鎌倉光明寺勅額裏年号之事

2017年01月16日 10:21

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/16(月) 02:28:29.13 ID:Mdk5HAw2
鎌倉光明寺勅額裏年号之事

 水戸御撰『鎌倉誌』の光明寺の条には、
寺宝の勅額二枚あり、一枚は後土御門帝の宸筆、”祈祷"であるという。
裏に福徳二年辛亥九月吉日とある。
祈祷堂の額である。福徳の年号は不審である。恐らくは誤って彫ったためであろうか。

 善筑が言うには
この頃〔後土御門の御時をいう〕は、どのような訳か東国では別に年の偽号があってこれを用いていた。
福徳はつまり東国の偽号で、その元年は正に延徳二年庚戌に当る。
なので福徳二年辛亥は、正しくは延徳三年辛亥で、後土御門天皇即位二十七年の年である。

 さて、善筑の言ったことは偽りではない。善筑は何に拠ったのであろうか。
また水戸御撰はその頃にはまだ及ばない所があったのであろうか。

 また偽号に弥勒というものがある。元年は丙寅で、永正三年丙寅とする。後柏原朝のときである。
また食禄というのもある。元年は庚子で、天文九年庚子とする。後平城朝のときである。
なので皆足利の権柄の間に、東方で偽号がつかわれた。

 予はこれから思った。
世に「万歳!」と呼んで、三河の農夫が烏帽子素襖を着て舞うということがある。
歌詞に弥勒十年辰の歳とある。これはまさしく弥勒十年の偽号のことである。
しかし弥勒元年は永正三年丙寅で、十年は永正十二年乙亥である。
辰歳ではない。もしくは予が万歳の歌詞を誤聴したのであろうか。

(甲子夜話三篇)



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