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横町の由来

2016年04月14日 18:49

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 02:08:21.73 ID:DDb6sdaQ
横町の由来

天童合戦で野辺澤信景(延沢満延)を味方に率いれた最上義光はその喜びの余り、山形城下の定期市町の名称である「九日町」の名を満延に上げてしまった

それを知った重臣の氏江尾張のなにがし(氏家守棟)といった者が眉間に皺を寄せ、義光に窺った

守棟「城下には一(日)から十(日)までの数を冠した市町がありましたかな。
嗚呼、誰かが能登殿(満延)にその一つを差し上げられたので、今は歯抜けがありましたか。
ーそれで、欠けた『九日町』の代わりになる様な素晴らしい名前を我が殿は用意なされているのでしょうか?
満月も一つを欠いてはままなりませぬ。
思いつきや勢いで町名を上げたり等という事はまさかありませんよな?」

義光は守棟を宥める様に口を開いた

(´・ω・`)「いくら儂でもノリだけで迂闊な事はそうはしない。九日町の名を満延に与えたのはそれだけ彼を買っての事。
…九日町は七日町の南隣(つまり横)
かつ十日町の北隣(つまり横)
九の字は四(よ)と五(こ・ご)を足した数だから旧九日町の地の町の名には四と五で横町なんてどうだろう!
…なんつって!」

守棟「…」

(´・ω・`)「…(やばい…怒ってる?)」

かい摘まんでますが、本当に横町の由来がこんな鮭様のおやじギャグが発祥とされています

「山形細見」

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 02:49:01.91 ID:DDb6sdaQ
山形市横町(現山形市民会館付近)
http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=10558417622106&c=10

●九は四たす五、だから四五町に。語呂が悪いから「横町」

…義光公時代に「九日町」は尾花沢の延沢城にくれたという。町人は、四と五を加えて九日となるので、九の日に市を開きたいので四五町(よご町)にし、語呂が悪いから「横町」というようにしたと語り伝える人も見られた。



525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 07:32:45.86 ID:GMsMng5l
家康「安直じゃな」

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 08:00:54.98 ID:9jR94Tq+
ノブ「子供の名前に使わせてもらおう」

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 19:33:28.52 ID:VVpbIm0a
また最上の病気が再発したか

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 21:18:29.99 ID:1ByHse5H
>>522
せっかく1から10まで揃ってるのに9あげちゃうのかよw
それだけ買ってるってことなのかも知れんが、もらう方も微妙な気が…

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 21:51:26.97 ID:biJM3Xtr
一戸から九戸までのうち四戸は縁起が悪いせいか今はないのに
四日市はいろんなとこにあるな

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/15(金) 00:49:20.25 ID:aV2luiL4
そもそも町の名前ってあげちゃっていいものだったのか

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/15(金) 11:24:57.02 ID:toTFfKWq
犬ころに娘を差し出す奴だっているしねえ
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延沢満延ン番勝負

2015年07月08日 15:58

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 17:54:45.25 ID:ERjYv+84
延沢満延ン番勝負

最上(※秀吉の太閤検地以前の山形盆地。現在は村山)には山形義元(※最上義光。元の字は癖字か光の誤字と思われる)と、出羽国司を名乗る天童八楯盟主の一色修理太夫貞久(天童頼久)がいた

威勢強大な義光に対し頼久は「伊達に介入され権威を失った最上氏に今更指図される謂れわない」と城を堅め、尾羽沢(尾花沢)、六田、蟹沢、里見、小田島、鳥越等の山形以北の有力国人と優秀な軍兵を纏めて篭城したために、義光も天童をなかなか攻めあぐねていた

義光が天童を攻め暫くしていたところ千手堂で戦いがあり、優勢となった最上軍が天童軍を天童城へと追っていた際
味方の兵が追われる様を城山の上から見ていた天童方の将延沢満延が一人天童城の大手門(現在の舞鶴山の南東山道)からただ一騎打ち出して来た

満延の出で立ちは八頭形の兜に黒糸威の鎧と鎖帷子、鴇毛の馬。手には愛用の五尺一寸の鉄棒

味方を城へと逃がすと満延は鉄棒を振り回し、遠慮もなしに最上軍の中に突進すると
破羅利はらりと最上兵を撲倒していった

さしもの最上軍も群々追い立てられている所に山形勢の中から洗革の鎧に太刀・弓・白首の兜をまとった高松光親といった馬上武士がそれまで討ち取った天童兵の首級三つほどを鉾に貫き従者に預けると

光親「そこの大将!ひと勝負願いたい!」と満延の方に馬を走らせ近付いた

満延「わ主もこの鉄棒を喰らいたいのか哉?」

そう言い放ち満延が鉄棒を振るうと、光親の首は胴に減り込み、乗馬もとんでもない方向に弾き飛ばされてしまった

最上兵はこれを見ると蜘蛛の子を散らす様に満延から離れ始めたが
また六尺余りの大男が満延に勝負を挑んだ

黒烏帽子に黒糸威の鎧、栗毛の馬の武士は手に五尺余りの鉾を持って「安間道願!」と大声で名乗った

道願「この辺りで鬼神と言われるのはお前か?俺は尾州右府(織田信長)様に一騎当千と称えられ禄を頂いていたが、訳ありて武者修行のさなか義光の殿に声を掛けられこのいくさに加えさせてもらっている
つまらんもの相手に辟易しておった故、豪の者を破り手柄の一つも立てんといけない
この鉾でおまえに引導を渡してやろう!」

満延の金棒と道願の鉾が火花を散らし幾度か打ち合わされた

平地では最上兵、城山からは天童兵がこの戦いを遠巻きに見守った

道願「埒があかん。力勝負でどうだ?」
満延「乗ってやろう!」

双方がらんと打物を投げ捨てるとむんずと組み合った
-かに見えたが
満延「残念だ。口ほどにもない」

満延は道願をひょいと抱え上げると深田に投げ飛ばした

道願は頭から深田の泥に杭の様に突き刺さった!




325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 18:45:20.66 ID:vHo5z9R3
  (\    _
   | )   / )
   / |  ( /
  / /   ||
  / |   ||
  \ \  / |
   \ \/ /
  _|   /__
    ̄三三三二 ̄

↑道願

最後の一行読んでもうこのAA貼るしかないと思った




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 18:46:00.66 ID:ERjYv+84
また最上兵の中から一人頭巾兜に袈裟を着け、腰旗白馬赤鞍に天狗団扇と小太刀を構えた法師武者が満延に戦いを挑んだ

三位(女三)法師「いざひと勝負!」

満延「見た目は坊主なのに修羅道に迷いこんだか?」

女三はかんらと打ち笑い「見た目で判断すると痛い目に遭いますよ
満延殿は武勇だけでなく、智慮もあると伺います
拙僧山城の生まれではあり腰に刀を差していますが、羽黒山の千日業を成遂し、武道・破戒にも興味を持っております
戦いの仏神もおりますし、鎮護国家の則には武を知る事も必要
この腕是非試させてもらいましょう」

女三の刀の腕前は言うだけありなかなかのもので
満延は幾度か切りつけられ、深手浅手を五傷ほど負った

満延「遊びが過ぎたか」

満延は金棒を投げ捨て太刀を抜き直した

-そこに天童城から一色右近といった者が「満延殿潮時です!そろそろ城にお戻りください!」と100騎ばかりの兵で駆け付け、満延を囲む様に引き退こうとした

最上兵「天童兵が出て来た!女三坊を討たせるな!」

女三も満延相手に善戦はしていたが、小太刀は打ち折れ、顔や身体のあちこちに痣や切り傷を負い、袈裟は血で朱に染まっていた



327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 18:47:05.54 ID:ERjYv+84
最上天童双方が再激突し、志村光安配下の強弓が満延の乗馬を射倒した

満延は少し離れた所で替え馬に乗り、腹帯を締め直している所に
突如満延に切りつける者があった

カツン-刀は満延の兜の先をかすめただけだった

満延「おまえは俺が怖くはないのか?」

腹帯をそのまま締め直しながら満延は相手の方を見た

満延「とりあえず、おまえは何者だ?名前ぐらいあるだろう?」

本間七郎「本間左馬介の子、本間七郎。今年で17才だ!」

満延は「かんらかんら」と笑い

「健気な若者じゃなwwwwおまえの様なヒヨッ子をここで討つのはたやすいが、俺を畏れもしないで打ち掛かってきた心意気が気に入った。成長が楽しみだから助けておこう」といって七郎を尻目に城に帰って行った

七郎も味方の勢の方に戻って来るとしっちゃかめっちゃかに質問攻めにされた

「よく殺されなかったな」
「おまえの様なガキにあの鬼神が討てると思ったのか?」

七郎はしれっと答えた

七郎「満延は比類無い豪傑だと言うのはわかってる。自分の腕前じゃとうてい敵わない事も理解はしてる
しかし戦場で敵を直前にしているのに腹帯を締め直すなんてこちらを舐め過ぎてはいないか?
一太刀目で腕に怪我を負わせていれば、きっと勝ち目はあったはずだ!
腹帯を締め直していたせいで腕まで距離があり刃が届かなかった!
満延を討ち取れなくてくやしい!」

これを聞いた周りの兵は「若者にしては豪胆だな」と七郎の勇気を褒めた

「羽源記」

3勝(圧勝2、優勢1)棄権1?




328 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/07/07(火) 19:24:35.54 ID:nkXvVfWk
大作だな

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 19:31:02.71 ID:ERjYv+84
高松光親

   ___
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330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/07(火) 22:21:16.52 ID:Kgo9ySgB
延沢満延といい三浦義意といい、
東国では頭は体にめり込むものなのか。

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/08(水) 08:34:52.27 ID:0RoVaAwS
亀なら可能

満延「ダメだこいつら、なんとかしないと…」

2015年07月08日 15:57

43 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/07/08(水) 00:53:42.14 ID:+XA+R0Ud
満延「ダメだこいつら、なんとかしないと…」

※原典準拠で雰囲気をどうぞ
※固有用語は二度目以降は極力わかり易く入れ替えています

山形天堂(最上義光天童頼久)合戦の頃天童城中には沼沢伊賀守とて、一色修理大夫(天童頼久)最愛の童あり
容顔美麗にしてものいひ静に、飽まで奸佞巧にして人の功を妬み、驕甚しくして己が器用を鼻に当て、偏執深きものなれども、主人の愛執に依て城中の大小事不残執行ひける程に
能登守(延沢満延)が威勢を憎み主の仇となるをも弁へず盲愚にて少しの義にも己が身を替へるを喜び、元来無知文盲にて女の胸中に似たる男なれば下劣の雑人下部原に崇められ、随順の児女等に功高く思はるるを面目とや思ひけん
満延が噂咄にても人の替えるを聞きては横言をいひ、他の功を敗り己が役にも立たぬ茶の湯・碁・双六を心に入れ、満延が挙動奢なりといふ人あれば延あがりて悦びける
ケ様の者なれども其形に迷ひ家の執権に用ひけるこそ頼久が城を奪はるべき瑞相なり
彼者欺き深き心底にて満延ある故に己が威勢も衰ふるとや思ひけん、時々に頼久にも支へ隔つるよし兼而義光に聞えければ
「好き隙なり」とて謀にて野伏を生捕り謀書を認めて満延の陣へ行く書付に持なし
沼沢が所にて野伏は文を落して逃げたりけるに伊賀が郎党之を取て伊賀に見せければ、去ればこそとて疑の心出来ける間城中何となくひそめき立て心よからぬ折節何方よりか立てたりけん
城中と敵陣等の境、辻堂ありけるに落書あり

能登内に 有路笹原なかりせば 義光公に首をのべさわ

是は満延別心ありて降参の趣いひけれども、有路但馬・笹原石見といふ家老共に諌められて忠義の道を失はずして城にありといはせん為に義光の謀にやと見えたり
之をば知らず沼沢好き事なりと悦びて頼久に之を告げしかば、頼久も心細くなりて此上は油断すべきにあらず、自今以後軍議評定にも満延は主廓に入るべからずとて、外様の挨拶になりにけり
然れども大剛の満延なれば卒爾に討果すべきにも叶はず
内々疑はしき心にて打解けがたくは思ひけれども、上には知らぬ風情にて近習の諸士宗斗の勇士を択んで内々用心厳重にしけり
是皆大将知慮浅くして沼沢が闇盲を実にも承引しける故、城中の安危程あるまじとぞ見えたりける

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/08(水) 01:43:06.17 ID:+XA+R0Ud
爰に満延が固めたる持口より上の峰に昔より城の鎮守とて霊験あらたなる社あり
天狗堂とて□(※氏偏に鳥)の形なる本尊を安置せる宮のありけるに、毎日満延は四五人にて参詣して六道地蔵経を自ら誦し侍りけるが、(伊賀)本丸の内から之を見て計事や申出しけん
城主(頼久)の下知として彼宮を破り本尊を(天童城のある舞鶴山から)下し、敵陣の取寄する仏光寺といふ念仏時宗寺へ送り奉りけるに其本尊何地ともなく見えざりけり
後には真言何宗の法印といふ者、愛宕勝軍秘法行ひける道場にてぞあれと言ひし、満延が行通ふ上の峰をいやと思へども制するは叶はず
兎角彼宮故ぞと思ひ本丸を見せじとや移しけるとぞ聞えし
満延之を見て頼久に訴へけるは「武士戦場に出で死を争ふに、天の気を運に任す、然に数多の軍神の中に破軍星を以て第一とす
六道地蔵となりて十界と化し、勝軍神となつて兵火と火災とを退け給ふ愛宕山権現にて候を
如何なる義ありて戦場の最中に千秋万歳の御祈はなくて結句社壇を破壊して平地へ下し奉り給ふぞ」と大きに憤りていひければ
頓て頼久沼沢が内意にて挨拶しけるは「一往の道理尤にて候。然れども武士の法は禰宜巫女の様に祭祝などにて弓矢を執るべき事愚かに候
殊に本城の将座より愛宕の宮居一段高き処故城中の下々までも参詣に事寄せ大将の座所を見下し候
然れば軍の習軍勢の変化敵となり味方となり候へば、且は城の用心悪しく有之候故、宮所移し替へ其頭へ物見殿守を建つべきと企て候
軍神の申立悉しく覚え候
武士程の者、箇様の義は御異見なくしても幼稚の昔より存ずる事に候
其上城主たる者申出し究めたる義に候へば重ねて延沢殿の口入頼まざる事にて候」と歎きたる挨拶なり
良薬口に苦く忠言耳に逆ふとかや
満延之を聞き「こは不思議の言葉哉。我々程の勇此元来家の子にはあらず
頼久程の者に附従ふべきにはなけれども
一旦主従の礼を重んじ苟も身命を投打ち忠節を立つる所に、沼沢が奸邪に隔てられ、滅却の時至り給ふ痛はしさよ
然りといへども打解け徒に犬死すべきにあらず」とて有路笹原に申含め、用心するとぞ見えし
南方に向ひ祈誓しけるは「あはれ此城堅固にして氏神たらば、再本座に居をしめ、武士の守となり給へ」とて勝軍地蔵経を拝誦しけるが、無念の余にや涙をはらはらと流しけり

「羽源記」

天童頼久とその寵童に振り回される、カワイソス満延の苦労の話




最上八楯の瓦解

2014年10月11日 19:01

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/11(土) 05:24:34.05 ID:cKluqkxT
出羽にある東根家は斯波家の末裔であり最上家や大崎家、天童家などが遠縁の一族にあたる。

戦国時代末期の当主に東根頼景という人がいた。
彼は天童頼貞の子であり、東根頼息という人の養子になった。

頼景は兄・天童頼澄らと共に長年に渡り最上義光と争った。
しかし、1584年に義光が延沢満延を懐柔したことで『最上八楯』(天童八楯とも)と呼ばれる国人連合は足並みを崩し始めた。

それでも頼景は兄と共に義光と戦った。

ここで義光は一計を案じ、頼景の重臣・里見源右衛門に「裏切って最上の味方になるなら東根の領土安堵するから」と言うと、
源右衛門はあっさりと裏切り、頼景はそのために殺されてしまった。
まもなく頼澄も逃亡し、最上八楯はあっさりと瓦解してしまった。



実はこの源右衛門、東根頼息の子であり別名を東根景佐という。(別人説あり)
のちの最上改易の予言をしてた人物である。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1325.html


※なお、wikiでは頼景の謀殺を1581年、里見源右衛門の内応を1584年とごっちゃになってます。
『最上・天童・東根氏系譜』の一説を採ったのが原因かも。




月見を口実に延沢屋敷へ

2014年09月08日 18:58

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/08(月) 09:28:49.09 ID:BauNpNjk
今日は中秋の名月という事で月見に関するお話

月見を口実に延沢屋敷へ

最上義光「力の分においてはおそらく我随分世に越たるように人にも謂われし故、
あわれ対體の族もあれかし力比べをなさんと願う所に、幸い今度能登守の働きを見聞するにあっぱれ
我に優る程の事なり
いざや力を試して遊ばん」

『最上記』(天正年間、旧暦の7月15日)

義光(´・ω・`)「殿はかなり力の持ち主ですよ。おそらく世の中に殿を越える力持ちはそうは居ませんよ、
と人にも言われるし自分でもそう思うんよ
今まで自分と同じくらいの力持ちと力比べをしたいと願ってた所に、幸い今度味方になった延沢満延が、
見事に義光を越えるくらいの力持ちなんよ
さあ、どれくらいの力持ちなのか、満延の力を試して遊ぼうww」

月見を理由に延沢満延宅を訪問すると使者を送った鮭様の密かな楽しみ

結果:鮭延秀綱から借り受けて来た高橋英国(裸武太之助)ほか、志村藤右衛門や小関加左衛門といった
武勇の士らがこっぴどく満延に投げ飛ばされた



732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/08(月) 09:37:33.44 ID:cjypXYP9
やっぱまーくんのDQNの半分は最上の血なんだろうなw

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/08(月) 09:48:26.62 ID:QMquSI9P
鮭様は楽しい脳筋。

親子二代

2014年08月22日 18:55

582 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 23:37:38.35 ID:wxSgOPL/
親子二代

延沢光昌は大豪で知られた延沢満延の息子であったが、まだ年端も往かぬ頃に父を亡くし、老臣に育てられていた

光昌は有路但馬・笹原石見といった重代の家老らから生前の父の武勇談を聞くのが好きだった

有路「亡き殿(満延)は、18歳のときに山形両所宮の鐘を1人で外し、鶴子(尾花沢市)まで担いで帰って来ましてな」
笹原「人々はその剛力にほおと感嘆の声を上げたものですじゃ」

慶長の時代になり、光昌も立派な若武者へと成長した

光昌「父に出来た事、父の血を引き有路と笹原に武芸を教えられたこの身なら、やってやれない事は無いのではないか?」

光昌は中山長崎の円同寺といった寺の鐘が名宝と聞き、住職に「それがしがこの鐘を持ち上げる事が出来たら、鐘を譲っては頂けないか」と掛け合ってみた

住職「お父君は生きる伝説として勇力で名を馳せましたが、この鐘は半端な重さではございませぬ
まぁ、見事持ち上げられたらそれは天命という事ですので差し上げましょう」

光昌「どれ」

ひょい

住職「!」

光昌「う~ん。ま、持って帰れない重さじゃないな」

住職「お約束でしたので、その鐘はご自由になされてくだされ」

光昌「手で持つにも疲れるな…かぶって行くか」

光昌は親指で鐘乳をえぐると鐘に覗き穴を開けた



この鐘は現在山形市長谷堂の清源寺に
「慶長時代に最上の重臣延沢某が中山から持って帰って来たもの」とした寺伝と合わせて現存している

※光昌ではなく、父の満延が中山から長谷堂に持って来たといった伝承もあり




過分の酒

2014年08月22日 13:49

982 名前:sc→net未反映分のコピー[sage] 投稿日:2014/08/22(金) 00:23:14.55 ID:k/wP8bZN
過分の酒

天正18(1590)年、小田原平定が成ると最上義光は太閤秀吉から「わ主(お主)のところに野邊澤(延沢満延)といった剛の者がおるじゃろ。是非ゆっくり会うてみたいものじゃ。上洛の折りに同道させよ」との命を受けた

京には諸侯が同様に腕利きの家臣を連れて来ていたが、武勇で知られた満延の下には入れ替わり立ち代わり、様々な大名家から「是非にいくさの話を聞きたい」「武辺の満延殿と親交を深めたい」と宴への誘いが連日の様にあった

義光も満延も特に断る理由を持たなかったために
諸将との交歓を行った

夜分遅く京の最上屋敷に従者に抱えられる様に帰る、赤ら顔の見なりの高そうな武将(満延か?)の姿があったと伝承が残る

秀吉へのお目見えも無事済み、京で新年(1591年)を迎えた最上義光は従四位下侍従に叙せられ、一旦出羽へと帰国する運びとなった矢先に満延が倒れた

半身不随となり、呂律も上手く廻らない満延を義光は大変不安に思い「ゆっくり養生せよ。又五郎(満延の息子)の事は心配せずに任せよ。無理はせず、身体が治ってから山形に戻って来よ」と多額の薬代と当座の生活費と治療費、それに旅費を屋敷に残る満延の郎党に渡した

義光が京を離れしばらくし、満延は回復する事なくこの世を去った
享年48、脳溢血と伝えられている




延沢満延、力試しの異聞

2014年05月24日 20:28

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 01:31:43.29 ID:7f0VuvxG
延沢満延、力試しの異聞

最上義光が兼山の鮭延秀綱を攻めた折り、氏家守棟、志村光安、新関久正といった山形直臣の他に、万全を期して天童合戦で味方に率いれた延沢満延をも真室へと派遣した

しかし地の利は鮭延方にあり、武の延沢を先鋒の大将としても
なかなか鮭延城を攻め切る事は出来なかった

義光は力攻めを改め長期戦に変更
氏家守棟が鮭延秀綱の一族の庭月広綱を懐柔し
鮭延城の周囲の国人を味方に率いれ
援軍の望めなくなった鮭延城は落城

城主鮭延秀綱は義光に降伏した

秀綱の降伏に伴い、力こそパワー大好きっ子鮭様が目を付けた鮭延武士がいた

秀綱の与力で身長七尺程の高橋英国といった男である

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 01:49:34.08 ID:7f0VuvxG
義光「肥え太ってるのに目覚ましいいくさ働きをする!気に入った!」

義光(´・ω・`)「…(出羽最強と言われた満延だって人間だよね。英国みたいな連中をまとめてぶつけたら、ひょっとして満延だって負かせられるんじゃない?)」

義光「光安、【満延以外の力自慢】って言ったら誰を思いつく?」

志村光安「それがしの家中の大風右衛門、八ツ沼の小関加左衛門、志村藤右衛門ら辺りですか…」



やがて山形城下三ノ丸北東の満延の屋敷で十五夜の催しの際に、義光が満延を訪門する事が決められた

義光は七人の侍を連れ、みな同じ紺と黒地の浴衣姿で満延の屋敷浴衣姿を訪れた

満延「よくぞお越しくださいました。酒を用意しております故広間へどうぞ」

満延が自ら義光を出向え
広間へ向かおうと振り返り際

義光「今宵は無礼講と行こう!者共満延にかかれ、かかれ!」

満延「!」

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 02:13:03.95 ID:7f0VuvxG
二人が満延に組みつこうとしたところを浴衣を掴まれ七、八間投げとばされた
これは敵わないと見た残りの四、五人が一斉に満延に飛びかかったが、正面から当たった者は蹴飛ばされ吹っ飛び、脇から当たった者は殴られ跳ね飛ばされ、後ろから組みつこうとした者も振り回された腕で突き飛ばされた

義光「ひぃ!」

満延「来て早々なんたる仕打ち!洒落でも簡単には済まされませぬぞ」

義光「許せ!余興じゃ!」

裸足で庭に逃げた義光を満延が後ろから羽交い締め

義光は苦しまぎれに近くにあった桜の古木にしがみついたが、満延は桜の木ごと義光を引き倒してしまった

この騒ぎにあって互いの力が凄かったために
あたりの庭土も二、三尺ほど崩れてしまった

義光「満延やっぱり凄い!改めて感心した!」

義光はたいそうご機嫌な様子で満延を山形城に一緒に連れて行くと、抱え切れない程の褒美を渡したそうな

しかしこんな騒ぎにあったのに、義光様がたいした怪我もなされなかったのは
日頃の行いの賜物だろう

満延の勇力の話も後日城下で噂話として持て囃された

「奥羽永慶軍記」「山形軍談」ほか

裸武太之助も延沢満延の力試しに鮭様に付き合わされた挙げ句に
やっぱり力こそパワーの満延には誰も敵わなかった話

一歩間違えれば死人が出ていてもおかしくない事件なはずなのに
美談調にされてる
ちょっとおかしな話?




356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 05:10:30.81 ID:vaqFf0dC
嫌いじゃないけど、相変わらず読みにくい

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 13:05:19.23 ID:Kp39Oa/N
力こそパワーとかネタっぽいけど分からん

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 14:27:12.00 ID:Fq7DBUg2
話自体はおもしろかった
めずらしく顔文字の人にしては義光の陰謀を描いてるし

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 18:03:27.64 ID:kRvmHF84
鮭さまあたりだと天狗とか魑魅魍魎とか言われても悪さするなら斬ってやろうかぐらい言いかねない気がする
(´・ω・`)「おにぎりなら天狗も斬れるよね♪」

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 23:33:09.27 ID:HWjLIhEa
言うほど読みにくいか?
俺は面白かったぞ

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 00:55:30.22 ID:ODgmeTwX
読みにくいかどうかの話なのに面白いと仰せられましても

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 01:06:39.82 ID:c1k40kpC
最上ネタだと脊髄反射で同じ批判する奴がいるからね

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 01:10:12.18 ID:Rr2tMKHl
最上の人はだいぶ損してると気づいてけばいいのにと老婆心

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 02:17:15.87 ID:P2kc/RnN
読みにくいと文句言うなら、まず自分で手本見せて見ろと

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 02:59:40.44 ID:dPqCvV8b
文句というより、もう少し練ったらもっと良くなるよって言ってるだけじゃないの?

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 06:54:11.40 ID:LXX1hlXr
だね
良文ならコピペされて後世まで残るだろうし

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 10:05:48.57 ID:ehEDbANu
なるほど
だから良文は鎌倉幕府草創期にコピペ改変されて全国に散らばっていったわけか

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/25(日) 12:24:51.12 ID:AYMx+peZ
良文流平氏かw

成生伯耆守の寝返り

2012年10月31日 20:05

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 09:02:24.10 ID:Hy/vmaIW
天正十二年、最上義光は夏から天童攻略のため調略にかかり、延沢満延はじめとする
天童八楯らが次々と寝返った。
そして十月、かつての天童家臣である延沢勢はじめ敵が押し寄せる中、いよいよ
天童城もこれまでかと思われた。
そのとき家老の成生伯耆守の家臣たちが城に火を掛けた。
伯耆守は急ぎ城に入ると、出羽奥州探題の系図を持ち出したのであった。
天童城下は炎に包まれ、怒り狂った天童勢は義光本陣松木清水へ攻め込む。
義光はすぐに畳石まで陣を退いたため、深入りした天童勢は次々と志村光安らに討ち果たされた。
失意の天童城主頼久はわずかな供とともに奥州へ落ち延び、天童衆たちもまたあるいは討たれ、
またほうぼうの寺に逃げ込み、そこで僧たちに落城の経緯を語り書き記すよう頼んだという。
のちに頼久擁立と天童家復活の試みもあったが、最上の残党征伐によってこの望みも潰えることとなる。

さて燃えさかる城から系図を持ち出した家老の成生伯耆守は、そのまま義光のもとへとはせ参じた。
義光は系図を手に入れ大層喜んだ。伯耆はこの功に応じて天童城を得られると思っていたが…
「他の者ならいざしらず、おまえは天童代々の家老であるにも関わらず心変わりした。いかがなものか。
城はやると約束はしたが、焼け跡は愛宕堂にしようと思う。おまえは命は助けてやるからどこへなりとでもゆけ」
と、足軽を護衛につけて放逐してしまった。
同じく寝返った蔵増安房守も、天童と縁が深いため義光は軟禁しようと考えたが、
約束した小国城をその子に与え、身柄を子に管理させることとした。
(のだが、のちに許されたのか安房守は最上家臣になっている)

これは寝返った家老でも切腹させないいい話ととるべきか、はたまた約束を裏切った悪い話とみるか…。
(『天童落城並仏向寺縁起』)




100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 09:34:28.47 ID:sn72QCxX
小山田信茂「土壇場で裏切る奴なんて信用できないよね!」

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 09:51:49.35 ID:+TErNPel
朝倉景鏡「全く、仰る通り」

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 09:59:23.90 ID:wEJk1wDV
持ち出した系図というのは本物なのかな

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/31(水) 11:31:09.25 ID:ejv01xH/
>>102
偽者であっても「落城間近の城より家老によって持ち出された品」という
由来があるから問題ないんだろう

「将の器」

2011年10月30日 22:01

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/29(土) 20:48:31.78 ID:8gkfzpGY
「将の器」

天童八楯の延沢満延は天童頼貞の地盤を脅かすほどの勢力を誇っていた。
天童城合戦では八楯の中枢としてこれを守り、侵攻してきた最上勢を散々に打ち負かし、最上方の弓取り
安間某を一騎打ちで軽く一捻りしている。

敵将最上義光延沢満延を懐柔すべく大きな譲歩案を出してくる

・知行地・延沢銀山・権益は従来通り安堵し、これを認める
・八楯への干渉は満延に相談するか差配を任せる
・満延の息子に義光の娘を嫁がせる

八楯に比べれば力は弱いといっても、羽州探題の血を一族に入れられるという事は、八楯盟主天童氏か
それ以上の権威を手に入れられるという事を意味した。

満延は天童の家名を守る事を条件に義光に与す事を了承する




満延、最上方についた事を悩む?

2011年10月30日 22:01

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/29(土) 21:43:09.24 ID:8gkfzpGY
満延、最上方についた事を悩む?

「延沢軍記」「最上記」「義光記」他からの切り貼りで
最上義光延沢満延の力を恐れ、当初から花見の宴や相撲に託(かこつ)けて
暗殺を考えていたとする記述は少なくない。

でも、見方を変えれば新しい真実が出てくる可能性もある
真面目で融通の利かない満延の気を、いかに義光が引こうとちょっかいを掛けていたかといった可能性もある。

・やたらに濃いお茶を満延に「呑んで」と勧めてくる
(イタズラをしてカタブツの満延の反応が見たい)
・連歌の手ほどきを勧めてくる
(一緒に趣味を楽しみたい)
・やたらに長い手紙と心付けを贈ってくる
(かまって!かまって!)
・鷹狩りに頻繁に誘ってくる
以下略

好きになった相手に、周囲が見えない女の子の様でもある。

満延「・・・狙っているのか?天然なのか?」




591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 00:11:31.51 ID:p68KyqNm
いいなぁ、満延さん

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 00:42:20.70 ID:XzdbxuSM
白鳥十郎「この間までの敵同士がまさか酒を酌み交わすとは」
義光「まぁ、面白い余興もあるんじゃ」
白鳥十郎「余興ですか」
義光が「ほれ!」と掛け声を発すると(以下略)

「血染めの桜」と前半までは大差ないのにw

最上義光の天童城攻めと延沢満延

2010年11月26日 00:00

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:10:28 ID:YqZTvPlO
延沢満延シリーズ


最上義光が最上八盾の天童頼澄が守る天童城(舞鶴城)を攻めた時の事である。

最上勢、千手堂という場所で天童勢を大いに破ると、その勢いのまま天童城に攻め寄せた
この時延沢満延は最上八盾の一人として天童城に援兵として入っており、場内から最上方の攻勢を見ると
大手の門を押し開き、ただ一騎討って出た。

この日の満延の出で立ちは、鎖帷子の上に黒糸縅の鎧を着、八方頭の兜をかぶり、月毛の馬に打ち乗り、
常に身から話さぬ5尺1寸(約1.5メートル)の鉄の棒を打ち振るい、向かってくる最上勢をばったばったと
なぎ倒し、これには最上勢、延沢満延の方を見ることも出来ない有様だった。

さて、最上勢の中に安間某という、長く羽黒山に住む弓の名手がいた。
彼は味方が延沢満延一人を恐れている様子を見て

「いくら能登守(延沢満延)と言っても鬼神ではない。よし、俺が勝負をしてやろう!」

と一直線に駆け寄ると、これを見た延沢満延

「わしとの勝負を望むとは、なんと面白い振る舞いかな。ならば我が手並み、見せてやろう!」

と、安間某に向かって突進した!

「この鉄棒を所望のようだな。さあ、一打取らせようぞ!」

安間某が弓をつがえた、その時、

延沢満延、信じられないスピードで拝み打ちに鉄棒を、安間某の頭上に振り下ろす!
そのあまりの衝撃に、安間某の頭は胴の中にめりこみ、乗っている馬も衝撃に足が地面に埋まった!

鉄棒の一撃で頭が体にめり込んだ安間某と足が埋まった馬。
このギャグマンガか、はたまた北斗の拳でしかありえない光景に
最上勢皆驚き呆れ返り(それも当然だろう)、われ先にと引き退いた。


延沢満延と安間某の一騎打ち、のお話。




739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:24:41 ID:Lbgl1t5+
安間某「ぱっびっぶっぺっぽぉっ」


740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:28:10 ID:p2nffH7V
むか~しから思ってたんだけど
五尺や八尺の棒を振り回すより、三間の長柄鑓の方が絶対強いと思うんだが・・・

まあ、江戸時代の鍵屋の辻の決闘でも
荒木又右衛門の豪刀を鎖帷子の上から食らった仇役の首が胴にめりこんだなんて俗説あるからね。

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:37:08 ID:S4mE7Ucz
集団で固まって使うならともかく、一騎打ちで三間の長柄鑓は使いにくいんじゃないか。

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 00:43:16 ID:w/ZZb8hq
三間って・・・5mオーバーだよね?


744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 03:39:23 ID:o60gM2F/
>>740間合い
懐に入れば、短い武器の方が逆に有利になるっしょや。

長柄の武器は馬上や開けた場所で使う分にはいいが…

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 06:02:32 ID:txhbKGEn
三間槍とか集団戦用だよね

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 06:29:50 ID:llfbNwDt
武士の使う槍ではなくて、兵卒の使う集団戦用の槍だね。

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 10:35:37 ID:HoW6MPg8
ラスボス「槍は長いほうがよい」

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:29:31 ID:q1zIg7Fz
長くても子が出来るわけではないしなあ

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:33:28 ID:5v68Rb8A
>>748
磔を申し付ける

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:37:02 ID:bwvWe17T
つロンギヌスの槍
どうぞ>>748の脇腹をお突きください

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 11:48:15 ID:p2nffH7V
>>745
一般的にはそうだが
蜻蛉切には2丈(6m)の柄が付いていたとされる

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 21:08:17 ID:bpQ7LGzr
写真で見る蜻蛉切の刀身は長い。重心を調節するため柄も長くなったんだろう。

用途や使い手の個性で合わせるものでないかんs。

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 22:09:43 ID:llfbNwDt
蜻蛉切のような大身槍はぶった切るのが目的の武器だからな。
分類で言えば鎗だけど鎗のような戦い方とはちょっと違う気がするぜ。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 22:56:48 ID:FWhjzZmF
まあ大力にまかせて風車の如く振り回し当たるを幸いって感じなんだろうな
6メートル超の槍振り回されたら誰も近づけないから
忠勝さん怪我を負わなかったのかもw

いくら柄が長かろうともそこに触ったからって斬られる訳じゃない
って言ってのけた卜傳さんはマジパネーっす

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 23:32:17 ID:Lbgl1t5+
足軽と武士じゃあ槍の長さも違ったろうけど当然戦い方も違ったんだろうな

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 23:34:37 ID:YqZTvPlO
というか源平の時代以前からそうなんだが、騎馬の武士は自分の手に合う好きな武器を持って
戦っていい、という不文律があった。

少年・延沢満延と山形両所宮の大鐘

2010年11月25日 00:01

465 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/24(水) 19:25:04 ID:fAQ5IgJD
最上八盾の中心人物であり、のち最上義光に臣従した延沢満延といえば、若年の頃より
大力として有名であった。
彼が16・7の頃のことだという。

若侍達が多く寄り集まり、諸国の武辺のことなど語り合う事があった。
そのなかで非常によく喋る者が一人居たが、彼が急に進み出て

「そうそう能登守(満延)聞いてくれ。貴殿は力持ちだという話だが、それを是非試してみたい。
山形両所宮に大鐘が釣ってあるだろう?最近も力自慢の兵たちが集まって、この鐘の掛け下しが出来るかどうかで
その力を見せ合っていたよ。
貴殿ほどの大力ならあの位の鐘簡単に持てるだろう?俺達が見物している前で、それをやって見せてくれよ!」

まあ、大人の力自慢でも手こずる鐘を、満延もそう簡単に持ち上げられるものか。
持ち上がらなければ笑ってやろう。という魂胆なのだろう。
これに満延

「いいよー」

と簡単に答え、皆と共に山形両所宮に着くと、その鐘を見るやいなや、瞬く間もあらん、気がついたらすでに鐘を
取り下ろしていた。
さらにひょいと抱えると自由自在に頭の上で回し、さらに鐘を持ったまま雲井の上に飛び上がり、
お手玉のようにポンポンと取り扱った。

「何だ、提灯より軽いじゃないか。この程度の軽い鐘を、なんでお前たちは大げさに言ってたんだい?」

そしてふと気が付き

「あ、そうそう!この鐘俺にくれないか?在所の鶴子(現山形県尾花沢市)まで持って
帰りたいんだ!」

「い、いいけどお前、鶴子ってここから10里以上離れているじゃないか…」

「大丈夫大丈夫!」

延沢満延、この鐘を難なく鶴子まで持ち運んでしまったとか。
これを見た者、この話を聞いた者は、彼のあまりに常識はずれの大力に、
呆れぬものはいなかったという。


延沢満延少年と山形両所宮の大鐘、というお話。




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466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 20:48:15 ID:OADkwknv
鐘を持ち逃げされた両宮所が気の毒すぎる
「くれないか?」は宮司さんに聞かないとw

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 22:19:29 ID:83L2p/ih
            , '´  ̄ ̄ ` 、
          i r-ー-┬-‐、i
           | |,,_   _,{|
          N| "゚'` {"゚`lリ     く れ な い か ?


(レスは省略されました。すべてを見たいときはここをクリックしてください)


468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 13:16:17 ID:pnbFlo9T
わっふるわっふる

続・最上四天王?

2010年10月26日 00:00

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/25(月) 13:36:31 ID:KeSGVTOq
続・最上四天王?

以前「最上四天王」が「5人」だってまとめスレにあったんだが、
「歴史読本」の最新号で「有名武将の家臣団」で「最上四天王」が挙げられてて、「6人」に増えてたw

まぁ、このまま内容を書かせて頂きます。

「最上四天王」
「河北文書」だったかでは
楯岡満茂志村光安鮭延秀綱延沢満延里見民部の「5人」だった。

今回の「歴史読本」では
「最上四天王」の表記の後に
氏家守棟楯岡満茂志村光安鮭延秀綱延沢満延里見民部の「6人」の名があった。

変じゃねーかと思ったんだが、
解説に
志村光安鮭延秀綱延沢満延」は確定だが、
残りの人選は「最上義光分限帳」「軍記物」「書物」によってまちまちだとあった。

氏家守棟は軍師だから入らない
楯岡満茂は副将格だから別枠
里見民部は裏切って他家に逃げたから相応しくない

理由はわかる。

でもこのままだと
「最上四天王」は谷柏直家や江口五兵衛、北楯利長や山家国頼も含め
「何人いても四天王」といったエグザイル状態になってしまわないだろうか?

1600年を一区切りにするなら
死んでいる氏家守棟延沢満延が除かれる代わりに
延沢光昌(満延の息子)が四天王入りしてしまう・・・

竜造寺以上に判断の難しい「四天王」である・・・