濃守に嫁がせる理由です」
とお答えになられたという。


――『南路志』

* 光政の姉妹は忠義の嫡男の正室で、山内家と池田家は姻戚関係にあった



821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/28(土) 11:25:17.99 ID:sp5yV1iF
>>819
久留島ってたぶん来島の事だろうなあ
大名として残ってたとは知らなんだ

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/28(土) 11:33:17.17 ID:RgCKd3Qt
>>821
元海賊だからと警戒させられて海のない陸にあげられたんじゃなかったかな

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/28(土) 12:44:37.19 ID:VZTsxhdo
大身同士の縁組みだと金かかって家が大変だから、それを思いやってといういい話ではないだろうか。

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/29(日) 01:57:36.82 ID:3ZBtswZj
>>819
久留島家って末裔が童話作家とかボーイスカウトに尽力してんのね
直系は18代当主が普通に活動してるし

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/04/30(月) 09:22:39.21 ID:kOb2HE+7
大名として残ったおかげでそういう活動できるのかも
能島や因島の村上氏は毛利の家臣に組み込まれて地味になってしまった
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我が孫六をまいるぞ!

2015年03月21日 16:27

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 20:40:33.15 ID:VayAq84e
土佐の山内忠義は剛気英邁の人であったが、彼には秘蔵の刀で、常に身から離さず帯びていた名刀があった。
関の孫六兼元の作で、二尺三寸五分。仮名で「かねもと」と銘がある。
非常な大業物で、これで度々家来を手打ちにした。役人などが前に出てなにか気に入らないことを言うと
ハタと睨んで「身が孫六をまいるぞ!」と大声で叱りつける。この剣幕に恐れて、皆唯々諾々として
平伏した。もしこの一言を聞いてなお、反抗しようものなら、抜き打ちに殺されるのである。

ある時、高知城より一里ばかりある荒倉山で、猪狩りが催された。
忠義自ら出馬し、大勢の勢子を配置して、猪を追い出す大網を貼り、一番、二番、三番と勢子を立て、
打ち手は鉄砲を持って要所に控えていた。
忠義も手づから鉄砲を持ち猪を待ち伏せた。

ただし、猪が手負いに成ってかかってくる場合、万一殿様に過失があってはならぬので、忠義が
待ち伏せている背後には、家老たちによって老練の猟師が隠し置かれ、
「危急の場合には撃ち留めよ。必ず殿にお怪我のないようにせよ。」と密かに申し付けてあった。

そうしているうちに狩りが始まり、やがて一匹の大猪が手負いと成って荒れに荒れ、忠義の居る方に
飛ぶように駆けてきた。
元より剛毅な人であったから、忠義は大猪を近くまで引き寄せて撃ち留めようと鉄砲の照準を定めた。
その間に猪が間近くまで来た。その時、傍の藪陰より一発の銃声が鳴ったかと思うと、
その猪は撃ち倒された。

これに忠義は激怒した。「何者が我が当の敵を横合いより撃ったのか!?」
すると、一人の年老いた猟師が這い出てきて頭を地につけ平伏した。これを見ると

「おのれ憎き奴!我が孫六をまいるぞ!」と怒鳴って刀の柄に手をかけた。
が、その老人は、「忝く思います。頂戴いたします。」と両手を出した。
その言葉通り、与えられるのだと思ってしまったのである。

忠義もこの意外な体に少し拍子抜けして刀を抜けず戸惑っていた、
そこに、家老たちが慌てて駆けつけ、「この者は我々より予て申し付け置いたもので、万一危急の場合には
殿に変わって撃ち留めよと申し付けました次第です。」と、詳しく申し上げると、
忠義これを聞いて

「その方らの申し付けとあっては、この者の落ち度ではない。
ただし『孫六をまいるぞ』ともうした時、両手を出したのは妙なやつだ。
さりとて、この秘蔵の刀を遣わすことは相成らぬ。差し替えの刀をあやつに遣わせ。」

そう、その場で別の刀が拝領された。しかしこれは不調法のご褒美というものであろう。

(刀剣談)



581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 20:42:19.86 ID:ExqvmYzk
良い話だ

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 01:30:52.16 ID:UV/uEQOC
良い話かあ?

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 10:07:24.53 ID:ceRcJez6
高虎さんが両手を出しております

一国兼光

2015年03月15日 16:26

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/15(日) 00:30:12.10 ID:fqXGeGvU
一国兼光

紀州の徳川頼宣が、土佐国山内土佐守(忠義)の愛蔵している兼光が、世に名高い大業物であると
云うのを聞き伝えて、ある時藤堂高虎に対し頼んだ。
「土佐守の兼光を所望してもらえないだろうか」


高虎は承知し、早速山内忠義を訪ねて、紀伊大納言所望の件を話した。
すると忠義は、元来非常に気性の激しい人でもあったので、大いに反発した

「以ての外のことです!あれは我ら秘蔵第一の刀、進上などは思いもよらぬ!」

そのけんもほろろの態度に高虎も少し腹を立て言い返した

「左様に仰せられても、もし将軍家より御所望と有れば差し上げぬはずはないではないか。」

ところが忠義
「例え将軍の命であっても、あの兼光は差し上げ申さぬ!土佐一国に変えても嫌でござる!」

そう言い切った。これには高虎も呆れ返って二の句も付けず辞して帰った。

ところが、この話が評判となり、土州公の「一国兼光」と呼ばれ、一層名高いものに成ったという。
忠義が国に変えてもと言っただけはあって、この兼光は無双の上作であるそうだ。

(古今名家珍談奇談逸話集)



733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/15(日) 04:13:35.51 ID:5ay60gPF
なぜ刀剣話には高虎がよくでてくるんだろう?

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/15(日) 10:03:04.03 ID:+1AuPQV/
>>733
想像してみろよ。全身切り傷だらけで指が何本か無い身長190cmの大男が
「おう、山内の。紀伊とこの若がお前ぇの持っとる兼光欲しい言うてのお。
何とかならんかのう。」なんて言って来たらどうする?

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/15(日) 16:52:32.53 ID:e+wSdY8Z
ちびりながら差し出す

『高知』命名の事

2013年02月21日 20:04

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 16:55:37.96 ID:ZKD2zQw0
山内対馬守一豊は、慶長5年(1600)の冬、土佐国を拝領して入部のため大阪を船出し紀州由良にて越年され、
翌年正月2日、土佐国甲浦へ着岸し、そこから陸路を経て同8日に浦戸の城に入られたが、どのよう深いお考えが
有ったのだろうか、大高山の古城を改修してこちらに移ると宣言され、同年の秋より普請が始まり、慶長8年の秋に
成就して、浦戸よりお移りなされた。

雪蹊寺の月峰和尚は、この大高坂の名を改め、河中山(こうちやま)と号された。これはこの地が、東西南北皆大河で
あったためであるが、四方に堤防をなし、淵を埋め地をならして、平らかで広々とした城地となった。
民家は軒を連ね、昔この地にあった、かこが淵、太郎が淵、鱸砦といった場所は一体どの辺だったのか、
今は知る人もいないのである。

ここは浦戸から2里の入海であり、船の往来は自由で、元より山林にも海岸にも近く、魚鳥菜果は充満し、竹木・米穀
豊穣にて、上下万歳を唱えけり。

これより以前、長宗我部の家臣、吉田備中入道周孝(孝頼:長宗我部国親・元親の重臣。一領具足の考案者とも)は
井口の城主であったが、この大高坂山の南の麓に居を構え、老後の隠居所として常にここに住居していた。
その頃周孝が嫡子の次郎左衛門に常に
「この山は必ず国主の居城となり、一国の首府として繁栄するだろう。」
と言っており、果たして元親も一度岡豊からこの地に移り、しかし一両年して浦戸に移ったのだが、
今また一豊が居城とされ、国府となったのは不思議なことである。

そのようにしてこの地は民家繁盛していったが、一つの難儀が有った。それは度々洪水が出て四方の堤を崩し、
城下の町が浸水したのである。貴賎これを悲しみ、二代藩主の山内忠義
「これは”河中”という地名によるものである。」として、五台山竹林寺の住持空鏡上人に仰せられ、
河中山の文字を改め、『高智山』と号した。

『高智』とは大聖文殊の浄土を申す言葉だそうである。この城地を、何故浄土に比したかといえば、
この城から一里ばかり東に山があり、ここに五台山金色院竹林寺と号す。
これはかの天平の昔、聖武天皇が夢に大唐の五台山を参拝し、これにより行基上人に命じて
唐の五台山を模して建立したのが、この寺なのである。
後には弘法大師もしばらくここに滞在され、中興された。
このような由来により、四国巡礼の礼所となり、六十六部の納経所として、道俗歩みを運ぶ場所となった。

であれば、この城地も文殊擁護の地であると称して、『高智』と名付けたのである。

このおかげであろうか、以後国富み民豊かにして、山内の家運長久にして子孫繁栄翳りなく、
松平の御姓を賜り、万歳の録絶えず、千秋の色とこしえにして、尽きせぬ国となったのである。
(土佐物語)

以上、『高知』の地名が生まれるまでの経緯である。




484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 18:50:18.84 ID:rDSnYhpH
>>483
なんというか、自分の祖先(吉田)をこれでもかって感じでプッシュしまくってるね。

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/21(木) 22:15:50.07 ID:Dja3HCi9
>>483
日が消えたから没落しちゃったんだな


ちょっと酷いんじゃないか毛利勝永!

2011年03月07日 00:00

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/06(日) 01:54:00.12 ID:7XA1TTOr
有名な話ですが多分未だ出てないので

慶長19年(1614)、大阪冬の陣が起こる。
土佐山内家当主・山内対馬守忠義も、当然これに参陣するため大阪へと向かった。

さてこの頃、毛利豊前守勝永は関ヶ原による改易の後、同じく土佐の、前藩主一豊の弟、山内修理亮康豊の元に
お預けとなっていた。ちなみに土佐でのお預けの最中、一子勝家まで生まれている。

まあそんな中大阪冬の陣の勃発と忠義の出陣を知った勝永は大いに焦った。
そして留守居をしている康豊の元に赴き、一つの書類を見せた

「これをご覧になってください」

「ん?一体…  なっ!? …こ、これは!!」

なんとそれは藩主山内忠義毛利勝永に渡した、衆道の契を交わした誓紙であった!ちゃんと忠義の判まで
押してある!

「僕達、そう言う関係だったのです!」

「い、いつの間に!?」

康豊は驚愕した。言ってみれば『あなたの息子の忠義くんと僕、実は結婚してるんです!これ結婚証明書!』
と、突然告白されたようなものである。いや、時代的にもっと重い意味があるかもしれない。

ともかくそんな衝撃の告白をした上で、勝永は未だ混乱している康豊に言う

「僕とそう言う関係である対馬守(忠義)くんが大阪に出陣したそうです!ならば僕は戦場において愛する対馬守くんを
助けなければならない!
そういうわけで大阪に行きますがとにかくそう言う関係なので見逃して下さいうちのクソ息子人質に
置いていきますから!!」

突然の衝撃に頭がぼーっとしている間にこうまくし立てられ、老練の武将である康豊も思わず、

「わ、わかった。他の場合ならともかく二人がそう言う関係ならしょうがない。大阪に行って対馬守を助けてくれ」

と、なんだか両親は絶対反対してるけどもう妊娠してるんだから結婚認めてくれるよう親を説得してくださいと
言い出された親戚みたいな気分で許可を出してしまった。
何というか、いつの時代も愛は理屈を吹っ飛ばすのですね。

そこで勝永は大喜びで船に乗り、出港直前『見送り』という名目で港まで来ていた息子をひっつかんで
親子一緒に出港、そして先の「愛する対馬守を~」の言葉はどこへやら、豊臣秀頼の招きに応じ堂々と
大阪城に入城したそうである。

しかしこの脱出劇でその愛をまんまと利用された山内忠義の心はいかばかりだったのか?
もしかしたら夏の陣の時暴風雨を理由に土佐に引きこもったのは、この時の心の傷が原因だったんじゃないか?
ちょっと酷いんじゃないか毛利勝永
なんてことをふと思ってしまう、大坂の陣毛利勝永、土佐脱出の一席。




132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/06(日) 02:37:44.10 ID:7fqbhVQQ
>>130

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1860.html

ここで軽く出てるのの詳細版ですな
きっちりお詫びに来る毛利さんは律儀というか何というか

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/06(日) 07:02:09.28 ID:ew8yZ6Zo
山内家としては勝永を派遣することで豊臣に義理を立てておいて、
表向きは斯様な脱走劇があったと徳川に言い訳を……

……いや、もうちょっとマシな理由を考えるか。

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/06(日) 09:05:32.01 ID:Wd6fecG5
港直前『見送り』という名目で港まで来ていた息子をひっつかんで

なんか嬉しいなw親子一緒 

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/06(日) 14:47:56.16 ID:FUYxwLv7
毛利勝永が正当に評価される時代は来るんだろうか・・・
彼の話題が出るといつもそんな気持ちになってモヤモヤしてしまう。