嘉隆の運命のほど

2017年02月16日 17:14

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/15(水) 20:08:35.82 ID:0fvy8vfu
慶長5年、関ヶ原の役において、九鬼長門守守隆は家康の会津征伐に従い、小山の陣に伺候していたが、
父大隅守嘉隆は、隠居の身として石田三成に与し、海賊を集めているという情報がもたらされた。

これにより「九鬼守隆を幽閉すべし」との声が上がったが、成瀬隼人正正成は反対した

「長門守が謀反を謀ることはありません。そもそも今回御供つかまつった上方衆のうち、
父子・兄弟別れているものは多くおります。その中で長門守一人を押込めるというのは
如何でありましょうか?

先ずは長門守に今度の旨を仰せ聞かせられ、その上で九鬼の領地に遣わし、彼の様子を
ご覧になった上で、必要な時は踏み潰す。そうしたほうが簡単であると存じます。」

そこで家康は守隆を召し、委細を聞かせ、「早々に志摩へ馳せ上がるべし。」と命じた。
守隆畏まって鳥羽へと赴いたが、考える所あって父。嘉隆とは対面せず、自分は関東に
御味方仕る旨を申し送った。

息子守隆が合流しないことで、嘉隆の勢力は広がらず籠城も難しくなり、伊勢神官の内に知人があり、
それを頼って城を開き退いた。ところが嘉隆の家臣である豊田五左衛門という男が、あえなく
主人嘉隆を害してしまった。

これを知った守隆の口惜しさは如何程であっただろうか。
流石に父に対しては敵し難いと考え、勿論関東に背く心もなかったため、直ぐには父子対面せず、
引き別れて立てた忠孝をどうにかして申し上げ、父の命を救うという計画が果たされるのは
目前であったのに、家臣豊田の大逆にて害されてしまった嘉隆の運命のほど。
是非もないことである。

(武野燭談)

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長篠合戦の図〔鉄炮片眼打の事〕

2016年09月08日 17:37

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 11:25:17.38 ID:Rn2M2SzC
長篠合戦の図〔鉄炮片眼打の事〕

 成瀬隼人正の家に長篠御合戦の古図があると、年来聞き及びながら過ごしてきた。
そういったある日にふと幸便があり、借覧を請うてみたら、
彼も部屋住みのときからの知り合いだというので、こころよく貸与してくれた。

 そこで模写させる傍らで絵を視てみると、
長篠城の体から、
勝頼が敗軍して武田の武将のかなりの数が突撃して討ち死にする体、
兵馬旗鼓の状態、
実にその場の真を写すに十分であった。
考えるに、当時の目撃人が描いたのであろう。

 その中の信長の先兵は、神祖の御兵と陣を並べて烏銃を発砲する様を描いたところを
詳しく見ると、信長の兵は十に一か二であるが、神祖の御兵はすべて皆片目で撃っている。
これから思うと、予の藩士が烏銃を撃つときは皆片目である。
 予は初めは田付武衛等の流派では、両目を開いて撃つので、領内のは田舎の旧風であろうと思っていた。
そこで、今は全て田付武衛のに従わせている。
しかし神祖の御時ではもっぱら片目での銃法があることを、これにて知ることができた。

荻野長(八百吉)が言うに
先年系譜修撰の御用を勤めたとき、稲富氏の系譜の中に隻眼烏銃の術を神祖に申し上げるというのを書載していて、
なおかつその時に稲富氏に神祖が下賜された御誓書は、今正しくその子孫に伝わっているという。
この稲富流があるのは世に広く知られていることである。
昔は稲富の法を御当家が採用されたことはこの古画で知ることができよう。

また予の領内で伝えられた隻眼の術は真柳流というとか。
今はその伝は絶えて名のみ残っている。

(甲子夜話)



17歳で将となったのは

2016年05月11日 17:59

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/11(水) 17:15:36.90 ID:RZRieaSv
尾州長久手の戦の時、成瀬隼人正は17歳であったが、敵陣に乗り込んで兜首を取り、
徳川家康の御覧に入れると

「汝は勇士である。今、旗本の兵が少ない。先ずこれを守れ」

そう命ぜられたため、本陣の先にて息をついていた所、先手が苦戦しているのを見て
駆け出そうとした。

ところが馬取が馬の轡を捉えて

「あなたは既に功名を遂げられました!それなのに再び敵の中に入り生命を亡ぼして、
一体何の益が有るというのですか!?」

成瀬は激怒し馬取を罵ったが、それでも手を離さぬため、刀を抜いて峰打ちし

「小利を貪り大義を失うのが武士の道か!?今日の戦は、敵破れ陣を陥れ、さらに逃げるの
を追い詰めた後に止めるべきものだ。名も知れぬ首一つに身を顧みられようか!?」

そう怒鳴りながら峰打ちしても、なお手を離さない。

この時徳川家康は30間ばかり(およそ50メートル)隔てて戦況を見ていたが、
ここで声を発した

「味方は持ちこたえられない様子である!壮士の死戦すべき所はここぞ!ただその志に任せよ!」

この時、馬取は手を離した。
成瀬は真一文字に乗り入れ、また兜首を得て、東西を駆け巡り叫んだ

「君は間近で進退剛怯をご覧になっている!なのに黒くも逃げ走り、なんの面目あって
今後人に見えるのか!?」

こう見方を辱めると、引き色だった者も踏み止まり、進む者はなお勇んだ。

そして成瀬隼人はこの年の暮れ、家康から「成瀬の長久手での働きは軍功の士にも恥ずべからず。
誠に感じ入った。」と根来衆50人を預けられ、将の一人となった。
徳川家において、17歳で将となったのは、成瀬隼人一人だけであったという。

(新東鑑)



713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/11(水) 17:31:57.70 ID:vojZxJwv
轡取りの行く末が気になる…

「時に臨んで功者な手段」

2016年02月06日 15:06

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/06(土) 14:01:14.90 ID:j7aiHJz8
大坂の陣が調停となって堀を埋めた時、豊臣秀頼より女中方が使いとして
やって来て、「堀の埋めさせられようは、どのように致しましても、御情けの
なきなされようでございます!」と、恨み申し上げた。

徳川家康にしても秀忠にしても応対しかね、老中も返事を申しかねたので、
女中方はますます激しく、恨み深く申していたところ、成瀬隼人(正成)が
女中の傍へと近寄り、

「おやおや、こなたは女中であるのに、よくものを申される人ですねえ」

と言って、女中の尻をつねった。女中はこれに困って赤面し、言葉を発する
ことができなかったそうである。

この事は、「時に臨んで功者な手段」と言われたとのことである。

――『武功雑記』



100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/06(土) 19:28:45.21 ID:vYxxbSP+
セクハラパワハラ

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/06(土) 20:24:25.19 ID:uEIFzPgd
この女中は美人で名高いお玉の方か

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/06(土) 20:39:46.22 ID:OlPnY2tG
女中が誾千代だったら死んでるだろ成瀬

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/06(土) 21:05:46.48 ID:QbI8M+bu
そこへ現れる大蔵卿局

正成が日頃望んでいたのは

2013年07月07日 19:02

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 18:41:06.62 ID:ZcdGcfU1
成瀬正成徳川家康の近臣で、尾張の徳川義直に付けられ、
義直に対しても忠勤を尽くして仕えた。

正成が日頃望んでいたのは「恐れ多いことだが、死後には尊神(家康)の
御かたわらに侍りたいと思う」ということだった。

程なく正成が身罷ると、義直はその志を思って遺言に違えず亡骸を日光山に送った。

その死の三日前の事。天海は「今朝神祠に参ったところ、正成がここに来て
神君の御前に侍っているのを見た。正成は近いうちにきっと身罷ると思う。
まもなくやって来ることだろう。本当に哀れなことだ」と言って涙を落とした。

――『東叡山開山慈眼大師縁起』





秀忠様にも生まれつき、大御所様より優っているところも

2013年04月25日 19:52

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/24(水) 20:13:25.59 ID:Qi9JfOkH
大阪夏の陣の時のこと。

将軍・徳川秀忠はその軍勢の進軍が遅いと立腹し、御側の者達はこれを承って、殊の外
進軍を急ぎ、道も打ちまたぐように猛スピードで進んだ。

この時大御所である家康は、秀忠の軍勢が急ぐ必要はないと考えていたため、それを伝えたが、
秀忠の方は

「例え大御所様の思し召しであっても道を急いで攻め寄せるのが正しい!とにかく急ぐのだ!」

と、家康の言うことも聞かない様子であった。家康の方はいよいよ合点がいかず、

「何と言う手ぬるい行動だ。まるで弱みでもあるかのようではないか。」
と仰られた。

その後、家康の御前に成瀬隼人(正成)、安藤帯刀(直次)を初め何人かが集まり、この秀忠の
進軍に関して相談が持たれた。
ここで成瀬隼人が発言する

「大御所様のお考えは間違っております。大御所様が遅く来るようにとお考えになっているのと同じように、
秀忠様がお急ぎに成るのも、深い考えがあってのことなのです。
それに大御所様、秀忠様にも生まれつき、大御所様より優っているところもあるのですよ?」

家康これを聞いて
「優っている?あやつがわしにどれほど優っているというのか?」

隼人少し考え
「そうですな。この事はたいへん申し上げにくいのですが…、まあ、5倍は優っておりますな。」

家康、あっけにとられ
「おいおい、いくらなんでも5倍ということはないだろう!」

これに隼人
「それでは15倍も優っておられますかな?」

そう申し上げて御前を退出したそうである。
(紀伊國物語)




380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/24(水) 20:30:45.03 ID:+gyH3aIl
「大御所様息子を過小評価し過ぎですよ、心配しなさんな」ということか、ニヤリと笑って言ったんだろうな

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 01:09:12.40 ID:EQMFg1pX
尾張の付け家老か
最近まで子孫が国宝の城を個人で所有してたよね

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 14:15:11.10 ID:4yn1Iero
仙谷秀久とも似たような話あったよな
あれは関ヶ原直後だったかな

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/26(金) 15:32:58.72 ID:AcZ/Bgwr
>>379
家康の墓で死にたいとか駄々こねたイメージなのに
結構家康にどきついこと言う鬼畜な成正さんはさすが三河武士のほこりやで

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/26(金) 21:42:44.02 ID:EC1KSH/h
三河武士は家康に一言皮肉を言えるようになってはじめて一人前

・・・という通過儀礼でもあったのかと疑いたくなるよね

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/26(金) 21:46:05.38 ID:J1xm2FS1
>>416
組織としては超重要だか非常に難しいぞ、それ

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/26(金) 23:08:40.77 ID:No9bYfyn
主を貶せるようになれば一人前・・・・つまり黒田家は皆一人前

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 00:30:42.70 ID:Sw5oXsom
官兵衛に歯向かった奴なんているの?

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 01:36:56.51 ID:E5ujqAhY
NGMSだろ

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 15:57:17.01 ID:NA5LBGAu
>416、タヌキさんの場合道理が通ってれば文句言ってもいきなり斬られることはないだろうし。平八郎に折檻されるか友に冷笑されるかはともかくとして。
これが末期のラスボスとかだと首がポーンしかねない

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 20:14:31.18 ID:Tfoo7lvo
>>430
末期なら首がポーンじゃなくてポポポポーンだよ
家族とか一族的な意味で

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 20:40:03.96 ID:+rsyMp3u
諫言するたび、一族消えるね

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 21:05:48.34 ID:tMrczh2L
刑~死~

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 23:58:40.68 ID:te4Y41y0
うまくまとまってるんじゃないよ!


徳川軍団、水口城下行進!

2012年10月03日 20:28

699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/03(水) 06:02:14.76 ID:VeVuyAD+
関が原の直前、京から関東に上杉征伐しに行く時の家康がとても狙われていたらしい。
なんせ征伐されそうな上杉派、挙兵する反家康派が石田三成をはじめウヨウヨいるのだ。
家康が江戸に帰る時の、佐和山付近での家康暗殺計画を三成が検討していたり、
長束正家の家康暗殺未遂という話があるが、
(伏見にいた頃から三成が襲撃を検討していて、それを榊原康政が食い止めたという話まである
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5671.html

さて、↑の長束正家による家康暗殺未遂(?)は失敗に終わり、甲賀衆の知らせで
家康はふらふら~とうまいこと正家の城下水口を通過することに成功した。
この時長束軍が家康を取り逃がした後、軍勢を繰り出したという話がある。
家康は諦めるが、後ろに来る徳川軍(といっても少数)を通過させないように邪魔をしようとしたのだ。
ここで合戦が起これば当然、徳川不利な情勢になるのを見据えて。
かといってとぼとぼ伏見に帰っても鳥居元忠に怒られるだけである。待機していてもそれはそれで困るだろう。

後ろの徳川軍を率いていたのは本多忠勝を筆頭に服部正成成瀬正成水野勝成
錚々たる三河武士。当然帰るなんて選択肢はないし、家康の身が危ない以上一刻も早く合流したい。
忠勝は彼らに命じ火縄銃に火を灯し臨戦態勢をとった。
すわ合戦、かとおもいきや忠勝は兵に掛け声を叫ばせながら、水口城下を行進した。
臨戦態勢でやる気満々で城下を練り歩いているのだ。
さすがに長束勢もこれには手が出せず、結果忠勝率いる徳川軍も無事に江戸に行くことができたのである。

出典は家康の侍医板垣卜斎の「慶長年中卜斎記」だそうだが、ネットのあちらこちらから
適当に抜き出してきた話なので信憑性は低いかも。
・・・しかし、長束正家の妻は忠勝の妹(姪とも)なのだが。




700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/03(水) 10:18:42.88 ID:Lo7jkwgW
このメンバーでは臨戦態勢とってなくても仕掛けるのに相当勇気がいるぞ。

「これこそ間違いなく御墳墓の地だ!」

2012年09月30日 20:12

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 18:07:03.09 ID:SL7Dp0qe

成瀬正成土井利勝は観智国師存応を伴って上州新田にやって来た。
徳川家の先祖の旧蹟を捜索しに来たのである。

しかし、聞き込みをしてもそれを知る者が見つからなかった。
だが、一人の農夫が「世良田の近くの丘に古寺のあとがあると言い伝えがある」
と証言したので、

利勝は人夫を集めて丘の上を掘らせたところ、たくさんの古仏古瓦を発掘した。

「これこそ間違いなく御墳墓の地だ!」

利勝らはその地形を記録して帰り、(徳川家康に?)報告したという。

――『徳川実紀(駿府政事録)』

後の大老もいろんなことやってたんすな。




685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 18:30:24.46 ID:q/AyMoqe
>「これこそ間違いなく御墳墓の地だ!」

すごいゴットハンド臭がする(´・ω・`)

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 19:30:18.42 ID:WtmvNjRi
ほほえましいなw

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 19:38:40.49 ID:KqbV6UIN
>>685
稲妻ヅモ

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 21:23:53.91 ID:eh+JOYTU
それっぽいものがあったら何でもよかったんだろうなw


689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 21:51:43.24 ID:G8uDJ1+k
>>すごいゴットハンド臭がする(´・ω・`)
トッシーなら○く治めるためには埋めるくらいやっちゃいそう・・・

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 22:04:55.10 ID:DDorhG0P
竜巻ヅモも

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 06:26:56.10 ID:bHmGh7wP
そいじゃ真空ヅモ追加しとこう

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/01(月) 18:30:56.55 ID:2SUJ1x8S
自己中どもめ

坊主はまた叱られてしまった

2012年07月16日 20:58

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:15:41.05 ID:SJCrnKFz
徳川家康は倹約を徹底したといわれているが、明かりに関しても同じだった。
ある時には蝋燭は数本だけで残りは油火ばかりという徹底ぶりで日頃から
家人たちも厳しく言われていたらしい。

ある時、成瀬正成松平正綱が急ぎの連署状を書くために坊主からわずか
二、三寸の蝋燭を請い得て連署状を書き、その場を離れた。

この時、二人はうっかり火を消し忘れた。見回りが蝋燭を見かけると
坊主は呼び出され「上様が御覧になったらお咎めになるぞ。何故消さない」
と叱られてしまった。

「いや、これは隼人殿たちが…」と、坊主が説明しているところに消し忘れに
気付いた二人が戻ってきた。

「お前たち、消し忘れに気付いていたなら何故消さない」
坊主はまた叱られてしまった。




525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:35:21.66 ID:jy7EbxNU
当時蝋燭はかなりの高級品だったみたいよ
一般人は使ってなかったんじゃないかな?
水戸黄門とかの時代劇だと農民でも使ってるけど

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:35:48.56 ID:SmZeOzs0
火の管理は節約という以上に火災予防の面が強かったので、消し忘れはすごく危険なミスとして認識されてたりもする。

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:46:21.38 ID:rZBNcugH
上様が叱るからと言う理由で上様に媚びるかのように叱る
そして肝心の消し忘れはそれと気付いているのに消そうとしない
この見回りは一体誰でしょうな


528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 00:11:35.33 ID:O8eaPXUR
借りるなら油にしとけって幽斎様が…

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 08:10:27.90 ID:uN8vUu/G
油だと鍋島さんとこのヌコが寄って来るじゃないですか~

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 09:21:53.41 ID:AKgEYPKZ
つうか蝋燭消し忘れたのは自分らだって事を棚に上げて説教かましたんですか成瀬さんと松平さん
坊さんマジ踏んだり蹴ったり

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 10:31:26.98 ID:qMOzFLgo
利家とジャイムズくんが寄ってきそうな話だ