御感状お望みのことは

2017年05月01日 10:40

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/01(月) 00:27:19.55 ID:L1hYyx9y
ある人が語ったことだが、大阪の陣の折、大野主馬の部隊が夜討ちをして戦功のあった時、
主馬は自身の首尾よろしき段を、秀頼に木村長門守(重成)に取りなしをしてもらい、自身に
感状が頂けるようにと要望した。

長門守はその時は良いように会釈したが、後で主馬を密かに呼んで言った

「先程の御感状ご所望の事、言われるまでもなく今回の武功は上様もよくご存じですから、
下されること相違ないでしょう。

ただし、私が思うに、あなたの御身分の上に感状を頂いて、一体誰にそれを披露するおつもりなのでしょうか?
匹夫独身の者は、重ねてまた、他の主人に仕える時、自らの名誉としてこれを差出します。

しかしあなたは、現在上様の為に、あなたご自身もご兄弟も、股肱羽翼の補佐をされています。
そのような人が功成り名を遂げられる事について、一体誰がそれを争うというのでしょうか。

あなたについては、御感状お望みのことは、ご遠慮すべきだと思います。」

この言葉を聞くと主馬は大いに恥じ、重ねて云うべき言葉もなかったという。

これが実際にあった話なのかどうかは解らないが、その考え方自体は尤もというべきであろう。

(士談)



872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/01(月) 08:06:31.51 ID:E0sFo8f5
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8076.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2962.html
出典は違うのが何度か出てたようだ
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髪に伽羅を

2017年03月13日 09:34

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/13(月) 07:24:37.86 ID:ZXvx5ar4
 秀頼公の乳母子木村長門守(重成)は忠義の士で、二十三歳で忠死をとげた。
かねて討死を心掛けていたので、髪に伽羅をとめていた。
安藤長三郎がその首を挙げまして、家康公が御覧になられました。
空焼きの匂いをかがれて、
「いつの間にかような心付きをしたのか。殊勝な若造だ。」
と上意があったとのことだ。

『武士としては』


紺地に六文銭の旗の陣

2016年05月18日 17:05

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/18(水) 06:44:03.98 ID:uLvmKNEo
大阪冬の陣、東方の寄手である真田伊豆守信之家臣の矢澤但馬、吐田筑後、榊原石見の三人は
元より武功の者であったので、敵が矢鉄砲を激しく撃ちこむのも恐れず、一番に仕寄りを付けた事は、
両将軍(家康・秀忠)からも賞賛された。

この時、伊豆守の手勢が仕寄りを付けるにおいて非常に勇敢であったのを、大阪方の木村長門守重成も
大いに感じ入り、或る夕刻、真田左衛門佐が出郭より本城に帰った時、重成は彼に対し、
東を指差して言った

「あそこの、紺地に六文銭の旗の陣が最初に仕寄りをつけました。あれはあなたの一族でしょうか?
もしくは他門でしょうか?彼らは実に、城攻めの妙を得た者達です。」

真田答えた
「あれは兄伊豆守の陣です。ただいま軍兵に先立って下知している二人の若武者、
一人は河内守(信吉)といって16歳、もう一人は内記(信政)といって14歳。どちらも私の
甥であります。亡父昌幸の余風があって、彼らも健気に働いているようです。」

重成はこれを聞くと
「その兄弟は、普段は何色の鎧をつけているのでしょうか?今から軍兵たちに、二人には鉄砲を用いないよう
申し付けたい。」

「それは情ある言葉です。しかし彼らは若年であると言っても、他の軍勢に先立って仕寄りを掛けるなど、
味方にとってはなかなかの剛敵です。
ご存知でしょうが、忠義のためなら親疎も言い出さないのが武士の習いですから、私の一族だからといって
弓鉄砲での攻撃を避けるというのは考えもできません。彼らもまた、私を見れば必ず攻撃して
来るでしょう。であれば、誰にかぎらず秀頼公の敵と見れば、席を去らずに討ち果たすべきです。
これが武士たる者の本意です。」
そう語ったという。

(慶元記)



732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/18(水) 11:21:19.48 ID:IT3tWaKI
一族が敵方にいる以上、周りの他の軍より率先して働かないとダメだし
兄一家も大変だな

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/18(水) 21:39:16.08 ID:7o1opGdq
黒田基樹「真田信之」p172によれば
「真武内伝」に
木村重成の持口を信吉・信政が陣頭に立って攻めているのを見た木村が信繁に
「あの六文銭はあなたの一族か?」と尋ねたところ
信繁「むろん、兄信之の子で私にとっては甥にあたる」
と返答し、木村が
「若年にして奇特な戦いである、あの2人には矢、鉄砲を放たぬようにしよう」
という話が載っているが、信繁は真田丸を守っていたため、残念ながら全くの創作である

としてたけど、真田丸から城に帰ってからの話なら問題ないような
(しかしたしかに木村重成より若いとはいえ、木村重成が「若年ながらたいしたもの」
と言うのには違和感)

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/18(水) 22:09:52.91 ID:RsDfDWju
>>734
信吉が1595年(文禄4年)生まれで大阪の陣の頃には二十歳前後、信政はその2つ下だから、別にいいんじゃね?

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/18(水) 22:58:53.72 ID:8V1YisfJ
>>732
結局最後の最後まで兄一家は弟に振り回されて終わっているんだよなあ

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 04:38:18.20 ID:otyaGBAD
>>732
源為義 為朝 平忠正「そうか?」

二人ともあきれ果てた

2016年04月04日 17:43

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 15:18:51.96 ID:s1yGAbCK
大坂城の女中が集まる三の間に大砲の弾が撃ち込まれ茶箪笥を打砕き、淀殿の居間まで悲鳴が聞こえるようになるにつけ、
淀殿の口も和らぎ、織田有楽斎、大野修理へ「何卒和談を取り付けたい、秀頼の為なら自分が江戸へ下向してもいい」と言ったが、
秀頼が承知せず、この上は近臣の出頭の者に諫言させようと相談した。

渡辺内蔵助は鴫野の一戦以後秀頼の前を損し、
薄田隼人も博労淵の出曲輪を取られ、日頃の力量自慢ほどではないと城中のひとに取沙汰されているのを恥じて万事控えめになっている。
木村重成は後藤又兵衛が今福の戦いを秀頼に報告し、以前の倍も信頼を受けている、木村から言ってもらうのがいいだろう、と
有楽斎、大野が木村を招いて、和談の上淀殿を江戸へ差し出すことを秀頼へ提言するように言ったが、これを聞いた木村は
「今の話は片桐が最初に話したことと少しも違いはなく、今さらそのような申し上げはできない。
各々に幾度でも言うが、このような次第になったのは畢竟秀頼さまのご運の末と嘆くほかない」
と言うので、二人ともあきれ果てた。
その後後藤から強く申し付けたことで秀頼も得心し、和議の相談が進むようになった。
この話は難波戦記等にはないが、牧尾是休斎が語ったことである。

落穂集から抜粋

木村重成がいかにも若いな~って感じだ



木村重成の首

2015年03月29日 15:36

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 18:45:15.56 ID:r6orwAxz
大阪夏の陣、井伊直孝の部隊の先鋒であった庵原助右衛門は木村長門守重成の部隊と戦い、
乱軍と成って重成が馬を乗り放ちにし鑓を持って進んできたのを、庵原は二間(訳3.6メートル)ほどの
足元の沼を隔てて鑓を合わせた。

庵原はその十文字鑓を重成の母衣に突き込み、前に引き倒そうとした。
重成は自身の鑓を庵原が立っている岸に突き立て、引き倒されまいと争った。
しかし庵原が強く引くと、重成は遂に沼にうつ伏せに引き倒された。
その時、庵原の家来たちが飛びかかり重成を取り押さえて首を取った。

と、ここに安藤長三郎が走りきて庵原に声をかけた
「私は未だ首一つも取っていません。その首を頂けないでしょうか!?」

庵原はこれを聞いて
「若者にしては奇特な心掛けである。ではこの首は進上いたそう。
この敵、木村長門守と名乗ったが、長門ではないかもしれず、たとえ本物の長門の首であっても、
私はこの首一つにて名を揚げるつもりもない。

大阪も、今日明日で落着しよう。であれば貴殿も、これほどの首を再び取り当たることは
無いだろう。急ぎ大御所の御実検に供えられよ。」

安藤は大いに喜び、首を持って行こうとしたが、ここで庵原は彼を呼び返して
「大御所は至って御吟味の強き大将である。母衣武者の首を取って母衣を首に添えない時は
御非難を受けるぞ!この母衣絹、太刀、脇差まで共々持って行くべし」
そう言って皆取り束ねて渡したが、庵原の家来たちは「せめてこれだけはこの方に残したい」と、
白熊( 白熊(はぐま)の毛で作った払子)のついた金の捻り竹の指物は、押さえて渡さなかった。
この一品は、後に庵原の家の什物となったという。

安藤長三郎は重成の首を本陣に持って行き家康の実検に備えると、正しく長門守の首であり、
若き者の天晴な功名であると、戦い終わった後、安藤を伏見城に召して五代青江の刀を与えたという。

(刀剣談)



黒一点と白一点

2014年08月09日 18:55

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/09(土) 01:44:38.52 ID:Q0m9MiZp
黒一点と白一点

大坂夏の陣八尾若江の戦いは大乱戦となり徳川方の阿部正次が
「味方は長期の遠征故、肌は黒く焼け物具も汚れておる、大坂方は肌色も白く物具も綺麗なままだ、それを目印に討ち取れ」
と馬に乗り触れ回ったほどだ。

そんな乱戦の中、戦死した木村重成の家臣青木七左衛門長屋平太夫の二人は運悪く敵である徳川方の部隊の中に紛れ込んでしまった。
数多ある他の部隊ならば、なんとかやり過ごし脱出の機会を窺う事も出来ただろうが、更に運の悪い事に二人が紛れ込んだ徳川方の部隊
とは、よりにもよってあの井伊直政直孝の部隊であった。
全身を赤で固めた部隊の中に黒母衣と白母衣が一点ずつ…たちまち赤い槍衾に囲まれた二人は生け捕りにされた。

覚悟を決めた両名は家康の前に引き出されると、まずは長屋平太夫
「今福にて一番槍を合わせたり」
と名乗れば、続いて青木も
「今日、西郡にて一番首を取たり」
と名乗った。
すると、この二人の剛の者の境遇をあわれと思った家康は二人を許し美濃にそれぞれ500石の禄を与え召抱えた。

(常山紀談)




476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/09(土) 01:59:29.15 ID:hrpJQAeq
>>475
赤牛の方じゃね

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/09(土) 02:06:08.60 ID:Q0m9MiZp
>>476
誤記したンゴ…

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/09(土) 08:54:24.12 ID:yB2evRQ/
>ンゴ…

こんなところでもか…

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/09(土) 11:20:47.68 ID:323CKrqB
誤記し丹後

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/09(土) 12:03:57.38 ID:At0gwloN
丹波の赤鬼『呼ばれたと思ったら丹後だった』

首帖の故実

2014年04月22日 18:48

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 01:14:47.62 ID:IZdYzDZT
大坂の役の時、木村重成の兵士松浦弥右衛門と堀田図書勝嘉の従士浅部清兵衛
共に敵を斬って首を得た。

豊臣秀頼の右筆である白井甚右衛門はその日、首帖(首帳)の役だった。
松浦は早く首を持って来て白井に一番と書かせた。ところが、白井は
「首一つ松浦弥右衛門」と書いて一番とは書かなかった。

松浦は怒ったが白井は聞き入れない。そこに今度は浅部が首を持って来た。
白井がこれを正したところ、浅部は松浦よりも先に首を取ったけれど、
その場所が遠かったので遅参したということがわかった。

その証拠は明らかだったので白井は浅部を一番と書いて松浦を二番と書き、
松浦に向かって「ニの首を待って一の首を記すことは首帖の故実です」と言った。

――『武将感状記』





大野治房と感状

2013年12月01日 19:16

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/30(土) 23:03:56.92 ID:mad9NJaP
大野治房と感状

大阪冬の陣において大野治房の部下である塙直之蜂須賀至鎮の陣を夜襲して功名があった。
治房は感状を欲し木村重成に口添えしてもらおうと重成を訪ねた。

治房「(後藤又兵衛に教えてもらった策で)夜襲が大成功したんだけど感状が出るよう周旋してくれない?」

重成「秀頼様にもよく聞こえた功名ならば、感状は間違いなくいただけるでしょう。ですが
   貴殿は感状をいただいて誰に披露するおつもりですか?」
  「一本槍の武士ならば他国の主君に奉公するときの眉目にすべきでしょうが、大野兄弟は大阪の老臣ですので
   君主と存亡を共にすべき人です。何の為の感状ですか?」

これを聞いて治房は恥じて言葉を無くしたという。

(武人百話)





「鉄砲はこうやって撃つんだよ!!」

2013年03月03日 19:01

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/03(日) 00:24:44.72 ID:SOYj+wSV
大阪冬の陣、今福の戦いでのことである。

今福・鴫野での幕府方・佐竹義宣勢の攻勢を、大阪方・木村重成勢はなんとか食い止めたものの、
戦況は膠着し、木村勢は再び押され始めた。

これを大阪城から見ていた豊臣秀頼は驚き、側にあった後藤基次に、早急に木村の救援に行くよう命ずる。
後藤は畏まり、その場から直に陣屋の組衆に、直ぐに蒲生堤へ来るよう使いを出し、自身は具足を
持ってこさせ馳せて天満橋近辺に至ると、そこには既に大野修理勢が武装して乗り付けていた。
後藤もその陣屋において武装を固め、今福堤に駆けつけた。

到着すると後藤は木村重成に対面し、
「今朝からの御働きですが、そろそろその気力も尽きる頃と思います。ここは私が
入れ替わりましょう。」
と申し述べる。しかし木村は

「この重成にとって今日が初陣です。その上、特に只今こそ勝負肝要の時と見えます!
こんな時にそれと替わろうとするなど、後藤殿には大人気ないではありませんか!
かつ、今人数を入れ替えれば備が崩れる危険性もあります。

そもそも貴殿は老巧の武将であり、私は初陣です。であるので、今しばらくこのまま御覧になっていて
頂きたい!」

この木村の気迫に後藤も感服し、「申されるものかな。ならば私は後陣に詰めよう」と言って
下がろうとしたが、その時四方を見ると、堤の下では木村重成の足軽たちが、敵の射撃を受けて
堤の陰に伏し隠れたまま、頭も出せないような有様であった。

すると後藤は馬から降り、従者に持たせた鉄砲を鉄砲を取って、体を堤の上に伸び上げ、
立ったまま2発射撃し叫んだ

「土の上に這いつくばって黒くなっている者共!鉄砲はこうやって撃つんだよ!!」

この恥ずかしめにカッとした足軽たちは、競って堤の上に登って一斉に撃ち立てれば、
敵のほうが逆に堤の陰に伏せ隠れた。

この時、後藤は左の小指に少し負傷しているのを木村重成が見つけ、「手傷を負われましたね」
と問うと、後藤は鼻紙を出して負傷箇所を巻いて

「合戦で小傷を負うのは、私の吉例ですよ。」

そう、笑って答えた。

「それはともかく、後藤殿は陣所に帰ってください!」木村はそうしきりに進めた。

これは木村重成が若武者であり、後で陣を後藤基次に取り替わられたと人に言われてはならないと
偏に考えたためだ。という。
(慶元記)




603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/03(日) 04:43:51.73 ID:M6d0l7GH
>鉄砲を鉄砲を取って、体を堤の上に伸び上げ、
>立ったまま2発射撃し叫んだ

両手でガンマン風に射撃を行う又兵衛さんが頭に浮かんだ。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:31:13.82 ID:4zA/UW2P
木村重成って堀久のイメージしかない
生まれてくるの遅すぎたね

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:34:37.01 ID:U8qpeY/a
名人Qちゃんと橙を一緒にするなよ

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 17:35:40.04 ID:JtyqrRGR
>>615
橙は薄田兼相や

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:20:42.91 ID:jbCCpV3U
Qちゃんの肖像画は修正液で上から適当に書き直したみたいな顔しかないの?

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:39:22.34 ID:4zA/UW2P
きっとおばあちゃんが書き直したんだよ

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 18:41:09.12 ID:48+26OS0
どこのスペイン人のババアだよw


「三ヶ条の要求」と豊臣秀頼

2011年12月26日 22:02

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 18:02:11.44 ID:LdVEqifJ
慶長19年(1614)9月18日、方広寺鐘銘事件などで緊張した徳川・豊臣家の問題を駿府の家康と協議した
片桐且元は帰阪。秀頼に家康からの要求、

『秀頼が人質として江戸に下る、もしくは淀殿が人質として江戸に下る、もしくは国替えを受け入れる』

という三ヶ条を伝えた。

これを聞いた豊臣秀頼は、片桐且元を、休息を取れと私邸へ帰らせ。その上で、当時大阪にあった
織田常真(信雄)のもとに、大野治長、木村長門守、渡辺内蔵助を遣わして、この件に対して相談をさせた。

三人は信雄にこう主張する

「市正(且元)は今度の使いにおいて、いくら家康公の御指図だといっても、先ずは一応も二応もお断りを
申し上げ、その上ではじめて家康側の申し出を聞き届け帰国しこれを秀頼公に申し上げるべきなのに、
彼は秀頼公を差し置いて、この三ヶ条へ異見が無いと家康に申し入れ、自分一人の判断で、まるで自分が
家康の使いであるかにように、秀頼公に申し上げた。
これは我が君を見下げるような行為であり、その不正は軽くない!

この上は最早市正を踏み殺し、我々の方針をはっきりさせるべきと考える!」

信雄はこれを聞いて仰天した

「今、両御所を敵に受けて盾をつくなど、考えも出来ない事だ!
今回のことは全て、市正に任せて然るべきである!」

三人は秀頼に元に帰り、両者の意見を申し上げた。
しかし秀頼はこれを聞くと、いずれの意見を取るべきか解らず、ただ悩んだままであった。

大野ら三人はこの秀頼の姿を見て、「秀頼公には知らせず密かに且元を城に呼び出し、そこで
刺殺して方針をはっきりさせよう!」と示し合わせた。

しかしその動きをを察知した信雄がこれを且元に知らせ、且元は大阪城を退去。
これが大阪冬の陣勃発の直接の理由となる。

和平派もそうだが主戦派も、秀頼本人の意志を重視してはいない、片桐且元大阪退去に至るまでの、顛末である。
(秀頼事記)






499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 21:39:58.07 ID:Gb1JJCFD
何かで読んだのか戦国もののドラマか忘れたけど
且元はその時淀殿を江戸に送ることを承知しておいて
江戸屋敷の造営で一年二年と引き延ばしその後は淀殿病気といいさらに一年二年引き延ばし
家康が死んだ後挙兵すれば少しは勝ち味が見えてくると献策したとか言う話があったな
多分史実じゃないとは思うけど

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 21:42:56.60 ID:W9TthKzI
葵徳川だね

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 21:50:58.98 ID:gHUua3Pj
実際家康相手にそんな小細工無理だとは思う

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 23:47:39.70 ID:HTcBDCI7
>>498

これじゃ、まるで開戦にいたるまでの先帝陛下のお立場ではないか?

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 00:05:13.68 ID:AGDGBLr/
こう見ると信雄さんは現実派だなぁと思うけど
やはり残り二人からは「このヘタレが!」って思われたんだろうな

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 08:15:30.85 ID:zgeD+M20
福島正則「だから!遅すぎたと言っているんだッ!!」

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 08:54:59.49 ID:3dub6oDn
信雄が優秀だったってのもあながち間違いじゃないよな。

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 09:04:44.29 ID:2Phlz4nt
お坊ちゃまだった若い頃は失策しまくりだったけど、
もう世間慣れしてるお爺さんだから保身感覚が身に付いてるよな

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 10:15:59.08 ID:quNlbzpG
若いころから保身感覚抜群の連中がいたりするから見劣りしたりするんだよな

森家の連中とか池田家の連中とか…

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 11:45:49.54 ID:rWPzNMBy
>>507 信雄様のおかげで早くに親父や兄がなくなったもので、若くして保身感覚を身に付けました。

木村重成、行方不明になった大井何右衛門を

2010年08月22日 00:01

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 19:03:41 ID:S858GWjf
木村重成の格好良い話

木村重成の武者奉行大井何右衛門は剛勇で知られ、池田家をはじめ
多くの諸侯から仕官の誘いがあったという武勇の士だった。

慶長十九年十一月二十六日、木村隊は今福堤で佐竹隊と激突、何右衛門もこの戦が初陣だった主君を支え奮闘し
木村隊は佐竹家重臣渋江内膳政光を討ち取り、佐竹先鋒隊を潰走させる戦果をあげたのだが
この戦いの途中、何右衛門は行方不明になってしまう。
重成は戦場に引き返し何右衛門を探した。
やがて何右衛門は見つかったのだが彼は致命傷を負っており、歩行も不可能になっていた。

さらにタイミングの悪いことに堀尾忠晴が重成を討つため攻撃を仕掛けてきた。
何右衛門は自分を見捨てて早く逃げるよう伝えたが、重成は
「ここにきて見捨てるくらいならば、最初から助けになど来ない!!」
と答え、自ら陣頭に立って堀尾隊に切り込んだ。
これを見た木村隊三十余名は奮起し、数で勝る堀尾勢に対し奮戦。
最後は重成自身が殿となって退却した。
その勇姿には敵味方とも感嘆したという。

そして何右衛門は無事帰陣した後、主君等に見守られつつ、間もなく息を引き取った。




742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 20:47:37 ID:Pio0gt+Y
重成はこういうカッコいい話が似合うよな…

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 20:56:47 ID:6v3+Qz92
ちょっと宗茂に通じるところあるよね

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 22:00:18 ID:tZUQdcf8
イケメンだしな

木村重成と食事・いい話

2008年10月16日 10:13

490 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/07/14(月) 13:50:43 ID:INEJa3iz
木村重成(秀頼の乳兄弟)

大坂夏の陣の5月ごろから食が細くなった重成、
「落城近しの風聞に接し、食が進まないのか?」の問いに、こう答えた。
「昔、後三年の役のおり、末割四郎という者がいた。
 この者は臆病もので、朝の食事も喉に通らないほどだったが、
 敵陣で首を切られた時、切り口より食い物が出てきて恥を晒したそうな。
 俺も首を取られるだろうが、骸の臓物を見苦しくないようにしたいから謹んでいるのだ」