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今速やかに自害し、その汚名を免るべし!

2021年11月30日 17:14

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/30(火) 15:55:40.93 ID:PkqMihYI
或る記に、大阪冬の陣の折、丹州福知山城主・有馬玄蕃頭豊氏は江戸城修築の功を遂げて帰城し、
兵馬を整え山崎を経て摂州三田の采地(領地)に行き、そこで軍旅の設えを成して大阪へ
臨まんと欲し、先ず芥川へ至った。この時、その元老(家老)である右近という者が彼を諌めた

「ここより三田に行く路中、加茂の郷の間に小坂があります。ここは道狭く竹木が陰鬱と茂っています。
敵がこれに伏兵を設ければ、我軍がその坂下に臨んだ時、敵は急に起こり見下して鉄砲を発せられ、
我らはその的と成って悉く滅せられるでしょう。
かの死地を避け神崎に廻り、三田に赴くべきです。」

そう言ったが豊氏は承知しなかった。これに右近は怒って申し上げた

「大阪には毛利豊前守(勝永)、真田(信繁)、明石(全登)、後藤(基次)が如き場数の士があります。
彼等は必ず、この策を見逃すはずが有りません。然らば我々は徒に死ぬだけではなく、不慮の嘲りを
骸の上に残すでしょう。であれば今速やかに自害し、その汚名を免るべし!」

そういって即座に死のうとしたのを豊氏驚き、彼の諫言を容れて神崎方面へ赴いた。

案に違わず大阪方は加茂郷に伏兵を設けていた。しかし彼等は、豊氏が道を変えて吹田川を渡ったという
旨を聞いて臍を噛んだという。

(新東鑑)

有馬豊氏、老臣の諫言で死地を免れたというお話



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舟の錨を下ろして高鼾をかいて

2021年06月25日 18:29

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/25(金) 15:52:59.36 ID:t1CFx2Tk
大阪冬の陣の折、有馬玄蕃(豊氏)を初めとして、四国、九州の兵船が続々と入ると、
大阪方は尽く逃散って大阪城に入った。

大野道犬(治胤)は、足軽大将一人に、士五、六騎、足軽二十四、五人にて舟一艘に乗り、
注進舟を漕ぎ添えて、『海手の敵の数を見積もり、また見方の様子も見て注進せよ。』と
申し付けて差し越した所、両三夜の内に、早くも疲労で倦み、舟の錨を下ろして高鼾をかいて
寝ていたところを、九州衆の忍びの舟が、この様子を見て告げた。

そこで錨の綱を切り、舟を引いて川下の味方の中に引き入れ、一人も残らず斬り殺した。

管窺武鑑



杭瀬川の味方討ち

2015年02月07日 18:45

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/07(土) 09:22:48.31 ID:DKtI3TKy
慶長5年(1600)9月14日、関ヶ原の決戦の前日、西軍と東軍の間では局地戦が起こった。
いわゆる杭瀬川の戦いである。この戦いは、非常な乱戦に成ったとされる。

この時、東軍方の有馬玄蕃(豊氏)家臣、稲次右近は杭瀬川を乗り越えて戦場に向かうと、
大垣城より出撃した石田治部少輔(三成)の家臣、横山監物と馬上にて槍合わせをし、
その後両人馬から降り組み合いをしていた所、稲次右近が下にされ危うくなったが、
ここで右近の若党が横山監物の飛びつき引き倒したため、今度は右近が上に成った。
しかしここで、今度は横山監物の若党が右近に取り付いた。

右近はこの若党を斬りつけると彼は離れ、そこを右近の若党が斬りつけ、両者の若党が
斬り合いと成った。

そこに東軍方・堀尾帯刀(吉晴)の母衣衆の一人が出くわし、敵と勘違いして、右近の若党の首を取り、
その後徳川家康の御前に参って、堀尾帯刀家臣と申し上げ、首帳にこれを記録するよう申し上げた。

さて、稲次右近は横山監物の首を取り、また監物の若党の首もとって、これを馬につけ先に出陣していた
中村式部少輔(一氏)の部隊の前を通ると、この姿を褒めぬものはいなかった。
その首を持って家康の御前に参り御目にかけると、家康はその働きの程を見て直々に褒め、
首帳にこれを記録させた。この時、右近は思い切って首長を記録する者に尋ねた

「私の前に、首がひとつこちらに参らなかったでしょうか?」

「只今、堀尾帯刀殿の母衣の者が首一つ持参いたしました。」

「それは私の若党の首でございます。味方討ちをしたのですから、その首帳の記録は消して頂きたい。」

家康にこの会話が聞こえ
「彼は一体何事を言っているのか?」と首帳の者に尋ねると

「はい。最前の首は、この方の若党の首であると申されたのです。そのため、首帳のその記録を消して
頂きたいと申されました。」

これを聞いた家康は
「味方討ちであっても問題はない。敵味方の見分けすらつかない乱戦の時は、味方討ちであっても
高名になりうるのだ。であるから、首帳はそのままにしておくように。」

これ故、その味方討ちは手柄と成った。

しかしその後、堀尾帯刀の母衣衆たちが堀尾に対して訴訟した
「敵味方を見分けられぬような者は、母衣衆に入れておくべきではありません。
もしそのままにされるのであれば、われら母衣衆残りの9人は(母衣衆は10人)、母衣を殿に
返上申し上げます。」

堀尾帯刀はこれに
「母衣の者達の申すこと尤もである。今後彼には母衣を指させない。」と返答した。
その一方でその者には、それまで五百石の知行だったのを加増され、足軽20人が新たに付けられた。

稲次右近は今度の手柄で、五百石から六千石に加増され、家老職を仰せ付けられた。
後に、島原で討ち死にした。

(中村一氏記)



374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/07(土) 09:35:56.93 ID:vA1SS0WK
いい話のような悪いような

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/07(土) 09:36:03.76 ID:/e3X+Jwd
政宗「乱戦なら味方討ちでも手柄、当然だな」

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/07(土) 10:01:11.99 ID:dnf87Wx1
>>375
いや、あんたの場合は手柄どころかシャレにならないから

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/07(土) 11:06:42.09 ID:qkBj3S1a
じんぼうの差ですわ

軍が入り乱れている時には

2012年10月14日 19:29

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 17:40:16.38 ID:A+cGN+Y6

関ヶ原本戦の直前、杭瀬川の戦いで有馬豊氏の家人・稲次右近
敵方の横山監物に組伏せられたが、右近の若党が監物を引き倒して
右近にその首を取らせた。ところが、そんな時に何者かが現れて
若党の首を切って逃げ去った。後に糾明したところ、その者は
堀尾忠氏の家人ということが分かった。

まったくの味方殺しだったので右近は訴え出たが、徳川家康
「何を言うか、軍が入り乱れている時にはそういうこともあるものだ。
そのまま捨て置け」と言ったということだ。

――『徳川実紀(天元実記)』




854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 18:12:05.65 ID:fI6j+dl6
正宗「うむ。」

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 18:42:12.26 ID:GKguxXju
神保相茂「………」

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 19:54:47.54 ID:+u0sR4k9
家人「あれ、右近って敵方の大将じゃ?」
右近「それは島左近だ!」

ある時、太閤秀吉が真っ赤な小袖を着て

2011年10月12日 22:08

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 19:37:46.62 ID:L41Orn/J
ある時、太閤秀吉が真っ赤な小袖を着て、諸大名に披露した。「どうじゃ、この小袖は!」
さっそく細川幽斎が一首を詠み上げた。

“ほのぼのと 赤き小袖を 召す時は 皺隠れ行く 御年若さよ”
(柿本人麻呂の“ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れ行く 舟をしぞ思ふ”が本歌。
「舟をも見せぬ朝霧ならぬ、皺をも見せぬ小袖を見たぞ。殿下の若々しいことよ」)

「おう、良く詠んだ。」すかさず秀吉は小袖を脱ぎ、褒美として幽斎に与えた。

“下さるる 小袖の丈の 長ければ かたじけなさは 身にぞ余れる”
(「下されたこの小袖の丈のように身に余る光栄です」小男の秀吉の着物が余るはずも無く、これもお世辞)

ますます気を良くする秀吉。これを見た有馬玄蕃頭豊氏が「さすが、良く詠まれるのう!」
と言って幽斎の肩を小突くと、幽斎はコロリと受け身を取るように一回転して、

“とんと突く ころりと転ぶ その内に いつの間にかは 歌をいふさい(幽斎)”

「ヌゥ、これならどうですかな!」
まだ若い豊氏はいささかムキになり、怖れ知らずにも幽斎の股間をギュッとつかんだ。

“南無阿弥陀仏 六字は二字に なりにけり 有馬玄蕃に 四字を取られて”
(南無阿弥陀仏!豊氏殿に四字(=シジ=指似=股間にある指に似たモノ)を取られて私は『お陀仏』だ)

豊氏も列席の大名も、幽斎の即興に感嘆するしかなかった。(幽斎君抜抄より)




62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 19:43:36.89 ID:ImjvV786
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-578.html
この握撃でお返しに豊氏の股間を握ればよかったのに

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:11:58.81 ID:O9W/jlv2
>さっそく細川幽斎が一首を詠み上げた。

なんかイラっってする俺は武断派

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:15:37.50 ID:ModJywL3
若い頃は牛の角を掴んで引きずってた男によくこんなちょっかい出せるな、豊氏…