591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/02/20(土) 17:22:09.09 ID:0XyPLAi2
近年聞いたことである。
鈴木宗順という京の人が、江戸に下ってこのように云った
「関東は、聞いていたよりも、見ればいよいよ下国にて、よろず賤しい。
人は頑なに言葉が訛って、『なでう事なき』『よろこぼひて』などと片言ばかりを
云っているため、内容が聞きづらい。
拾遺和歌集に『東にて養われたる人の子は、舌だみてころ物は云いけれ』と詠ぜられている。
さてまた、宗碩が『片つ田舎は問はるるも憂し』と発句をしたところ、『何とかはだみたる聲の答へせん』と
宗長が付けた。宗長は生国関東の人(生国は駿河国島田とされる)なればなり。
『都人、問ふもはずかし舌だみて うきことわりを何と答へん』と詠んだのもげに理である。
とりわけ『べい』『べら』と云うこそおかしけれ。
これにつけても我が住み慣れし九重の都、さすが面白き境地である。人王五十代桓武天皇の御宇、
(延暦)十三年甲戌十月二十一日に、山城国愛宕郡に都を遷された、男女の育ち、尋常に、言葉
優しく有りけり。」
関東衆はこれを聞いて
「愚かなる都人の云うことである。国に入っては俗を問い、門に入っては諱を問う。これ皆定まった
礼である。知らぬ国に入り、その国の言葉を知らないのに、それを問わないのは道理に合わない。
孔子は生まれながら物を知る智者であった。その孔子も大廟に入って、祭りに與った時には、事々に
人に問うたとか。舜も大智の聖人にてましますけれども、よろすに物を人に聞かれた。
知っている上にも問うのが、智者の心である。
そして関東の諸侍は、昔から今に至るまで、仁義礼智信を専らとして、文武の二道を嗜まれた。
民百姓に至るまで、筆道を学び、文字に当たらない言葉は、あからさまにも唱えない。
この宗順は、文字般若(般若の道理と智慧とを、文字によって示したもの)に暗ければ、義般若にも
暗く、却って他を難じている。
文字は貫道の器である。器なくして善くこの道に達するという事が、どうして出来るだろうか。
されば伊勢物語に『よろこぼひて』と書かれているのは『喜びて』の事であり、『なでう事なき』とは
『させる事なき』という事である。
『べい』は『可(べし)』の字である。言葉のつながりによって『べし』とも『べら』とも云う。
古今集に『秋の夜の 月の光の清ければ 暗部の山も越えぬ「べら」なり』と詠まれている。
その上、『知って問うは礼なり』と、古人も申されている。ましてや知らずして他を難ずるのは
まさしく道理に合わない。」
と云った。
『慶長見聞集』
関東の訛りについてのやりとり
近年聞いたことである。
鈴木宗順という京の人が、江戸に下ってこのように云った
「関東は、聞いていたよりも、見ればいよいよ下国にて、よろず賤しい。
人は頑なに言葉が訛って、『なでう事なき』『よろこぼひて』などと片言ばかりを
云っているため、内容が聞きづらい。
拾遺和歌集に『東にて養われたる人の子は、舌だみてころ物は云いけれ』と詠ぜられている。
さてまた、宗碩が『片つ田舎は問はるるも憂し』と発句をしたところ、『何とかはだみたる聲の答へせん』と
宗長が付けた。宗長は生国関東の人(生国は駿河国島田とされる)なればなり。
『都人、問ふもはずかし舌だみて うきことわりを何と答へん』と詠んだのもげに理である。
とりわけ『べい』『べら』と云うこそおかしけれ。
これにつけても我が住み慣れし九重の都、さすが面白き境地である。人王五十代桓武天皇の御宇、
(延暦)十三年甲戌十月二十一日に、山城国愛宕郡に都を遷された、男女の育ち、尋常に、言葉
優しく有りけり。」
関東衆はこれを聞いて
「愚かなる都人の云うことである。国に入っては俗を問い、門に入っては諱を問う。これ皆定まった
礼である。知らぬ国に入り、その国の言葉を知らないのに、それを問わないのは道理に合わない。
孔子は生まれながら物を知る智者であった。その孔子も大廟に入って、祭りに與った時には、事々に
人に問うたとか。舜も大智の聖人にてましますけれども、よろすに物を人に聞かれた。
知っている上にも問うのが、智者の心である。
そして関東の諸侍は、昔から今に至るまで、仁義礼智信を専らとして、文武の二道を嗜まれた。
民百姓に至るまで、筆道を学び、文字に当たらない言葉は、あからさまにも唱えない。
この宗順は、文字般若(般若の道理と智慧とを、文字によって示したもの)に暗ければ、義般若にも
暗く、却って他を難じている。
文字は貫道の器である。器なくして善くこの道に達するという事が、どうして出来るだろうか。
されば伊勢物語に『よろこぼひて』と書かれているのは『喜びて』の事であり、『なでう事なき』とは
『させる事なき』という事である。
『べい』は『可(べし)』の字である。言葉のつながりによって『べし』とも『べら』とも云う。
古今集に『秋の夜の 月の光の清ければ 暗部の山も越えぬ「べら」なり』と詠まれている。
その上、『知って問うは礼なり』と、古人も申されている。ましてや知らずして他を難ずるのは
まさしく道理に合わない。」
と云った。
『慶長見聞集』
関東の訛りについてのやりとり
スポンサーサイト