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人を討って立ち退き逃げるのは非強至極なり

2013年06月10日 19:50

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/10(月) 18:30:20.33 ID:bD9bkyb7
武士たる者、人を討って立ち退き逃げるのは非強至極なり。

なりゆきで討ち果たしてしまったならば、その意趣を書き記して腹切るべし。

ただし、親がいるならば一旦立ち帰り、親たちへ事情を申し述べ、検使を受けて
その上に真気を静め、それぞれへ挨拶して腹切るべし。

――『山本道鬼入道百目録聞書』




815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/10(月) 18:35:45.85 ID:W6c3jPw9
水野さんに対する挑戦ですね

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/10(月) 19:12:56.13 ID:L6BHVRIx
趣旨を説明したら運が良きゃ腹切らなくてすむかもしれんからな
まあ江戸時代になるとまず切腹だろうけど

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/10(月) 19:48:42.64 ID:Wa7n11n/
周り近所に大音声で討った理由を述べたあと、
その場で立ったま腹を切り、腸を撒き散らして心意気を表現するんじゃないのか?

勘助は即座に暇を告げた

2013年03月14日 19:53

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:02:03.89 ID:33Xk3Rsh
大永7年(1527)、毛利元就31際の時、厳島参拝の折に棚守房顕の屋敷に立ち寄ったが、そこで初めて
山本勘助に出会った。

元就は勘助の容貌を奇として、どこから来たのかを尋ね、さらにをの所志を質問し、しばらく考えた後
帰城したが、5,7日ほど後、使者を遣わして棚守にこう伝えた

『先日一見した所の京都牢人(勘助)は、早くこの地から去らせるのだ。そして日本国中を遍歴させるべし。』

棚守はこの意を受けて、勘助に他所の土地へ興味を向けようと考え、関東の諸将の威烈を語った。
山本勘助はこれを聞くやいなや、棚守に暇を告げて立ち出ようとした。

棚守は勘助があまりに早く暇を告げたことを怪しみ、止めてそのわけを聞いた。
勘助曰く

「私はこの国に仕官を求めるために来ました。貴方もまた、私を推挙してくれたではありませんか。
ところが今、関東の諸将の威烈を語られました。これは貴方の御心が、既に変わったことを表しています!」

「な、何故そう思ったのだ!?」

「関東とは”還当”、すなわち”還る当し(かえるべし)”と読めます。これが私が暇を乞うた理由です!」

棚守は勘助のあまりの明敏さに、感嘆したとの事である。
(軍人頓智叢談)

なにか噛み合っていない気がする。気のせいだろうか?w




908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:11:36.94 ID:K6cpGKyN
駄洒落か

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:12:54.95 ID:NOytU+1x
民明書房だよな

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:20:54.12 ID:3A123S6K
関東が還当とかこじつけなくても、他の地域の武将の話をしだせばいらないって言ってるも同然な気が

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:30:07.69 ID:4pi1deYS
大御所臭がするんだが・・・

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 15:23:25.12 ID:FrjM3yl+
腹黒さんがうちで捕獲できないなら殺してしまえな椰子じゃなくてよかったな


山本勘助の毛利家就職失敗談

2012年06月27日 21:00

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 23:23:00.18 ID:F9iZz8Wh
山本勘助晴幸は近江の本居を去って京に行き室町将軍家に仕官を求めたが、将軍家の権威は
日々衰える有様だったので
「ここは功名を立てる場所ではない。」言って京都を去った。
次に中国地方に行って名を全国に轟かせようと思い、まず諸将の賢否を人に聞いたところ仕えるなら
安芸の毛利元就しかありえないということだった。

安芸に着くとまず毛利家に仕官する縁を祈ろうと思い、厳島神社に参拝し神主と会見し京都の消息を語った。
神主は珍しいと思い勘助を元就に推挙した。元就はこれを聞くと何の答もせず、2、3日後に神主を呼び出した。
「先日の京都の浪人を長くこの地に留めないように。私はその人を登用することはできません。
登用しなければまた他国で仕官するでしょう。他国へ行けば安芸の毛利は兎にも角にもと評判します。
知らなければどうしようもなく、批判もできないでしょう。速やかにここを立退かせて下さい。」と
命じられたので
神主もその意を汲んで、勘助に「関東までの間に功名を立てることができる地があるでしょう。
西田舎での仕官は無益同然でしょう。」と言うと
勘助はすぐにこの意味を悟って、即日厳島を出発し東へ向かいましたとさ。

山本勘助の毛利家就職失敗談




190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 04:14:47.34 ID:KQKTF81u
仕官断られた恨みから、悪評垂れ流す可能性があると思うんだが

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 05:46:24.85 ID:6ApX9gmP
>>189
厳島の神主の日記にこのことが記されていれば勘助は存在が証明できたのになあ。

山本勘助と氏真

2011年10月30日 22:00

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 13:27:32.26 ID:7hXNx9WP
では流れを変えるためにも武田信玄の良い話でも。

当時浪人中であったが名の知れた武士であった山本勘助は、
駿河太守の今川氏真に仕官しに行った。
しかし…
氏真「お前カッコ悪いから不採用」
まぁ外見だけ見たら無理も無い。
勘助は色黒、隻眼、戦傷が体中にあり片足が不自由、背も低く痩せている…
と、とにかく見た目が悪い男であった。
実にテンプレ的な山本勘助である。

その後、山本勘助は当時若干20歳の武田信玄に会いに行き、
勘助の高名を聞いた信玄に即百貫で取り立てられた。
その後、実際に勘助に対面した信玄は、
異相であるにも関らず有名な勘助を只者ではないと感じて更に加増し、
戦話を聞いてはその博識を敬うといった具合に、
山本勘助を厚遇したという事だ。
名君と暗君の差はかくも甚だしき物があるということよ。
めでたしめでたし。

…これだけなら良い話なんだけど、酷い所が一箇所。
お前ら歳の差を考えろとw
氏真と信玄じゃ、どう考えても信玄の方が年上です。
この逸話、江戸初期成立の物なので、
その当時から既に氏真暗君論が唱えられてて、
逸話に混入しちゃったんだろうなと感じさせる、氏真にとっての悪い話。




618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 14:12:46.80 ID:H6nI7fe+
途中まで読んでツッコミを入れそうになったぜぇwww
品川さん、武将というか主君としてはダメかもしれいけど人間的にダメってエピソードあるんかな?

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 16:02:56.01 ID:USXGCf+w
>>616
氏真→義元のエピソードはよく聞くよね

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 16:20:58.78 ID:VXP80smS
勘助はようわからんな。一時期は存在疑問説が流れたりしたし
最近じゃいたらしい、なんて意見が強まってるし。まったく、嘘ほんとが入り乱れて困る

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 17:02:01.80 ID:17zPE6cd
>>620
勘助存在説は、市川文書でちゃんと名前書いてあるから確定だと思っているんだけど
(ただし、勘助じゃなくて管助だが、この頃は当て字当たり前だからあまり問題なさそう)
これじゃまだ弱いかなあ

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 17:39:48.68 ID:5rUOcYJU
>>622
山本勘助という人物が居たことは確定だけど、
その人が我々が知るような山本勘助であるかどうかは別問題

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 17:49:31.14 ID:Xa9ox33z
水戸黄門みたいなもんだろ。徳川光國は実在したけど、諸国漫遊はしてない的な。

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 17:55:19.56 ID:6+e9uvtm
よくわからんけど今でもそんなに勘助神格化されてる?
毎回この話題になると勘助を否定するor別人とかコメあるけど
逸話でなにかあるならせっかくだから
こりゃねーよって感じのでもいいから山本勘助の話がみたいです

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 17:55:31.33 ID:17zPE6cd
>>623
なるほど 軍師と伝わっている確実な史料はあるのかな
でもあの当時の軍師って、陰陽師みたいなもんなんだっけ

勘助は諏訪の高島城の鍬立てをやったと、駒井高白斎の『高白斎記』という史料に書いてるらしい
鍬立てってのは地鎮祭のようなものだけど、あの頃の地鎮祭は今よりももっと重要視されているんだよね
祟りや呪いを真剣に受け止めていたりするし

だから勘助は軍師は軍師でも、呪術型の軍師なんだろうなと思ってる

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 17:58:38.98 ID:y3ze+cCA
当時の軍師って、呪術は知ってて当たり前じゃないのか

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 18:08:03.32 ID:tv2LC+Yt
山本勘助(菅助)は軍事作戦についての事で信玄の使番として行動している記録が残っているので、
軍使かどうかはともかく、信玄の近習の一人だったのは間違いなかったと考えられる。

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 18:28:06.45 ID:5rUOcYJU
>>628
×軍師
○軍使
か、なるほど!

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 18:39:19.22 ID:N3Ivz//v
当時の従軍陰陽師は「軍配師(軍配者)」だね
三国志に出てくるような軍事参謀的な職としての「軍師」は厳密には存在しなかった筈
参謀的な役割の人はいただろうけどね


631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 18:43:19.37 ID:17zPE6cd
>>627
そうなのか そこまで詳しく調べてないんだ ごめん

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 18:52:26.86 ID:2aqRBeZV
呪術師というか出陣式とか首実験なんかの段取りつくる役目な気がする
誰が掛け声かけるかで斬り合いになるんだし(家中序列の問題にもなるから)

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 19:41:27.37 ID:H6nI7fe+
軍師やら軍配者やらを、今売りの雑誌でそんなん特集してるよね?

名探偵、山本勘助

2011年06月13日 00:00

83 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/06/12(日) 15:47:51.63 ID:G8BFWHS/
ある時、山本勘助の屋敷で囲炉裏に据えた五徳(鉄瓶等を乗せる金具)がひとりでに動き出すという怪現象が起きた。
その様子を熟視した勘助は、鉄製の五徳を銅製の物に取り替えて動かない事を確かめた上で、国中の山伏を招集。

「この現象を止められる者はいないか。」

と尋ね、名乗り出た山伏が祈祷を行って五徳の動きを止めると、犯人として縛り上げた。
問い詰められた山伏は

武田信玄公に取り立ててもらうには勘助殿と知り合うのが得策と考え、料理人を抱きこんで
天井に強力な磁石を仕掛けさせました。」

と白状した。その後この山伏がどうなったかは不明である。
名探偵、山本勘助怪奇現象を見事解決したお話。




84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 16:04:00.15 ID:9HKX78Bg
この時代に磁石なんてあったんだな

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 16:25:38.43 ID:Zocw9gU7
古代ギリシャの頃から磁石の存在は確認されてたらしいし、
アジアでも中国は宋の時代に、沈括という学者が磁石化した針を
水に浮かべて指南針として活用する方法を記述している。
戦国時代ならもう伝わってたんじゃないかなあ。

学研の漫画で忍者が水溜りに針を浮かべて方角を確認するって
一コマがあったような。


86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/12(日) 16:37:10.61 ID:e36bx8l+
祈祷の力があると偽って自分を売り込もうとしたわけか
その山伏はどうなったか知らないけど間諜として採用されたのか
あるいは敵国のスパイなのか審議され加藤段蔵のように始末されたのか

南部下野守処分

2011年05月08日 00:00

452 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/07(土) 10:18:17.39 ID:3NWP63AF
武田家に仕える南部下野守が、家臣を成敗しようとして失敗し、逃亡され追い回していたときの事である。
その家臣が刀を手に逃げ込んだ屋敷に偶然居合わせた山本勘介は、刀を抜かずに近くにあった木の棒で応戦、
3ヶ所ほど軽い手傷を負ったものの、相手を捕らえた。ところが、本来であれば礼を言う立場の下野守は、

「兵法家を名乗っていながら手傷を負うとは口ほどにもない。」

と悪口を言いふらした。これを知った信玄は、

「傷を負ってでも敵を倒すのが本当の兵法である。刃を持った相手に木の棒で立ち向かった勘介を
 嫉むとは許し難い!」

と激怒した。
本来なら処刑する所だったが、それでは勘介も迷惑だろうからと下野守を甲斐から追放したのだった。




453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 15:45:43.32 ID:MvNXsYxd
兵法家の山本勘介は実在してないんでしょ?

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 15:55:08.99 ID:+GeF6mwg
三国志的な軍師、兵法家としての山勘は怪しいけど、
戦国時代の兵法家は剣術等の武芸者のことだから、信憑性に問題はない。

このスレ的には実在してなくても問題ないんだけど。

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 15:56:08.01 ID:h0fH9uAZ
軍鑑そのままの山本勘介ならね

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 16:16:32.97 ID:iQ/Gjd2a
冗談抜きでこのスレの逸話の90%は後世の作り話

457 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/07(土) 19:02:30.35 ID:EYdKoaqb
しかも出典がないのが大半だから近現代の小説が混じっててもおかしくないしな。

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 19:03:10.99 ID:4w+ddfVk
>>456
割合もっと高いと思うよw

永年甲陽軍艦の有効性を研究してきた平山優は、山本管介を、
信玄の外交官として西上野や信濃で活躍したそれなりの身分の武将としている。
逆に、懐疑的な笹本正治は、山管は武田の使いっぱしり説を堅持してる。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:01:08.38 ID:qnp9Mh1B
それなりの身分じゃないと使いっ走りもできないんじゃないの?w

460 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/07(土) 20:05:50.20 ID:0AFeg59n
子孫の五十六もだけど軍師ならもっとマシな死に方してくれんかと。

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:26:41.07 ID:1DZnSr9I
五十六は子孫だったのか??

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:30:18.72 ID:sBPae0tq
使番って重要機密預かるから、身分の大小よりむしろ君主との個人的信頼じゃないかね。

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:30:57.88 ID:eMeQapDI
>>461
高野家から山本家の養子だけどね(高野五十六ときくと、某仮想戦記を思い出す)、
長岡藩の山本家は三河山本氏からで、
三河山本氏は山本勘助の弟・山本帯刀の子孫ってことになっているらしい

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:59:29.89 ID:0dQDWWEr
だからなのかな、前から山本勘介の墓が岡崎市にひっそりとあるのが不思議だった

http://hattoris2.sakura.ne.jp/sookazakikannsuke070415.htm
476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 00:18:23.40 ID:Qp/mPuqf
>>464
へー岡崎にもあるんだ。
豊川にも勘助の墓があるよ。

http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/tousan/tou051.htm