秀吉公は聚楽の城が完成した時

2014年03月12日 18:58

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/11(火) 22:04:20.32 ID:wHPCYBug
太閤秀吉公は聚楽の城が完成した時、何とお思いになったのであろうか、
和歌一首を詠じなさった。

その和歌を『露と置き露と消へぬる吾身哉難波の事は夢の世の中』と自筆で書きなさり、
尼孝蔵主に命じて「深く納め置くべし。用がある時に出すのだぞ」とのたまった。

年を経て慶長三年八月十七日、孝蔵主をお呼びになって「いつぞや預け置いた和歌は」
と、お尋ねになった。孝蔵主がただちに出して差し上げたところ、
年月日御諱をも書き加えなさって、そのまま差し置きなさり、翌日に薨御された。

前述の和歌を太閤の辞世であるということで木下家に伝えて、
いまなお、肥後守豊臣公定(木下公定)が所持しているということである。

――『明良洪範』





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