523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/11(月) 12:34:05.76 ID:OYdq351k
平塚因幡守(為広)の、関ヶ原での討死の様子を人が語った所によると、関ヶ原の合戦で、味方敗軍に
及んだ時、因幡守は馬を脇に引き退け、自害するような様子に見えた所に敵が来て、
「筑前中納言(小早川秀秋)の小姓、横田小半助!」
と名乗り、歩行にて馬上の因州を一鑓突いた、しかし因幡守は、突かれながら自身の十文字の鑓にて
横田を一打ち二打ち打って、「せがれ(若造)め!」と罵ると、小半助は鑓を引き抜き、又掴みかかろうと
した所に、因州は素早く馬より飛び降り、馬を盾にして小半助と戦い、終に小半助を突き伏せ、
若党に首を取らせ、「この首せがれながら志の者と見えた故に討ち取った。互いにこれが暇乞いである。」と、
大谷刑部少輔(吉継)へ言い遣わした。
その後、因州は殊の外に疲れて、田の畦に腰を掛けて息をつき、自害しようとしていた所に、
山内対馬守(一豊)殿の侍、柏井太郎兵衛(樫井太兵衛)と言う者が馳せ来て鑓にて突いた。
この時、因州は自分の鑓を投げ突きにし、「汝が宝にせよ。」と言って、その場を去らずに討ち死にした。
もし小半助が、一度突いた鑓を抜かなければ、彼が利を得ただろうと言われた。
(備前老人物語)
平塚因幡守(為広)の、関ヶ原での討死の様子を人が語った所によると、関ヶ原の合戦で、味方敗軍に
及んだ時、因幡守は馬を脇に引き退け、自害するような様子に見えた所に敵が来て、
「筑前中納言(小早川秀秋)の小姓、横田小半助!」
と名乗り、歩行にて馬上の因州を一鑓突いた、しかし因幡守は、突かれながら自身の十文字の鑓にて
横田を一打ち二打ち打って、「せがれ(若造)め!」と罵ると、小半助は鑓を引き抜き、又掴みかかろうと
した所に、因州は素早く馬より飛び降り、馬を盾にして小半助と戦い、終に小半助を突き伏せ、
若党に首を取らせ、「この首せがれながら志の者と見えた故に討ち取った。互いにこれが暇乞いである。」と、
大谷刑部少輔(吉継)へ言い遣わした。
その後、因州は殊の外に疲れて、田の畦に腰を掛けて息をつき、自害しようとしていた所に、
山内対馬守(一豊)殿の侍、柏井太郎兵衛(樫井太兵衛)と言う者が馳せ来て鑓にて突いた。
この時、因州は自分の鑓を投げ突きにし、「汝が宝にせよ。」と言って、その場を去らずに討ち死にした。
もし小半助が、一度突いた鑓を抜かなければ、彼が利を得ただろうと言われた。
(備前老人物語)
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