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堺より都に至る道路に於いて、税を徴収することを

2020年11月11日 16:33

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/11(水) 13:02:34.18 ID:Zd444FhI
日本の真の王である内裏の顧問にして、甚だ身分高き人である公家達は、和田(惟政)殿に対し、
堺より都に至る道路に於いて、税(通行税)を徴収することを、彼等に許可すること切願した。
この収入は甚だ巨額なるもので、尾張の王・信長は、庶民の税を軽くするために、その徴収を免じたのだが、
再びこの徴収を再開することに関しては、総督(和田惟政)の一存に任されていた。

和田殿は公家に対し、
「この事、その他何事につけても自分の好意を得んと欲せば、彼等はただ一事を行えば、一切の報酬として
これを受けるだろう、即ち、ルイス・フロイスの事について内裏に話し、フロイスが謁見の許可を得、
また朝山日乗に与え、フロイスたち宣教師を追放し、会堂を奪った免許状を撤回することである。」
と云った。

しかして彼等の中、何人もこの事について内裏に語ることを欲さなかったために、その死に至るまで
和田殿は、彼等の請願した所を許可しなかった。

『一五七一年九月二十八日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

堺から京への関銭についてのお話



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彼は昨日、法華宗の坊主の一人を訪問した、

2020年11月09日 18:34

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/09(月) 17:52:08.59 ID:HT6AaZxm
良い機会なので、堺の僧院の長老である一人のキリシタンで、徳高き祈祷の人にして、また文学に長じた者が、
今朝、生誕祭が終わった後、私に語った所を尊師に告げる。

彼は昨日、法華宗の坊主の一人を訪問した、同宗派は不行跡甚だしきものなるが故に、最も我等キリシタンを
憎んでいるが、その坊主は彼に対し、次のように述べた

「我等はキリシタンでない故に幸福にして、我等の運命は仕合わせである。
私は、汝のように疑わしく、確実ではない教えに従うことを悲しみ、かつ遺憾とし、また最後に、
キリシタンと成ったために多くの艱難を嘗めて、獲得した学問及び所領を失う事を憐れむ、

釈迦の慈悲は広大無限であり、一人の犯す罪がいかに重く、また恐るべきものであっても、釈迦の功徳に依って
悉くこれを赦され、地獄に在る者、自らは救われることを欲さなくても、釈迦はその慈悲により、彼を苦悩より
救って幸福なる者と成すのみならず、鳥類、動物、及び四大(地水火風)より生じた物は、一物も残らず
悉くホトケ、即ちサントと成るべし。

故に我等は、現世に於いては思いのままに生活し、少しも懲罰、又は未来の裁判を恐れることはない。
何故ならば我等は、釈迦に依って救われているからである。

キリシタンはこれに答えて云った
「我等こそ、実に汝等の死滅と、悪魔が計略を用いて汝等を欺く事を憐れむ者であり、汝は司祭にして
学者であるのに、自由の生活は汝を誘って罪悪を犯させるものであると知らないのはどういうことか?
しかして、これを汝に勧める者は、諸悪の本源に非ずや?

又、汝の宗旨が笑うべきものであることを悟らせるために問おうと思うのだが、釈迦は動物及び生物を浄化して
その栄光(極楽)に入らしめんとする事について、これら動物は、天性を失うものではない。故に犬は猫と
闘おうとし、猫は鼠を捕えようとするような習慣、及び本来の傾向を忘れるとは思えない。
故に、釈迦の栄光(極楽)の中で、猫が獲物を追い、犬は猫と闘い、一つの動物が他の動物と争うのを
観るのだろうか?
もし、寄生虫が人間の肉によって生存する必要があるのなら、我等が現世での労苦の終極に於いて、
このように不幸な場所に至るというのは、頗る不快な事であると思わないのか」

そう云った所、坊主は
「釈迦の神聖なる事を、そのように物質的に考えるべきではない」と云い、欺瞞の中に生存することを
解する者の如く笑って去った。

尊師、我等の主に祈り、この国民をして理解の眼を開き、一切の幸福の源となる光明と、誤り無き
真理を認めさせ給わんことを。

『一五七一年三月十日附、都發、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

法華宗の僧とキリシタンの論争



449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/09(月) 18:28:03.99 ID:0a51Tor+
宗教論争は屁理屈合戦みたいになるんだよな

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/09(月) 18:51:33.31 ID:lzE3/m4f
カルヴァン派「予定説がどーたら」
フランシスコ会「動物に説法した開祖アッシジのフランチェスコがどーたら」

足利義昭への謁見

2020年11月04日 16:48

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/04(水) 15:34:53.38 ID:bivcHs1J
尾張の王(信長)への訪問後二日を経て、和田殿(惟政)は多数の兵を率いて当地に来たり、
「公方様(足利義昭)が私を引見することを協議したので、速やかに準備すべし」
と云った。

彼はすぐに宮殿に到って、私を待ち受けた。公方様は彼を甚だ寵愛しているがゆえに、私が何人で
あるかを告げ、パードレの名誉・地位を月の角の上に置かんとした。
私は人を堺に遣わし、ローケよし借り受けた美麗なる孔雀の尾を持参した。

公方様はその盃を私に与え、和田殿は私の次にこれを受けた。尊師の知られる如く、公方様は日本の
彫像にして、これを訪問する者に、一言をも述べるのは極めて稀な事であるが、この時は二回、和田殿に対し
私に勧めて飲ましむべしと云い、次に、彼に贈った品を喜んでいることを告げた。

私が座を立った時、彼は後より密かに座敷の戸を見、私の身長がどれほどかを計った。
我等が外に出た後、和田殿に対し常例の挨拶をなし、「公方様がもし、印度の品にて好むものが有れば、
我等は喜んでその命に応ずべし。」と述べると、彼はこの事に付き尽力し、支那の船が来た後、自分に
告げるようにと伝えた。

この訪問は、我等が都に滞在するための手始めであるが、主要にして最も確実なのは、ゴシュインと称する、
朱の印の免許状、すなわち我が国の国語にて、信長の命令、及び公方様の免許状、即ちゴゼンジ(御宣旨)
を入手する事であり、中でも信長の免許状は特にこれを請うたが、和田殿はこの交渉を引き受けた。

『一五六九年六月一日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

フロイス等の足利義昭への謁見について



678 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/11/04(水) 20:51:01.23 ID:kyhY7BdG
>>677
月の角の上ってなんでしょ
原文が日本語の直訳で再翻訳したらよく分かんなくなった感じ?

フロイス達の信長への訪問について

2020年10月31日 18:06

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/31(土) 00:23:39.93 ID:CqjrL7Qy
最も愛するパードレよ、前の続きに立ち戻り、我等の最も大なる敵である霜台(松永久秀)は、和田殿(惟政)が
信長を訪問するため、私を招くことを命じ、私が都に到着したことを聞くと、霜台は私に先んじて
信長を訪問し、私が到る所は悉く擾乱し、破壊されるが故に、再び放逐することを懇願した。

信長はこれを笑い、「一人が都のように大きな都市に在って、一国を擾す原因と成るなどと考えるが故に、
汝の心は甚だ狭いのだ。」と云った。しかして、彼の顔色が悪しき時は、これに抗弁し、またこれを
見上げる者は無い。

私はロレンソ、ベルショール、アントニオ、及びコスモ、並びに主立ちたるキリシタン達と共に城に到ったが、
彼は内に在って休息し、音楽を聞いていた。このため佐久間(信盛)及び和田殿が、私が携えてきたもの、
即ち尊師が三年前、豊後より私に贈った天鵞絨(ビロウド)び帽子、及び鏡、ベンガラの杖、及び孔雀の尾、
等、富に関する諸人の考えによれば、私からの贈りものとして価値少き物を、彼に運んだ。彼は他の品を
不必要であるとして、帽子のみの受納し、私が来たのを喜び、「他日、閉暇ある時に面会すべし。」と告げた。

佐久間殿は内より多くのサカナ、即ち食物を容れたゼキンロ(食籠:金を塗った小筥)を持ってきて、
和田殿と共に挨拶し、私に何を与えるべきかと語った。
両人は私を送って外に出、美しき辞を述べ、好意を表して別れた。而して、この光景を見て大いに驚きたる
群衆を意に介さなかった事はここに説かない。

その後信長は、和田殿及び佐久間殿に対し、私を引見しなかったのは、数千レグワの地よりこの教えを説くため
日本に来た外国人に対し、いかなる礼儀を用いるべきか解らず、また密に面会する時は、私が彼に洗礼を
授けるために赴いたと、懸念する者が出てくるのを恐れたためだと云った。

『一五六九年六月一日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

フロイス達の信長への訪問について



革島ジョアン不敬事件の顛末

2020年10月25日 17:30

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/24(土) 23:49:21.44 ID:fcrr8HEw
前に述べたように、三箇に於いてキリシタンと成った者の中に、17、8歳の青年の武士が在った(革島ジョアン)。
三人の執政(三好三人衆)の一人(三好宗渭)の親戚であり、彼はその父の残した収入、毎年四、五千クルザドに
上がりしものを、己に交付するよう懇願していたが、デウスのことを良く解しており、至る所で異教徒と、その宗旨の
欺瞞について議論していた。

彼はシノワラドノ(篠原長房)、及び三人の執政の居るコイミズ(越水城)と称する城に在り、他の青年武士らと
遊山のため、異教徒より大いに尊崇されている寺院に至った時、同行者は彼を侮辱し、「キリシタンと成った事で
神々の罰を恐れないのか」と言った所、彼は
「どうして死せる人、及び木石の像を恐れることが有るだろうか」
と答えた。しかしこの事についてしきりに攻められたため、この青年のキリシタンは、受洗後一ヶ月に及ばない
こともあり、大いに怒り、これによって「木石の恐るべからざるを見るべし!」と言い、偶像に近づき
大いなる不敬を行った。

この事は国内各地に伝わり、前代未聞の甚だしき不敬であるとされ、執政の耳にも達したため、我々を好まず、
これよりもずっと小さな機会であっても我々への攻撃のため利用しようとしていた(反キリシタンの)者達は、
青年を呼び出し、「パードレがあのようなことを成すことを勧誘し、又は指示したのか。或いは。キリシタンは
あのような事を常に行うのか。」と尋ねたが、青年は答えて「パードレは自分の成したことを知らず、また
之を進めたこともない。」と述べ、「同伴者の甚だしき糾問によって、自分の発意を以て之を行った。
もしこの事が罰に当たるのなら、自分はすぐにそれを受けるだろう」と答えた。

キリシタンの甚だしき敵である、三人の執政の中の一人(岩成友通か)はこれに対し、「もし己の従兄弟にして
外二人の執政の親戚でなければ、直ぐに十字架にかけることを命ずるべきだが、自身の好意、および親戚関係
により除外し、希望していた収入を与えないことまでとする。」と云った。
これによって青年は三箇に向かい、サンチョ(三箇頼照)は食を与えてこれを支持した。

執政たちはこの機会に於いて、デウスの教え、及びキリシタンに対する多くの悪言を述べた、
シノワラドノもまた、偶像に対する罪を憤ったが、温和なる言葉を以て彼等に説き、また私がこの事に
関係ないことを知らしめ、その後、約十五日を経て、都の公家に書簡を送り、私が都への復帰の許可を
内裏に求めることを懇請し、また三人の執政をして、彼の書簡により庇護の書簡を認めることを請うた所、
彼等は甚だ之を好まなかったが、その希望に応じた。

二人のキリシタンがこれらの書簡を携えて都に到ったが、悪魔は又、他の妨害を加えた。即ち書簡の宛名に
誤りがあったのだ。そのためキリシタンの一人は之を訂正するため十二、又は十五レグワの道を引き返す
必要が生じた。しかしデウスの御慈悲により、この事は困難な事態にならなかった。シノワラドノの宮廷の
武士が大いにこの事に尽力し、即日訂正、押印したため、キリシタンは直ぐに之を携えて都に着いた。

悪魔がこの上妨害を加えることは無いと思われたが、公家が我等に返答を与える前に、三好殿(義継)および
弾正殿(松永久秀)が堺を出て、四、五千人を率いて都の国を占領しようとした。彼等はシノワラドノ、及び
三人の執政の敵であり、戦闘のため公然大軍を集めた故に、公家は戦の結果を見るまで、回答を中止した。

『一五六七年七月八日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

革島ジョアン不敬事件の顛末



美濃国に於いては、諸人、先祖の奉じた所を重んぜず

2020年10月23日 16:48

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/23(金) 12:31:13.63 ID:7OBGeLbI
美濃国の住民は、生来甚だ良く事理を解し、大いに救いを望むことを示している。
右の坊主が当所(堺)に於いて語った所によると、美濃の王(斎藤龍興)は甚だ有名なる
禅宗の坊主を師としていた。この坊主は三十三問を列記し、これに解答を与える者があれば
その宗派に服従すべし、と云った事は昨年の書簡にて通信したが、同国にこれと意見を事にする
他の学問有る坊主あり、王は彼等を呼びその面前に於いて両人に討論を命じたが、三十余問の人が
負けたため、王は他の宗門の門弟と成った。

この第二の人はその後、同国及び多数の学者の面前に於いて。禅宗の他の一派の坊主と議論を成して
負けたため、王はこれを捨てて第三の人の宗派に入門し。これを己の師となした。

この話を伝えた坊主(今はキリシタンとなった)は、「これによって美濃国に平和があり、国王が
デウスの事を聴くに至れば、彼、并びにその国の大部分をキリシタンと成ること、甚だ困難ではない」
と云った。

この坊主は信頼すべき持参人であるため、私は同所にあるキリシタンの武士に書簡を送り、
もし機会があれば王に語って聴聞を勧め、王がその意を決するに至れば、デウスのことを説くべき人を
同所に赴かせるため、私にこれを通知することを求めた。

美濃国に於いては、諸人、先祖の奉じた所を重んぜず、最も道理に適したことを尊重するが故に、
道理の作者を信奉する傾向が少なくない。
最も愛する者よ、主が彼等に知識と恩寵を与え、救われるに至らしめ給わらんことを祈れ。

『一五六七年六月十二日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

美濃について。
龍興の、禅宗などの師を取り替える云々と言う話は、義龍の時代の、法華宗から禅宗に転じたことや、
美濃国内における快川と別伝宗亀の対立などの事を現しているのかと。



670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/23(金) 13:05:40.94 ID:qrBf/VJQ
信長と敵対したのに非常に有能で思慮深いと評されてるから信長がカスだったんだな

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/23(金) 13:16:50.01 ID:wHTOLy3/
もともと義龍のわがままで幕府を巻き込んで別伝の乱を起こしてすぐ死んだから
龍興にとってはどうにもならないことです

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/23(金) 14:24:05.92 ID:3JjE8KMV
>>669
こういう、諸国の人の気風を紹介する話は非常に興味深いな。
義龍・龍興期の美濃は、旧来の幕府体制の権威によった統治だから
どちらかといえば前例主義なのかなと想像するんだが、その実気風は合理主義というのはどういうことか。
幕府の権威を利用しながら内実は道三譲りの実力主義だったりするのか、
あるいは単にフロイスが見聞きしたのがそういう人が多かっただけなのか。

高野山についての報告

2020年10月21日 16:33

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 15:37:58.57 ID:ueT0Ekm0
約十日前、甚だ高貴にして善良なるキリシタンが当地に到着したが、彼は用務のため、他の国に至る途中、
この堺から十三レグワの高野山を通過した。

この高野山は、コンボーダーシ(弘法大師)を生きながら埋葬している。彼は甚だ悪しき人物であるが、
彼等(日本人)の間では、最も高き神の一人とされ、これを葬る時、「何人もその墓所に来ることも、また
触ることもすべからず、彼は死するに非ず、休息するものにして、世界の破壊される時に復活すべき」と
云ったという。

同所には五千人の坊主があり、甚だ憎むべき生活をしている。諸国の身分ある者が死した後、その身体を焼き、
その歯を高野に送り、石に称号を認めて墓に葬る。彼等は弘法大師の側にその歯を埋めた者は、直ぐに聖徒と
なるべしと信じている。

日本において、宗教の事に対する尊敬が非常であることは、この悪魔の前に、五百年以上、昼夜四千の
燈火が燃えていることによって知るべきである。この燈火は王侯が同所に供えたものであり、絶えず火を
點ずるため多大の収入が附せられている。
ここに燈が三、四個あり、百余の燈芯を具え、四個の松明よりもさらに光輝がある。
しかして油は、日本においては甚だ高く、特にこの地方において高く、甚だ悪しき物も、一皿金貨一バルドン
(インドの貨幣にしてポルトガルの三百レアルに当たる)の値である。

『一五六六年九月五日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

高野山についての報告



660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 16:11:10.20 ID:6Gz0OqdU
>>659
コーンポタージュの何が悪いのか一切説明がないな

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 16:58:33.56 ID:3D2YfK1D
神田千里「宗教で読む戦国時代」からの孫引きだが
1565年1月20日のフロイス書簡だと
「この人物は、彼以前には全く知られていなかった、自然に反した憎むべき罪(同性愛)で日本を汚染し、
日本でそれを教えた最初の人物である」
と書かれているようだ

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 17:40:55.83 ID:6Gz0OqdU
>>661
へええ
ググったら確かにそういう俗説があるんだな、知らなかった
江戸時代の書物に書かれているとあったが、戦国末期には既に流布していたということか
外国人で一時滞在のフロイスが耳にするということは結構広く話されてたんだな

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/21(水) 17:46:35.06 ID:FirV82We
キリスト教からしたら商売敵なうえに
キリストが神たる理由の復活をするし、その上禁止の同性愛をこちらでは認めてる

ってところが悪魔だの悪しきだの言われてる所以なのかな

奈良について

2020年10月20日 17:48

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/20(火) 14:48:25.10 ID:/SKO6RgJ
当都の国内(畿内)に、奈良と称する人口甚だ多き町がある。数日間当地に滞在したが、広大にして
荘厳なる寺院が多数あり、特に三つの大いに注目すべきものがある。

一つはエボラ(ポルトガルの大司教が駐在する都市)の門の塔と同じ程の高さで、甚だ大きな
金属の偶像(大仏)である。私はエボラの出身であるのでこのように比較するのだが、一羽の鳩(境内には
多数の鳩がある)が、この偶像の頭で羽を休める時、下より見た者には、甚だ小さな雀のように見えるを
以て、このように断定した。手のひらは男子の大股での一歩の広さがあり、顔は幅約四パルモである。
この像の両側に他の二つの像があり、殆ど同じ高さである。他に木の立像が二つある。高さはレシオ
(リスボン市のロシオ、即ちドン・ベルド四世広場)に行く下の門の外壁と同じ程である。
その側に至って、悪魔の巨大なことに驚いたほどである。
この寺院は参拝者が甚だ多い。

第二は多数の鹿の在る事である。市内に在るのは三、四千であろう。この寺院に属し、良く人に馴れ野に出て
草を食って帰る。市街を歩行すること犬のごとくである。
彼らは寺院及び偶像に属するが故に、諸人これを尊崇し、もし鹿一頭を殺す者があれば、その罪によって
殺され、財産は奪われ、一族は滅ぼされる。鹿がもし一街にて死することが有れば、同街はその鹿が死んだ
理由を説明する義務があり、もりこれを成さざれば大いなる罰を受ける。

第三は、町内に広大にして深い湖水(猿沢池)のある事である。湖水には魚が充満し、その大きく、かつ多数
なること実に驚くべし。もし人が湖水の岸にて手を拍てば、そのようにして魚に食物を与える習慣なるが故に、
数えることも出来ないほど多数の、かつ甚だ大きな魚たちが来集するのである。
またこの魚も、寺院及び偶像のものであると称してこれを殺さない。彼らは、湖水の魚を殺す者は癩病に成るのだと
信じ、この恐怖のためこれを行わない。
坊主はこの魚を食することを、重大なる罪悪であるとし、これを重大視するが故に、もし魚を食す者があれば、
直ぐに司祭の地位から退かされ、俗人と成る。
このように彼らは、罪では無いことを大いなる罪とし、本来罪悪とすべきことを甚だ軽視している。

この地には又、牝鶏が無数に在る山がある。これも偶像に属するが故にこれを殺さない。
他にも多くの事があり、数ヶ月を費やしたとしても、観尽くし語り尽くすことは出来ないだろう。

当地においてはしばしば、悪魔が彼らと語ることが有る。狐、蛇、その他類似の獣類の形でしばしば現れる、
また夜間、死者の墓より、青く恐ろしい炎を発することが有り、その死者が地獄に有る証拠だと云う。
また死体を墓地に運ぶに当たり、悪魔が空中に在ってこれを奪うことが有る。またしばしば、人の体内に
入ることも有る。このため諸人は大いにこれを恐れ、壮麗なる寺院を建てて、前記の像を置いてこれを
尊崇する。諸侯は戦争に於いて勝利を得んことをこれに祈り、多額の寄進を成す。諸人大いにこれを尊崇する。
彼らは(傲慢で有ることを以て)その領土を奪われることを甚だ恐れるがゆえに、彼らに服従する者達に
対し、力の限り努力して当地に有るコンパニヤの人を迫害せしめ、その死を希望している。
然れども上よりこれを許されざるが故に、悪望を抱くにとどまり、その罰を受けて大いに苦しむ。

『一五六五年九月十五日附、パードレ・ガスパル・ビレラ書翰』(日本耶蘇会通信

東大寺大仏殿の戦い以前の、奈良の様子。この時代も大仏、鹿、猿沢池が最大の注目点なのですね。



松永久秀のキリスト教への弾圧と、三好長逸による保護

2020年10月18日 16:26

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/18(日) 06:27:51.42 ID:n34p4+fZ
我等の主にして救主なるキリストの恩寵と永久の愛、我等の心中に常住せんことを。アーメン。

公方様(足利義輝)死後の事件の顛末と、悪魔がその僕により、我等の主にして救主なる耶蘇基督の教えを
都より全然駆逐せんと努めし事に付き、私はすでに多く通信した。弾正殿(松永久秀)およびその子(久通)の
悪心はこの目的を達せん為益々増長し、両人の残忍暴虐は停止する所無く、彼らの部下すら不思議とし驚嘆する
所であった。

これに加えるに、他の諸宗派よりも欲深く、罪悪甚だしい法華宗の坊主は、最も我等並びにデウスの教えを
憎み、弾正殿及びその子はその宗派に属し、同派は今繁昌しているのを以て、彼らは数日前、その僧院に於いて
規則を定め、同派の坊主、保の他何人も天竺人、即ち我等と語るべからず、又議論すべからず、もしこれを為す
時は破門すべきことを発表した。この原因は、多数の俗人が同派の坊主たちに随伴して、我が住院に来たり、
パードレと議論したのを見たが、坊主たちは四語を以て論破され、答弁することが出来なかった為に、
多くの俗人たちは我等の主デウスの教えを聴きキリシタンと成り、坊主を捨てた事にあった。

これによって我等に対する彼らの憎悪は極度に達したが、弾正殿は我等が、彼が殺した公方様、三好殿(長慶)、
及び自己の、当国居住の免許状を有するを以て我等を追放すべき理由を発見することが出来ず、また多数の
法華宗の武士が我等を滅ぼそうと請うていたが、これを公に行うことも出来ず、そこで、日本全国の君にして
偶像のごとく家に在り、外に出ること少なくして少しも兵力を有せず、弾正殿より扶持を受ける王(天皇)を
扇動して我等を追放せしめんとした。

我等はまた、法華宗の坊主たちが公方様の妻を殺した兵士に賄賂を与え、我等の住院に侵入させ、我等を
刺殺させようとしていると聞いた。我等の許には人無きが故に、いかなる兵士も、昼夜何時にてもこれを行う
事容易である。この事はキリシタンの在る多数の城に伝わったことで、各所よりパードレの許に使いを遣わし、
「キリシタンとしては世の中にこのような不公正が行われるとは信じられない。しかし、もしこのような事が
あるのなら、我等は生命を賭してデウスの名誉のため事に当たる覚悟を成す」と伝えた。

(中略)

月曜日の朝、都の主だった執政三人中の一人、名をフイウンガドノ(日向殿:三好日向守長逸)と云い、
異教徒であるが生来善良で、我等の親友なる人である。彼はキリシタンである家臣を遣わして私に告げ、
都より我等を追い出すことが無いように極力尽くしたが、弾正殿が張本人であるので何らの効果が無い故に、
私に堺、又はパードレ・ガスパル・ビレラの滞在する地に赴くように。彼はこの時に途中危害を加えられる
事が無いように、兵士を派遣して私と同行させる、と云い、私に二通の書付を送付した。
一つは、私が所持する品物は、いかなる家においてもこれを没収し、またはこれに触ってはならない、と命じ、
また一つは、途中において税を徴収することを禁じた物であった。これらの税は甚だ高いものなのである。

又、私を堺、或いはパードレの滞在する地に運ぶため、船二艘を無償で提供し、翌朝には弾正殿、三好殿及び
彼はその城に還る事になっているので、もしこのまま滞在しては危険があることを以て急ぐべし、と伝えた。
また三好殿の後見の如き職に在る人、途中無事に通過すべき書付を私に送った。また都のキリシタンたちに
書簡を送り、キリシタンたるが故に、何ら危害を加えるようなことは無い故に、恐るるべからずと伝えた。

右両人の伝言に従い、私は翌火曜日、即ち7月末日まで留まって出発することに決した。

『一五六五年八月三日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信)

松永久秀のキリスト教への弾圧と、三好長逸による保護の記事



永禄の変についてのフロイスの報告

2020年10月14日 17:06

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 15:27:20.15 ID:fVPTpVlb
翌日、即ち一昨日、聖三位一体の日曜日の朝、三好殿(フロイスは長慶としているが義継)は騎馬の士約七十を
率い、偽って(京都)市外約七十レグワの寺院(清水観世寺)に遊ぶとして、少しばかり市外に出た後忽ち
引き返して、公方(足利義輝)の宮城に向かった。朝のことであり公方様の邸に在った者は二百人に過ぎなかった。
しかも多くは都の主だった大身であったが、直ぐに三好勢一万二千人に囲まれ、三好殿は宮城の堀に架けた
一の橋に至る一門に向かい、他二人の領主(松永久通、三好長逸か)は他の門に向かった。

城内にては、このような意外の叛逆を予想せず、門は悉く開かれていたため、銃手の大集団が侵入し、
公方様に対し、書付を呈したいと欲した故に、こちらに来てこれを受け取るようにと述べた。

前に報告したように、我々の教会に招待したこともあり、また公方様の昵近者にて我々を公方様に紹介した
老人(進士晴舎)が出て書付を受け取り、直ぐに読んだ所、第一に、公方様がその妻(側室)、即ち同老人の
娘を殺し、又他の多数の大身達を殺す事で。それが行われれば平穏に退出する、と云うことであった。
老人はこれに欺瞞を見て、書付を地に投げ捨て、主君である国王に対し、この如き叛逆を起こす者の、畏れ無く
恥無きを大いに責め、既にこのような状況であれば、彼自ら腹を切るべしと云った。

諸侯が敵に抵抗すること能わざる時は、短剣を取っておのれの腹を切るのが日本一般の最も古い習慣にして、
君臣共にこれを行う。

老人は内に入り、公方様の前に於いて自殺した。そして我等の親友であるその子(進士主馬允)が邸より出て
三好勢と暫く戦ったが、間もなくこれは殺され、外より邸に向かって激しく銃が放たれた。
この時公方様の武士四人が門前に来て、門を敲いて開くように求めたが、内より今これを開く事は出来ないと
答えられると、彼らは短剣を抜いて腹を切って死んだ。

暴君らの悪心は益々増長し、この上彼らの希望を延期することは出来ないと、宮殿に火を放つよう命じた。
公方様は外に出ようと欲し、その母と抱き合った。彼女は我等が大いなる歓待を受けた老婦人である。
公方様は火災、及び必要に迫られ、部下とともに戦を始め、腹に一鑓、頭に一矢、背に刀傷二つを受けて死んだ。

公方様の兄弟である、二十歳の青年の坊主(周暠)はその母とももに家に在ったが、(三好勢は)直ぐに
これを殺し、母を捕らえた。彼女の命を助けるべしと云う者、またこれを殺すべきという者があったが、多くの
刀傷を与え、子の側においてこれを殺した。

大身達の娘である宮中の婦人たちは、焼失した宮殿より出てきた所を、兵士たちはこれを斬り始めた。
十五人、乃至二十人が武器を恐れて宮殿の一の家に入ったが、その後火を逃れることが出来ず悉く焼死した。
また数人、外に出た者があったが、兵士たちはその衣服を奪った。その中に王妃(近衛稙家娘)が在ったと
云われるも未だ発見できず、今、刑に処するためこれを捜索し、その居る家を告げる者には巨額の金銭を与え、
またその髪を取って(捕縛して)彼らの前に連れてきた者には一層巨額の金銭を約束した。

公方様の娘二人が、兵士の足下に捨てられていたが、一人のキリシタンがこれを見つけて、救って屋内に
収容することを請うた。
十三、四歳の少年武士は、公方様の面前にて戦を始めたが、叛逆者たちは生きながらこれを捕え、殺さない
ようにと努力した。少年は公方様が死んだのを見て、生存するのは大いなる不名誉と考え、手中の剣を捨て、
短剣を取って少しばかり喉を切り、次に腹に当ててその上に伏した。
最も愛する者よ、これによってこの国民の、生命を惜しまない事がいかに甚だしいかを見るべし。

『一五六五年六月十九日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

永禄の変についてのフロイスの報告。これを素直に読むと、進士晴舎の切腹に激昂した息子の主馬允が
取り囲んでいた三好勢に戦闘を仕掛け、それに三好勢も反撃して戦闘が拡大した感じですね。



408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 15:39:12.60 ID:W9XfORRk
長慶の死亡の秘匿の保持されっぷりはなんなんだろうね
信玄とか秒でばれてるのに

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 16:17:46.24 ID:blxpQOBl
想像だけど、長く臥せていたから死の前後であまり変化がなかったんじゃないかと
信玄なんかは勝ってたのがいきなり撤退してこれからは勝頼が~だもの

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 17:31:21.23 ID:KvZqtLJB
長慶は晩年がアレなんで、政治的には死んでも大した影響が出ていなかったので隠せたのかもしれない。

フロイス達の京都観光

2020年10月13日 16:19

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/13(火) 15:18:14.69 ID:82vcNcd0
イルマン・ルイス・ダルメイダが(都から)豊後に向けて出発するために、キリシタンの希望に従い、
私は彼とともに復活祭の第二の八日目に、都の見物をした。
日本においてはしばしば散策し、寺院、その他古跡を見る習慣があり、都には多数の観覧すべき場所があった。
これを観るために、絶えず諸国の人々が集まった。しかしながら悉くこれを記述するのは不可能であるので、
私が思い出せる所を述べる。

我々は先ず30人のキリシタンと共に、日本全国の君である公方様の宮殿観覧に赴いた。キリシタンである家臣の
紹介によって入門を許され、休養のために別に設けられた家屋を見たが、私は今日まで見た中でも
最も清浄・爽快、かつ立派なものであり、その精巧なること、清潔なること、優雅なることに於いて、
これに並ぶ家を、ポルトガルに於いても、全印度に於いても見た記憶がない。

家の窓外には甚だ美しく、また珍しい樹木の庭が有った。杉、柏、蜜柑、その他我等の間に知られていない
樹木が植えられていた。それらは尽く人の手が加えられ、或いは鐘の形、或いは塔の形、また屋根の形、
その他様々な形を成しており、百合、石竹、薔薇、野菊、その他各種、色彩及び香気ある花弁が多数咲いていた。
彼ら(日本人)は心を慰めるため、好んで花弁の栽培を行うが故に、これを観る者には絶えず驚嘆すべき
事がある。我々にとっては特に珍しいものも有る。

同所より同一構内の他の庭に案内されたが、ここは遥かに最初の庭に勝っていると思った。
その厩は杉材の家で、屋内は全部、良き筵を敷いてあり、高い身分の諸侯を入れるに足りた。
馬はそれぞれ別の個室を有し、床、及び左右には皆板を張っていた。筵を敷いた所は馬を預けた者の居所である。

他の門を出て一の街路に出た。長さはリスボンのルアノバ(新街)の六、七倍、幅は二倍ほどで、
左右の木は皆甚だ美麗にして、高さはそれぞれ同じほどで、我等をして復活祭のときに用いたいと思わせた。
この街路はダイリ(内裏)、即ち日本全国の最も名誉あり、元は皇帝であったが、今は服従されていない
君主の宮殿に至るものである。
この内裏の諸建築はただ外部より一見し、またその庭もそのようにして観覧した。何故かと言えば、(内裏は)
これに仕える者以外は、何者も入ることを許さないためである。

この市(上京)を出て何れの方向に赴こうとしても、そこでは日本全国の中で最も清潔で、風景の良い田園が有る。
何故ならこの島(日本)は三百レグワの広さがあるが、全国に都に勝る所は無いからである。

同所を出て我等は真っ直ぐにして広く平坦たる街路を通行した。街路は城のように悉く門を備え、夜間はこれを
閉鎖する。こうして我等の通行した距離は、リスボンのセー(大会堂)よりボア・ビスタ街のエスペランサの
聖母の会堂に至る程である。この市街は緞子、その他の織物を製造加工し、また金扇、その他裕福層に
用いられる品を作る商人の家、及び事務所の在る所で、中央に阿弥陀の堂がある。全市中最も通交の多い
場所で、毎日、殊に午後、この時間は店を閉め用が無くなるため、多数の人が来て偶像に寄進を成し、
また祈祷を行う。

我等と同行したキリシタンの武士は、この堂を出て、今回改築した当国の長官の宮殿を観るため我等を案内した。
これについて述べるべき事は多いのだが、今はその庭園についてのみ述べる。但し公方様の庭のように各種の
樹木は有るが、その事については説かない。庭の中央に幅二十歩の湖水がある。水は金力によって二十三レグワの
遠方より引き、人の手によって造ったものだが、自然によって作られたような岩からここに流入している。
湖水の中に多数の島、及び小島がある。木及び石の橋によって、最初の島から他に渡る。そして皆、甚だ良い
樹木の下に有る。これについて私が記述する所は、実際の三分の一にも及ばないこと、疑いない。

『一五六五年四月二十七日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

フロイス達の京都観光の記録。この頃の京は戦乱などで衰退していたと言われがちですが、宣教師達は
非常に見事な都市だと認識していたみたいですね



635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/13(火) 16:09:06.10 ID:j42u0JCI
ポルトガルがお粗末なだけだよ

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/13(火) 21:41:27.24 ID:hUql5rMY
衰退って言っても、戦後すぐの東京みたいな感じじゃね?
インフラは破壊されてて不十分で食料供給にも不安があるけど、人を集める力はまだまだある、みたいな

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/14(水) 05:30:44.15 ID:uVKAm0a1
上京くらいは直したんじゃないの

弾正殿は我等が有する最良の友にして

2020年10月12日 17:25

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/12(月) 15:19:10.79 ID:pymLXmiy
(正月の将軍・足利義輝への)訪問を終えて、翌日パードレ・ガスパル・ピレラは、公方様に次ぐ
第二の人である三好殿(長慶)を訪問するため、都から八レグワの距離にある、飯盛と称する城に向けて
出発した。同所には三好殿の家来にして、キリシタンである武士、及び兵士約二百人が在る。
パードレはまた、彼らの懺悔を聴く必要があった。
彼らは、当地に在るキリシタンの中で最も立派な者達で、皆熱心にデウスの事を聴きこれを悟ることを
希望していた。

イルマン・ルイス・ダルメイダは堺から同所に来てパードレに会し、両人共に三好殿を訪問した。
同所に於いて起こったこと、并びに彼の地のキリシタンの大身達の善行は、イルマンがこれを詳報する
だろう。

パードレは彼らの懺悔を聴いた後、奈良と称する弾正殿(松永久秀)の居城に赴き、これを訪問するため
出発した。弾正殿は我等が有する最良の友にして、また当諸国中最も勢力の在る領主である。
彼の家臣である武士の中にもキリシタンがあり、その中に昨年通知した二人があり、その僕、および
家族とともにパードレに懺悔をなすのだ。

パードレは同所より更に他の地を見舞う予定で、四旬節の中頃には、当地に来て都のキリシタンたちの
懺悔を聴き、聖餐を授けるだろう。

『一五六五年三月六日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

宣教師の三好長慶訪問について。後にキリシタンの敵として強く非難する松永久秀も、この頃は
「最良の友」だったのですね。



足利義輝に対する正月の進物儀礼

2020年10月10日 16:04

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/10(土) 00:43:35.73 ID:p7Z90aGV
本年(1565・永禄八年)の日本の新年は、我々の暦の二月一日に当たる。
当国各地においては、月の九日より十五日、又は二十日まで、諸侯は国王を訪問し。進物を献ずる
習慣であり、特に都においては、公方様(足利義輝)は至高の皇帝である故に、この習慣を守っていた。

公方様を訪問する者は、彼に服従しているわけではないが、みな高貴なる諸侯、又は身分高き坊主であり、
その際には各人、我が国の紙に比べて甚だ大きい紙(杉原紙)十帖と金扇を携帯するのが、古来の習慣
である。これらは献上の後、武士である僕がこれを受け取るのが例である。
そして公方様の母、及び后を同様に訪問し、或いは高価なる品、及び武器を献ずる者もある。

王は何人に対しても一言も発せず、ただ収入、及び所領多き数人の坊主に対し、少しばかりその手に
携えた扇を傾けるのみであった。

公方様を訪問出来るのは、その地位の名誉あり、また尊貴なるに因る。身分低き者は、たとえ黄金の家を
贈ったとしても訪問を許されることはない。
パードレ・ガスパル・ピレラはキリシタンたちの幸福のため、并びに異教徒がデウスの教えを軽蔑しない為に、
公方様を訪問する必要があった。また、これを成すことにより、パードレは公方様の保護を受けるに至る
ためにも、一人の大身の武士を介して、年頭にあたって拝謁をした。この人(大身)はおおいに
キリシタンに成ることを望んでいたが、戦争の際殺された。

日本人は外形を整えていなければ、その人を崇敬しないが故に、パードレはこの際、平常のごとくに
していては宮廷に入ることを許されず、主の栄光とキリシタンの幸福のため盛装をする必要があった。
最初の二回の訪問には。法衣と袈裟を着け、頭には朱頭巾を被ったが、他の二回はキモノを着し、
その上にポルトガルの羅紗のマントを着た。

『一五六五年三月六日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

足利義輝に対する正月の進物儀礼について



624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/10(土) 08:31:38.87 ID:CvXxK6f+
旧正月か

又(日本には)、生きながら葬る方法がある

2020年10月09日 16:19

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/09(金) 00:25:35.05 ID:eFHnGJal
又(日本には)、生きながら葬る方法がある。甚だ信仰深くして、阿弥陀の栄光に入らんと欲する者が
これを行うのを常とする。イルマン・ルイス・ダルメイダ及び私が本年、都に向かっていた時、
伊予と称する国の内。豊後より四十レグワの町、堀江と称する所に着いた時。我々の到着の六、七日前、
悪魔の如き犠牲を捧げたことを聞いた。

その方法は次の如くであり、当地方に於いては常に行われることである。
六人の男子と二人の婦人が一団となり、数日前より町を巡って喜捨を求め、これを集めた後、
友人、及び親類に別れを告げて、

「彼らの期待する阿弥陀の栄光に入ることを長く猶予することは出来ない、速やかに行ってこれを求めんとす。」

と云い、甚だ良き服を着て、喜捨の金を袖に入れ、多数の人に送られて海岸に至り、一艘の新造船に乗り、
頸、腕、腰、脚、および足に大きな石を結び、再び海岸の諸人に別れを告げると、これら諸人は多く
涙を流して涕泣し、その幸福に入ることを心中大いに羨望する様子を見せた。

彼らは海上に漕ぎ出て、親類、友人は船に乗ってこれに従い、再び彼らと決別する。
海岸を離れて、小銃の着弾距離の三、四倍の所にて、一人ずつ深き海、寧ろ地獄に投身する。
追随する人々は、直ぐに乗る人の居なく成った船に火を付ける。これに乗って航海する価値有る者が
無い為である。

その海岸に接して、記念の小堂を建て、小さな棒に紙の小旗を付けて屋上に立て、各人の為に一本の柱を建てる。
これの多くの文字を記し、小松を植え、堂内にはサント(神仏)を賛美する詩歌にて満ち、多数の人が
毎夜家を出て、この悪魔の殉教者八人の為に建てたこの堂に赴き、この地の住民は毎日行ってこれを拝するのを
常とする。

イルマン・ルイス・ダルメイダ、及び私が、この町に住むキリシタンの武士の娘に洗礼を授けるためその家に
赴こうとし、この堂を通過した時、四、五人の老女が殉教者に祈るために堂に来ており、その手に数珠を持ち
内より出たが、我々が頭を下げて敬意を表さないのを見て、或いは我等の無知を笑い、或いは聖徒を軽蔑し
侮蔑したことを責めるように、恐ろしい顔をした。

海に投じた者の中に、手に長い鎌を携えた者があった。これは通路を防ぐ密林の木を切るためなのだという。
また、自ら海に投ぜず、船に大きな孔を作り、栓をして、海上でこれを抜いて船とともに海底に沈むことも有る。

『一五六五年二月二十日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信



404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/09(金) 00:47:19.45 ID:dtEnwOKt
補陀落渡海かと思ったけど
補陀落だと観音菩薩の治める南方の浄土を目指すから
阿弥陀の治める西方浄土に向かう場合は使っていいのだろうか

戦国期の葬式について

2020年10月07日 17:32

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/07(水) 12:14:31.09 ID:T5zb3vVE
日本人は子孫に名誉をのこさんとすることを熱望するが故に、彼らが非常に大切とし、幸福の大部分が
これに懸かっているとしているのが、死後の儀式(葬式)が整備され、盛大な事である。
この事は都の市において行われている葬式の次第によって容易に理解することが出来る。

死者を墓所に送る一時間前に、友人及び知人多数が、最良の衣服を着て、墓所へと行ってこれを待つ。
次に死者の親戚、知友の婦人が同所に行く。身分があり裕福な者は、甚だ美麗なる形の輿に乗り、
白絹の衣服を着す。その形は寝衣に似ている。
彼女らは頭に、薄絹に様々な絵を画いたものを被る。白きものもあるが通常はこれを用いない。
これらの婦人は各々、その分に応じて多数の婦人を伴う。皆タフエタの如き白絹の衣服を着す。

彼女らが通過した後、多数の男子が、所持しているものから最も良い衣服を着して行進する。
これらの男子は、老人でなければ武士である。

彼らの長い行進が通過した後、一人の坊主が来る、即ちこの国の司祭にして、絹および錦の衣を着け、
この着衣は光輝を発する。(導師の事)
彼は甚だ大きく、また高い美麗なる輿に乗り、頭および髭を剃り、二、三十人の坊主を同伴する。
これらの坊主も皆剃髪し、絹の衣を着て、シャツに似て甚だ薄く、また白い頭巾を被り、黒く、また短く
脚の半ばに至る法服を着す。

輿に乗って先に進む坊主は、インドー(引導)と称する、墓穴における祈りを成す者である。
引導とは、その天国に至る道を示すことである。
次に鼠色の服を着た者が、松を割って作った、長さが鑓に等しい松明に火を点じたものを負って来る。
この墓穴に至るまで死者の魂を照らし、迷うことが無いようにする為である。

次に百人、又は二百人の剃髪した坊主達が来て、大いなる鉢を鐘のように鳴らしつつ、死者の尊崇していた
サント(神仏)の名を唱えて穴に至る。次に二人が、紙にて作った、鐘の形の大いなる籠を鑓の柄に載せ、
これに色紙の薔薇の形のものを多く入れ、鑓の柄を振って紙を少しずつ外に出し、風によって飛ばせる。
紙は各種の色があり、薔薇に似ているが、既に天国に入った証拠として薔薇を降下させるのだと言い、
極めてゆっくりと進む。(紙の蓮華を散ずるもので、これを散花と言う)

次に八人の坊主が、一方に四人ずつ行進する。彼らは十七歳の青年であり、良き衣服を着ているが、
手には細長い棒を持っている。棒の端に薄い布で作った長い小旗があり(法幡)、先端は地面に達し
幅は二バルモにして、上から下まで、死者の尊崇した悪魔の名が記してある。

提灯八個、又は十個がこれに従う。提灯の側面には薄い布で包み、偶像の名を書き記し、中には蝋燭を
点じている。

次に二人の少年、鼠色の衣を着して並び進む。この色は悲哀を表すものである。彼らは長さ一コバドの
松明を携えるが、これには点火しない。これは墓所に於いて死者の体に火を付ける為のものである。

次に鼠色の衣服を着て、甚だ小さい三角の帽子を被った者多数が歩行する。この帽子は名誉の標にして、
頭の上に載せ顎の下で結ぶ。革で作られており、黒く塗って光沢が有る。エブシ(烏帽子)と称する。
彼らは頭に、死者の尊崇した偶像の名を紙に書いたものを付ける。

この次に長さ一コバド幅一パルモの板に金を塗り、金文字を以て両面に偶像の名を書いた、甚だ薄い、
白のベールを掛けたものを携えた人が歩行する(喪主であろう)。

次に甚だ美麗な輿を引く者四人が行進する。輿の中には、死者が頭を膝に載せ、祈祷を成す者のように
合掌し、頭は地に傾け不幸なる魂の葬られる所を眺め、純潔の標として白服を着け、この服の上に
紙衣を着す。これは偶像が書き残した書物を認めたもので、その功徳により救いを受けるのだと信じている。

次に子息達が、甚だ美麗な衣服を着て歩行し、最も年少の者は松明を携える。その父を焼くべき穴に火を
付けるためである。その背後より、多数の男子が塗装した黒革の小さい帽子を被り、尊崇する悪魔の名を
頭に付けて行進する。定まった場所に到着すると、坊主たちは、その場に集った人々とともに、大声で
偶像の名を唱え、鐘、および鉢を鳴らして約一時間に及ぶ儀式を行う。

『一五六五年二月二十日附、パードレ・ルイス・フロイス書翰』(日本耶蘇会通信

戦国期の葬式について



619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/10/07(水) 20:14:03.47 ID:KpYy8XVN
パードレがウキウキで書いてるのが分かる