父子の間であっても、武士の道とは

2017年08月16日 11:27

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/15(火) 20:22:03.87 ID:gU50rwyN
大阪の陣において、井伊直孝家臣・庵原助右衛門の子・主税が、敵と組討をし、組み伏せた所に、
敵の家来たちが出てきて主税を斬りつけた。そこに主税の郎党たちら集まってこれを仕留め、
主税はついに敵の頸を取った。

この様子を、彼の父である助右衛門は見ていながら、助けに行こうとしなかった。
合戦後、人々は助右衛門に対し「あまりにひどい」と非難した。しかし助右衛門は

「私は、主税が非常に不憫に思った故に助けなかったのだ。
もしあの時、私が行って敵を除けば、人はみな、主税は私に助けられたのだと言われてしまうだろう。
運は天にあり、死は定まれり。
私に助けられたという名が残るのが不憫である故に、助けなかったのだ。」

父子の間であっても、武士の道とはかくあるべきである。

(士談)



144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/15(火) 22:32:45.21 ID:1v4Ror0J
又兵衛「俺が敵と組み合って川に落ちた長政を助けなかった理由と同じだな」
スポンサーサイト

木村重成の首

2015年03月29日 15:36

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 18:45:15.56 ID:r6orwAxz
大阪夏の陣、井伊直孝の部隊の先鋒であった庵原助右衛門は木村長門守重成の部隊と戦い、
乱軍と成って重成が馬を乗り放ちにし鑓を持って進んできたのを、庵原は二間(訳3.6メートル)ほどの
足元の沼を隔てて鑓を合わせた。

庵原はその十文字鑓を重成の母衣に突き込み、前に引き倒そうとした。
重成は自身の鑓を庵原が立っている岸に突き立て、引き倒されまいと争った。
しかし庵原が強く引くと、重成は遂に沼にうつ伏せに引き倒された。
その時、庵原の家来たちが飛びかかり重成を取り押さえて首を取った。

と、ここに安藤長三郎が走りきて庵原に声をかけた
「私は未だ首一つも取っていません。その首を頂けないでしょうか!?」

庵原はこれを聞いて
「若者にしては奇特な心掛けである。ではこの首は進上いたそう。
この敵、木村長門守と名乗ったが、長門ではないかもしれず、たとえ本物の長門の首であっても、
私はこの首一つにて名を揚げるつもりもない。

大阪も、今日明日で落着しよう。であれば貴殿も、これほどの首を再び取り当たることは
無いだろう。急ぎ大御所の御実検に供えられよ。」

安藤は大いに喜び、首を持って行こうとしたが、ここで庵原は彼を呼び返して
「大御所は至って御吟味の強き大将である。母衣武者の首を取って母衣を首に添えない時は
御非難を受けるぞ!この母衣絹、太刀、脇差まで共々持って行くべし」
そう言って皆取り束ねて渡したが、庵原の家来たちは「せめてこれだけはこの方に残したい」と、
白熊( 白熊(はぐま)の毛で作った払子)のついた金の捻り竹の指物は、押さえて渡さなかった。
この一品は、後に庵原の家の什物となったという。

安藤長三郎は重成の首を本陣に持って行き家康の実検に備えると、正しく長門守の首であり、
若き者の天晴な功名であると、戦い終わった後、安藤を伏見城に召して五代青江の刀を与えたという。

(刀剣談)