75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/18(土) 14:38:27.52 ID:2AhyKDAD
庄内失地
天正16(1588)年春、東禅寺義長の治める庄内に、越後揚北の本庄繁長が突如として侵攻を開始した
旧庄内の領主大宝寺派の国人等も越後勢に呼応し、庄内の地は一挙に騒然となった
大崎合戦の始末で虚を突かれた最上義光は近臣草苅虎之助を大将に数百騎を庄内に派遣し、自身も後詰めとして近習馬廻を召し連れ山形城を発し、各地の諸将士軍勢には「急ぎいくさ仕度をし、庄内境で合流すべし」と早馬を飛ばした
中山境の里見民部は対伊達への牽制で動けず
延沢満延軍は大崎家支援のために陸奥名生にあり、
氏家、志村、鮭延、日野、安食等の郎党たちが次第に庄内境に詰めてきたが、そこには庄内からの敗報が櫛の歯を欠く様に入って来ていた
庄内からの早馬「尾浦の城落城!」
芳しくない報せに義光は血眼になり「無念この上ない!今いる兵だけで構わないから急ぎ押し寄せ味方に合流し、越後勢を留めよかし」とおっしゃったが
氏家守棟や志村光安等は「この度はにわかな出陣で号を掛けた領内の兵もまだ馳せ集まっておりません!数百の兵では数千に及ぶ越後勢に敵わぬのも自明の理、地理もまた不利にて難所越えをして戦うのも兵をあたら失う事必定です!」と諌言をした
そこに別な早馬が二三駆けてきて報告した
早馬「地安(千安)黒瀬で東禅寺軍敗北!東禅寺勝正(東禅寺義長の弟)様討ち死に!草苅虎之助様も討ち死に!」
義光は守棟をきっと睨んだが、次の伝令が言葉を続けた
「…氏家様御子息、氏家光棟様、討ち死に!」
守棟「…殿、寡兵では越後勢に敵いませぬ
時期を待ち軍を調え、その上で本懐を遂げさせ玉(給)え」
どちらかが折れなければ収まりがつかなかったが、守棟のこの言葉に義光が折れた
「最上義光物語」
その後庄内は上杉領となり、庄内の地が最上家のものとなったのは慶長6(1601)年の関ヶ原始末以降の事である
間に合わなかった援軍の話
76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/18(土) 15:59:15.71 ID:kMIIe4Qf
貴重な鮭の補給地が
庄内失地
天正16(1588)年春、東禅寺義長の治める庄内に、越後揚北の本庄繁長が突如として侵攻を開始した
旧庄内の領主大宝寺派の国人等も越後勢に呼応し、庄内の地は一挙に騒然となった
大崎合戦の始末で虚を突かれた最上義光は近臣草苅虎之助を大将に数百騎を庄内に派遣し、自身も後詰めとして近習馬廻を召し連れ山形城を発し、各地の諸将士軍勢には「急ぎいくさ仕度をし、庄内境で合流すべし」と早馬を飛ばした
中山境の里見民部は対伊達への牽制で動けず
延沢満延軍は大崎家支援のために陸奥名生にあり、
氏家、志村、鮭延、日野、安食等の郎党たちが次第に庄内境に詰めてきたが、そこには庄内からの敗報が櫛の歯を欠く様に入って来ていた
庄内からの早馬「尾浦の城落城!」
芳しくない報せに義光は血眼になり「無念この上ない!今いる兵だけで構わないから急ぎ押し寄せ味方に合流し、越後勢を留めよかし」とおっしゃったが
氏家守棟や志村光安等は「この度はにわかな出陣で号を掛けた領内の兵もまだ馳せ集まっておりません!数百の兵では数千に及ぶ越後勢に敵わぬのも自明の理、地理もまた不利にて難所越えをして戦うのも兵をあたら失う事必定です!」と諌言をした
そこに別な早馬が二三駆けてきて報告した
早馬「地安(千安)黒瀬で東禅寺軍敗北!東禅寺勝正(東禅寺義長の弟)様討ち死に!草苅虎之助様も討ち死に!」
義光は守棟をきっと睨んだが、次の伝令が言葉を続けた
「…氏家様御子息、氏家光棟様、討ち死に!」
守棟「…殿、寡兵では越後勢に敵いませぬ
時期を待ち軍を調え、その上で本懐を遂げさせ玉(給)え」
どちらかが折れなければ収まりがつかなかったが、守棟のこの言葉に義光が折れた
「最上義光物語」
その後庄内は上杉領となり、庄内の地が最上家のものとなったのは慶長6(1601)年の関ヶ原始末以降の事である
間に合わなかった援軍の話
76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/18(土) 15:59:15.71 ID:kMIIe4Qf
貴重な鮭の補給地が
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