917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 01:07:41.85 ID:DQrcN7M6
島田弾正(利正)が町奉行だった時のこと。徳川家康の時代、博奕は諸悪の根元
ということで厳しく吟味された。そんな折に博奕の訴人が出たので、同心たちを
差し遣わし、60人を召し捕らえた。
その中に50歳ほどの坊主が1人いた。弾正はその者に向かって「其の方は頭を
丸めた身であるから、とりわけ不届きである。もともとは医者か? 出家か?
何者なのだ」と、尋ねた。坊主が言うには、
「私の親は、武州忍の城主・成田殿のもとで、連歌の執筆を勤めていました。
そんな折に成田殿の身の上は果てられ、その後、親も浪人のまま相果てました。
それ故、私は浪人となりまして、渡世のやりようがないので、博奕仲間へ入り、
灯心を掻き出し、湯茶を持ち運ぶのを役目に致して食事を貰い、世を送りました。
博奕というものを、どのように行うのかは存じません」
とのことだった。そこで、博奕仲間たちに尋ねると、坊主の言う通りだった。
弾正は坊主に「其の方は連歌師の子か。確かならば、そこで一句仕りなさい」
と言った。坊主は「朝霜や まだ解けやらぬ 縄手道」と詠んだ。
弾正はこれを聞き、この句に応じて縄を解いて許し、「これからは博奕の座での
交わりを止めて、食物なくば町年寄たちのところへ回って、何なりと貰うように
しなさい」と、申し渡した。それ故、坊主は彼方此方と徘徊し、心安く渡世した
ということである。
――『責而者草(君臣言行録)』
919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11:41:59.76 ID:c6gbH1Y1
ホームレスになったのに物をもらって心安く渡世したっていんちき坊主じゃねえか
920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11:48:22.38 ID:bRhnWkEj
正しい意味での乞食坊主
島田弾正(利正)が町奉行だった時のこと。徳川家康の時代、博奕は諸悪の根元
ということで厳しく吟味された。そんな折に博奕の訴人が出たので、同心たちを
差し遣わし、60人を召し捕らえた。
その中に50歳ほどの坊主が1人いた。弾正はその者に向かって「其の方は頭を
丸めた身であるから、とりわけ不届きである。もともとは医者か? 出家か?
何者なのだ」と、尋ねた。坊主が言うには、
「私の親は、武州忍の城主・成田殿のもとで、連歌の執筆を勤めていました。
そんな折に成田殿の身の上は果てられ、その後、親も浪人のまま相果てました。
それ故、私は浪人となりまして、渡世のやりようがないので、博奕仲間へ入り、
灯心を掻き出し、湯茶を持ち運ぶのを役目に致して食事を貰い、世を送りました。
博奕というものを、どのように行うのかは存じません」
とのことだった。そこで、博奕仲間たちに尋ねると、坊主の言う通りだった。
弾正は坊主に「其の方は連歌師の子か。確かならば、そこで一句仕りなさい」
と言った。坊主は「朝霜や まだ解けやらぬ 縄手道」と詠んだ。
弾正はこれを聞き、この句に応じて縄を解いて許し、「これからは博奕の座での
交わりを止めて、食物なくば町年寄たちのところへ回って、何なりと貰うように
しなさい」と、申し渡した。それ故、坊主は彼方此方と徘徊し、心安く渡世した
ということである。
――『責而者草(君臣言行録)』
919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11:41:59.76 ID:c6gbH1Y1
ホームレスになったのに物をもらって心安く渡世したっていんちき坊主じゃねえか
920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11:48:22.38 ID:bRhnWkEj
正しい意味での乞食坊主
スポンサーサイト