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犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきは

2017年11月17日 13:50

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:10:38.13 ID:KP3+s06l
朝倉宗滴の言葉にこういうものがある。
『仁不肖によらず、武を心がける者は、第一に嘘をつかず、聊かもうろんな事なく、
不断に実儀を立て、総じて恥を知る事が、その基本である。

その故は、一度大事の用に立つ時、普段嘘をつきうろんな人物は、どれほど実儀を申したとしても
「例の嘘つきだ」と指をさされ、敵味方ともに信用してもらえない。
普段からの嗜みこそ、人として肝要なのだ。』

(士談)

犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきは駄目らしい。



427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:22:49.48 ID:zTBmePbl
そら人を動かせないからな
嘘をつくならバレないように、じゃねw

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:34:34.80 ID:agrzQCkt
本人だけバレてないつもりでもバレバレなんてことはざらにあるし
やはりついてはいかんのだよ

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 00:39:41.86 ID:zTBmePbl
その理屈じゃなんもできなくなるw

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 01:14:05.73 ID:agrzQCkt
お前も影で嘘つきって言われてるぞ

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 01:59:43.94 ID:T7bbYKd2
謀略は誠なり

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 07:37:14.11 ID:soPTu9TR
武士の嘘は武略なり

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 07:51:09.39 ID:ZwhB1xgF
宗滴さまは狼少年を読んで思うところがあったんやな(違

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 08:30:26.01 ID:Itwasr9p
朝倉宗滴さまの頃はまだイソップ物語は日本に入ってきてないな
伊曾保物語の前進となる「イソポノハブラス」ローマ字刊行は1593年らしいし
とあえてつっこんでみる

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 10:00:34.58 ID:MyYwJHbm
>>426>>428>>430
こういう事言ってる奴こそが裏では一番嘘つきだからな

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 10:55:37.82 ID:enORPDeU
最も利口な人たちは、
自分が何かの大事に際して
何か大きな利益のために詭計を用いることができるように、
生涯ずっと詭計を非難するふりをし続ける。

ヴォルテール

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 11:23:31.10 ID:1DNQFh/2
その点、「友人が殺人鬼に追われていて自分の家に駆け込んだ。
そのあと殺人鬼が来て『お前のところにあいつが逃げ込まなかったか?』と尋ねてきた場合、
殺人鬼に『駆け込まなかった』と嘘をつくのは罪である」
と言ったカントは偉大

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/17(金) 23:13:35.73 ID:ps8BgnHl
>>437
あれ?
その場合は嘘をついて良いんじゃなかったっけ

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/18(土) 00:51:37.10 ID:PE1a2IgP
カントによればそれでも嘘をついたらダメ
さすがにこれはあんまりだとして後世の人々がカントの理論から嘘をついてもいいように
いろいろと理論を組み立て

仏教で妄語戒があるのに法華経で三車火宅という例を持ち出して
人を救うためなら嘘を方便として使ってもいい、
と主張するみたいな
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心得の上手、下手

2017年10月01日 19:19

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/30(土) 23:59:42.15 ID:D1E7tGqL
朝倉宗滴いわく
「音信として、秘蔵の馬、その他重宝を人に遣わす時、それに付けた書状の書式が慮外であれば、その
遣わした珍物も尽く無となり、かえって遣わさないよりも劣ることが有る。
心得の上手、下手にはこれほど相違の有るものである。よくよく分別有るべし。

(士談)



268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/02(月) 13:46:53.74 ID:dP9+ENkW
仰々しくしラッピングした方がありがたみが出る、
みたいな話?

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/02(月) 22:13:13.31 ID:brJ4Rm+G
>>268
たとえ贈り物が素晴らしくても書状で礼を失すれば全てが台無しにするという話し。

武家は面目が大事だから書札礼を守らないと、それだけで争いのタネになる。

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/02(月) 22:37:43.24 ID:YTBNVBv4
中公新書の桜井英治「贈与の歴史学」って本だと
室町時代では貨幣経済が育たなかった分、贈与がその埋め合わせとなり、贈り物自身の価値というよりは
贈与によるコミュニケーションが主な目的となっていたようで
(贈り物はたらい回しにされるのが当たり前、数日前にあるところに出した贈り物が巡り巡って戻ってくることもあったとか)
書式が慮外ならそもそもの目的のコミュニケーションも果たせないな

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/02(月) 22:46:50.47 ID:29W7x5RH
フロイスも「贈り物がないことには話すら聞いてもらえない」みたいな事書いてたな

272 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/03(火) 03:11:36.71 ID:o3oJm9vk
足利尊氏が貰った贈り物人にあげてたら全部なくなっちゃった話とか割りと普通のことだったのかな

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/03(火) 08:00:43.94 ID:lHax47KH
あれは違うみたいだが

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/03(火) 12:49:33.40 ID:N9tcduy+
田中角栄が相手の予想より少ない額だと馬鹿にされたり恨まれるからやらないほうがマシって言ってたな

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/03(火) 14:00:44.69 ID:8y/Y6Xjj
角栄が言っても説得力がない

宗滴ラボ

2016年07月08日 16:34

917 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/07/08(金) 10:50:57.03 ID:EVmJZMdL
宗滴ラボ

戦国大名朝倉氏の初代・孝景(英林)は「朝倉英林壁書」の中でこう述べている。

【第六条】
侍の務めだからと言って、伊達・白川へ使者を派遣して良い馬・鷹を購入しては
ならない。余所から贈られたものであれば問題はない。しかし、贈られたもので
あっても三年経ったならば他家へやってしまうこと。
長い間、手元にとどめておくと必ず後悔することが起きるものだ。


この言い付けを忠実に守ったものがいた。孝景の末子、教景こと朝倉宗滴である。

名産地だからと言って、奥州から取り寄せるには手間暇も金がかかる。ならば、
自分の手で育ててみればいいではないか。早速、自宅の庭に鷹の巣を作らせて、
数年間努力した結果、卵を産ませることに成功。さらに孵った雛を手塩にかけて
育てて、大小二羽の優秀な鷹に成長させた。そして、大きな雌の方は主君である
四代・朝倉孝景(宗淳)へ、小さい雄の方は時の管領・細川高国へ献上した。
大永三年(1523年)のことであるという。ちょうどその頃、宗滴のもとに滞在して
いた連歌師の宗長は、このことにいたく感銘を受けたらしく、翌年上京した折に
建仁寺の月舟寿桂に依頼して、宗滴のために事の顛末を記した文章、その名も
『養鷹記』を著わしてもらっている。

鷹だけで終わらない。

『加越闘諍記』という書物によれば、宗滴は鮭の卵を取ると水槽に入れ、お湯を
入れるなどして水温を調節した結果、人工ふ化にも成功したらしい。


戦だけでなく、諸事全般にわたり興味を持ち工夫を重ねる人だったのですね。
脱帽です。



武者に聞き逃れは苦しからず候

2015年07月23日 15:43

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/22(水) 19:41:08.81 ID:6FzOzcwY
>>430の耳臆病目剛胆つながりで


武者に聞き逃れは苦しからず候 見逃れは悪しき候 悉く討たれ候では叶わぬ物に候
聞き逃れは行にて候間更に逃げたるにてはあるまじき候
総じて大事の退口には込め懸かり候わでは逃れざる物に候
故に古今より申し伝え候「耳は臆病目は健気なるが本にて候」故に申し習わし候事

 『朝倉宗滴話記』より


情報で敵を避けるのは兵法、いざ目にしたら腹をくくれということですかね




朝倉宗滴の考える名将の条件

2013年01月16日 20:07

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 21:05:01.96 ID:cPvN4JSj
「金吾利口書・朝倉宗滴話記」から引用する、宗滴の考える名将の条件。

 ――巧者の大将と申は一度大事の負(おくれ)に合たるを可申哉
    吾々は一世の間勝合戦計にて終に負に不合候間年寄候へ共
    巧者にては有間敷事――

 (現代語訳:名将というのは一度でかい敗戦に遭って、それを乗り越えた奴を指して言うべきだ。
        そこ行くと、私はこれまでの生涯勝ち戦ばかりで、ついぞ大負けすることなく
        この年になってしまったから、とても名将なんて言えないな)

『大負けした事がないから名将じゃねえ』というのは自慢なのか謙遜なのか。
意外に口の悪い金吾宗滴殿であったw




168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 21:34:10.56 ID:3dp2Hi6v
天庵様に謝って下さい

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 22:02:47.72 ID:DRNd85Fx
家康「そうそう。そのためにわざと大敗したんだよ。」
仙石秀久「まったくそのとおり。」



170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 22:05:36.85 ID:cPvN4JSj
>>168
勝率が低すぎるのもいかがなものかと思います


上記の「金吾利口書」の名将論の少し後、具体的な人物例

――当代日本に国持の無器用人使下手の手本と可申仁は土岐殿、大内殿、細川晴元三人
   又、日本に国持人使の上手よき手本と可申仁は今川殿、甲斐武田殿、三好修理太夫殿、
   長尾殿、安芸毛利、織田上総介方、関東正木大膳亮方、此等の事――

(現代語訳:今日び日本でダメな大名の例に挙げるなら、土岐頼芸殿、大内義隆殿、細川晴元の3人。
       逆に、いい大名の例としては今川義元殿、甲斐の武田晴信殿、三好修理太夫長慶殿、
       長尾景虎殿、安芸の毛利元就、織田上総介信長、関東の正木大膳亮時茂たちだ)

ちなみに、宗滴が直接関わっているのは土岐頼芸・細川晴元・三好長慶。
大永7(1527)年に足利義晴・細川高国を支援して細川晴元・三好長慶とやり合っているし、
土岐家は朝倉本家と縁戚ということもあって何度か内乱に介入している。

ダメ大名3人のうち細川晴元だけ呼び捨てしているのは含むところがあったのか。
信長に目をつけていたのは、親父の信秀と組んで斎藤道三と合戦した縁からかも。

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 22:33:23.42 ID:cPvN4JSj
もうちっとだけ続けます「金吾利口書」、上記に一文挟んで(意味がよく分からんかったので割愛)主君評。

――義景様御器用は英林様已來有間敷候、其故は我等八十歳に及候を加州武者奉行に被遣候事
   大丈夫成御心中難計候、但自今以後御器用に候間如何可有旨常々被仰候事――

(現代語訳:義景様の手腕だが、親父(朝倉英林孝景)に比べたらまだまだダメだ。
       だいたい俺は八十も近いのに加賀方面の総大将に任命するなんて、何考えてんだか。
       まあ、『これから先上手にやって行くにはどうしたらいいか』ってよく聞いてくるから見込み無しではないな)

兄の曾孫とはいえ主君に堂々とダメ出しをする金吾入道殿、やはり口が悪い。


ちなみに朝倉家は、現代でいう背広組と制服組のトップを並立させている少し変わった体制を取っていた時期が長いです。
背広組としての当主が朝倉本家で、制服組の総大将は宗滴なんですが、
宗滴死後、この総司令官ポストが実質空席。

朝倉氏の一門衆って安居家(英林の次弟・経景流)・大野郡司家(義景の叔父・景高流)・
敦賀郡司家(宗滴の養子・景紀流)の3家が重臣格なんですが、この3家は仲が良くない。

序列争いが激しいので、出兵時の総大将なんかは3家の持ち回りになってる様子があります。
かの元亀元年の合戦の際は、最初の防衛指揮は敦賀郡司の朝倉景恒、
信長撤退後の追撃は大野郡司の朝倉景鏡、次の浅井救援(姉川の合戦)は安居家の朝倉景健という回し方。
……そりゃ、自分の当番は無難に済ませようとして中途半端な結果になりがちだよね。

そもそも、宗滴が自分のポストを若い世代に移譲していれば、80間際で総大将になる事も無かったわけで。
金吾宗滴殿は後継者人事の問題を考えていなかったらしいという、タチの悪い話でした。



178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 08:28:53.75 ID:qZF6u4Ag
>>171>金吾宗滴殿は後継者人事の問題を考えていなかったらしいという、タチの悪い話でした。

宗滴は朝倉家中や敦賀郡司家の事をかなり計画的に考えてるタイプだよ
宗滴自身が26歳で郡司職を引き継いでるので同様に養子の景紀が26歳、宗滴が54歳の時に郡司職を譲っている
その宗滴の教えに従って景紀も又54歳で郡司職を嫡男へと譲っている
自身が担った軍奉行の役職も晩年は譜代家臣の山崎吉家に任せる事もあった

光玖ー宗滴と続いた一族の重鎮ポジションに就くには景紀や景隆では経歴的にやや役不足な感もあったので宗滴頼みになるのもいたしかたない部分もある

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 09:14:17.75 ID:WbnAYkiJ
>>170
大内義隆が健在のころは毛利元就はまだ安芸の一国人に過ぎないんだが

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/17(木) 07:20:26.07 ID:I/8YvJiB
>>179
信長も家督をついでないころだしなぁ

大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ

2012年08月16日 20:52

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 01:51:08.53 ID:gWlFiXHT
武者奉行である大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ。
敵の首を取った者、怪我した者、そういう知らせが大将のもとに来る。大将が前におれば、それだけ
前面の備えは厚くなって強くなる。
もし大将が後方にいた場合、先陣の兵も知らぬ間に後方に集まり、ちょっと敵に攻められると、
おじけついて、我先にと逃げてしまうものだ。

朝倉宗滴話記』より


あなただからできるんだと思うんですが…





101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 06:27:26.90 ID:IOF/2KPf
レオン&ダミアン「ほら見ろ、やっぱり大将は前方にいるべきなんだよ!」

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 10:10:01.86 ID:EuixgF7S
レオン&ダミアンっていうと向こうの殺し屋か傭兵みたいになっちゃうなw
どんな二つ名がつくんだろうw

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 11:02:14.54 ID:0AEbxoW1
直情径行のダミアン
直進行軍のレオン

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 11:14:40.15 ID:MmqyQt1U
>>96
それを体現したのが道雪のお神輿です
大将がどんどん進めば家臣たちも前にいかざるをえない
能力のない大将がやると沖田畷みたいに大敗する諸刃の剣だが

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 13:50:27.74 ID:kf0LG2l8
「我が軍の大将は鉄砲より怖いので大将が本陣にいるとみんな前に出ますよw」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 14:16:46.28 ID:IOF/2KPf
>>104
>能力のない大将がやると

>>77の山県の話もそれなんだね
自分が進みたくても相手だって負けたくないわけだから
互いに押し合い圧し合いなかなか思うようにいかないもの
鍋島茂賢が初めて必死の槍働きをした際に感じた不思議な距離感
その中でもやはり名将は討ちかかるべき相手や場所や頃合を見定めていく
しかも家康相手に常に五~六間というのだから九州まで音に聞こえる訳だ

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/16(木) 22:14:18.21 ID:ujcjoGNt
>>104
道雪の合戦での輿はともかく、普段はどうしてたのかね。
屋敷内での移動とか、勘を忘れないための鍛錬とか、下の世話とか、褥創防止とか


108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 00:09:22.62 ID:1W5Q48/b
じゃあ先方100人討ち取ればそのなかにいそうだな。工場長とか鮭様とかだと。真田パパンなら全員討ち取ってもいそうにないけどw

永正、一向一揆越前侵入にて

2011年09月23日 22:05

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/22(木) 22:06:34.06 ID:Ebh8BzY9
一向宗の話で関連して

永正の頃、加賀から越前に勢力の拡大を目指して一向一揆が侵入した。
扇動した坊主は「敵の方へ懸る足は極楽浄土へ参ると思え、引き退く足は無間地獄の底に沈むと思いて、
一足も退くべからず」と一揆勢を叱咤した。

対する朝倉氏は朝倉宗滴を大将として派遣、この軍勢を迎え撃つ。数で劣る朝倉勢は奇襲を決行し、
この一揆勢を打ち破った。
多くの一揆勢が討ち死にする中、扇動した坊主は加賀へ逃げ帰った。

寺へ戻ると、討ち死にした一揆勢の首領の女房が嘆き悲しんでいるので、
坊主は「ご主人の事なら悲しまれる事はない。きっと往生の素懐を遂げられたであろう」と声をかけた。
これに対して女房は「夫はあなたの教えを守って死にましたから往生は疑いなく、心配はしておりません。
ただ坊様が逃げていらっしゃったので無間地獄に堕ちられるのではと心配で、
それで泣いております」と答えた。

坊主は言葉を返すことができなかった。

一揆を扇動した坊さんのばつの悪い話。




84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/24(土) 02:33:40.22 ID:1d7Dcbaa
20万の一揆勢蹴散らす宗滴さんは戦国最強

朝倉宗滴と古渓宗陳

2010年12月06日 00:02

670 名前:信長の菩提寺の・・・[sage] 投稿日:2010/12/05(日) 17:20:14 ID:wfofgJy3
朝倉宗滴は「朝倉宗滴夜話」の中でこう述べている。

-----------------

人というものは妻を娶って子供が出来たならば、たとえその子が片輪者で
あろうとも相続をさせるのが普通である。
私が実の子を廃嫡して養子を迎えた(※宗家から景紀を養子に迎えている)
ことを不思議に思っている者がいるが、こういう理由がある。

貞景様(義景の祖父)の時代に一族の小次郎(初代孝景の次男景明の子景純)
が孝景様の孫でありながら、既に宗家とは縁が遠くなり、集まりの際の席次も
決して高くはなかった。それを見た家中の者どもも彼を冷淡に扱った。
我が兄景明の子がそうであれば、末弟である我が子も同じであろう。
だから自分は惣領貞景様の子を養子に迎えたのだ。これは我が家のためでも
あり、我が家臣のためでもあるのだよ。

-----------------


時は変わって本能寺の変の後の京都。
羽柴秀吉が主催する織田信長の葬儀で導師を務める一人の高僧がいた。

名を古渓宗陳、あるいは蒲庵古渓。

出家後、下野国足利学校に学んだ後、京都大徳寺の江隠宗顕に師事。
堺の南宗寺住持を務めた後、天正元年より大徳寺住持となる。
信長菩提寺となる大徳寺塔頭総見院の開祖でもある。

堺時代に千利休と親しく交わり、その茶道の弟子となり、その参禅の師となった。
後に信長の新たな菩提寺建設を巡り、秀吉の怒りを買い博多へ配流される。

許されて帰洛するも、大徳寺木像事件に関与し利休は切腹、怒りの収まらぬ秀吉は
大徳寺をも破却しようとする。
命を伝える使者の面前で、古渓は短刀を手にして自害を試みる。この命懸けの抵抗に
秀吉も驚き破却を諦め、大徳寺は救われたのである。
その後は洛北に隠遁し生涯を終えている。


この古渓、実は朝倉氏の出身である。
信長に滅ぼされた朝倉氏出身の彼が信長の菩提を弔うとは皮肉だが、まだ二十歳そこそこの
大徳寺修行時代に宗滴一周忌に際して悼文を捧げている。



古渓は廃嫡された宗滴の実子   であったのかも知れない。