904 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/06(金) 22:26:39.90 ID:+JGuVzIn
渋川城大爆発
有名な逸話だけど、どうやらスレでの紹介自体はまだされてなかったぽいので…
伊達政宗の股肱の臣である伊達成実の右手は指の肉同士がくっついて不自由であったと言う。
生まれつきそうだった訳ではなく、ある一つの事件が原因であった。
天正13年(1585年)、佐竹をはじめとする連合軍と伊達家による人取橋の合戦から一月ほど経った12月11日夜のこと、成実はこの時前線地帯にある渋川城にて、敵勢力に備えていた。
夜も更けてきた頃(20時から22時頃とか)、灯りを持ち城内を隈なく油断なく巡回する者があった。
https://i.imgur.com/0HX6Gz2.jpg

この日の夜間警備を担当するこの男は鼠1匹見逃すまいぞ!と全ての部屋を鋭い目付きでチェックして回っていた。
そして男はある部屋に差し掛かった。武具弾薬を収めた倉庫(成実の部屋とも)である。
最も重要なこの部屋に怪しい者は居らぬか?おかしな物は無いか?男はここでも油断なく、隅から隅をチェックした。
すると何やら見覚えのない箱がある。これは怪しいぞ、と睨んだ男は箱を開いて灯りを近づけた。
箱の中にあったのは鉄砲用の口薬(ないし玉薬=火薬)であった。
なんだ、怪しいものではないでないか、紛らわしい… 男がホッと一息ついた次の瞬間…
https://i.imgur.com/ooaTDHD.jpg

男は手に持っていた灯りをうっかり箱の中に落としてしまった…
刹那、大音声と共に武器庫は弾け飛び、城は業火に包まれた。
成実もこの時、右手に大きな火傷を負う羽目となり治癒後にその右手の指は癒着してしまい、野口英世の少年時代の様な不自由な右手になってしまったと言う。
しかし、成実はその後も数々の戦いで指揮官として武功を上げ、一時は伊達家を出奔するものの他家からも高く評価される武将となるのである。
『政宗記』『新奥羽永慶軍記』より
渋川城大爆発
有名な逸話だけど、どうやらスレでの紹介自体はまだされてなかったぽいので…
伊達政宗の股肱の臣である伊達成実の右手は指の肉同士がくっついて不自由であったと言う。
生まれつきそうだった訳ではなく、ある一つの事件が原因であった。
天正13年(1585年)、佐竹をはじめとする連合軍と伊達家による人取橋の合戦から一月ほど経った12月11日夜のこと、成実はこの時前線地帯にある渋川城にて、敵勢力に備えていた。
夜も更けてきた頃(20時から22時頃とか)、灯りを持ち城内を隈なく油断なく巡回する者があった。
https://i.imgur.com/0HX6Gz2.jpg

この日の夜間警備を担当するこの男は鼠1匹見逃すまいぞ!と全ての部屋を鋭い目付きでチェックして回っていた。
そして男はある部屋に差し掛かった。武具弾薬を収めた倉庫(成実の部屋とも)である。
最も重要なこの部屋に怪しい者は居らぬか?おかしな物は無いか?男はここでも油断なく、隅から隅をチェックした。
すると何やら見覚えのない箱がある。これは怪しいぞ、と睨んだ男は箱を開いて灯りを近づけた。
箱の中にあったのは鉄砲用の口薬(ないし玉薬=火薬)であった。
なんだ、怪しいものではないでないか、紛らわしい… 男がホッと一息ついた次の瞬間…
https://i.imgur.com/ooaTDHD.jpg

男は手に持っていた灯りをうっかり箱の中に落としてしまった…
刹那、大音声と共に武器庫は弾け飛び、城は業火に包まれた。
成実もこの時、右手に大きな火傷を負う羽目となり治癒後にその右手の指は癒着してしまい、野口英世の少年時代の様な不自由な右手になってしまったと言う。
しかし、成実はその後も数々の戦いで指揮官として武功を上げ、一時は伊達家を出奔するものの他家からも高く評価される武将となるのである。
『政宗記』『新奥羽永慶軍記』より
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