西肥前の領主の攻守同盟

2014年11月19日 18:52

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/18(火) 17:43:08.79 ID:bm2j5plX
西肥前の領主の攻守同盟

応仁の乱が終結した後、戦国の乱世は肥前にも波及していた。
東肥前は少弐政資が勢力を回復させていた。
西肥前は小城の九州千葉氏、高来の有馬氏、平戸松浦氏や相神浦松浦氏が鎬を削っていた。
その間に挟まれるように肥前後藤氏は領していた。

当時の後藤家の当主は後藤職明であった。
彼は一帯を領する豪族や領主たちと連合で対抗できる同盟を考えた。

1483年6月、職明の呼びかけのもと、3人と同盟を結んだ。
潮見城主・渋江公直(渋江氏はのちに職明の養子を輩出することとなる)
鹿島の在尾城主・大村胤明
『鬼王殿下』とおそれられ、1556年に94歳で没したとされる伊万里城主・伊万里仰

その後、鹿島の大村氏は不明だが、約40年もの長い間、この攻守同盟の関係は続いたのであった。




スポンサーサイト