岡本加介の討ち死に

2017年04月20日 21:18

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/19(水) 22:57:07.47 ID:NUslccIW
豊臣秀次の家臣であった岡本加介は、長久手合戦でも功のあった人物で、
後に松倉豊後守(重政)に属した。

大阪冬の陣の折、大阪城中より鉄砲をつるべ撃ちすることがあり、幕府軍の先手が騒ぐ時、
岡本は一番に進んで城際まで付くと、さらに先に人が居たので追いかけてみると、
それは同じ家中の奥田三郎右衛門であった。

このつるべ撃ちは、敵の攻勢などにつながるものではないと判断し、両人連れ立って帰ったが、
松倉隊は備えを丸く立て臨戦態勢を取っていた。そこで両名が帰って報告し、備えを立てるまでもない
状況だと解った。

この奥田と岡本は、夏の陣では松平下総守(忠明)の陣を借り前線に出て、6日の早朝にそろって討ち死にした。

岡本加介は、後藤又兵衛を必ず討ち取ると言っていた。その故を人から尋ねられた時
「後藤はいつも一番に先に出る者であるから、私は魁してこれと打ち合うのだ。」
と答えたという。

果たして岡本は、後藤が討ち死にした場所から6,7間(約10~12メートル)ほどの近接した場所で、
鉄砲にあたり討ち死にを遂げた。
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後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのは

2016年10月14日 21:10

213 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:04:55.82 ID:EfRVp88D
後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのは

黒田長政が豊前の国人一揆で城井城を攻めた際、反撃を喰らって撤退した際に
殿軍を後藤又兵衛が務めたはずであった。
後に論功賞の際に後藤又兵衛は殿軍を務めたと主張するが
新参者である城戸乗之助が赤い陣羽織を持ち出して自分こそが殿軍であると主張した
その陣羽織は後藤又兵衛の陣羽織であった。
乗之助曰く「又兵衛殿が殿軍であれば自分が陣羽織を拾うはずがない、
陣羽織を拾った自分こそが殿軍である」と主張した。
その事により殿軍は城戸乗之助になった。
この件が原因で黒田長政後藤又兵衛の間に軋轢が出来て
後藤又兵衛の出奔の一因となった。
その後、城戸乗之助黒田長政と大坂に向かう途中で
備後福山付近で行方不明になった。
その後の彼の行方は不明である。



214 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:33:38.06 ID:EfRVp88D
大事な事なので二度書きました

“亀の甲”

2016年09月29日 12:09

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/29(木) 03:06:32.46 ID:Dciix/Xf
晋州の城を攻める時、黒田長政の士大将・後藤又兵衛基次は“亀の甲”
という車を作り出した。

厚板の箱を拵えて、その中に丈夫な切梁を設けて、石を落とし掛けても
箱が砕けないように対策を講じた。

箱の中へは後藤が入り、棒の棹をさして車輪を箱に仕掛け、進退が自由
に廻るようにして城際へと押し迫り、石垣を崩して、城へと乗り入った。

――『常山紀談』



204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/29(木) 09:04:47.74 ID:4uRgjnu6
なにそのダヴィンチ戦車

「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」

2016年09月08日 17:40

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 04:37:46.33 ID:HJ7j8xdk
慶長19年、大坂の御陣にて、小栗忠政は御使番・斥候の役目を承り、糧米3千俵を
恩賜され、与力20騎、弓・鉄砲の同心100人を付属された。

11月、後藤又兵衛基次と森豊前守勝永(毛利勝永)は仙波の人家に火をかけて城中
に引き入った。この時、船場の橋をも焼き捨てたのか実否は定かでなかったので、

本多正信を介して、「急ぎ見て参るように」との(徳川家康からの)仰せがあったため、
忠政はすぐさま1人で馬を馳せて行ったところ、

河野権右衛門通重は、御勘気を受けた身であったので忍んでいたのだが、忠政に伴う
ことを乞うた。それから、2人はともども船場の橋際に至り、忠政は馬を止めて静かに
その実否を見届けた。通重も徒歩で橋の向こう方に渡った。

城兵はこぞってその勇気を感心し、「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」
として、矢玉を放つ者はいなかった。

その後、忠政は帰って、敵の様子をつぶさに申したので、(家康から)「敵近く危うき所
に至り、よく見定めて帰った!」との、御感に預かった。

――『寛政重修諸家譜』




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 07:09:12.21 ID:17UvBhRK
あれ?河野の手柄は?まさか…

後藤基次は見殺しにされたという説がある

2016年08月09日 21:02

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 17:52:04.92 ID:l6YB/CQe
大坂の陣、道明寺の戦いにおいて後藤基次が孤立し、討死しましたが
その原因は濃霧で後続の軍が遅れたからだけではなく、見殺しにされたという説があるみたいですね

・いくら霧が発生したとはいえ、半日近く経っても誰も到着しないのは不自然である
・基次は和睦派で主戦派の信繁らと折り合いが良くなかった
・後続隊は本当なら間に合うはずだったが、基次隊からの報告を受けて不利を悟り、穏健派の基次がいなくなるだけならと進軍をさらに遅らせた

以上の理由からだそうなんですがどうなんでしょう?
本当ならいつまで経っても大阪方の仲が悪い話になるかなと思い書き込みました




962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 19:46:39.51 ID:aCP8MmRj
それだと配属された将兵はたまったものではない

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 23:43:04.22 ID:Zz8FXBR0
スレ的にはそういった逸話が欲しかった
単純にそういう話がしたいなら該当スレでええんじゃないかな

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 01:12:47.60 ID:jGae0GlH
>>963
そちらで改めて聞いてみることにします。失礼しました

基次最後の挨拶

2016年06月28日 15:23

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/27(月) 22:30:31.39 ID:xIwt/IjX
元和元年五月二日、後藤基次は大和口の大将としてまさに出立する時、『今度は生きて再び
帰ることが無いであろうから、秀頼公に最後のお暇を申し上げよう』と、御広間へ向かい、
速水出来丸(速水甲斐守息子・当時24歳)を通して斯くと言上すると、秀頼も早速に出御し、
「早や、出陣か」
と声をかけた。

基次は謹んで畏まり
「私は不肖の身ではありますが、去年召し出して頂き、直ぐに諸大夫に仰せ付けられ、殊に
大将の号を許された事、弓矢の面目死後の思い出、何事がこれに勝るでしょうか。
であるのに私は、尺寸もこの御恩に対して報いておらず、この事、返す返すも口惜しく思っていました。

この基次、今度は一番に東兵に相当たり、千変万化に戦って、これぞと思う敵と引き組み討ち死にし、
せめてもの忠を泉下に報い奉ろうと決心しています。然らば、今生において御尊顔を拝するのも
これが限りであり、一層名残惜しく存じます。」

さしもの猛き基次も、この時はしきりに涙を拭っていた。秀頼もまた涙を流しながら

「汝の忠貞は感ずるに余りある。私も宿運拙く、いまやこの体になってしまい、一日も安堵の思いなく、
遺恨余りある。しかしこれも、前世からの宿業なのであろう。

汝と真田を私は、我が両翼と思っている。例え討ち死にの覚悟であったとしても必ず、
再びこの城に帰って、私と死を共にするのだ。この事、必ず忘れてはならぬぞ。」

基次はこの上意の有り難さに感涙を流していたが、率然と叫んだ
「天晴!名君の仰せであるかな!今生の望みもこれにて満たされました。上意の趣、畏まり
奉ります。」

そう言って御前に在った傍輩たちにも皆、暇乞いをして広間を立った。
そして襖障子に一種の歌を書き付けた

『主命ぞ 親子も捨つる武士の道 辞ひとつの命もろとも』

これを見る者は皆感動し、世の口碑に刻まれたのである。

(慶元記)



894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/27(月) 22:51:58.81 ID:KCWhgknx
>>893
このままドラマにできそうなクォリティだ…

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/14(木) 16:37:08.04 ID:gsTyxJTG
>>893 は実話かなあ?。秀頼の発言が詳しく載っているところをみると
創作だろうけど。

素より蝿虫だと思っていれば気にならぬ

2016年06月22日 17:18

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/22(水) 14:46:53.32 ID:cUFFAOL9
大阪夏の陣直前、後藤基次と大野治長の間で口論となり、一触即発という事態が起きた。
その後基次は真田の陣屋に行き、「今陣中にてかくかくの口論が有った」と伝えた。
真田はこれを聞くと、

「そういう事は人を選ぶべきだ。それを蒼蠅に向かって、後藤殿は大人げない。
蒼蠅という虫は、いかなる貴人高官の首にも上がるが、素より蝿虫だと思っていれば気にならぬ。
だからこそ昔の君子も、悪人を蒼蠅に例えたのだ。

近頃私は、あやつを蒼蠅だと思っているので、奴の行動に対して無念と思わなくなった。
後藤殿は生まれつき堪えられない性分であるから、闘論にも及んだのだろう。
今後はそのようにお心得あるといい。」

これに基次も笑い出し
「仰せ至極である。ただ、戦の出鼻をくじくような言動に腹が立って、若輩のようなことを
言ってしまったのだ。しかし、我々が討ち死にするのも間近なのだから、蝿に出会う機会も
もはや稀であろう。
ああそれにしても、あの蝿を払う唐国団扇があれば、千金を以ってしても求めるのになあ。」

「なあに、おっつけ落城の時は、どんな蒼蠅も駿河団扇によって払われるだろう。」

二人は大いに笑い、基次は宿所へと帰っていった。

(慶元記)



761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 10:10:37.15 ID:03GZzFDX
獄門に晒された首に蝿が止まりますがなw
やせ我慢するから九度山いくんだ

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 11:12:23.18 ID:30ZeMVQb
しょせん後藤は陪臣出身、豊家の家老級から見ると見下す対象だったのだろう

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 20:09:32.12 ID:MjtEezd7
大野治長佞臣説は悲しいなあ

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 02:12:15.04 ID:dd6ReUWt
全くだな、本当の佞臣は落城前に逃亡するもんだ。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 08:15:17.70 ID:bKV/JtHm
片桐「んだんだ」

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 09:55:06.45 ID:bB1GLsRN
>>764
織田宗家のワシを愚弄する気か!

後藤又兵衛は大志ある男である

2016年06月03日 19:48

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/02(木) 11:10:55.75 ID:bO2ktwaZ
 後藤又兵衛は大志ある男である。
初め黒田長政に仕えていたが、長政が筑前を賜って移封したときに、又兵衛が

「このような辺鄙に住んだら大業は成らない」

とのことで、黒田家を辞めて浪人となった。
その後大阪で浪人を集めると聞いて再び秀頼に仕え、
軍利なくてついに討ち死にし身果てた。大志の弊と言うべきか。

 また朝鮮へ初めて諸軍渡って上陸すると、辺民がことごとく逃散して、みな空き家となっていた。
兵卒がその家に入ってみると、壺瓶の類に、酒が満ち溢れていた。
時に誰かが言い出したのだろうか、
「これは毒酒で人を殺す計である。」との噂が流れた。
諸人は聞いて恐れ、飲む者はいなかった。
又兵衛は

「例え何であろうと渇きを凌ぐに十分だ。
もし毒があれば我が一番に飲んで死のう。」

と引き受け引き受け飲んで、

「言葉にできない美味だ」

と舌打ち居たので、諸卒これを視て、我先にと群飲して、益々鋭気を得たという。
世諺にいう毒の試とはこれから始まったという。
(甲子夜話)



籤で持ち口

2016年05月01日 17:13

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/30(土) 21:19:12.93 ID:SZUuzKNG
大阪冬の陣が始まろうとする時、大阪城中では関東の出馬を聞いて、諸方の砦、その他外構え等の
普請に傭役を増やしてこれを急いだ。そして豊臣秀頼は、譜代新参の諸大将を召して評定を開いた。
その内容はこうである

「先に命じた各々の持ち口(担当部署)には善悪が有り、それに対して不満も出ている。
そのためもう一度、籤によって持ち口を定めたい。」

これを聞いた各持ち口の頭分の者達は
「最前既に仰せ付けられた持ち口ですから、それに善悪があろうとも今また変更すべきではありません。
また、兵家が籤を用いる時は、故実に従うべきです。
ともかく、そのままに差し置くべきです。」

そう、この件に反対した、

この時、大野治長渡辺糺は籤奉行であったのだが、大野治長がこう発言した
「黒門口は平野口に近く大手の内の要害ですから、かの口三十間は治長がこれを堅めます。」

これを聞くや渡辺糺が怒鳴った
「治長殿のやり方は理解できない!いま、持ち口に善悪があるからと籤を用いようとしているのに、
黒門口は治長自ら堅めると言われる。ならば籤はしないのと同じではないか!?

総じて修理亮殿は万事ほしいままにして諸将を蔑ろにしている事、甚だ奇怪である!今後、慎まれる
べきである!」

しかし治長は少しも屈せず
「黒門口は内側が広ければ小勢を以っては担当できない。それ故にこの治長が、籤を執る前に
これを堅めたいと申したのであって、全く我意を挟んだものではない!
そもそもそのようにいう和殿こそ、却って秀頼公の思し召し良きをいいことに、常に諸士に対して
無礼であるため、人々もこれを悪んでいると聞くぞ!
この治長に意見する前に、先ず自身が謹しまれよ!」

そう荒らかに言い放つと、糺も激怒し
「普段のことはともかく、今度の黒門口は籤の上であれば、特別に治長に堅めさせるようなことはしない!
強いてというなら、余人には渡さぬ。この糺自ら請い取るべし!尚も言いたいことが有れば申してみよ!」

目を怒らし居丈高に成り、肘を貼って叫ぶ渡辺糺に、大野治長も立ち上がった所を、座中の人々が
慌てて両人の間に入り
「御両人はこの城の棟梁の臣なのですから、このような諍論は似合いません。殊に大事を控えながら
朋輩同士が口論するのは然るべからざる事です。第一君の御為になりません!」

そう制したことで渡辺は鎮まり、治長も「私も誤っていた」と謝罪し、各々はその座に帰った。
この諍論に時間を取られたため、籤の沙汰は無くなった。

籤が中止に成ったことを真田幸村は聞くと「さもあらん」と嘲笑った。
そして後藤基次は
「両人の喧嘩は大阪の幸いであったのに、どんな馬鹿者がそれを止めたのか。
この両姦人さえ討ち果たせば、城中の評議は思う様に整って、天晴花ある軍となっただろうに。惜しいことだ」
と、大いに腹を立てたという。

(慶元記)



580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/30(土) 23:16:14.42 ID:q6uhGX3x
いつ見ても城内ばらばらやな

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/30(土) 23:49:28.24 ID:1l8pvDLb
目立った働きのなかった譜代が目立とうとして必死なんよ

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/01(日) 00:06:04.93 ID:x4B2WdUx
突出して凄いのが出てくればよかったんだろうけどねー

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/01(日) 00:33:08.56 ID:98MthrCf
そりゃまあそれほど戦慣れしてない譜代は浮足立ちもしそうなもんだ

終いには頭のてっぺんを削ることになるぞ?

2015年08月11日 14:12

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/11(火) 10:25:51.50 ID:8wQ5baPO
後藤又兵衛基次は黒田如水の家臣であった。

天正15年(1587)、黒田長政が大将となり、後藤又兵衛など大剛の者大勢を動員し、城井谷城の
城井鎮房を攻めたが大敗北を喫し、撤退時に長政は、馬が深田に嵌り込んでしまい動けなくなった。
ここに菅六之助(正利)という大剛の者走りきて

「西国一の名馬であっても、殿の御命に代える事は出来ません!」と長政を馬から下ろし
「早々に退いて下さい。この馬は私が引き上げて後から参ります!」
そう言って自分の馬に長政を乗せ、菅は後に残って馬を何とか引き上げようとしたが上手く行かず、
片鐙を外して持ち帰った。この菅六之助の行為に人々はみな感じ入った。

ちなみに長政が馬を深田に嵌まり込ませた時、最初に通りかかった後藤又兵衛に声をかけたが、
又兵衛は知らぬ顔で通り過ぎた。

さて、この戦では如水の下知を用いずに敗軍したため、物頭などは恐れて寺に入り、或いは元結を切り落として
出仕を止め引き篭もったが、後藤又兵衛一人は常のごとく出仕のため登城した。

そこで人々が又兵衛に「じ、如水公の御機嫌はいかがだろか!?」と心配したが、又兵衛は大いに笑い

「主君の怒りを恐れて引きこもるような者は忠臣ではない!殊に戦の習い、勝つも負けるも常のことなのだから、
その度に髻を切るのなら、終いには頭のてっぺんを削ることになるぞ?さてもさても小気な事だ。
我らが主人は、そのような小気ではないぞ。」

そういって出仕した所、如水の機嫌も治った。これを見て長政初め皆々も如水の前に出仕した。

(明良洪範)




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/11(火) 10:47:26.97 ID:SpSvfI1H
このあと又兵衛は死にかけるのか

にしても相変わらず長政には素っ気ないなあ

慶長20年の軍評定

2014年12月26日 18:37

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 05:48:19.24 ID:JvE4goeo
慶長20年(1615)、関東と大阪の再合戦が起ころうとする時、豊臣秀頼は諸将を集めて軍事評議を開き、
「各所いかにせん」と諮問した。この時、長宗我部盛親が「真田殿、まず所存を申されよ」と
発言を促した。しかし真田幸村は「いや、長宗我部殿から先に語られよ」と遠慮し、互いに譲りあったが、
諸将も幸村に進めた。このため幸村

「そういう事ならば所存を申し上げます、去る冬の合戦では、城郭も固く兵糧も多くありましたので、
日数を経る内に、西国衆の中に必ずお見方に回るものも現れようと量っていたのですが、存外に速く
御和睦になり、かつ堀も埋め立てられましたので、今は籠城すべみ手立てはありません。ただ打ち出て
戦うより他ありません。

然れば、君(秀頼)の御出馬がなくては叶いません。
それには先ず、宇治瀬田の橋を落としこれを要害として固く守り、その上で、合戦の様子によって
また手立てを考えます。そうして、御運所は天に任せ、ともかくも御上洛あって、一度は天下の主と
なられ洛中の御政治を行わば、末代までの名聞、これに過ぎたるものありません。」

これに盛親はじめ後藤、木村、速水その他の諸将も一同に「然るべし」と同意したが、大野修理(治長)一人
「秀頼公の御出馬あること然るべからず」と幸村の提案に同意しなかった。
このため諸将は心中に疑いを生じ「修理の母は現在関東に人質に出ているので、修理の心中は図り難い。」と
評議もまとまらず、決定のないまま終わった。
真田幸村は後で嘆息し言った。
「修理は秀頼公を大事に思い、出馬あることを危ぶんで同意しなかったのであろうが、結局は
軍事に疎いゆえそうしたのだ。是非に及ばぬ。」

その後修理の母は関東より帰り、引き続き関東の大軍が伏見の到着したと聞こえ、秀頼はまた諸将を集め
評議に及んだ。盛親はまた、幸村に発言を譲った。幸村は語る
「大御所は昨日伏見に着陣し、軍兵の疲れも休めず茶臼山に陣を移したそうです。
伏見から13里の行程ですから、軍兵もいささか疲労することでしょうから、明夜は関東勢、たとえ甲冑を
脱がないとしても必ず熟睡に及びます。ここに夜討を成功させる条件は整っています。
私が夜討をして、勝負を決します。」

ここで後藤基次が進み出て発言した
「真田殿のご意見は、私の考えていたことと全く同じです。明夜必ず討たねばなりません。
さりながら、真田殿が行って向こうで万一のことが有れば。当城に軍師がいなくなってしまいます。
軍師がなければ合戦が出来ません。されば、真田殿は城に残られよ。私が貴殿に変わり馳せ向かって
勝負を決します。」

しかし幸村は「いや、私が馳せ向かって大御所を打ち取る!」と言い、基次も「後の合戦が大事であるから、
幸村殿は無事に当城に置かれるべきである!」と譲らず、ついに口論となり夜討することなく終わった。

この両人は、本来私の口論で合戦の大事を取り外すような人物ではないのであるが、どういう訳かこの時は
夜討を諦めたのである。これも関東の御運が高かった故であろう。

(明良洪範)



91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 06:52:39.35 ID:E/BfeLMc
大坂方の勝利を信じて戦った牢人って、どれくらい居たんだろうな

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 07:06:04.83 ID:yBRc+hLT
流石に夏の陣ではいないだろうなぁ

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 07:41:47.96 ID:kbf2BkNS
秀頼はもうすでに死んでいてあれは影武者だったんだよね
外に出せば露見するんで出せなかったわけさ

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 08:17:14.34 ID:ovKzWd01
有名な話だけど改めて読むとなるほどって思うな。冬の陣が残念なのはわかった。

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 20:04:51.69 ID:1FGcX7IZ
温存しすぎて戦力を活かせないパターンか

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 23:14:56.05 ID:UBPhGHt0
FFでエリクサー勿体無くて使えない症候群の人は大坂方を責められんな

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 23:26:41.89 ID:31wocBR8
大坂方は補充が効かないからなあ
「なくなるかも」でずっと身動き取れない

全く珍しいほどの手練であった

2014年07月22日 18:52

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 12:51:26.08 ID:qOBkUal5
朝鮮の役でのこと。

有る時黒田家の陣営において、黒田三左衛門美作、野村隼人後藤又兵衛の3人が一緒にあった時、
向かいに敵の唐人(明人)が一人あり、矢をただ3本、手に挟んでいた。

黒田家の3人はこれを見つけると、討ち取らんと争って駆け寄った。

先ず、後藤又兵衛が一番に馬で乗り寄った。しかし唐人が矢を放つと、これが又兵衛の小腹に辺り
落馬し、当の敵を討つことは出来なかった。

次に野村隼人が駆け寄ったが、唐人は近くに寄るまで矢を放たず、なおも近づいた時
放たれた矢が隼人に当たり、これも討つことは出来なくなった。

3番目に三左衛門が唐人の側まで駆け寄って、刀を抜いて振り上げた。
そこを唐人は狙いをつけて矢を放った。その矢は三左衛門の右手に当たり、肘から上腕の後ろまで
貫き、三左衛門はたちまち刀を落とした。

が、三左衛門はそれに構わずこの敵と組打ち、ついに仕留めたのである。
それにしてもこの唐人、ただ3本の矢によって3人を射たというのは、全く珍しいほどの手練であった。

(黒田家臣伝)

黒田美作、矢で撃たれたけど構わず敵を撃つ、というお話。最後はやっぱり力技ですね。




340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/22(火) 15:26:38.89 ID:OcCuZJZB
あー、黒田家臣すごいね

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/23(水) 06:43:56.47 ID:5E4XFPhC
急所に当たりさえしなければどうと言うことはない、ということなのか

秀頼の、和議受け入れまで

2014年07月04日 18:52

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/04(金) 09:33:02.32 ID:E2O7/VxD
大阪冬の陣
幕府軍による備前島からの大筒による攻撃で、大阪城内の櫓が破壊されると、豊臣首脳陣は
これ以上の抗戦は不可能と見て、旗本である七手組の頭たち、そして織田有楽は揃って幕府との
和議を受け入れるよう豊臣秀頼に迫ったが、秀頼は

「この籠城を決断した初めから、私は自分の運を開くつもりはない。父の遺言に任せ、この城を
墓所だと思っている。それなのに何故お前たちは和議を受け入れよと申すのか?」

これには皆言葉なく立ち下がり「秀頼公は、古参の者達の申し分は聞き入れてくれない。この上は
新参の者達の考えを申し上げ、その上で諫めるのだ。」そういって長宗我部、真田、後藤、明石を始めとした
浪人衆に、「この事をどう思うか」と尋ねたが、その評議はそれぞれにまちまちな意見であった。

ここで後藤又兵衛はこういった
「諸大名に内通しているものがあると言われますが、一人も御味方に参るものは居ません。
弾薬も兵糧も限りあるものです。一体、何を頼りにこの和議を受け入れないと仰っているのでしょうか?」

次に真田左衛門佐(信繁)は言った
「籠城というものは、諸人心を一つにしてすら覚束ないものです。であるというのに、この頃の
南面の持ち口の状況を注意して見れば、運生寺(織田頼長)の持ち口では、鉄砲を撃つことを固く
禁止している。先日など誤って発泡したものを斬首し、その頸を晒しさえした。そんな状況であるから
敵は早堀の際まで仕寄せてきている。

また目立つ白い吹貫を、3度まで色々に染め替えるという不審な行動もしている。

そのうえ先日4日には、敵が柵にまで手をかけ、我々はその防御のため、童女に至るまで石を運ぶほどの
危機に陥り、諸人は息を呑んでいたのに、かの織田頼長殿はその前夜から「風邪を引いて咳が止まらない」と
家に入り、傾城(遊女)に身体を揉ませ深夜まで遊んで居られたと、そんな話も承っている。
彼といい此れと言い、疑念が晴れることはない。

この織田頼長殿は有楽斎殿の嫡子であり、秀吉公の御一門、南面の総大将です。そのような人物が
斯くの如くの有り様では、どうしてこの籠城が叶うでしょうか?
相手が和議を言ってきたのを機会として、時節をお待ちに成るべきです。」
そのように申し上げた。

この意見に他の浪人衆も同意した。
織田有楽、大野修理はもとより和議への賛成派であったので、古参新参の者達の意見を合わせて、
先ず、母の北方(淀殿)にこう申し上げた
「形のごとく計略をめぐらし諸大名の心を引いてみたというのに、一人も味方に参るものが居りません。
あまつさえ我等に野心を抱くものも、未だ城中にいると承っている。その上兵糧弾薬も徐々に
尽きてきています。

敵の家康は名将であり、日本中の軍勢をもってこの一つの城を攻めているのですから、味方につこうと
思うものが居ないのも当然なのです。今は、ただ一筋に、秀頼公が御母もろともにお腹を召されて
諸軍勢をお助けになられるか、この和議を許諾して、時節をお待ちに成るか、二つに一つです。」

母の北方はこれを聞いて「源頼朝は朽木の中に隠れて本意を遂げ、越王は心を秘して会稽の恥を雪ぐと申す。
命を捨てるばかりを勇者と申すべきではない。秀頼のためであれば人質となっても関東へ下り、
いかなる目にあっても露ばかりも厭う心はない。古参新参の人々を語らい、秀頼を諌め申すように。」

そして有楽を中心に、秀頼を様々に説得し、秀頼も終に
「私は未だ若年であり、弓矢の道もよく理解していない。おのおの一同がそのように申す上は力及ばぬ。
宜しく計るように。」

と、終に和議の受け入れを許諾したのである。
(秀頼事記)

秀頼の、和議受け入れまでの経緯である。



620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/04(金) 19:13:05.96 ID:hb+FdUE6
これが本当だとすると秀頼は戦略眼はないにしても
気概だけはあったということか
しかし裏切り者はおいといて、淀君、豊臣首脳陣、浪人勢、秀頼
特に貶めてないのがなんかいい

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/04(金) 19:21:45.64 ID:8LDaSUCl
左門「はいはい、ワシのせいワシのせい」

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/04(金) 23:49:19.92 ID:jTl8WvhA
>>620

最近の説では、淀君自身は人質として江戸に行ことを承諾していたが、
秀頼が母親を人質にすることは受け入れられない
と強硬に反対していたという見方が有力らしいからねえ

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/05(土) 02:35:04.60 ID:9R7ZIt2m
秀頼は交戦、淀は講和と、いままでとは真逆になってきてるし

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/05(土) 03:51:46.28 ID:+DRSuoeO
夏の陣の方はどうなんだ?

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/05(土) 11:24:12.90 ID:l4p3lJTi
淀殿は最初から講和派だったのか
それとも大砲にびびって鞍替えしたのかどっちだろ

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/05(土) 11:51:39.42 ID:Ht6XSUXc
冬の陣前→開戦派
冬の陣中後→講和派
夏の陣前→フェードアウト

お袋様専制と言われるくらい権力をもって居たから
戦前より講和派なら戦になってない可能性が高いくらいの話
いざ始まったら味方する大名ゼロで講和派転向
夏の陣前は秀頼が発言するようになり代弁者でしかない淀君はフェードアウト
真偽はともかく淀君関係を拾っていくとこんな感じ

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/06(日) 16:42:43.34 ID:0z3bdRYv
>>625

それ以前に、関ヶ原の時点で

通説

淀君 > 西軍
ねね > 東軍

だったのが、

淀君 > 東軍
ねね > 西軍(というか、宇喜多+石田派)

というのが有力になってる
その結果、淀君がお江の事もあって、家康や秀忠に託していたのが切り捨てられたという見方が強い

中間六右衛門と後藤又兵衛

2014年05月20日 18:55

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 00:03:46.95 ID:JesdULt1
黒田六端城の一つ、松尾城(福岡県朝倉市)の城主は、豊前の国人出身の
中間六右衛門だった。

大隈城主の後藤又兵衛は中間と懇意で、たびたび訪問する仲であった。

街道筋から城下へ向かう途中の橋は、「後藤一本橋」と呼ばれる。



重臣同士が仲良しで密会しまくりって、大名には怖いわな。




976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 00:12:50.53 ID:W29iPA9Q
引用元くれ

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 01:04:35.13 ID:JesdULt1
>>976
975の?
出典は『福岡県地域史研究 No.13』
「伝承では」と。

「はつの槍は長いねえ」

2014年04月20日 18:47

21 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/19(土) 18:40:33.53 ID:4D7S36vy
又兵衛には無かったけど、長政で既出だったらゴメン。

黒田一成は童名を「はつ」といい、黒田長政の寵童だった。
城井を攻めた時のこと、総軍が退却する中、はつは残り槍を合わせたという。
奇特なりと長政が褒めるのを聞いた後藤又兵衛はかげで
「はつの槍は長いねえ。一里八町くらいあるんじゃないの?」
と笑っていたという。




22 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/04/20(日) 07:15:54.19 ID:VScin6KQ
シーモネーターMTBか

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 10:38:21.90 ID:dXauvDAG
又兵衛って友達いなさそうな奴だな

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 10:44:38.34 ID:bMKM8+U8
そいつも逃げたのに長政から褒められたから「逃げながら攻撃できるなんて長い槍だねw」て嫌みを言われたんじゃなかったっけ?

25 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/20(日) 11:28:11.77 ID:QyIRPes1
この面倒臭さは、どっかの家臣団と・・・

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 13:46:52.91 ID:/kUM2KEe
主君に向かってたわけ!とかいいかねないなここも

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 19:13:47.68 ID:wxeGH0tc
こんな感じ悪い奴、戦の無いご時世じゃ奉公構するまでもなくどこの家でも続かないんじゃ…

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 21:57:28.17 ID:Isu6luxe
>>25
某家臣団は「戦わずに逃げてくんじゃねぇよ!」だけど
長政憎しで命かけて戦ってる人間にこの物言いはなぁ…

29 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/04/20(日) 23:17:49.16 ID:VScin6KQ
後藤又兵衛さんはメンヘラ女よろしく、メンヘラ武士だった可能性が微レ存?
GT-MTB「やだ、わたしngmsにストーカーされてる?」
黒田家一同「ねーよ!」

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/20(日) 23:59:52.58 ID:IJl7NddY
ブラック家中ですね

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 00:18:05.04 ID:xliIxot8
又兵衛は如水の息子みたいなもんで、
長政は弟みたいな扱いなんだろ

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 00:36:46.17 ID:Gj8yUMWz
しかしそんな又兵衛さんも色んなとこからラブコールかかってたよね
これも憎まれっ子世に憚る、か

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 00:39:59.67 ID:7mhr5a/9
黒田だけにブラックユーモア

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/21(月) 01:59:21.72 ID:5YRmUs0n
才気あふれるがゆえに鼻持ちならないタイプだったのかもね

[ 続きを読む ]

「どうして悪しき方に向かっているのですか!?」

2014年02月07日 19:14

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 20:47:34.45 ID:2tOHNFTx
慶長5年(1600年)8月21日、東軍は岐阜城を攻めるため合渡川の渡川を決行。
いわゆる木曽川・合渡川の戦いである。

このとき黒田長政は、わざと敵陣の近い方に進んで川下の方に向かい、合渡の宿の東、川端湊という
所まで行ったが、その辺りは川の淀みであり、水深が深く渡り難いものであった。

長政は川上に浅い瀬があると聞いて、士を少々召し連れて浅瀬の方を見ようと川上の方に二町ばかり
戻ってみたところ、何とそこから川上の方では田中吉政の先手の兵が今から川を渡ろうと、川端に
足をかけているような状況であった。

これを見た長政は「田中に先を越されては言いがいもない!」と、その場の、藤内瀬という場所から
川に乗り入れた。

この時黒田家の家臣たちは川下の舟渡の場所に集まっていたのだが、長政よりこちらに来いとの使いが来て、
我先にと長政の跡に駆けつけ、さしも深き大河を船もなく渡り始めた。

さて、半分ほど渡ったところで、川向に敵が数多く鏃を揃えて待ち構えているのが見えた。
しかし長政はこれにもひるまず、敵の多い方に向かって進んで行った。

家臣の後藤又兵衛はこれを見て「これは危ない」と思い、

『向かいには敵が多く鏃を揃えて待ち構えています!その脇の方に向かって渡りましょう!』

と言おうと思った。が、長年の間、長政のいつもの勇気(無謀とも言う)を知っていたので、
敵が強いなど言えばなんとしてもその方に向かい、脇に行くことはないと思ったので、
長政に向かってこう叫んだ

「どうして悪しき方に向かっているのですか!?」

長政これを聞くと、後藤の方へキッと振り向いて
「なんだと!?私が向かう方を悪しきとはどういうことだ!?」

「ただ今向かっている方向に待ち構えている敵は雑兵ばかりです!良き敵は、あちらの方におります!」

と、敵の少ない方を指さした。長政はこれを聞いて

「ならば、良き敵の有る方に向かおう!」

そう言って敵の側面になる方向に向かって川を渡った。

(黒田家譜)

そんな、実に黒田長政らしい合渡川合戦の逸話である。




295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 21:52:06.02 ID:BQwMF9SG
え、又兵衛がNGMSを心配したの?

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 21:52:44.61 ID:j1QXlBv9
戦国ちょっとかわいい話

後藤又兵衛さんとその馬取

2013年11月22日 18:55

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 04:34:06.38 ID:20PsjIhU
天正15年(1587)4月10日、豊臣秀吉による九州征伐が進む中、当時20歳の黒田長政を主将とする
部隊が島津の支城のある日向の財部という場所へ威力偵察に出、そこで伏兵と交戦する、という
事があった。

さて、この時黒田軍の後藤又兵衛は川中で敵と戦い、馬上で組んでそのまま落ち、
上に下にと組み戦ったが、敵が大力であったため終に又兵衛は組み伏せられ、
もはや危うし、という所に、又兵衛の馬取が一人、彼を助け敵を引き剥がした。

これで息を吹き返した又兵衛は、逆に敵に乗りかかり、終に討取ったのである。

又兵衛は、馬取に命を助けられたのみならず、敵を討って高名までしたので、
帰陣の後は、あの馬取を思い切って取り立てよう、そう考えていた。

ところが、下臈というものは心拙いものである。馬取はその陣中において、又兵衛の刀脇差しを
盗みとって逐電してしまった。

(黒田家譜)

途中までいい話だったのに最後が台無しな、後藤又兵衛さんとその馬取という逸話である。




853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 04:49:40.36 ID:ZLFQ2qF4
取り立てられてもせいぜい十石程度だろうし数百貫しそうな刀の方がいいわな

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:07:36.20 ID:eZ0Ts2P3
本当に台無しだなw

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:11:36.29 ID:c4vXImvu
馬取=バッテリー説

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:29:39.82 ID:r3ElO6WV
そんな脇差売ってって足がついたりしなかったのかな。無名武士の脇差なんてたかがしれてるのか。

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 11:40:20.34 ID:nT5ZDr8X
>>853
命の代金と考えれば刀で済んで安かったかもしれんな

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 12:39:51.14 ID:oHl62Yrp
自分は川で手助けされたのに、その後、似た状況で主は放っておくのか…

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 13:15:25.58 ID:5eJrhHWV
しかも、敵地オブ敵地で、敵もわけわからない外人相手

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 17:05:51.09 ID:2+NBOUPX
又兵衛って人を見る目がないんじゃないの?

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 17:44:37.71 ID:LJohxIe6
>>858
又兵衛「逐電されたくないだろ?(ニヤニヤ」

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 17:45:45.89 ID:eZ0Ts2P3
池田家からも問題起こして追放される人物ですのでご勘弁ください。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 19:23:38.89 ID:vOZOTJx3
馬取は余計なことしやがってって言われて下手したら殺されると思って逃げ出したんじゃねーの

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 20:20:56.43 ID:2ljH09UW
あの野郎、馬取りから刀脇差取りにクラスチェンジしやがった

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 20:25:47.37 ID:iqeEimrD
褒美はすぐにくれてやれって誰ぞ言ってたな。
命助けてやったのに褒美くれないなんて!!って思ったとか。
でもケチな逸話は上がってなかった筈・・・。あの性格が嫌になった?(ヒドイ

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/22(金) 20:35:51.96 ID:XNP/O2IU
この逸話を契機に周りに対して優しくなった又兵衛。
※ただし、長政は除く

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/23(土) 15:02:18.71 ID:DtPV0SS+
譜代の家臣の前でも大切な物を出し入れするところを見せてはならぬだね

松明と堀直寄と水野勝成

2013年05月03日 19:50

堀直寄   
504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 12:59:12.21 ID:clAJYcFx
堀直寄は大坂夏の陣にて、水野勝成に大和口先陣の大将を命じられた。
直寄は松倉重政とともに大和口に向かった。

五月五日の夜更け、勝成は「敵が寄せて来るらしく、松明がたくさん見える。
警戒を怠らないように」と諸将に伝えた。

直寄はこれを聞いて「日向守は物馴れしていると聞いたが、功者とも思えないな。
寄せて来る敵がどうして松明を照らすだろうか。敵にあらず」と言った。

そこへ勝成が使いを遣して「松明がすべて消えた。敵ではない」と告げてきた。
これを聞いて直寄は「いいや、敵だ。何事もないので火を照らしていたが、
功者がいて消させたのだろう」と言ったが、確かに後藤又兵衛がいたという。

――『責而者草』




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 14:24:10.84 ID:G7qRRhOZ
戦のお約束を知らない将は敵でも味方でも恐そうだな

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 14:32:08.22 ID:EhqI/3Wk
結局どっちなんだ

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 16:01:55.88 ID:OvJz/j0O
勝成は、たくさんの松明が消えたことをどう思ったんだろう

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 16:39:16.62 ID:gebgZCnY
省エネとか

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 17:00:12.19 ID:9qUZIJ0D
「堀直政の息子ってもこんなもんかーいw越後の田舎の戦は出来ても天下の戦はダメだなw」
とやろうとしたとか
まあ流石に無いな

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 17:18:38.39 ID:AlDhoViu
いい話なのか悪い話なのか、微妙に分からんw
まあ、さすが直寄!そこにしびれる!あこがれるゥ!なんだろうけど

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:04:24.42 ID:e5gA7wHn
話と全く関係ないけど日向守なんだね
謀反人の官位とか普通の人なら避けそうなのに

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:14:41.16 ID:fR/sZd5t
普通の人じゃないし。

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:16:09.94 ID:bzRKkpzn
むしろ光秀の官位とわかって、あえて日向守を望んだのが勝成だからなあ。

家康の仕寄巡見と後藤又兵衛

2013年03月07日 19:50

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 22:05:15.79 ID:cEcaCZCt
さて大阪冬の陣
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1357367577/641
↑の話で、これは自分が直接見ないといかんと思ったか、徳川家康は諸大名の仕寄の
巡見をすることとした。
当日、その道筋には諸将がまかり出てお目見えを望み、家康は乗り物から「何れも骨折りである」
と声をかけた。

そして家康は備前島の、片桐且元の陣屋に入った。
この仕寄場は大阪城に殊の外近く、矢狭間からは城中の男女の衣服まで、鮮やかに見て取ることが
出来た。

家康は乗り物から降りると、杖をついてそのまま竹束の外に出ようとした。
これこそ家康の近習たちが最も恐れたことである。城から近いということは、敵からの銃弾も
ここには降り注いでいるのだ。お供の者達は慌てて「どうか竹束の陰に入ってください!」と
申し上げ、どうにか留めようとした。
そして本多上野介(正純)が御側に行き

「大御所様ご自身で外に出るなど勿体無いことでございます!どうかこちらにお入りください!」

と説得した。と、これに家康、激怒

「黙れ黙れ!」

家康は怒鳴り彼らを下がらせる。それでも正純と永井右近太夫(直勝)の両人が矢面に立ちふさがり家康を
行かせまいとしたが、家康は強引に脇に寄らせ、そのまま外に出て、大阪城からの銃弾が飛んでくる中、
悠々とその城内を視察した。

そして上野介(正純)、使番の小栗又市、初鹿野伝右衛門、横田甚右衛門、真田隠岐守(信尹)、
島弥右衛門、朱倉六郎右衛門を呼び、彼らをその場の矢面に立たせた。

そこで島弥右衛門の草摺に三匁五分ほどの鉄砲の弾が当たった!
が、それは当たると平たくなって落ち、体まで届くようなことはなかった。

家康は距離などを見立て鉄砲があたっても大したことがないことを計算した上で視察し、
近習たちにもそれを体験させたのである。

所で家康が巡見を始めた頃には大阪城の四方から甚だしく鉄砲が撃たれていたのだが、
やがてそれは止まった。それは後藤又兵衛基次が射撃を静止させたためである。

後藤は竹束の外に出てきたのが家康と気づき、嬉しげに

「皆銃弾を恐ろしがって中々出てこない所に、このように出てこられるとは、さすが家康公である!」

と、大いに褒め、足軽たちに
「あそこに出てこられたのは家康公である!大将などは弓鉄砲で討つものではないぞ!」と、
命令の変更を下知したのだ。

だが、これにより大阪城内では『後藤は家康と一味している』との風聞が流れ、また家康がかねてから
後藤又兵衛や御宿越前(政友)などはわしに対して遺恨はないはずなのに、どうして籠城したのか?」
と言っていることが城中に知られ、更に妬みを買い、城内で孤立していくことになったという。
(村越道伴物語留書)




846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/07(木) 02:09:21.52 ID:+ZxFXNdZ
もしもK.Nさんが見にきていたとするとどうなっていたのか…

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/07(木) 10:02:47.94 ID:ZAxsvGvM
イニシャルが違うがな

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/07(木) 16:20:19.51 ID:d/MQd/n/
N.G.M.S!
N.G.M.S!

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/07(木) 19:43:49.11 ID:8BqcARGe
>家康は距離などを見立て鉄砲があたっても大したことがないことを計算した上で視察し、
>近習たちにもそれを体験させたのである。

標準的な6匁玉の射程なら分かるかもしれんが
オーダーメイドの火縄銃の射程なんて分かるわけないだろ
確実に作り話


「鉄砲はこうやって撃つんだよ!!」

2013年03月03日 19:01

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/03(日) 00:24:44.72 ID:SOYj+wSV
大阪冬の陣、今福の戦いでのことである。

今福・鴫野での幕府方・佐竹義宣勢の攻勢を、大阪方・木村重成勢はなんとか食い止めたものの、
戦況は膠着し、木村勢は再び押され始めた。

これを大阪城から見ていた豊臣秀頼は驚き、側にあった後藤基次に、早急に木村の救援に行くよう命ずる。
後藤は畏まり、その場から直に陣屋の組衆に、直ぐに蒲生堤へ来るよう使いを出し、自身は具足を
持ってこさせ馳せて天満橋近辺に至ると、そこには既に大野修理勢が武装して乗り付けていた。
後藤もその陣屋において武装を固め、今福堤に駆けつけた。

到着すると後藤は木村重成に対面し、
「今朝からの御働きですが、そろそろその気力も尽きる頃と思います。ここは私が
入れ替わりましょう。」
と申し述べる。しかし木村は

「この重成にとって今日が初陣です。その上、特に只今こそ勝負肝要の時と見えます!
こんな時にそれと替わろうとするなど、後藤殿には大人気ないではありませんか!
かつ、今人数を入れ替えれば備が崩れる危険性もあります。

そもそも貴殿は老巧の武将であり、私は初陣です。であるので、今しばらくこのまま御覧になっていて
頂きたい!」

この木村の気迫に後藤も感服し、「申されるものかな。ならば私は後陣に詰めよう」と言って
下がろうとしたが、その時四方を見ると、堤の下では木村重成の足軽たちが、敵の射撃を受けて
堤の陰に伏し隠れたまま、頭も出せないような有様であった。

すると後藤は馬から降り、従者に持たせた鉄砲を鉄砲を取って、体を堤の上に伸び上げ、
立ったまま2発射撃し叫んだ

「土の上に這いつくばって黒くなっている者共!鉄砲はこうやって撃つんだよ!!」

この恥ずかしめにカッとした足軽たちは、競って堤の上に登って一斉に撃ち立てれば、
敵のほうが逆に堤の陰に伏せ隠れた。

この時、後藤は左の小指に少し負傷しているのを木村重成が見つけ、「手傷を負われましたね」
と問うと、後藤は鼻紙を出して負傷箇所を巻いて

「合戦で小傷を負うのは、私の吉例ですよ。」

そう、笑って答えた。

「それはともかく、後藤殿は陣所に帰ってください!」木村はそうしきりに進めた。

これは木村重成が若武者であり、後で陣を後藤基次に取り替わられたと人に言われてはならないと
偏に考えたためだ。という。
(慶元記)




603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/03(日) 04:43:51.73 ID:M6d0l7GH
>鉄砲を鉄砲を取って、体を堤の上に伸び上げ、
>立ったまま2発射撃し叫んだ

両手でガンマン風に射撃を行う又兵衛さんが頭に浮かんだ。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:31:13.82 ID:4zA/UW2P
木村重成って堀久のイメージしかない
生まれてくるの遅すぎたね

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:34:37.01 ID:U8qpeY/a
名人Qちゃんと橙を一緒にするなよ

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:35:40.04 ID:JtyqrRGR
>>615
橙は薄田兼相や

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:20:42.91 ID:jbCCpV3U
Qちゃんの肖像画は修正液で上から適当に書き直したみたいな顔しかないの?

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:39:22.34 ID:4zA/UW2P
きっとおばあちゃんが書き直したんだよ

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:41:09.12 ID:48+26OS0
どこのスペイン人のババアだよw