明主の賢慮は推量し難い

2017年03月17日 07:47

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/16(木) 23:45:21.45 ID:vrpWz8g8
徳川家康がある時仰せに成った
「右兵衛督(徳川義直)、常陸介(徳川頼宣)の両人に、近日武具着初めをさせるので、
あらかじめ準備しておくように。」

御武具方はこれを承り。黒糸縅の甲冑、ならびに弓矢、陣太刀、鞭、采配、軍配扇など、
注文通りに揃えた。

その頃、この武具着初めについて下々からは
「現在、右兵衛督殿の御爺などと称せられている平岩主計頭親吉は、それほど高名は聞こえないが、
上の御覚え他に異なり、また常陸介殿に付けられている安藤帯刀は、武勇冥加の侍であるから、
きっと両殿の御武具は、この両人が召させるのであろう。

尤も平岩は戦場に勇ある人物ではあるが、安藤と比べては、なかなか同日に論ずることができる者ではない。
そもそも公達などの御武具御召初めは、勇功あって武の冥加ある侍にあやからせ給うようにと、
専らそういう人を選ぶものだ。安藤は一日の内に二人の大将の首を獲た武勇の人であるから、言うに及ばず。
一方の平岩は、上意ではあったが、かつて一家の主親たる水野下野らを討ち、また三郎信康殿の
御母堂築山殿御生害の事を取り計らうなど、あまり吉兆のある人ではない。そういう人に若君などの
御武具召させ初めるというのは、いかがなものか。」

そのように言い合っていたが、当日に至ると、義直、頼宣の武具を、父である徳川家康が自ら
召させるとの上意にて、兄弟は同日御前にて召させられた。下々の予想は全く間違えていたのである。

しかし岡崎三郎殿以降の公達は数多居たと言うのに、家康自ら武具を召させる事は無かった。
それが今度このように計られた神慮は計り難い。兎にも角にも、優れて御愛子ということだろうか。
何れにしても、明主の賢慮を下々は推量し難いということだ。

(武野燭談)


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思う事 一つ叶えば又二つ

2017年02月18日 10:19

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/18(土) 08:41:13.19 ID:ljycbWKM
寛文年中の事。紀伊大納言・徳川頼宣の乗る船が、遠江沖にて荒天に出会い、海上は
茶臼を回すごとく荒れた。

しかし頼宣は顔色も平生に変わらず、船に酔った近習の者達を自身で救うなどした。
この時常の心持ちなど、ふと口ずさまれていた。題知らず

 思う事 一つ叶えば又二つ 三つ四つ五つ 六つかしの世や

人生の願い、絶え間のない実情を詠まれていた、頼宣公は高貴公達の御身であったが、かくの如き
方であった。

(武野燭談)


徳川頼宣「動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」

2017年02月05日 13:58

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/04(土) 19:46:57.69 ID:5MePCLra
紀伊は山国であり、深山には色々と怪しい事ども多かったが、徳川頼宣はまるで気にしていなかった。

ある時、友島に猟に出かけ、臥木(倒れている木)に腰を掛けると、その臥木にわかに動き出し
龍の形となった。
しかし頼宣は少しも驚かず、志津の長刀をその蛇頭と思わしきところに差し当て

「山神であるのなら、どうして腰掛けただろうか!臥木の姿であったからこそ、臥木であると思ったのだ。
なんと見苦しき振る舞いだろうか!動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」

そう怒って叫ぶと、本の臥木へ戻ったという。

(武野燭談)



しかしながら、忠輝卿は

2017年01月22日 17:11

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/22(日) 02:28:04.25 ID:lYSVfIwg
またある時、紀伊頼宣卿(徳川頼宣)が忠輝卿(松平忠輝)を御招きになり、
饗応があった折、いかなる故にか忠輝卿はとにかく機嫌がよろしからず、

頼宣卿は心配なさって自ら盃を進めるなどしなさったが、忠輝卿は酒も飲み
なさらなかった。ところが、頼宣卿が用事あって、正木小源太という小姓を

呼び寄せなさると、忠輝卿はその小姓・小源太を御覧になられて、頼宣卿に
所望なさった。これに早速、頼宣卿の御承知があったので、それより

忠輝卿は大いに機嫌がよろしくなりなさり、興に乗じて、側に有り合わせた
大砂鉢を取り寄せ、酒をなみなみと注がせて、2度まで飲みなさったという。

この小源太は後年に忠輝卿が将軍家(徳川秀忠)の御不審を蒙り、条々の
御咎めがあった時に、忠輝卿に切腹を勧め奉ったのだが、

忠輝卿は仰せになり「命さえあれば身はいかようになり行くとも、また面白き
こともあるだろう」として、切腹仕りなさらなかった。

しかし、小源太は強く切腹を勧めて、「私が御先を供に仕らん!」と言って、
忠輝卿の眼前で切腹して相果てた。しかしながら、忠輝卿は切腹仕りなさら
なかったので、小源太は犬死になった。

――『明良洪範』



536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/22(日) 05:52:52.32 ID:cyXxn47K
ひでぇw

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/22(日) 10:15:10.59 ID:CwRxEV7E
オチがあるとはw

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/22(日) 16:53:29.04 ID:x1e3RZKr
犬死にww

江戸御旗本・尾張・紀伊は“御三人”と称され

2016年10月19日 16:24

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 01:36:00.64 ID:Kwj3E/7X
東照宮(徳川家康)の御子達多き中で、紀伊頼宣君は、その御器量天才
にして、只の尋常の御性質ではあられず、

そのところを東照宮は御覧になられて御寵愛は浅からず、尾張の義直卿
と紀伊頼宣卿とは、「天下左右の固めであると思し召されるように」と、

堅く御遺言なさったことにより、江戸御旗本(徳川将軍家)・尾張・紀伊は
“御三人”と称され、三家一体の御高家であった。

――『南竜言行録』

水戸家ェ…



226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 02:18:39.13 ID:M/r/pRYO
当初は水戸の立ち位置が不確かだったような
今ではそんな水戸の血筋が宗家だけど

227 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/10/19(水) 04:25:34.69 ID:gmsZuxDH
>>225
元々そうでしょ
悪い話でもなんでもない。
途中から将軍家除いて水戸を加えた方がいい話だか悪い話だかになるんじゃないのかな

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 15:21:25.87 ID:2lnbE035
そりゃ水戸家は紀州家の分家扱いだったって言われるぐらいの格下だしな
まったくのフィクションだと分かっていても水戸黄門でじーさんが紀州に乗りこんで偉そうにしているの見て、哀れに見えたわ

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 20:04:17.78 ID:vD6BiNk0
>>226
今の徳川当主は会津松平家だけどな

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 21:00:20.81 ID:qTJ2VxIA
男系血統的には水戸徳川→高須松平→会津松平→徳川宗家という流れ

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 21:26:49.25 ID:qTJ2VxIA
尾張徳川は鍋島血統の堀田が継ぎ
紀伊徳川は断絶の危機
水戸徳川は現在も男系血統が続き、宗家も含め各連枝にも水戸血統が多い

どうしてこうなった

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/19(水) 22:39:27.14 ID:eiQrfX7O
>>232
だいたい烈公斉昭のせい

この人も公私に渡ってDQN四天王に次ぐアレさ…

この時、頼宣君の御物語りよると

2016年09月04日 14:18

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/04(日) 04:22:58.78 ID:X8gZXZyP
この時、頼宣君の御物語りよると、両御所様の御前へ諸大名が追々
に参られ、(大坂夏の陣の)御勝利の御祝儀を申し上げ、また銘々が
自身の働きを申し上げなされた。

その中で畠山夕庵が参上致すと、権現様(徳川家康)は御覧になって、
「夕庵、これへこれへ」と御呼びになり、夕庵は御前近くへ参ると、

「今日の御勝利が思し召しのままになりました御事、めでたき御儀で
ございます」と、御祝儀を申し上げなされた。すると権現様は夕庵の
籠手を付けた手を御取りになられ、

「また勝ったわ」と、仰せになった。「これは関ヶ原のことを仰せ出し
なさったのであろう」との、頼宣君の御物語りである。

――『南竜言行録』




頼もしき家来の事

2016年07月21日 17:16

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/21(木) 00:27:49.69 ID:uZgz+BuU
頼もしき家来の事

紀州南龍院(徳川頼宣)様は、ある日和歌山で御物見に入られ往来をご覧されたことがあった。
御出になられたとも知らずに御家中の者は大勢往来していた中で、
ある御家来が供侍、草履取り、挟み箱持ち、槍持ちを従えて通りかかった。
御側に居た者が

「あれがかの噂となっている男ですか。」

と笑ったのをお聴きになられた。

「どのような噂があるのか?」

と言われたので、御側の者共はやむを得ず話した。

「かの者は身の上が苦しいとのことです。そうなのですが他に取り計らい方もあるでしょうに
甚だ不束なことをしているのでございます。」

「どのようなことをしているのか?」

「かの者が召し連れています侍はかの者の次男でございます。
草履取り、挟み箱持ち、槍持ちはいずれも三男四男、あるいは世話をしています甥などです。」

「それは頼もしい家来である。予は大勢召し連れているが、かの家来に劣らぬ草履取り、槍持ちがいるかというと心もとない。
家計の苦しさは関係のない事だ。」

程なくかの者を御取り立てられて、子供も相応の役に付けられたそうだ。

(耳袋)



長持ちアサガオ

2016年01月13日 22:41

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/12(火) 20:11:24.02 ID:nH5mbrsG
お万の方。紀州家頼宣(家康10男)を生み、水戸家頼房(家康11男)を生む

頼宣。のちに南龍公と呼ばれる、紀州家の暴れん坊殿様も、
まだ子供のころは、無邪気な少年であった
ある日、遠乗りに出かけたら、アサガオが昼過ぎになっても咲いている
珍しいや、と取って、母親(お万の方)あての手紙に添えて送った

しばらくして、母から返事が来る
「長持ちアサガオなんて珍しいものをありがとう。
花の寿命も、人の寿命も、同じね
もとが短くったって、
適切な管理がハマれば、このように長生きするのよ
この現象は、しっかり肝に銘じておきなさい
家中や国家のマネジメントだって、同じことなんだから
適切にケアすれば長持ちで問題なく続くのよ」
……母親は(一応)喜んでくれたようである
個人の修身=国家運営。論語ですな
けっこう教育ママさん

頼宣「朝間の花、午を過ぎて猶ほ栄ゆ。一粲に供する所以なり」
お万「朝花の贈りもの、奇観喜ぶべし。抑も人寿も猶ほ此の花のごとし。
苟しくも其の養を得ば、短き者も亦た之をして長からしむべきなり。
之を勉めよ之を勉めよ。即ち家国を養ふも、亦た唯だ此の心にて之を視ば、
国祚何ぞ長久ならざるを患へんや」



186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/13(水) 09:17:42.59 ID:x5ZvWWHA
>>184 既出があった
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1097.html
昨日の身延山話は、別人あつかいになってる
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1838.html

遅しとあるは、上意とも存じ奉らず

2016年01月02日 17:31

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 01:24:16.30 ID:7a9ptBXh
大坂陣の時、4月末に二条城へ徳川秀忠が入り、徳川家康と相談して大坂表での戦闘について
取り決めた。この時、14歳の徳川頼宣は御前へ出て、「御先手を仰せ付けてくださいませ」
と望んだ。これに家康は機嫌よく、

「もっともな望みだが、大坂表は将軍が先手を致されるので御気遣いなさるな。大和・紀伊・和泉・
河内の地侍どもは皆々秀頼へ一味し、攻め手の後ろより襲われるかもしれないので、後陣が
心許ない。義直と其の方と永井右近(直勝)や安西組は後陣に控えて、後ろからの敵を切り崩せ」

と、言ったので、頼宣はやむをえず退出した。

(中略)

頼宣が茶臼山へ上ったところ、家康は床机に腰をかけ、秀忠は敷皮にいた。そこへ出た頼宣を
見た家康は、「合戦があったのに今になって参ったのか。遅い!」と言った。

これに頼宣はこらえずに、「これを思っていたからこそ、二条の御城で御先手を望みましたのに、
それを御許容なされず後陣に御置きなされて遅いとは、仰せとも思えません」と恨み申し上げた。
これに家康は困って「わしの誤りであった。其の方が道理じゃ」と言った。

(遅しとあるは、上意とも存じ奉らずと、御恨仰上げられ候へば、権現様御困りなされ、
我等の誤り、其方が道理じやと上意遊ばされ候)

――『南竜言行録』



868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 12:18:22.01 ID:QoXbpbGz
家康 痴呆症だったかw

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 12:20:05.05 ID:vVBhAP4s
秀忠もこのくらい言い返してたら

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 17:49:30.88 ID:szi0CsCr
秀忠(…物覚えが悪い話しか……)

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 19:45:06.24 ID:HHIRukF0
後陣が後詰の役割ちゃんと果たしのに怒られるとは
家康マジでボケてんじゃん

藤堂高虎と「鶴の飛来地」

2015年09月22日 17:48

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/21(月) 23:36:23.53 ID:SmBOY1gg
藤堂高虎と「鶴の飛来地」

藤堂高虎が日光東照宮造営の労を賞されて賜った、伊勢田丸城5万石。
これを紀伊国に差し出したのには、理由があった。

徳川家康の死後、家康10男の頼宣は駿府から紀伊への移封をしぶっていた。
江戸から遠いじゃん、とは言えない。
「私は幼少より太神君に従って、心行くまで狩りを楽しんだものだ。
しかし、紀伊には鶴はいないというではないか。
無理な願いではあるが、改めて大坂をいただけぬものか・・・」

それを耳にした高虎は、頼宣が命に背くことを危ぶんだ。
そして頼宣のもとに行って諭したのである。
「大坂は豊臣氏君臣が焼け死んだ土地。いまだその怒気は消えておりません。
どうして尊い本家の身を不祥の地に置けましょうか。

さて、狩りですが。
かつて私も粉河におりましたが、確かに紀伊国に鶴は少ない。
しかし、我が所領の伊勢半国に鶴は多くやって来ます。
よろしければ国の原野すべてを庭園として指し出しましょう。」

この説得をもって頼宣は承服し、伊勢田丸城5万石は紀伊領となったのである。

「なあに、私は猟を好まない。
もともと鶴の飛来地などは、私にとって無駄なものに過ぎんのだよ。」
と言っていた高虎は、替地として山城・大和国5万石を得るに至った。
                                『聿修録』



729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/21(月) 23:39:51.00 ID:KbCyzEqE
ちゃっかり良い所もらってるなw

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/22(火) 00:28:29.71 ID:0y7reYH/
山城・大和国5万石って石高よりもいろいろ貴重だろw

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/22(火) 01:43:16.21 ID:uciuCRwV
>>730
IDワロタ
神君loveなのに家康が好んだ狩りを好かないとは意外

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/22(火) 09:01:44.65 ID:81alq7hE
原野(5万石)

徳川頼宣は真田信之に尋ねた

2015年04月25日 15:59

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/25(土) 00:49:28.29 ID:ehskVbmA
紀伊大納言徳川頼宣が、真田伊豆守(信之)を自邸に招いて物語している時、ふとこのように聞いた

「あなたは神君(家康)の、平生の御行跡をよく覚えておられると思います。
それを話して聞かせてもらえませんか?」

伊豆守は答えた
「あなた様の所持お取廻しの様子、神君にも劣っていられるとは思いません。さりながら、
人をお使いなされる所は、なかなか神君には及ばれないと存じます。

私は御当家と比べ5分の1の分限ではありますが、明日にも何事かあった時には、我が馬前で
心よく討ち死にするであろう侍を、二百騎持っております。」

これには頼宣も感じ入ったということである。

(明良洪範)

八王子の大猪退治

2014年11月12日 19:10

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 19:55:04.33 ID:avI3smnt
徳川家光の御代、武州八王子村に巨大な猪が出て、田畑を荒らし、また人をも踏み倒し、農民たちは
難儀に及んだ。幕府は御先手に仰せ付け鉄砲でこれを討とうとしたが、その走ること至って速く、
終に討ち留めることが出来なかった。

そんな中、紀伊大納言頼宣卿は猪狩りが好きでその巧者である事、将軍家も聞き及んでおり、
彼が登城の時に、この八王子の大猪の話題が出、頼宣卿にこの退治を依頼された。
頼宣卿はこれを忝なくお請けし、退出するとそのまま直に八王子へと出掛け、所の名主年寄りたちに
支度を申し付け、それから帰館して、家中に触れを出して皆々に用意させた。

そしてこの事は尾張、水戸の両家にも聞こえ、両家よりそれぞれ優れた猟犬が進ぜられた。

さて、猪退治の当日となり、頼宣は夜明けから出立し八王子に至った。
頼宣卿は床几に座り、焼飯を盛った三方を前に置き、水戸殿より進ぜられた犬を召し出し焼飯を与え

「汝、得たる所であれば、隠れ居る猪を探しだすのだ。」

そう語りかけると、犬はしばらく頭をうなだれていたが、やがて頭を上げて山の方に向かい、
尾を巻き上げて一目散に走りだした。
暫くあって大猪が、山の方より荒れ狂って走り来た。かの犬は猪の前後左右を走り廻り、飛び付き
噛み付きながら共に走り来た。

列卒はこれを見ると他の犬10匹ばかりを猪にけしかけ、かの犬は傍に引き退かせて水を飲ませ
焼飯を食わせて休息させた。

しかし、大猪は大勢の犬を事ともせずあちこち暴れまわった。
ここで頼宣卿は下知を下し、尾張殿より進ぜられた犬を放すと、やがて猪の元へ走り行き、その喉元に
噛み付いた。
大猪はそのまま暴れ廻ったが、次第に弱り、人を踏み倒す勢いも見えなくなったため、
頼宣卿は下知して家士達に槍を持たせ猪に向かって駆けさせせ、終に大猪を仕留めた。

その時、あの犬を見ると、猪の喉に噛み付いたまま息絶えていた。

頼宣卿は「あたら犬を死なせてしまった!」と甚だしく嘆き惜しんだという。
この話は御鷹匠の長田清左衛門が、その時猪退治の人数の中にあって見たものだという。

(明良洪範)




749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:12:47.29 ID:vSxAZHEF
>>747
これなんてシートン動物記?
ブルテリアのスナップの話を思い出して目から汗が

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:18:32.86 ID:j6Gg43p2
>>747
いい話スレの影響で、どうしても焼飯に目が行ってしまう

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:58:20.71 ID:3V/B11q4
>>747
銀牙が頭の中から出てきた

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 01:13:53.00 ID:jojW1hFp
最近でもイノシシに殺された人居るし結構怖いよな

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 03:45:38.90 ID:49Pqado6
伯林の「ケモノシマ」でもイノシシの恐ろしさは描かれてるものね

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 05:37:51.64 ID:uuLfvMgq
ちょうど大腿の動脈あたりを牙にやられて逝くらしい

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 11:33:04.09 ID:F17jaxZE
猪スゴイよじゃがいも畑荒らすんだけど
畝の端から端までラッセル車みたいに一直線にむさぼり食って綺麗さっぱりw
ちょっと頼宣卿をおれも頼みたい

ていうか>>747ですごいのは犬じゃんw

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 12:12:52.39 ID:akETb3QX
最後に銃を使うと思ってたが犬を大量にけしかける戦法だった

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 12:27:04.93 ID:yZ9owJdf
大学時代、歴史好きの友人と城跡めぐりをしてるときに、あるところで、
「ここの、ちょっとした土塁と石積み、ちょうど猪垣くらいの感じだな」って言ったら、
都会育ちの友人に、「“ししがき”って何?」と真顔で聞かれた。

それからしばらく、猪垣について解説してやったら、「へぇ~っ」っとめっちゃ感心された
いや、今でも田舎の方に行ったら田畑の周りに残ってるところあるよ、って言ったんだけどね
うちの実家の周辺は今でも猪も猿も鹿もふつうに出没しますが何か?と言ったら宇宙人でも見るような目で見やがったw

そんな田舎者のオイラが通りますよっと

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 21:53:09.16 ID:PKvY1zNW
最近でもイノシシに殺された人居るし結構怖いよな

指物の大小

2014年09月18日 18:52

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 05:55:05.41 ID:t9HAUqx3
大阪の陣の時、徳川頼宣の家臣である矢部虎之助と言う者は大力であり、長さ二間(約3.6メートル)の
指物、三尺あまり(約1メートル)の大刀、立物は大位牌に一首の歌

『咲く頃は 花の数にも足らざれど 散るには漏れぬ 矢部虎之助

と記されていた。

この様相での出立に、諸人は目を驚かせたが、これらはあまりに重すぎて馬が進まず、
戦場でも人より遅れて功もなく、残念に思っていた所、家中からも武道不案内の者との評判に会い、
虎之助は心中これを恥じ憤り、食を絶って20日ばかりの内に死去した。
誠に惜しき士であった。

凡そ甲冑指物等には心得があるべきなのだ。目立つのはその大小には寄らない。小印だ大印だなどと
言われるが、小印であっても大いに目立つ指物もあるのだ。

(明良洪範)

関連
豊国祭礼図屏風」(伝・岩佐又兵衛作)について


287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 06:38:13.47 ID:21kY6S2M
ワロタw
見た目特化は男子の夢だから仕方ない

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 07:18:18.20 ID:FHW/AJiO
準備は大事だねー

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 08:23:24.61 ID:EsXIyVPY
指物が駄目だったかな

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 10:42:55.65 ID:EsXIyVPY
大坂方なら塙団右衛門みたいに持て囃されたかもしれないのに…
でも重すぎてろくに動けないのはやっぱり突っ込まれるなw

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:24:23.08 ID:NoFUxqT+
まぁ戦国武将は目立ってなんぼだからな
せっかく勲功上げても誰も見てないんじゃアレだし

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:41:03.05 ID:iCbg1FQ+
稲富祐直「鉄砲持てば鎧が重くても大丈夫よ」

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:44:49.85 ID:WzSeADYm
砲術書の図ではふんどししか装備してないじゃないですか…

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:55:09.46 ID:WTOzLdeR
可児才蔵「フッ…(ドヤ顔)」

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 13:42:03.33 ID:JttA5Pst
蒲生氏郷「カブトで目立つべき」

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:32:40.63 ID:vZ3cSi9X
橙武者が通りますよ・・・

>>286
有名すぎるくらいの話と思ってたが、このスレでは初めてだったんだ

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:46:01.59 ID:gWxu6Ktj
全身に鈴ってのは実に合理的な手段だったんだな

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:55:36.45 ID:M3qJal5E
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-979.html
矢部虎之助の「位牌」・悪い話
まあ既出ではあった

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 12:23:21.22 ID:FDoaW1L5
よく討ち取られる人「鎧をあげると何度でも討ち取られるよ!」

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 13:38:27.95 ID:rfjCCa7E
「いきすぎたりや、廿三、八まんひけはとるまい」

もう23歳だ。生きすぎたくらいだろう。
この喧嘩、八幡大菩薩に誓って、退かないぞ

訳するとこんな感じ?でいいのかな?
古文得意な方教えてください

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 22:19:56.78 ID:PrWfNCVT
>>302
全盛期の一条信龍伝説

・3出陣5討ち死には当たり前、3出陣8討ち死にも
・感状発給討ち死にを頻発
・一番槍討ち死にも日常茶飯
・甲州崩れ、三河勢1万に対し手勢3百から1人で討ち死に
・駿府城代も余裕で討ち死に
・一回の戦で討ち死にが三回起こる
・殿で討ち死にが特技
・討ち死にでも納得いかなければ三途の川を渡らないで帰ってきてた
・合戦の無い移動日でも2討ち死に
・刀を使わずに手で討ち死にしたことも
・自分の討ち死にを自分で捕縛して弓矢で射返す
・所領巡察で討ち死になんてザラ、2周することも
・三段撃ちしようとした射手と、それを受け止めようとした二番備、遊撃、中堅の武将ともども討ち死にした
・唐入りの朝鮮人のヤジに流暢な朝鮮語で反論しながら背面討ち死に
・グッと鬨の声を挙げただけで5回くらい討ち死にした
・討ち死にでハリケーンが起きたことは有名
・湾岸戦争が始まったきっかけは信龍の討ち死に
・甲斐の深い位置から木曽谷のウグイスも討ち死にしていた
・自分の討ち死にに飛び乗って涅槃まで行くという功徳積み
・信龍の討ち死にによる衝撃波で体が真っ二つになった武将がいた
・スカイフィッシュの正体は信龍の討ち死に
・討ち死にで全米が泣いた
・信龍の出陣のときだけ犯罪率が下がる
・討ち死にのおかげで信龍の出陣のときだけ地球の気温が2度下がった
・流れ星の正体は信龍の討ち死に
・実はノドンで一度討ち死にしてる
・数字の1は信龍の討ち死にした姿がモデル
・信龍の出陣のときの視聴率は200%。2~3台のテレビで見る公家もざら
・日本には討ち死にに乗って帰る
・信龍は、いつも店先のトランペットを物欲しそうに眺める家臣に自身の武具を贈ってあげたことがある

だからこそ、神君も常に

2014年06月14日 19:08

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/14(土) 16:04:01.80 ID:bFC8NySH
さて、慶長年中に秀頼公と神君(徳川家康)との御対顔があり、
その時、秀頼公が大坂城から神君の御在所の二条の城へ行く途中、
加藤清正と浅野長政とが高股立ちの姿で秀頼公の乗輿の左右に付いた。

二条の城から御迎いとして神君の御子息の義直卿、頼宣卿の御両人が
途中まで出られたのだが、日傘を使っておられたのを清正は見て、
「無礼です。その日傘をお止めなさい」と言って止めさせた。

当時、神君の御威勢に向かってそんな事を申す者が他に誰がいるだろうか。
万一申す者がいるとしても両卿がどうしてその言葉に従いなさるだろうか。
清正だからこそ、そのような事をも申し、両卿もその言葉に従いなさって
日傘を止められたのである。

この一事で清正が尋常ではないことを万事察知できる。
だからこそ、神君も常に清正を御褒めになったのである。

――『明良洪範続編』




133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/14(土) 16:44:56.69 ID:Fbc8clkM
だからこそ、次の代で家を御滅ぼしになったのである。

徳川頼宣、火事の話

2013年10月31日 19:18

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:20:40.17 ID:RaiMKiAr
紀州和歌山で失火があった時、家老久野和泉守は預かりの櫓へと人数を上せらせ
「一人でも降りるものは切り捨てにすべし、消防できずば皆焼死せよ」と下知して、
自分も家人もあちこちに怪我はしたが櫓は無事に残した。

この働きを和歌山中の者は貴賤ともに賞賛しないものは一人も無かった。
しかし頼宣卿は何とも仰せられず、その他にあちこちで火を防いだ者にも一言の
御意もなかったので、家老を始め下々の者まで不審に思っていた。

それより二、三年過ぎて御近習の士を集めてお話になられていた時、火事の話に
なり仰せられたのは

「失火の際に消防に身命を軽んじて働くのは血気の勇で、真の義勇にはあらず。
ただ智が足りないだけだ。

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:22:50.00 ID:RaiMKiAr
火は無情のもので天気が乾いて風が烈しい時はなかなか人力の及ばざるものだ。
ただし水がよく行き届く時は消防も行き届くが、もし水が行き届かない時は家屋は
もちろん人まで焼亡してしまう。

どうして家屋が燃えつきる事を厭って人を損ずるべきであろうか。これは無智の勇に
して、ただ血気の勇である

いかなる金殿玉楼であろうとも人には替えられない。家は幾度消失してもまた元の
通りに造れるが、家人一人を損じたらその家人はもう戻ってこない。

失火の為に我が大切な軍兵を失えば、それこそ不自由というものだ」と仰せられた。

久野和泉守はこれを聞いて感心していたと紀州家の三刀谷伴蔵が物語った。

(明良洪範)




456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:21:12.96 ID:loSbYA7v
久野和泉守が本当だとしたら1643年生まれなんですけど
スレタイわかってる?

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:35:35.20 ID:DhARhHe+
頼宣がスレの範疇だろ

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 12:58:30.02 ID:eqnLTJY5
忠勤を誉めてやったうえで
命には代えられないといってやればいいのに。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 13:04:41.64 ID:X2DSLFvN
他に何を言ってもお褒めの言葉があれば良い行いだと認定してしまったことになって家の名誉になるし
ダメだと思う

本当にご苦労なされることだ

2013年10月18日 19:05

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 11:12:41.90 ID:z502H7GH
大阪冬の陣でのこと

士寄(攻城用陣地)の構築や、合戦における諸事の手立てについて、藤堂高虎は巧者であるため
見習うように、との徳川家康からの上意で、家康の息子である尾張徳川義直、紀伊徳川頼宣、水戸徳川頼房
3人が同道して、藤堂高虎の士寄場を見学した。

この頃藤堂高虎は、ためし兜にためし具足(仮の武装ということだろうか?)を付けて、
毎日昼夜を問わず、銃弾避けの竹束の下に出て、士寄の工事に関わる全てのことを現場で下知していた。
この事に工事をしている下々も

「もうお年も寄られているというのに(当時58歳)、本当にご苦労なされることだ。」

と、感じ入ったそうである。

(西嶋留書)

さすが藤堂高虎は戦国の土木建築の巨匠なのである。




368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 14:04:41.12 ID:si0X43mw
たぬき「いや、実用的なものじゃないといけないだろうjk」

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 14:27:24.17 ID:ZfsiqCJa
士寄と書くのは初めて見るけど原文からそうだったんだろうか

伊達政宗、南龍公を脅しつける

2013年08月17日 20:01

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/16(金) 21:55:07.07 ID:imKNgb6q
ある時(寛永3年3月14日)、伊達政宗は紀伊大納言徳川頼宣の饗宴に招かれた。
御相伴・御相客は板倉内膳(重昌)殿、柳生但馬守(宗矩)殿、内藤外記殿、その他
多数がおられた。

形式通りに酒宴も過ぎて、政宗が帰宅するという時、頼宣もそれを玄関まで見送りに出た。

政宗は振り返り、紀州屋敷の大広間に、老若がひしと膝を組んで詰めるほど、紀州家の家臣たちが
伺候しているのを見て頼宣に語った

「さてもさても、申すも愚かなことですが、あなたの歴々たる家中の者達の多さに、目を驚かせて
しまいました。これだけの内衆を持たれて、只今の若上様(家光)への御奉公は、少しも
抜かりがない事でしょう。
これだけの人数があれば、たとえ今から大国に攻め入っても、お手柄の御勝利は間違いないでしょう。

そうそう、ついでのことですが、申し上げます。
もし紀州において、御国の境目論(国境紛争)などがありましたら、早々に私にお伝え下さい。
我が手勢を二千も三千も召し連れ紀州まで罷り越し、少しもあなたには手をかけさせず、
この年寄りが参って、いかようにも取り扱いいたしましょう。

と、このように申し上げましたが、
もしあなたが、今の若上様を蔑ろにするようであれば、かく言うこの年寄り、日ごろ国元に秘蔵し
差し置いてある郎党共を召し連れて、真っ先に紀州に攻め入ります。

…左様にお心得候へ」

人々はこれを聞いて「言い難いことを何とはっきりというのか」と感嘆した。
後でこの場に居た板倉重昌からこのことを聞いた徳川家光は、殊の外機嫌が良かった、と、
これは後に板倉殿自身が語られたことである。
(政宗公御名語集)

伊達政宗、南龍公を脅しつける、という逸話である。




917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/16(金) 23:28:32.13 ID:zDDjBTD6
もし秀忠が家光じゃなく忠長に継がせてたりしたら、政宗はまた秀次事件の二の舞になってたのかね?
まあもちろん家光への接近はその失敗の反省込めてリサーチした上でやってたんだろうけどな。

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/17(土) 22:21:50.03 ID:wo+M4z9Z
>人々はこれを聞いて「言い難いことを何とはっきりというのか」と感嘆した。

ここで「また政宗がかっこつけてしょーもないこと言ってるぞw」とならないのが不思議だわw
こいつはこういう奴だろw

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/17(土) 22:23:26.93 ID:3zPDWVhL
>>918
そこは伊達家の記録だから、まあ多少はねw

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/18(日) 10:32:36.51 ID:3j0TWzxv
実際に境界紛争を担当したのは大岡越前でした。

きりっと申し上げられよ

2013年08月05日 20:02

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 18:31:16.43 ID:o+ON1Rcr
徳川頼宣が加納五郎左衛門に何事かを尋ねた時、その返答が頼宣の思いに叶わなかった。

頼宣は「どうして其の方のことを、きっと他の年寄どもよりもすぐれた分別だ、
と思ったのだろう」と言うと、三浦長門守を呼んで、

「加納はこう申すが、わしはこう思う。どちらがもっともだと思うか」と尋ねた。
これに三浦は「思召しの事が御もっともです」と申し上げた。

その時、五郎左衛門が三浦に向かって「殿の思召しが御もっともにお思いとのことですが、
それに偽りがないのならば、今御前で『仰せ御もっともに存じ奉る』と誓言を立てて、
きりっと申し上げられよ」と言うと、返答できず赤面したという。

――『責而者草(加納五郎左衛門行状)』




130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 18:34:27.77 ID:IRvoSj8I
嘘でも良いから本当の事を言ってやれよ


加納五郎左衛門(直恒)は紀州徳川家の長臣である

2013年08月04日 19:17

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 14:35:23.06 ID:ZzcTcTMI
加納五郎左衛門(直恒)は紀州徳川家の長臣である。

彼の平生の志は「主君に仕え奉るのに、一命を上へ差し上げていなければ、
いつも御手討にされると思っていなければ忠臣ではない」というものであったという。
これゆえに、彼はいつも妻子に暇乞いして出仕していた。

彼は御前に出る時には「いつだろうと顔を犯して争い諫め、御手討にされるつもりで」
と、志を定めていたという。ある時、徳川頼宣が何事かを言った時に、

彼は頼宣の腹を指して「今の御意と御腹中とは違いがあります。
よくよく御顧みになってください」と、苦々しく申し上げたということである。

――『責而者草(加納五郎左衛門行状)』




826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 14:47:17.57 ID:i8cdWFgq
生きる屍ですな(いい意味で)

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 12:57:16.76 ID:FBEQmZBK
暴れん坊将軍のは何代目五郎左衛門なんだ?

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 21:35:20.67 ID:C7EKiTsx
直恒から数えると3代目、というか孫
大名にまでなった

南龍公「やあ、十兵衛のタワケめが!」

2013年07月16日 19:55

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 20:31:53.28 ID:oWhbnNWM
ある時のこと、南龍公・徳川頼宣が岩手川にて川狩りを行い、鮎を炙らせ
酒樽を開くなど大いに興じていたが、若者たちに泳がせれば一段の興があると、
「水泳せよ」と命じた。

そうでなくても泳ぎたいと思っていた若侍達は一斉に川に入り、様々に手練を尽くして
泳いでいた中に、佐渡与助というものがあった。

しかしこの佐渡与助、水泳不調法にて沈むこと度々であった。
ちょうど水野十兵衛という侍が、小舟に乗って近くに在ったが、これを見て声をかけた

「与助よ!叶わずば船に取り付け!」

この時、頼宣は河原に床机を立てていたのであるが、この十兵衛の言葉を聞いて、
大音声で怒鳴った!

「やあ、十兵衛のタワケめが!士(サムライ)に対して『叶わずば船に取り付け』などと
言う者があるか!?そんな言われ方をすれば、士たる者、死んでも船に取り付くものか!
たわけた事を言って、惜しき侍一人を殺すな!

同じ意味であってもそう言う時には、『与助、船に取り付いて休め』と言えば、
与助も船に取り付くことが出来るものだ。この十兵衛の大たわけめ!!」

そう、叱りつけたという。
(徳川武士銘々伝)

武士って本当にめんどくさいですね




50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 20:38:43.89 ID:WBNfB4LV
>>49
ここに出てくる話の詳細版かな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2095.html

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 22:24:13.19 ID:RmD7XNEm
結局与助さんは船に取りついたのだろうか。

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 22:59:23.40 ID:+Kdi+tp7
>>49
いや現代にも通じるものがあるよ
部下にもそういう気遣いができればいい仕事ができる
現代も人への気遣いが必要なんだよ

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 23:01:11.81 ID:1C2ekzU+
>>49
悪い話しって言うより良い話しに見える逸話だね

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 09:51:11.15 ID:HWogeOzq
十兵衛さんが叱られてる間に沈んでいったというなら
このスレにピッタリの話なるな。

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 12:47:03.09 ID:Klx7VTID
古式泳法って、甲冑着たまま水濠渡れるくらいだし、
着込んでない状態で溺れるってかなりクリティカルな
失敗な気がするけど...

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 14:48:11.52 ID:+Kiq6xSd
マスターしてない人にとって水は凶器だろ

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 16:04:21.16 ID:Klx7VTID
頼宣の頃の紀州でなら良いけど、既に高級官僚化した幕府旗本に
水練を強要する暴れん坊将軍