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本能寺にて囲碁の事

2022年02月05日 16:06

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/04(金) 22:25:17.41 ID:Xc5xSs4f
囲碁についての様々な話が書かれた「爛柯堂棋話」から
本能寺にて囲碁の事

天正十年、信長公、光秀が毛利征伐援兵に赴く武者押しをし給わんとて、江州安土より御登り、京都本能寺に御座あり。
六月朔日、本因坊(算砂)と利玄坊(林利玄)の囲碁を御覧あるに、その碁に三劫というもの出来て止む。拝見の衆、奇異の事に思いける。
子の刻過ぐる頃、両僧暇給わりて半里ばかり行くに、金鼓の声起こるを聞き驚きしが、これ光秀が謀反にして、本能寺を囲むにてぞありける。
後に囲碁の事を思い出て、「前兆ということもあるものかな」と、みな言いあえりとぞ。
その時の棋譜なりとて、今も伝えり。この碁を思い見るに、利玄が隅の石を取らるるを見損じたる、本因坊が布置・手配りの様子、これまた前兆とも言うべきか。

有名な話ではあるものの残されている棋譜(128手まで)
https://i.imgur.com/alX3zFc.jpg
alX3zFc.jpg

を見る限り、三劫の余地はないと思われるため捜索と考えられていた。
しかし
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab6176974f6bc9348e206a6426d2c13273407fc1
1万局に1回?本能寺の変前夜に出現の「三コウ」、出雲のプロ棋士が手順を発見


129手以降を考察した結果、159手目でついに三劫が出現する手順が見つかったらしい
棋譜については山陰中央新報を読まないとわからないようだが



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長政はむかっ腹を立てたのだった

2020年07月23日 18:15

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/23(木) 13:18:48.62 ID:eEqaTPVh
まとめの2593
家康と浅野長政、囲碁を通じた友情

の詳しいバージョンが「爛柯堂棋話」という碁関連の話を集めた本にあったので

権現様は囲碁友達の浅野長政とつねづね囲碁を楽しんでいたがある日は負け続き。
対局中、そばにいた本因坊算砂(囲碁の家元・本因坊の家祖)に
権現様が「この石を跳ねるしかないかなあ」と聞いたところ
算砂「おっしゃる通り、跳ねるしかないですね」
と言ったもんだから、そのまま跳ねたところ権現様の勝利。
長政は大いに怒り脇差に手をかけ、算砂に
「今度助言したら討ち捨てるからな!」と怒鳴った。
その後、また権現様が長政のところに来るということで、長政の末子の長重は
「父上、家康公との対局ではわざと負けてください」
と言ったが、長政は
「公相手だからと言って、勝てる碁にわざと負けろというのか?」と立服。
そして庭で毛氈を敷き、二人が対局をしていたところ、長則があらかじめ呼んでいた算砂が
「日差しが強いので傘をさしましょう」
と穴の開いた唐傘を、権現様にとって好手となる位置にちょうど穴からの光が当たるように置き
悟った権現様はそこに石を置き長政に勝利。
長政はむかっ腹を立てたのだった。