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徳川軍団、水口城下行進!

2012年10月03日 20:28

699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/03(水) 06:02:14.76 ID:VeVuyAD+
関が原の直前、京から関東に上杉征伐しに行く時の家康がとても狙われていたらしい。
なんせ征伐されそうな上杉派、挙兵する反家康派が石田三成をはじめウヨウヨいるのだ。
家康が江戸に帰る時の、佐和山付近での家康暗殺計画を三成が検討していたり、
長束正家の家康暗殺未遂という話があるが、
(伏見にいた頃から三成が襲撃を検討していて、それを榊原康政が食い止めたという話まである
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5671.html

さて、↑の長束正家による家康暗殺未遂(?)は失敗に終わり、甲賀衆の知らせで
家康はふらふら~とうまいこと正家の城下水口を通過することに成功した。
この時長束軍が家康を取り逃がした後、軍勢を繰り出したという話がある。
家康は諦めるが、後ろに来る徳川軍(といっても少数)を通過させないように邪魔をしようとしたのだ。
ここで合戦が起これば当然、徳川不利な情勢になるのを見据えて。
かといってとぼとぼ伏見に帰っても鳥居元忠に怒られるだけである。待機していてもそれはそれで困るだろう。

後ろの徳川軍を率いていたのは本多忠勝を筆頭に服部正成成瀬正成水野勝成
錚々たる三河武士。当然帰るなんて選択肢はないし、家康の身が危ない以上一刻も早く合流したい。
忠勝は彼らに命じ火縄銃に火を灯し臨戦態勢をとった。
すわ合戦、かとおもいきや忠勝は兵に掛け声を叫ばせながら、水口城下を行進した。
臨戦態勢でやる気満々で城下を練り歩いているのだ。
さすがに長束勢もこれには手が出せず、結果忠勝率いる徳川軍も無事に江戸に行くことができたのである。

出典は家康の侍医板垣卜斎の「慶長年中卜斎記」だそうだが、ネットのあちらこちらから
適当に抜き出してきた話なので信憑性は低いかも。
・・・しかし、長束正家の妻は忠勝の妹(姪とも)なのだが。




700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/03(水) 10:18:42.88 ID:Lo7jkwgW
このメンバーでは臨戦態勢とってなくても仕掛けるのに相当勇気がいるぞ。
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肥前名護屋水騒動

2010年01月24日 00:03

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 00:44:37 ID:/yXHvKEi
朝鮮役の頃のこと
肥前、名護屋の本営にある徳川家康の陣屋には、清水の湧く所があった。

大陸出兵のための基地として急遽建設された名護屋には、30万とも言われる人々が
集結しており、無論水道などの整備も行われていない以上、多くは生活用水に困っていたと考えられる。
家康陣の清水には、多くの大名が家康に断った上で水を汲みに来た。

ところが、諸大名があまりにその清水の水を汲み過ぎたためか、6月になると清水が枯れ始めた。
徳川家は朝鮮に渡海していないとはいえ、大名の中でも最大規模の人員を名護屋に駐在させている。
このままでは当の家康本陣の分さえ覚束ないと、諸大名の水の汲み上げに制限をかけることになった。

こんな時前田利家の陣より12,3人の者たちが水を汲みに来た。
これに清水の番人たちが出て、「水は多くない。汲むことは出来ないよ。」と断る。
が、前田家の者たちは「何を言うか!必ず汲むぞ!」と譲らず、番人との間で
押し問答となった。

この頃名護屋の徳川の陣と前田の陣は、そう離れているわけではない。
元より戦をしに来た連中である。ただでさえ気が立っており、こういう時にためらいは無い。
前田の陣の侍たちはこの騒ぎを聞きつけると、徳川の陣の前に10人20人と駆けつけ、あっという間に
3千人が集結した。

当然、徳川の者たちも黙ってはいない。若侍を中心に千人程が出てくる。
しかも彼らは弓鉄砲をかまえ槍の鞘を外し完全な臨戦態勢。
今まさに、日本軍の本営たる名護屋城下で、徳川、前田と言う大諸侯同士の合戦が始まろうとしていた。

これに驚いたのは家康陣の、本多忠勝、榊原康政、松平家乗といった重臣たちである。
彼らは喧嘩を止めようと、本多忠勝は渋手ぬぐいで鉢巻をし、榊原康政はもろ肌脱ぎになって
両軍の間に割って入った。
しかし両軍は、数刻にわたって声高にお互いを罵りあった。

この様に騒然とした中、家康の鉄炮頭である服部半蔵、渡辺忠右衛門といった者たちは、
徳川陣前で行われているこの騒ぎには加わらなかった。
さすが、古強者達は冷静である。

「全く、若い者達は何も解っていない。」

彼らは配下の鉄砲隊の精鋭300を集めると、それを引き連れ、なんと前田本陣の後門前に陣取った。

「戦端が開いたら一気に前田陣を攻め滅ぼす!前田の人数の多くは
徳川陣の方に行っているから簡単だ!」

もっとたちが悪かった。


自分の方にも火の粉が飛んできた事に驚いた前田利家は、慌てて徳川陣前の喧嘩の場に、
喧嘩を止めるよう使者を出す。
双方、そのうちにだんだんと引き下がり、どうにか衝突すること無く収まった、とのこと。

その後、秀吉の命により前田の陣は場所を差し替えられ、徳川陣から遠く離れた場所に
配置されたのだとか。

以上肥前名護屋、徳川前田の水騒動である。





951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 00:56:41 ID:F0MAzZ2X
さすがに古強者達はよくわかってるなw

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 01:12:00 ID:rikeiZ4r
流石に服部正成、渡辺守綱の両半蔵が揃って出張ってくるとインパクトデカいよな。

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 01:13:50 ID:uZwM5JsV
古強者達の機転で平和裏に終わったいい話じゃないかw

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 01:23:18 ID:fVZ2eKXF
ここで本格的な衝突に至っていたら、その後の歴史が大きく変わったろうなぁ。
たかが水汲みでw

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 01:28:28 ID:ePs8T7i6
>>950
三河武士強ぇーw

本当に前田家の対応まで読んで行動したのか?
だったらすごいんだけど、本当に前面衝突するつもりだったようにも思えるから怖いw

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 01:33:20 ID:XcYoWv0u
>955分権(大老)派と集権(奉行)派の代理戦争かなーと妄想したが、きっかけがアレすぐるな;

まあ徳川家も決して補給・兵站を軽視してはいなかった傍証の一つ、ってことで
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3477.html

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/23(土) 02:20:00 ID:7JV9GEOq
そういえば徳川と前田の水争いってDQN絡んでなかったっけ?
前田家にいい顔しつつ、陣中見たら鉄砲がしっかり前田家のほう向いてたとかなんとか

960 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/23(土) 12:09:49 ID:DF7RTHW1
>>950
水の番人は鬼武蔵が来なくてよかったねという運のいい話でもあるなww



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肥前名護屋水騒動と伊達政宗
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