豊国祭礼図屏風」(伝・岩佐又兵衛作)について

2014年09月19日 21:04

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 08:58:28.67 ID:35uCFHa0
いい話の狩野探幽のまとめサイトのコメ欄で岩佐又兵衛の話が出ていたので思い出した
大坂の陣で目立つ云々にもちょっと関係しているが
まずはこの徳川美術館本「豊国祭礼図屏風」(伝・岩佐又兵衛作)で描かれている人物を見てほしい
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org5321207.png
iwasa01.png

この場面、どうやら牢人同士の喧嘩を描いているようで、朱鞘を見ると
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org5321211.png
iwasa02.png
「いきすぎたりや、廿三、八まんひけはとるまい」
と当時の傾奇者たちにはやった死生観を表しているものと一般的に解釈されているようだ
(歴史番組?ヒストリアでもそのように紹介)

しかし、黒田日出男「豊国祭礼図を読む」でちょっと驚くような考察がされていた。
黒田氏の考察によれば、この図屏風は元和元年頃、蜂須賀家政の注文によるものだそうだが、
「いきすぎたりや~」の若者の、喧嘩相手の側を見ると、卍紋や梅鉢紋をつけた男たちが
必死になって仲裁し、鷹羽紋をつけた男が加勢しようとしている。
(卍紋は蜂須賀家、梅鉢紋は前田家、鷹羽紋は浅野家の家紋である。)
また、喧嘩のせいで倒れたと思われる、紋が散りばめられた上等の駕籠が描かれているが、
その紋の中心は豊臣家の桐紋であり、中から女の手が伸びている。
そして、1612年に処刑された傾奇者、大鳥一兵衛の刀には「廿五迄いき過ぎたりや一兵衛」
と「廿五まで」、となっているのに、絵の若者は「廿三」と中途半端な年齢である。
実は廿三とは豊臣秀頼の享年である。

結論を言えば、岩佐又兵衛は大坂の陣をかぶき者同士の喧嘩にみたてたのではないか、という考察だった。
つまり、この画像のかぶき者は秀頼ということになるのだが・・・

関連
指物の大小


300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 09:21:05.72 ID:Q+rEPIak
じゃぁ例のタケノコ男は…

スポンサーサイト