「ちょうちか、ちょうちか。」

2015年11月20日 09:07

9 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/11/19(木) 11:50:01.73 ID:i/5zibSr
昔むかし。 琉球王国の王様が尚真王(しょうしんおう)の時代のお話。(在位1477年(成化13年) - 1527年(嘉靖5年))。
沖縄本島の北部、今の金武町と言うところに、金武湾という港があります。
その港に小舟が1隻、漂着してきているのをある若者が見つけました。
この舟は、帆の柱が折れて壊れてしまっていて、どうみても難破船にしか見えませんでした。
若者が恐る恐る中を見てみると、そこに大きな箱がありました。
若者「この中に宝箱でもあるのかな。」そう思った若者は、その箱を開けました。
そしたら、中に、死にそうになっている若い僧侶が入っていました。

この僧侶の名前は、日秀上人(にっしゅうしょうにん)と言い、高野山で修行をしていたが
普陀落渡海を決意し、和歌山県の那智というところから西方浄土を目指して舟を出して旅をしていた途中でした。

若者はすぐにその僧をすぐに舟から助け出し、持っていたお米でお粥を作って食べさせました。
やがて、僧侶は元気になった。元気になった僧侶は、若者に「ふくらしゃ(誇らしや)みなと。」と言いました。
『ふくらしゃ』と言うのは、あなたは素晴らしい人だねぇと言う意味です。
その名残から、この港の名前は富花(ふっか)と言う名前になりました。
後に、日秀上人はお礼の意も込めてこの若者に、若者の家の近くを流れる樋川(ひじゃーがー)にちなんで、『比嘉』という姓を考え与えました。

その頃金武では、金武の洞窟に大きな蛇が住んでいた。
洞窟に続いている大川に、娘が水を汲みに行くと、その大きな蛇がその娘をさらって生肝を食ってしまった。
村人たちはこれにとても怖がって困っていたが、相手が恐い大きな蛇のため退治することも出来ませんでした。
そのうち、村の人は誰も大きな蛇を恐れてしまってその大川に誰も近づかなくなった。
これですめばまだ良かったのだが、この蛇が、今度は近くの畑の作物を荒らしに、村まで来てしまった。
その上、この蛇のせいか、運悪く長い間雨が降らない日が続きました。
村で作った作物は日照りで枯れてしまって、村人は美味しい水も飲めない、食べ物も食べれない事態になった。
この話を聞いた日秀上人が「私をその大蛇がいる洞窟に連れて行ってくれ。」と村人に頼みました。
村人は日秀上人をその洞窟に案内すると、洞窟の中から恐ろしい大蛇の唸り声が聞こえてきました。
しかし、日秀上人は、その声にひるまなかった。静かにその洞窟の前に座って、無心になってお経を読んだそうな。
そしたら、洞窟の中からさっきのうなり声よりも大きな声で、「ワァーッワァーッ、ヴォーヴォー」という音がかえってきた。
やがて大蛇は、叫び声とともに洞窟から頭を出した。村人達はその恐ろしさのあまり気を失ってしまった。
それでも日秀上人はお経を上げ続けた。
すると、この大蛇は勢いを失ってしまった。
と、同時に激しい雷が鳴って、雨が降り始めた。
日秀上人は、今がチャンスと言わんばかりに、この大蛇を洞窟の中に閉じ込めた。
そして、その洞窟の近くに金武観音寺を建立しました。
日秀上人は金武の洞窟にいた大蛇を退治してしまいました。
この話はやがて、首里城の尚真王の耳にも入り、尚真王はこの日秀上人を『仏教の師』として迎え入れたそうな。
そして日秀上人は、那覇の地に薬師、観音と言ったたくさんの神様を祀る護国寺を建てた。
日秀上人は「琉球国の護り神」となったのです。
(続く)

10 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/11/19(木) 11:50:43.29 ID:i/5zibSr
(続き)
日秀上人はまた、当時、那覇から首里に上る『松川(まつかわ)』と言うところに妖怪が多く出て、通る人たちが困っているということを聞きました。
日秀上人はこの松川の地に、妖怪を退散させるための呪文を書いた石碑を建て、妖怪退散もした。
この石碑のおかげで、妖怪は退散し人々が無事に通れる道になりました。
残念ですが、この石碑に書かれている言葉は誰も知らないそうです。
石碑も古くなってしまって何が書いてあるのか、まったく読めなくなったようです。
だから、それも全部ひっくるめて「松川の碑文(= 秘文)」と言うようになったそうな。

松川と同じように、今度は、浦添から首里に行く途中の丘にも妖怪が出て人々を困らせていたところがあった。 
日秀上人は、その丘の上に『金剛経』と言うお経を書いた石を埋めたって。するとその丘からも妖怪は退散して、
そこを通る人々はそれ以降、安心して交通できるようになったそうな。
その丘は、お経を埋めた丘だったものだから、経(が埋まった)丘、経塚(ちょうちか)と人々から呼ばれるようになった。
浦添と那覇と西原の境目くらいにある浦添の経塚(きょうづか)と言う地名はそこから来ているそうです。

後年の話。
旅人がその経塚で昼寝をしていました。そしたら近くの村人が大騒ぎをしていたもんだから「何事ですか」と、目が覚めました。
辺りを見回しても火事があったわけでもなければ、妖怪が出たわけでもない感じ。そこで、旅人が村人に聞いた。
旅人「何かあったんですか」
村人「『何か?』じゃないよ、今、大地震があったでしょう。感じなかったの?」
旅人は近くの村がすべて大地震で揺れたのに、経塚だけはこの土地に眠っているお経の力で揺れなかったことを知った。
それから、沖縄で地震になった時には、「ちょうちか、ちょうちか。」と唱えるようになりました。(沖縄の昔話)

この話は、大隅正八幡(鹿児島神宮)で島津貴久と同じ夢を見た日秀上人が鹿児島に来る前の話しです。
島津貴久が国分の八幡宮を訪れたとき、とある夢を見た
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