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ガスパールの茶会事件

2019年02月28日 19:14

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/28(木) 12:41:33.39 ID:Eo1e9caG
 ルイス・フロイス著「日本史」には茶会の席で起きた事件についての記述がある。

 堺の町人 日比屋了慶(洗礼名ディオゴ)は豪商として有名で、また彼の一族は
キリシタンばかりであることも知られていた。彼はモニカという洗礼名を持つ娘を
宗札(洗礼名ルカス)という男に嫁がせたが、モニカは宗札との間に二人目の子を
産んだ後で体調を崩してそのまま亡くなってしまったので、今度は次女のサヴィナを
宗札に嫁がせて改めてまた娘婿とした。
 サヴィナと夫婦になって幸福な生活を送っていた宗札であったが、
天正14年のある日、日比屋了慶の弟のガスパールから茶会に招かれたことにより、
人生が一変する災難に見舞われることになった。

 ガスパールの茶会に招かれたのは宗札本人の他に宗札の弟のリョーカン、そして、
日比屋了慶ならびにガスパールの弟にあたるトーアン、隣人の小島屋道察である。
日比屋了慶本人も招かれていたが、客人をもてなす用事があったので
茶会には参加しなかった。
 茶会は穏やかな雰囲気のまま終わったが、帰り際になっていきなりリョーカンが
隠し持っていた短刀を抜いてトーアンに襲い掛かって刺殺してしまった。さらに
リョーカンは短刀を小島屋道察に突きつけつつ、ガスパールに対して「私は
トーアンの命を奪ったが、この件は私に責任がないということを関白秀吉様宛ての
手紙に書け」と脅してきた。
 やむなくガスパールは指示通りに手紙を書いて渡すと、受け取ったリョーカンは
満足げな笑みを浮かべてから今度はガスパールに襲いかかってその命を奪った。
そこへかけつけたガスパールの下僕たちが殺人犯を取り押さえようとしたところ、
リョーカンは観念したのかその場で自害してしまった。
 犯人のリョーカンはかねてよりトーアンとは不仲で、キリスト教の信仰について
口論していたそうだが、詳しい動機は不明である。

 当時、堺は豊臣秀吉の直轄領であったので、この事件の捜査を担当したのは
堺の代官を務めていた石田三成である。彼はただ単に現場に居合わせていた
宗札を犯人の兄だからという理由で捕らえ、それに連座して宗札の妻子も捕まえて
堺から大坂へ連行した。それだけでなく、小島屋道察、および彼の家族、そして、
被害者のトーアンの家族もまとめて逮捕し、あげくのはてに彼らの財産を没収した。
 
 突然2人の弟を失った日比屋了慶は娘婿の宗札が理不尽な理由で家族ごと逮捕された
だけでなく、宗札の一家がいずれまとめて死刑にさせられることを聞かされて、
いてもたってもいられなくなり、四方八方手を尽くして助命嘆願に奔走した。
徳川家康や北政所、千利休、高山右近など多くの有力者たちがとりなしてくれたが、
秀吉の反応は思わしくなかった。
 そして、天正14年11月22日、宗札は何の罪もないのに磔にされて処刑された。
当初は妻子も一緒に処刑される予定だったが、北政所や宇喜田秀家夫人らの嘆願が
功を奏して宗札の妻子は許されて日比屋了慶のところへ引き渡された。
 多くの人が捕らえられた事件であったが、結局、処刑されたのは宗札だけで済んだ。
けれども、小島屋道察は財産没収により茶の湯の名品2点を秀吉に取られたりしたので
散々であった。

 翌年の天正15年に宣教師の追放令が出ていることから、この強引な捜査は秀吉の
意向によるキリシタン弾圧の一環ではないかと疑われている。石田三成がおこなった
この事件への対処があまりにひどかったせいか、ルイス・フロイスは三成について
「キリシタンの敵であり、野心家で傲慢な悪徳に満ちた人物」と手厳しく評価している。


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