曽我助興は只者ではない

2015年06月20日 15:21

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/20(土) 00:26:47.36 ID:j0eYCWS1
慶長8年、徳川家康公に将軍宣下があった後、永井直勝に命じて、この新しい将軍家の書式法令等の
制定が命ぜられた。しかし当時、そのような故実に通じた人間は関東に居なかったため、当時の故実者である
細川玄旨法印(幽斎)に室町将軍家の儀式作法を質問した所、当時、有識者の間で評価の高かった
曽我又左衛門助興を推薦され、これを召し出すことに成った。
彼を中心に、徳川家の制法を元に改正され、御内書、御奉書の令式その他、将軍家の法令が定められた。

総じて神君が、甲州を手に入れられた時には武田家の法令を以って甲信駿に掟され、その後
関東に入られた時は北条の家法を用いられた故に、速やかな治平を成し遂げられた。
ただし、年貢のことだけは三河の旧例を用いられて、軽い収納のみ行っていた。
このことだけは古から代えなかったので、諸民もその御恩澤に浴して『この君万世』と謳ったのである。

ところで曽我助興について、彼はもともと室町将軍の牢客であった。そのような人物が新たに
幕府に召し抱えられたため、関東の諸士は彼を軟弱な京都の者と思って侮った。
ある時、土井利勝が座興に彼に聞いた。「あなたは有名な曾我氏の子孫ですが、曽我兄弟について、
実家に伝えられていることはどあるでしょうが、兄弟について世上に言われていることをどのように
考えていますか?」

曽我はこれに
「そうですね…、私は若輩者ですから、曽我兄弟が何をしたかなんて覚束きません。」

この答えを聞いた時、一座の人々は彼が只者ではないことを初めて悟り、感服したのである。

(明良洪範)

何故



206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/20(土) 13:10:57.03 ID:HPlK6aeZ
「仇討ちで高名な曾我兄弟の末裔でありながら、それを誇らないとはこやつ只者ではない…ッ!」
って事?

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/20(土) 13:14:02.15 ID:HPlK6aeZ
あ、末裔じゃないや間違えた
「曾我兄弟の仇討ちで高名な曾我の一族」か
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