武田信虎「信玄はよく分別して、この3ヶ国を取るように」

2015年05月09日 16:25

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 21:22:04.96 ID:HjLXgSyq
遠州掛川の円福寺にあった武田信虎は、信玄より遣わされた日向源藤斎にこのように言った。
「今川家は、ここ10年のうちにも滅亡するだろう。その仔細は、上方牢人の武藤という、武辺のことについては
仮初にも知らない、利得ばかりの役を今川義元から申し付けられた、半分町人、半分侍のような者が居るが、
その子が、生まれつき良き者であると、今川氏真の御座を直させる役につかせ、三浦右衛門(正俊)と名づけた。

そして今では氏真は、この三浦右衛門の言うがままと成り、霜月や極月にも、右衛門が所望ならば
踊りを七月のように踊らせ、また五月の菖蒲斬りを七月末まで叩き合わせ、能・猿楽、遊山、月見、花見、
歌、茶の湯、川漁、舟遊びにあけくれ、民百姓を虐待し、譜代の家老や今川一家の衆にも頭を上げさせない。
ことに、遠州の国人飯尾氏の跡目を望み、今川家において最も権威ある家老である朝比奈兵衛尉をも遮り、
地下も侍も氏真を恨むように成ったのは、みな三浦右衛門のせいである。

この三浦右衛門と言う人物は武士の義理を知らぬ者らしく、今川義元が手を付けた女子に、菊鶴という、
これは義元の近習・四宮右近の妹があったのだが、これを密かに妾にしたのが、義元が討ち死にした
年のうちであった。この事も右衛門を恐れて、氏真に知らせる者とてなかった。
しかしこういった事を、この信虎は氏真に申し聞かせたため、右衛門は私を憎み、彼のお気に入りである
名古屋の与七郎と言う者は、私を武田の強欲入道と名付けた。

これというのも、元は氏真の心得が悪いからである。氏真が23歳の時、父義元を織田信長に殺されて
はや4年になる。当年26歳に氏真は年令を重ねても、父の弔い合戦をするような心ばせは夢にも無い。
氏真も臆病というわけではない。しかし心掛けが無いため、西国において大内義隆、関東にては上杉憲政と
同類に数えられる。

特に、三河岡崎の城主で、今は家康と名乗っている者は当年22歳になるが、義元のお陰で岡崎に帰還したが、
氏真を見限り今川の敵である信長と入魂して、互いに起請文を交換し合い、信長に脅威があれば家康が助け、
家康に大事があれな信長ら助けるとし、既に家康の、当年5歳になる嫡男を聟に取ると約束した。
そして元康といったのを家康と改名し、4年前より三河国を切り取って廻った。

この事に対し今川家の重臣より抗議が寄せられたが、家康は
『今川の御恩にて岡崎に帰参致すこと、父広忠以来二代に渡り、少しでも今川家に対しぞんざいに思えば
御罰が当たります。このあたりでの取り合いは、所領の境問答があるからです。
信長と入魂したのは、彼の内実を見透かし、義元公の弔い合戦を氏真公がなされる時のためです。』
そう答えて家康は弟を人質に出した。
しかしその駿河の使いが山中あたりを行く自分に働き、氏真を主君として崇める者達を次々と切り従えたのを、
今川家の重臣達は重大事と考え氏真を諌めたが、家康のめのとである酒井雅楽助(正親か)という者の
工夫良き故か、成瀬藤五郎という口利きの上手い侍を一人、三浦右衛門の所に付け置いたことで、
氏真と家康の間も元のように回復した。

こんな状態なら、家康と信長の同盟により、三河、遠州、駿河3ヶ国は家康信長に取られ、結局
敵の方が今川家を滅ぼすであろうから、信玄はよく分別して、この3ヶ国を取るように。
ただ、舅であるから北条氏康今川氏真を助けるだろう、しかし氏康の子息氏政は、信玄の婿であるから、
そのあたりは信玄も定めて分別が有ると思う。こう、信玄に申せ。」

これに日向源藤斎は申し上げた
「信玄様は、万事において入念な方です。口上だけを以っては如何かと思います。信虎様の御一筆を
遣わされますように。」

しかし信虎
「文書で言うならその方を呼びはしない!大事の事は、絶対に書物にはせぬものだ。」

「であれば、信虎公の御判を一つ押して下さい。それをお目にかけ証拠とし、信虎公の奥意を申し上げます。
私は諸国へ御使に参りますが、どんな手立てにおける吉事であっても信玄公は、ふまえる所のない情報は
少しも信用なされません。」

そこで信虎は直判を日向源藤斎に渡した。次の日は日向は逗留し、翌19日、信虎は円福寺を立って上洛した。
それを見送ると、日向は二十日に掛川を立ったが、安倍川が増水していたため回り道をし、25日に甲府に付き
信玄に信虎の判を御目にかけ、件の事を申し上げた所、一切感心のないような表情で

「信虎公は老耄されたのだろう。皆いたずら事である。源藤斎はこの事、今後必ず取り沙汰してはならない。」
そう機嫌悪く言った。
(甲陽軍鑑)




767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/09(土) 10:01:41.22 ID:byQptwpE
本当今川氏真って最低なやつだなw

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武田信虎と、駿河での子

2015年05月08日 18:55

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 19:40:16.96 ID:GDeBRSsV
永禄6年正月7日、遠州掛川の円福寺という、律宗の寺より一人の出家が甲府へと来た。
これに長坂長閑が付き添って、武田信玄公に申し上げた

「御父君である信虎公ですが、今川氏真公の御意に違いになり、この春のうちにも都に
御上りなされることに成りました。その事について、信玄公に仰せ渡したい事があります。
小身の侍のうち、信玄公が心やすく思われ、また何事にもしっかりと分別有る者を一人、
この僧と供に信虎公の元に寄越して頂きたいのです。」

そこで信玄公は、日向源藤斎を、正月13日に仰せ付け、その日に甲府を立たせて遠州掛川の
円福寺に向かわせた。
日向源藤斎は17日に掛川円福寺に到着。その夜に信虎公にお目にかかった。
信虎公は先ずこうに仰せに成った

日向源藤斎と名乗るお主は何者か?」

「私は日向大和の親類であります。信虎様が甲州から御牢人となられた26年前には、私は奉公もせず
日向大和に扶養されておりました。年齢も二十歳になっておりませんでした。
元来は、信濃が本国です。」

信虎公これを聞くと
「たとえ何者であっても、信玄が心安く思っているのならくるしからず。

私は信玄に出し抜かれこの体になり、45歳の時より当年まで26年の間、今川義元に扶持を受け、
今や70になってしまった。
義元が生きている間は。私も甲州に居た時と同じように待遇され、今川家の侍衆も、『御舅殿』と
崇めていたのだが、4年前の5月19日、義元が討ち死にすると、子息の氏真はこの信虎に祖父の待遇をしない。
よって去年の晴までは駿府にいたのだが、夏の間にこの円福寺に移ったのだ。

それから、私が牢人した次の年、駿府にて男子一人を持った。義元はこれも、小舅の待遇にしてくれ、
騎馬の者を20ばかり預け、武田上野守と名乗り、当年25になる。
この上野守が16の時に設けた子に、私が名を付けたが、信玄にあやかるようにと勝千代と付けた。
この子も、当年10歳となった。

この上野父子も駿府で過ごしていたが、私が円福寺に去年から移ると、三浦右衛門という今川氏真の出頭人が
遮って、上野父子は氏真から声もかけられない有り様で有る。

そこで信虎はこの3日の内に上洛し、都の辺りに居住するつもりである。
私は公家の菊亭晴季殿に、上野の妹で、当年19歳になるのを、義元が生きている時に祝言させたので、
菊亭殿は信虎の聟であり、これに頼って都に上る。
然れば、上野は信玄の弟であるから、この父子を懇ろに待遇するよう、信玄によくよく言うように。」

そう、日向源藤斎に仰せ付けになられた。

その夜半過ぎ、人々が皆寝静まった頃に、信虎公は日向源藤斎を召して言った
「私は信玄に対し恨みあるといえども、もはや過ぎて久しき事だ。また、信玄の方にも道理は萬々多かった。
あの当時は、良き上にも良くあるようにと思って、信玄に対し折檻したが、あれは皆、信虎の間違いであった。
なぜなら今や、信玄の誉れは名高く聞こえ、信濃を皆手に入れて、飛騨国、上野国までも一両年の間にに
治めるだろうという沙汰を聞く、信虎の喜びは、これに過ぎる事はないと、信玄に言ってほしい。」

源藤斎はこれに「かしこまりて候」と答えた。

(甲陽軍鑑)

武田信虎、駿河で作った子供を信玄に頼み込む、というお話。




757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 02:21:22.75 ID:Y5kEKSGr
武田の父子不和は遺伝的疾患かね?

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 06:25:36.51 ID:J2Y9jU6L
現代でも親たちの作った借金や制度に
子供たちが苦しんでるだろ

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 06:54:11.02 ID:Np3grdNi
親子不和なんて珍しくもないでしょ

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 09:05:54.45 ID:PWgJoWir
大塚家具とか

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 09:21:31.65 ID:ZLQ/3S+8
武田の父子不和は伝統芸やね

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 10:47:15.86 ID:aYn4wbvv
そもそも河内源氏自身が・・・・・・

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 10:58:02.50 ID:o4/pQzaX
あの世で新羅三郎も、子孫が身内で争ってることにこころを痛めただろうな

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 11:09:38.39 ID:Z/2crxAD
>>763
義綱「…」

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/08(金) 11:47:54.68 ID:2EjhBKU2
家族でころころしあうのは源氏のお家芸みたいなもんやし