542 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/03/31(木) 22:01:32.29 ID:ItdhJ63t
楊貴妃
侏儒どん(徳田大兵衛)が地頭を務めている日当山は、神代にまで遡る(※)といわれる鹿児島最古の温泉地で、
侏儒どんが地頭になった頃は、混浴のところがありました。
そこで侏儒どんは混浴は風紀上よくないから、男女別々にするように、皆と話し合いました。
これには「地頭さあは無粋なお人じゃ」との声も出ましたが、結局混浴はしないことになりました。
が、混浴を止めたら、のぞきが増えた。
毎日のように女性たちから侏儒どんに
「なんとかしてほしい、これではゆっくり温泉に浸かれない」という訴えが続きました。
侏儒どんはいろいろ考えた末、一策をあみだし、鹿児島まで買い物に出かけました。
数日後、侏儒どんは二、三十人の若者たちを集会場に集めました。
「では皆の衆、暑いから扇子でも使いながら、これから面白く涼しい話でもしようではないか」
侏儒どんは鹿児島で買ってきた扇子を一本ずつ配りました。
若者たちは怒られるのではないかと、はらはらして集まったのに、案外くだけた様子にホッとしました。
「ところで皆の衆、温泉といえば有名な楊貴妃を思い出すのではないか」
「楊貴妃とは誰ですか?」
「楊貴妃を知らなかったか。彼女はのう支那の玄宗皇帝のお妃で絶世の美人だったのじゃ」
「へえーそげな美人ですか」
「うむ、その楊貴妃を讃えた詩に“温泉水なめらかにして凝脂を洗う”というのがある。
楊貴妃ほどの美しい人の入浴姿は、さもあるべしと想像されるのう」
「地頭さあも、そんなことを思われますか」
「そりゃ、俺も男じゃからよ。その楊貴妃が温泉からあがった時の姿を書いたものの中に、
楊貴妃が扇子をもって前部を覆っている姿があるのじゃ」
若者たちは、それぞれ手に持っていた扇子を、何か意味ありげに見るのでした。
侏儒どんは続けて、
「あちらでは、薩摩のように手拭などで前を隠さないで、扇子を用いるのが習慣となっているのじゃ」
「へえーそんなに扇子が多いのですか」
「うむ。一般に支那では扇子は紳士淑女の嗜みとして、かねがね持っているのじゃ。それは孔子様の
教えにもあるとおり、君子が見るべからずものを見た時、例えば婦人の裸体姿をうっかり見た時、
扇子で自分の顔を覆い隠して、見ないようにしているのじゃ」
「地頭さあ、要するに教養の問題ですなあ」
「そこじゃよ。気づかれたか」
「はい」
「節穴からのぞく下品さと、扇子の隙間からちらっと拝む上品さと、それだけの違いじゃよ」
「よくわかりました」
「はっはっは、その扇子は一つずつ持って帰りなさい」
(日当山侏儒どん物語)
のぞきをする若者たちに、作り話で諭す侏儒どんのいい話
※日当山の伝承では、イザナギとイザナミの二神が足の立たない蛭子命を天磐橡樟船(あまのいわくすのふね)で
流し、この地に送り療養させたといわれる。
日当山のすぐ近くには、蛭子命がついたとされる場所に、蛭兒神社(大隅国二之宮)があり
蛭子命が流された時使われた「水棹」が活着したと伝えられる珍しい「金筋竹」も境内にある。
楊貴妃
侏儒どん(徳田大兵衛)が地頭を務めている日当山は、神代にまで遡る(※)といわれる鹿児島最古の温泉地で、
侏儒どんが地頭になった頃は、混浴のところがありました。
そこで侏儒どんは混浴は風紀上よくないから、男女別々にするように、皆と話し合いました。
これには「地頭さあは無粋なお人じゃ」との声も出ましたが、結局混浴はしないことになりました。
が、混浴を止めたら、のぞきが増えた。
毎日のように女性たちから侏儒どんに
「なんとかしてほしい、これではゆっくり温泉に浸かれない」という訴えが続きました。
侏儒どんはいろいろ考えた末、一策をあみだし、鹿児島まで買い物に出かけました。
数日後、侏儒どんは二、三十人の若者たちを集会場に集めました。
「では皆の衆、暑いから扇子でも使いながら、これから面白く涼しい話でもしようではないか」
侏儒どんは鹿児島で買ってきた扇子を一本ずつ配りました。
若者たちは怒られるのではないかと、はらはらして集まったのに、案外くだけた様子にホッとしました。
「ところで皆の衆、温泉といえば有名な楊貴妃を思い出すのではないか」
「楊貴妃とは誰ですか?」
「楊貴妃を知らなかったか。彼女はのう支那の玄宗皇帝のお妃で絶世の美人だったのじゃ」
「へえーそげな美人ですか」
「うむ、その楊貴妃を讃えた詩に“温泉水なめらかにして凝脂を洗う”というのがある。
楊貴妃ほどの美しい人の入浴姿は、さもあるべしと想像されるのう」
「地頭さあも、そんなことを思われますか」
「そりゃ、俺も男じゃからよ。その楊貴妃が温泉からあがった時の姿を書いたものの中に、
楊貴妃が扇子をもって前部を覆っている姿があるのじゃ」
若者たちは、それぞれ手に持っていた扇子を、何か意味ありげに見るのでした。
侏儒どんは続けて、
「あちらでは、薩摩のように手拭などで前を隠さないで、扇子を用いるのが習慣となっているのじゃ」
「へえーそんなに扇子が多いのですか」
「うむ。一般に支那では扇子は紳士淑女の嗜みとして、かねがね持っているのじゃ。それは孔子様の
教えにもあるとおり、君子が見るべからずものを見た時、例えば婦人の裸体姿をうっかり見た時、
扇子で自分の顔を覆い隠して、見ないようにしているのじゃ」
「地頭さあ、要するに教養の問題ですなあ」
「そこじゃよ。気づかれたか」
「はい」
「節穴からのぞく下品さと、扇子の隙間からちらっと拝む上品さと、それだけの違いじゃよ」
「よくわかりました」
「はっはっは、その扇子は一つずつ持って帰りなさい」
(日当山侏儒どん物語)
のぞきをする若者たちに、作り話で諭す侏儒どんのいい話
※日当山の伝承では、イザナギとイザナミの二神が足の立たない蛭子命を天磐橡樟船(あまのいわくすのふね)で
流し、この地に送り療養させたといわれる。
日当山のすぐ近くには、蛭子命がついたとされる場所に、蛭兒神社(大隅国二之宮)があり
蛭子命が流された時使われた「水棹」が活着したと伝えられる珍しい「金筋竹」も境内にある。
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