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曽木の滝では

2015年06月07日 16:27

890 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/06/06(土) 22:29:47.31 ID:nEHsoC9s
鹿児島県伊佐市にある曽木の滝。この滝では

南の方の武蔵、新納忠元・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/688-9de1da57

に書いてあるが、新納忠元が秀吉を滝壺に突き落とそうとしたこと
が伝わっている。
(昭和32年(1957年)に柳原 白蓮が世界平和運動の講演のために訪れた時に
案内人を務めた郷土の医師から、新納忠元と豊臣秀吉の会見や滝見物の
言い伝え、 川ざらえと薩摩藩の米の流通などの話を聞いた後に歌を詠み
「もののふの昔がたりを曽木の滝 水のしぶきにぬれつつぞ聞く」
この歌の歌碑が曾木の滝にあります。)
そして、曽木の滝にはもう一人戦国の人の話があります。

薩摩のスナイパー2・押川強兵衛
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/7784-f34d239e

押川強兵衛は少年時代、曽木の滝で水練をし体を鍛えていました。
ある日、泳ぎ疲れた強兵衛が、(滝の下の河の中にある)岩の上で
昼寝をしていたら猟師が強兵衛を河童と間違え鉄砲を向けたことが
ありました。そのことからその岩は「カッパ石」と名付けられました。
また滝の左岸には、強兵衛が並べたとされる同じ形の4つの屋形の
巨岩がみられ、「力石」と呼ばれています。
(「カッパ石」と「力石」の場所は忠元が秀吉を滝壺に突き落とそう
 とした「観音渕」の付近です)
参考 曽木の滝周辺資源カード4



891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/07(日) 10:07:27.28 ID:DFE7lzNk
ザビエルハゲの少年だったのか?

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/07(日) 16:38:36.99 ID:ecbDPL9G
>>891
意味は分かるんだが
せめてトンスラと言ってやりなよw

893 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/06/07(日) 21:57:40.48 ID:RARX4r5x
「カッパ石」と「力石」の場所は、曽木の滝周辺マップを
見ると滝壺のすぐ近くなので普通の人は泳げない所だから
河童と間違えられたのかも。

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薩摩のスナイパー2・押川強兵衛

2013年08月10日 20:36

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 17:11:42.16 ID:19FRjk6Q
薩摩のスナイパー2

関ヶ原の戦いで島津軍はいわゆる「島津に退き口」で撤退した。
この時、押川郷兵衛は義弘本隊とははぐれ伊吹山中で東軍に生け捕られてしまう。
しかし処刑される直前、島津家の取次をしていた旧知の山口直友が郷兵衛を見つけ引き取った。
直友は郷兵衛に服や刀を渡すが、郷兵衛はそんな直友の元から抜け出し京の近衛家に駆け込む。
その後、逃げ帰った薩摩では主君義弘より50石の加増と「郷」を「強」に変え強兵衛への改名を命じられる。

そんなこんなで主君義弘の信頼を勝ち得た強兵衛。
その後の強兵衛は義弘の命により巡礼姿で諸国を行脚し、関ヶ原で戦死した島津豊久の捜索などをおこなう。
つまりは義弘の忍びとして働いたようだ。
強兵衛の忍びの仕事の1つとして義久派家老平田増宗暗殺がある。
慶長15年6月、川内と鹿児島を結ぶ土瀬戸峠で平田を狙撃し暗殺したのだ。

『本藩人物史』によれば強兵衛は寛永6年に59歳で亡くなるまで「人を殺害すること百六十余り」と書かれている。