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かかる神脈は誠に神仙ともいうべきや

2019年08月04日 15:52

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/04(日) 13:23:44.02 ID:WVdZ04nY
これはある医者の語ったことであるが、かつて曲直瀬道三が諸国遍歴の時、ある浦方を廻っていた所、
一人の漁師の男が、その血色甚だ衰えているのを見つけ、道三はその家に立ち寄り家内の者を見た所、
何れも血色枯衰しており、このため脈を見た所、何れも死脈であった。漁師の一家は大いに驚き

「このように数人も一度に死脈など有るはずがない。浦方であるから、津波などの恐れがあるのではないか。
早々にここを立ち去って山方の方なりとも引き越すべし!」

そういって漁師は家内を進めて連れて引き退いたが、はたしてその夜津波が起こり、この浦の家々は
流れ失せ、多く溺死するものもあったとか。

診察をしても病のことでさえ知り難いのに、かかる神脈は誠に神仙ともいうべきや、と語った。

(耳嚢)



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道三はその時すでに耳が遠く

2019年05月21日 14:16

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/20(月) 21:02:18.44 ID:0sKb7zBq
老人(江村専斎)が幼い時、延寿院玄朔(曲直瀬玄朔)はすでに壮年で、故道三(曲直瀬道三)の
世嗣として、洛中医師の上首であった。人々は玄朔を敬慕した。故道三はその時すでに耳が遠く、
療治も絶え絶えとなり隠居した故である。

玄朔の療治は盛んに流行って方々から招待された。その時は肩輿という物もなくて、大きな朱傘を
差し掛けさせて高木履で杖をつき、何処へも歩いて行った。人々が羨むことであったという。

――『老人雑話』



上様団子

2017年04月08日 09:51

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/08(土) 00:07:22.55 ID:q3GXgDxs
織田信長公は時々京に団子を求められた。
よく参りに来るというので京童どもは上様団子と申し合っていた。
ある時一段と粗忽な御小姓が御前近くの所で、うっかり雑談の中で申してしまったのを
信長公は聞かれ御立腹なされた。
御勘気を蒙られるすんでのところで(曲直瀬)一渓道三が御登城されて、

「ごもっとものことではありますが、
世上にそのように申す事はかえって御誉れでございます。
昔天子様がちまきを御覧になられ一段面白いものとの勅定を出されたことがありました。
それから京童どもは内裏粽と今でも申し慣わしております。」

と申し上げました。
この言葉で信長公はご機嫌が治りその御小姓も御赦免なされた。
総じて上の御側にある人は万事に気遣いを致す事じゃ。

(昨日は今日の物語)



今大路家掛物の事

2016年08月13日 17:27

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/13(土) 06:57:55.72 ID:zBOsfvjT
今大路家掛物の事

官医今大路家では、先祖曲直瀬道三の教歌墨跡を掛物として神農会の時に床に掛けるそうだ。
これは道三の自筆で

『長生きは粗食正食ひゆたらり 勝手次第に御屁めされよ』

との歌が書いてある。

当主も門人も、この歌の内の"ひゆたらり"という事は何の事であるのか知らない。
相応の説をつけて申し伝えていたが、ある時信州辺り出生の人が来て、

「これはいかなる事か?」

と尋ねると、今大路の門人たちは答えに当惑し、申し伝えてきた事のみを何となく話した。

かの信州の翁は

「我らがある日山深い田舎に行き着いたときに、百歳余りの者がおった。
長生きの術でもあるのかと尋ねると、
『物知らぬ田舎人なので、その術は知らない。
このような山奥なので明け暮れ食べる物は粗食で、
もとより何の望みもなければ心に労する事もなく、このように長寿をなしている。』
と言った。
『しかしどうして長寿の益が何かあるものであろう』
とひたむきに尋ねると
『熱い湯を用いず飲まず、火の暑さに寄らないことであろうか。』
と言ったが、"ひゆたらり"というのはこの事であろう。
道三先生はこれを知って、かく詠み置かれたのであろう。」

と言ったので、今大路家の者たちは初めてこの歌の心を知ることができたという。
(耳袋)




74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/13(土) 16:56:27.48 ID:oQUKlw7S
白湯は健康にいいのに!

道三神脈の事

2016年08月07日 13:36

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 10:15:40.36 ID:IHBHVhCU
道三神脈の事

ある医者の語ったことである。
曲直瀬道三が諸国遍歴していた時、ある漁村を廻ったところ一人の漁家の男の血気がはなはな衰えていた。
そこで彼の家に立ち寄り、家内の者を見るといずれも血色枯衰していた。
脈を取って見るといずれも死脈であったので、自分の脈も取って見ると、また死脈であった。
道三は大いに驚いて、

「このように数多くの人が死脈であるはずがない。
漁村ならば津浪などの愁いがあるだろう。
早々にここを立ち去って山方へなりとも引っ越しなさい。」

と漁夫の一家に勧めて連れ退いた。
はたして、その夜に津浪がきて浦の家々が流れ失せ、多くの者が溺死したという。

「病でさえ分かりがたいのに、このような神脈はまことに神仙ともいうべきであろうか。」

とその医者は語った。

(耳袋)

天災と脈って関係あるんですかね



50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 10:36:41.45 ID:N0R4quLk
面相見が国中の人に死相が出ているのに気付いて、
果たして大災害によってその国は滅んだ、という話を見た覚えが

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 15:48:26.47 ID:IbWqzhts
まんが日本むかしばなしで「夜中のおとむらい」という作品は夏の怪談として
ちょうどいいね。「吉作落とし」でもいいけど。
http://urban-legend.tsuvasa.com/yonakano-otomurai

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 15:53:54.75 ID:ja/RODJo
なぜかサザエさんで易者が手相を見るとみんな水難の相が出ていて
すぐ雨が降ったという話を思い出した
相を見る能力は同じくらいあってもこっちはただのギャグという

「瀉する(下痢)か、結する(便秘)か」

2016年07月11日 13:25

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/11(月) 12:14:28.94 ID:Lvznrp/O
折々柳原の曲直瀬道三のもとに出入りしている人がいた。
道三は病人に向かって
「瀉する(下痢)か、結する(便秘)か」

と問診するのを聞いて、あるときその子細を尋ねた。

「瀉するとはくだること、結するとはくだらぬことだ」

これは気取った言い方だと思っていたとき、親類の中に商人が来て
「明朝芸州へ下りますが、御用の事はありませんか。」
と言うと

「なんと芸州へ瀉するか、やがて結せよ」

(醒睡笑)




「このコウロンはいくら?」

2016年05月23日 17:19

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 23:20:34.97 ID:xreISi2k
古道三(初代曲直瀬道三)が洛中を歩いていたとき、
ある棚の傍らに青磁の香呂と思わしきものが合った。
立ち寄ってそれを見るとなかなか良さそうである。

そこでうつけのふりをして
「このコウロンはいくら?」
と問われると、中から
「なんと跳ねても銀子二枚」
とのことであった。
(醒睡笑)

跳ねる発音をすることで間抜けのふりしても、マケねーよ




曲直瀬道三、脈を診て

2014年11月13日 18:57

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 16:59:32.04 ID:7Gf/O+oJ
毛利元就が病中の時、京都より翠竹庵(曲直瀬)道三を呼び下して、その治療を受けたことがあった。
道三は遠征していた元就に付き従い出雲に在ったが、ここで元就より付け置かれた用立ての侍と、
酒を飲みながらこのような私語を交わした

「元就公は、今のお脈から見るに、4,5年は問題ないでしょう。
5,6年過ぎましたら、夏の季節を特にご用心あって然るべきです。」

そう申したが、果たしてその年より6年経った元亀2年(1571)6月に、終に逝去された。

道三が脈を診て、6,7年経ての先兆を予め考え知った事は、まさに稀代の名医であると、
後にこの事を聞き及んだ者達は、皆そう言い合った。

道三はこの出雲滞在中、暇があったので、百八ヶ条の薬方を編録して、『雲州夜話』と題号して、
家の秘伝小切紙の中に入れ置いたと言われている。

(芸侯三家誌)

曲直瀬道三、脈を診て毛利元就の寿命を見て取るというお話。




195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 17:09:37.44 ID:QYA9CvVG
確かに暦の上では夏だ
当たってるな、すごい

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 17:15:23.05 ID:M+/gGpcI
1570年の9月に体調を崩したらしい

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 17:32:35.17 ID:fcbkMHGs
>>194
願わくば花の下にて我死なんこの如月の望月の頃
と詠んでその通りに死んだ西行さんも名医だったのでは?

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 18:26:37.16 ID:3eZYSDA8
人骨を拾い集めて反魂の術で黄泉帰らせちゃうくらい名医です

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 19:30:00.89 ID:MTdP+xM/
>>197
熊谷直実さんが往生予告したけどその日に死ねなかった話が好き
ハズレたけど『これも阿弥陀様のはからいだ』と言ってまったく動じなかったってやつ
他力本願を体現するエピソード

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 20:29:51.94 ID:9qA/URX8
死期を予知したんなら如水さんもだね
時刻まで当ててるし

「どうさん湯」

2014年08月20日 18:54

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/19(火) 23:18:10.60 ID:OXAmeywB
戦国と言っていいか微妙だが
「信州のお年寄りが語る生活の知恵三六五日」という本に
「どうさん湯」という、古くから「どうさんころばし医者泣かせ」と呼ばれていた風邪の治療薬について書かれていた。
(味噌大さじ1杯、きざみねぎ大さじ2分の1、のりまたは生姜か柚子少々。これに沸騰したお湯をカップ三杯入れて、
熱いところを飲むと風邪の初期に効果あり)

この「どうさん」というのが、隣国美濃の斎藤道三か、はたまた医者の曲直瀬道三かと思って調べたら、
三田村鳶魚「未完随筆百種 第三」享和雑記述巻2 17「道三湯の事」に
食後に湯を飲む時、味噌汁を混ぜて飲むのを世の中の人は「道三湯」と言っている。
(曲直瀬)道三は太閤秀吉公の名医で、病気に対して薬を投与したところ、効果が必ずあったということで、
食後の湯に味噌汁を加えれば薬となること、曲直瀬道三の薬と同様に効果があるというので
このような名前がついたのだろう。

と書かれていた。戦国時代の名医の名が広く知れ渡っていたということで書いとく。




569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/20(水) 04:03:32.05 ID:vePvP3rc
甲斐のトクホンみたいな?

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/20(水) 23:44:21.69 ID:cmpaBT7h
>>568
う、うまそう
これと玄米のにぎりめしが喰いたい

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/20(水) 23:49:43.10 ID:SIND0Luf
味噌ってワード出てきたせいで
ウンコ食べてる姿しか想像出来ないや

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 00:43:50.99 ID:b74Q9C16
おみおつけではないんか?

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 05:22:39.73 ID:chxQT8CQ
そうでしょうな
当時としては味噌なんて従軍時以外にはそうそうに手に入るもんではないのでは

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 09:39:21.02 ID:xqAfmiYk
>>571
あんた毒されすぎや
そんなこと言ってたら普通の味噌料理食べれねぇぞ

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 09:45:31.91 ID:WIa9Dm61
味噌煮込みうどんはアウトだが、ドテ丼はいけるわけやな。

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 11:38:13.88 ID:25n7FkmV
>>573
味噌なんて自家製するもの
誰でもやってるよ

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 11:55:09.07 ID:o0z3FI3y
>>576
しかしながら現在のように一般に普及したのは江戸期からとも言われてるみたいだよ

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 12:39:40.11 ID:OmKO2R2B
>>574
こ、この板に来た時だけだから大丈夫だし(震え糞)

控えめな言葉でもって

2014年04月18日 18:27

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/17(木) 19:59:00.48 ID:2j5e6fX2
天正12年(1584)、曲直瀬道三がキリシタンに改宗したとの知らせは、日本全国の最高の国王である
天皇の耳に達した。その件は、デウスの教えの敵である異教徒たちによって、天皇の許では悪意に
解釈されたので、天皇はそのことで一人の使者を道三の所に遣わし、
『キリシタンの教えは道三を弟子とするに相応しくない。それは日本の神々の敵であり、神々を悪魔呼ばわりし、
まさしくそのお怒りを招く教えである。』と述べた。

道三はこれに対し、思慮深く次のように答えた。
「私はつい先日キリシタンになったばかりですから、デウスの教えが日本の神々を悪魔呼ばわりするのを
聞いたことがありません。と申しますのは、伴天連の方は、日本の神々とは人間であって、ずっと昔の
皇族や、日本の貴族の出の主要人物であることを熟知しているはずだからでございます。
むしろキリシタン宗門は、徳を説き、全てにおいて公正なことを教えるものであると承知しております。」

そして道三は、この使者が来たことを直ちに教会に通報した。そして説教役を務めている日本人修道士に、
注意するようにと、使者をして次のように忠告させた。

「もしも今までに日本の神々を、そのように悪魔と呼んでいたのであれば、今後、それらに対して
基本的な教理を説くにあたっては、天皇並びに日本の貴族に対する尊敬の念から、そのような呼び方は
せぬ方が良いであろう。それはキリシタン達に対して、天皇や異教徒の貴人が怒りを発せぬように
するためである。

それよりも御身らは、日本の神々について語る時は、それらは死すべき人間と同様のものであると言い、
その力や功徳は人間を救い得ず、また現世の事に対してもなんら利用する所はないものだ、と説明するが良い。
しかもそうする事によって異教徒たちが衝撃を受けないようにするため、控えめな言葉でもってするように。」

ルイス・フロイス『日本史』)

曲直瀬道三、キリシタン改宗を天皇から叱られてとっさに色々取り繕うというお話。





松永弾正の性ハウツー本について

2012年10月14日 19:30

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 15:48:46.09 ID:7uyBR+Z9
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-811.html
ところでここに出てくる松永弾正の性ハウツー本だが、
曲直瀬道三が弾正に送った「黄素妙論」に
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/mg5/image/mg5shf/mg5sh0002.html
夫女人の淫念いたらざる間は男子しゐてまじはるべからず女人に淫慾の情念のいたるしるし五つあり。
一には男女ひそかに対面し物語などするに俄に女のおもて赤くなるは心中淫事の念きざすしるし也。
其時男子の玉茎を女人の玉門にあてがふべし
ニには女人はなをすすらば慾念肺の臓にうごくと知るべし、即玉茎を少し入るべし
三には女人目をふさぎ口をあき舌をさましいき使ひあらく成は淫情脾の臓にいたるとしるべし。
其時ゆるゆると玉茎を出入すべしあまりにふかく入べからず
四には女の玉門の中あたたかにうるほひゆたかにして津液外にながれは腎気のいたると心得て
玉門の口へ玉茎をぬき出し左右をよこにつくべし
五には女の足にて男の腰をはさみ女の手にて男の背をいだきしめ口をすはんことをもとめば
肝の臓の気いたると心得て玉茎をふかく玉門の奥さしつめてしづかに左右につくべし

殆ど同じことが書かれてるんだが




847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:04:23.22 ID:fI6j+dl6
松永弾正の性ハウツー本が黄素妙論だろ?

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:14:53.19 ID:3qTu7GkG
弾正が性指南書書いたんだと思ってた

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:16:48.24 ID:nJktpLb6
エロの伝道師w

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 17:18:28.48 ID:kHMbetqx
ググったら弾正が書いたのは「五傷の法」ってやつらしい
内容的に道三のを参考にしたっぽいな

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:24:48.08 ID:FWcWnClT
>>851
「五傷之法」は「黄素妙論」の六章目のようだ
「一に、玉門ふくれず、うるほはざる間は、必ず玉茎を入べからず、しゐて入る時は肺をやぶる
ニに、女人の淫情既に動ずといへども、男子それをもしらず、漸女の心中に興つき、
時過て交合する時は、必帯下の病となる
三に、少壮之女に白髪之老男相対して、玉茎かたからず、なましゐに少しおゆるといつて、
しゐて交合し精汁をもらすことかさなれば必目をやみ、終には盲目となる也、
四に、女の月水いまだやまざるに、しゐて交合すれば互に腎をやぶる、
五に、男子沈酔して交合し、女人の美快なる事過おはありたるに、しゐて久しく出入をおこなふ時は、
必面黄之病を生ず。」

内容も前にこのスレに出たやつと同じっぽい
あと、「黄素妙論」全文および現代語訳は、新潮新書の山崎光夫「戦国武将の養生訓」に載っているな
上記以外は体位(9つ)とか精力剤の処方とか

曲直瀬道三・二話

2011年12月16日 22:00

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:23:04.34 ID:HtopNvdw
「戯言養気集」にあった曲直瀬道三の話を二つほど
(まとめサイトでも一つしか確認できなかったから、かぶってないはず)

曲直瀬道三の医学の講義を、毎朝百人ほどが聴講していた。
十代後半の人が多いのを里村紹巴が見て、涙ぐんだ。
↓その後の道三と紹巴の対話
紹巴「やれやれ、そなたの門弟には二十にもならないものが多い。なんと嘆かわしい」
道三「何を言われる、近頃の若い者が優秀である証拠ではないか」
紹巴「いや、そうではない。あんなに若いものが何人の人間を薬を盛って殺すかと考えてみると
おそろしくて泣けてくる」
道三「ふーん、そう言われると連歌師は羨ましい。
そなたのような達人でも、連歌で人は殺した話は聞かんからな」

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:25:46.25 ID:HtopNvdw
曲直瀬道三のもとに、顔色の悪い人が来た。
「すみません、精力の落ちる薬をたくさんくださいませんか」
と言ってきたので、道三は
「はて、見た目とは逆なことを言いますな」
とおっしゃったところ、男は
「いいえ、女房たちに食わせます」
と答えたそうだ

ただしこの話は同時代の「きのふはけふの物語」では竹田法眼の話になっていて、
「醒睡笑」その他にも曲直瀬道三の名こそ出てないが、収録されている話しらしい




388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:38:58.89 ID:8hQi/I4Z
なんか、ブラックジョークというか、落語と言うかそんな感じだね
あと紹巴さん深読みしすぎじゃね? こういう人だったっけ

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:41:29.32 ID:HtopNvdw
御伽衆の話していた笑話集なんで、落語の原型の一つかと
(他にも信長関連、秀吉関連あるが、いいとか悪いとか判断できないものが多い)
あと、紹巴さんは単に嫌味をいっただけだと

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 19:24:34.03 ID:2SRqDEQu
  . ∩___∩ ;
  ; | ノ|||||||  ヽ `
 , / ●   ● |
 ;, | \( _●_) / ミ
; 彡、 | |∪|  |、\ ,    すみません、精力の落ちる薬をたくさんくださいませんか
./    ヽノ/´> ) :
(_ニニ>  / (/ ;
; |     | ;
' \ ヽ/ / :
, / /\\ .
; し’ ' `| | ;
      ⌒

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 23:30:46.40 ID:8hQi/I4Z
>>390
『葵徳川三代』で、家康が側室達に
「私達にもお種をくださいませ~」って迫られてるシーン思い出した

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/17(土) 20:16:29.26 ID:ST1/3qCL
戦国時代で一番絶倫そうなのは奥州のタネ宗さん?

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/17(土) 21:12:41.34 ID:xnDSckZN
>>400
蓮如

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/17(土) 21:39:14.81 ID:3DFjjHzu
この場合は、子沢山なのか、置いてもなお盛んなのか