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今の深志、山より高く海よりも深い

2018年09月13日 21:13

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/12(水) 23:03:17.23 ID:O4tw1YtI
織田信長は佐久間信盛・信栄父子へ折檻状を下し、楠長庵、宮内卿法印、中野又兵衛の三使を以て
配所の定めもなく、ただ急ぎ天王寺を出よとの命令故に、多年蓄えた無量の珍宝を振り捨て、
はどうにか持って出れたのは黄金二十枚のほかは、腰に指した刀大小のみであり、また彼らに従う
者もなく立ち出た。心中を察するも哀れである。しかしこれは、日頃筋なき福を強いて求めてきた
その報いでも有るのだろう。久しく相馴れた召使いも、常々の情が浅かったのか、皆己のために
様々に散っていった、利を独り占めして何かを行えば恨みが多いと言われるが、それはこの事だろう。
大将たる人は、衆と好悪を同じくすることこそ重要である。

然しながら、高野山までは三人ほどが、僅かに志を遂げ付き従ったが、これも、彼らには世間から
去り難い馴染みがあると考えられており、その人々から批判を受けないことを考えただけで、心から
行ったことではなかったのだろう、そのうちの二人は高野山で暇を乞うた。

こうして高野の居住も叶い難くなり、それまでは二万余騎の大将も、一僕に手を引かれ、父子すごすごと、
未だ夜深き中を辿り出るのは、鹿ケ谷事件で平清盛により流罪とされた藤原成親卿の左遷の旅も、
このようであったかと哀れであった。

高野山の辰巳に、相郷という柴を結んだ民家が僅かに4、5軒ある場所に辿り着き、暫くの安を得た。
ここに山岡道阿弥入道、その頃は八郎左衛門尉と言ったが、平井阿波入道安斎も伴って、剣難の
山路を凌いて訪れ、信盛父子との再開を果たした。

これに信盛父子は涙を押さえて
「今の深志、山より高く海よりも深い、何に例えればよいのか。これは夢だろうか、夢だろうか」と、
手に手を取って懐かしげに見まえた。

山岡も平井も、かつては遥かに下がった場所から信盛父子に接していたが、今はこのように、同胞の
親しみにも勝ったように見えると、見る人の魂を感動させ、聞く人は涙で袖を絞った。
誠に信盛が世にあった頃は、皆がその恩を慕い少しでも交わることを望んだものだが、今はその
影すら無い。そのような中での両人の志は、誠に浅からざりし事であると、世の人これに感じ入ったのである。

(甫庵信長記)


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