「父は知らず。母は官女」

2017年03月10日 13:10

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/09(木) 23:55:41.28 ID:RVhtdrtc
或る説によると、豊臣秀吉が、実は神皇百六代後奈良帝の御落胤であるという。
母はこの朝廷に仕えていた所、禁裏衰微の故から御妊娠のあと故郷に帰り、上中村の何寺
とやらに居た叔父の僧の世話に寄って木下弥右衛門の所に嫁いだのだとか。

この説によると天瑞院殿(大政所)は弥右衛門の継室であり、瑞龍院殿(秀吉姉日秀尼)とは
別腹ということになるが、この説を豊臣秀吉は非常に喜び、後に朝鮮より素性を尋ねられた時、

「父は知らず。母は官女」

と書かせたという。

(翁草)



650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/10(金) 00:18:49.42 ID:CuKbDLlq
大村由己「天正記」を真に受ける人がいたとは

なお朝鮮の宰相・柳成龍「懲毖録」によれば
「秀吉については、ある者は『彼はもともと中国人で、倭国に流れ込んで薪を売って生計をたてていた。
ある日、国王が外出中に道ばたで出会い、その人となりの尋常でないのを見て、軍列に加えた。
勇敢で、力があり、戦上手であったので、功績をあげて大官に出世し、権力も握るようになって、
ついに源氏(足利氏)を奪ってこれに代わったのだ』と言い、またある者は、『源氏が、ある人に殺され、
秀吉がまたその人を殺して国を奪ったのだ』とも言う。」
(中略)
その国では、天皇を尊び、秀吉以下は、すべて臣下の礼をもって対処している。秀吉は、国内にあっては王を称えず、
ただ関白とか、博陸侯とか称している。いわゆる関白とは、霍光の言った『凡そ事は皆まず関わり白(もう)せ』という
語からとって、そのように称えているのである。」
となってるので落胤とは思われてなかった模様



654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/10(金) 13:55:56.55 ID:c5Zdyy3A
>>650
>『源氏が、ある人に殺され、秀吉がまたその人を殺して国を奪ったのだ』

爆弾正「よし、途中が抜けてるからセーフだな」
スポンサーサイト

軽微之至極比興々々

2014年12月18日 18:50

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 22:51:02.10 ID:zsDB0LjC
天文四年二月二十五日
丹後国龍献寺住持禅師号申、四辻前大納言取申、勅許、
長雅(高辻長雅)朝臣詔書如例、今日入畫、十二月二日之分也、五百疋進上、軽微之至極比興々々、
即位早々可行之由、關白(二条伊房)又今日取被申、雖然伸延引之由返答也、今日長老同男給酒
(天聴集)

超意訳
後奈良天皇「丹後国の龍献寺の住持が禅師号を欲しがっていたので、許してやった。その礼金がたった五百疋とは白けた。
即位を早くしたいが,関白がまだだって。」

後奈良天皇の日記である天聴集より
戦国時代の朝廷の寂しい懐事情を伝えています



32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 08:13:15.35 ID:h6U6Q2Oz
戦国時代の朝廷ってとにかく金がない金がないばかりで泣ける

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 10:10:53.12 ID:7/dLbjtN
譲位も出来ないくらいだもんな

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 11:03:44.09 ID:qEO4+IaS
>>34
譲位どころか葬儀すら出せなかったんじゃ?
腐敗して蛆がわいたとか書かれた天皇いなかったっけ?

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 12:07:41.39 ID:se1Sn0Qs
>>36
葬儀ができなかったのは、それが新天皇の即位の礼とセットだから。
即位式も当然莫大な金がかかるのでその資金のめどが立たないと行えない。
譲位も太上天皇(上皇)になるには仙洞御所(院)の造営が必要だったから、勿論アホみたいに金がかかった。

このあたりの事情から、天皇の譲位や即位を丸ごと引き受けようとした織田信長は朝廷の大忠臣だったと、
昨今は評価されてるわけだなw

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 12:20:10.83 ID:F9HpEdLz
後土御門天皇か?
江戸時代の記述だから実際はどうかわからんらしいけど

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 12:26:24.91 ID:se1Sn0Qs
そういや思い出した、「後奈良天皇」が居るのに何で奈良天皇が居ないの?って言われたりするけど、
あれは「平城天皇」を「ならてんのう」と読むんだってね。

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 12:35:19.10 ID:7/dLbjtN
平城の別名が奈良帝じゃなかったっけ?
別名って言っていいのかわからんけどw

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 21:27:40.11 ID:5zCFjWp/
「平城」とかいて「なら」と読むこともある。言ってしまえばもともと別表記の一つ

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 21:57:39.86 ID:F9HpEdLz
故郷の 飛鳥はあれど あをによし
平城の明日香を 見らくし好しも

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 22:16:54.77 ID:MJ5sYfFu
平城とかいてナラと読むのは初めてしった。ありがとう。平安もまさかキョウト?

44 名前:鉄ヲタ[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 22:32:51.97 ID:XDZtrThW
JR奈良駅の隣の駅が「平城山」と書いて「ならやま」

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/18(木) 23:41:56.71 ID:QzIXOdbf
>>41

「平城京」と書いて「ならのみやこ」
「平安京」と書いて「たいらのみやこ」

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/19(金) 00:17:18.51 ID:3HPkLH3n
後小松天皇、後柏原天皇、後水尾天皇、後西天皇あたりもそうですよね。

中世の日記はあまり読んだことがないのでよくわかりませんが、
関白が早く即位を、天皇が延引せよと返答したのではないですか?
最後の一行の酒も気になりますね。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/19(金) 10:41:14.48 ID:Spc5mzsV
後柏原天皇が即位まで21年
後奈良天皇が即位まで10年
正親町天皇が即位まで3年か.....。

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/19(金) 12:53:50.96 ID:Eii3QItj
後西天皇だっけ、諡号整理するとき失敗してそのままになってるのw

変なところで素直な土一揆

2012年04月23日 21:23

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 17:36:53.87 ID:jUTmYakp
天文15年(1546)10月のこと、京の内裏に、数千人の土一揆が、天皇に直訴するために押し寄せた事があった!
噂ではこれは、幕府の奉公衆や奉行衆のうち、一揆の相談を受けた2,3人のものが、そうしろろ支持したのだ、
とも言われた。

ともかくも一揆側の直訴内容はこうだ

『幕府が徳政令発布を認めないので、我々は迷惑をしております。どうか朝廷から幕府へ、徳政令を行うように
仰っていただきたい。』

この突然の直訴に慌てた朝廷では、後奈良天皇の御前で緊急会議が行われた。
天皇は内裏に土一揆が乱入することを心配し、「幕府に徳政令を促そうと思うが、どうか?」と発言。
これに勧修寺尹豊などは賛同の意を表した。

しかしこの時、広橋兼秀らが猛然とこれに反対した。
兼秀はいう

「これは間違いなく、後代に悪しき先例を残します!また世上の嘲りをご推察してください!
たとえ一揆が乱入しても、我々が力づくで追い払います!」

このような意見に結局後奈良帝も、直訴を受け入れないことに決定した。
そこで、この時朝廷は、直訴を受けない理由を、土一揆にどう説明したか?その内容はなんと

『正当な訴訟なら白昼に持って来るべきなのに、このように「夜中の強訴」をするとは狼藉千万である。
よって聞き入れるわけにはいかない。』

そもそも内容以前に手続きルール違反だからダメだわ。ということである。これに土一揆は…

『それは尤もである』

と、納得し、帰っていったそうである。


幕府に対してすら傲慢なのに、変なところで素直な土一揆であった。
(兼秀公記)





750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/23(月) 18:16:01.36 ID:ZWZ3VlM9
>>749
今の政府にはこの気概がないよな。
だから国民に支持されない。