520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/20(火) 16:47:24.31 ID:fBT/H7FH
羽柴秀吉が明智日向守(光秀)を誅伐した後、近江長浜にて柴田勝家その他当時の大名衆寄り合い(会議)が
行われる事となったが、この時、何れの宅にてか秀吉を殺すべし、との陰謀があった。
大名たちが会議に参集する時、これを聞きつけた有馬法印(則頼)は現地へ駆けつけ、
「何れもどこにお入りになったか?」
と尋ねた所、「何れも二階座敷に向かわれた」と聞くと、そのまま二階へ駆け上がり、梯子の下の段まで参ると、
法印は「筑前殿(秀吉)!」と呼びかけ
「御相談を承り、ここ迄参りました!御心強く御談合候へ!」と、いかめしく梯子を踏み腰を掛けてそこに留まった。
このような事が有って、その座で秀吉を殺すことはできなくなり、この法印の忠義を秀吉は後々まで御感あった。
(武功雑記)
清須会議のエピソードですが、何故か舞台が長浜城に
羽柴秀吉が明智日向守(光秀)を誅伐した後、近江長浜にて柴田勝家その他当時の大名衆寄り合い(会議)が
行われる事となったが、この時、何れの宅にてか秀吉を殺すべし、との陰謀があった。
大名たちが会議に参集する時、これを聞きつけた有馬法印(則頼)は現地へ駆けつけ、
「何れもどこにお入りになったか?」
と尋ねた所、「何れも二階座敷に向かわれた」と聞くと、そのまま二階へ駆け上がり、梯子の下の段まで参ると、
法印は「筑前殿(秀吉)!」と呼びかけ
「御相談を承り、ここ迄参りました!御心強く御談合候へ!」と、いかめしく梯子を踏み腰を掛けてそこに留まった。
このような事が有って、その座で秀吉を殺すことはできなくなり、この法印の忠義を秀吉は後々まで御感あった。
(武功雑記)
清須会議のエピソードですが、何故か舞台が長浜城に
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