福岡侯の軍鐘を銅鑼に代る起り

2017年01月28日 09:19

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/28(土) 00:43:19.86 ID:fICDsbzp
福岡侯の軍鐘を銅鑼に代る起り

 黒田長政が朝鮮で明兵の銅鑼を分捕った。
銅鑼の音が行軍にはちょうどよく、
従来の鐘はわざわざ一人に持たせていたが銅鑼はその人自らが持つもののため、
持つ人、打つ人の二人を兼ね便利というので、
これから長政の軍はみな二器〔鐘鼓〕を鐘に代えた。
よって今でも福岡侯は軍用の二器にはすべて銅鑼を用いるという。

市川一学の話である。

(甲子夜話)

逆になぜ他では銅鑼が流行らなかったのだろう?



548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 21:54:09.34 ID:0gRhgwwT
>>546
ジャーンジャーンジャーン
三成「げぇっ内府!」

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 22:21:07.78 ID:n0T35VGg
銅鑼と言えば朝鮮戦争で義勇軍という名の共産党軍は、
銅鑼鳴らしながら攻撃してきてアメリカ軍を恐れさせたとかw

三国志かよw

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 23:26:14.26 ID:GDrmIVte
阿片戦争で女性用のおまる使って
砲弾の軌道をそらせようとした清軍よりはマシだな

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 23:42:59.96 ID:1xKiVCOY
>>549
銅鑼に加えて死兵なら恐れるのは当然だな、天皇万歳w突撃を想起させる

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/30(月) 00:06:47.70 ID:E/grpkJH
しかし義勇軍とは、よく名乗ったものだ

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これも人煙のため

2016年05月21日 14:49

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/20(金) 23:41:45.80 ID:S7g6JhYO
 一学(市川一学)の兵書講義のとき予(松浦静山)は
「かつて浪花茶臼山の行って所々を眺めたが、御城とは近いように思われた」

と話しをしたら、一学は受けて以下の話をなされた。

「それがしもかつて遠遊したとき見ましたが、それに同じく思われました。
古人が伝え聞くには、この御陣のとき、茶臼山から真田丸までの間は三十丁余のつもりで御陣を構えたが、
実は十八丁であったそうです。そのときは人煙が覆って暗かったので、このような近いところも遠く見えたといいます。

 また長宗我部が守った所から、藤堂の陣までは、二十丁ばかりというが、実は六丁であったといいます。
これも人煙のためであったといいます。

 また冬の御陣のときは、城内を外堀の向かいから望むと、立て連ねていた旗幟の紋が、うちかすんで鮮やかでなかったといいます。
これも人煙がたってそうなったとのことです。
 夏御陣のときは、旗幟の紋が行燈の傍らの物を見るようによく見分けることができたそうです。
これはそのとき人気が一つでなかったためだそうです。」
(甲子夜話)

距離の測り間違えってけっこう致命的なような



639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/21(土) 00:02:11.96 ID:PiBkDXt/
霧のせいで時間を計り間違えるとより悲惨
と相手方の又兵衛さんが