『徳は善政に在り。善政は民を養うに在り』

2017年02月07日 15:26

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 20:41:30.36 ID:lRnEA01U
三州柏崎の百姓が、公事の不正を言い立てて訴訟に及んだが、終に負けとなった。
この時の町奉行は本多作左衛門重次であったが、この百姓「判決は依怙贔屓である」と、
方々にて悪口を吐き、あまつさえ落書などして誹謗した。

本多作左衛門はこれを聞いて、重ねてその公事人を呼び出し再審査を行ったが、
それでも判決は変わらず、今度は不正を言い立てたこの百姓を斬って捨てた。

その後、酒井河内守重忠が同じような公事を沙汰した。
公事の不正を言い立てて負けた百姓が散々悪口しているということを酒井は聞くと、
彼は地下人達を呼びつけ、どうしてそういう判決に至ったかを順々に説明し、敗訴した側にも
どこに非があったのかを言い聞かせ、得心するように理を解いた上で、悪口した百姓も
そのまま差し許した。

徳川家康はこの二つの裁判について、両人にその道理を尋ねた。
本多作左衛門は
「上を侵す者をそのまま差し置いては締まり無く、悪事も募りますから、毅然として申し付けました。」
と答えた。

一方酒井重忠
「こんな事で人を殺していたら、今後の奉行は必ず威を振るい、驕りが出てしまうでしょう。」
と答えた。

両人それぞれの政道であり、家康はこの事について、物を知る者に尋ねた。彼が申し上げるに
「上に逆らう者を刑罰するのは、定まった決まりですが、殺さずに治まることであれば、
殺すべきではありません。人を殺すというのは、やむを得ぬ上に行うものです。
尚書にも『徳は善政に在り。善政は民を養うに在り』と見えます。」

これを聞いて家康は、酒井重忠を一層大切に思ったとのことである。

(武野燭談)



595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 22:44:49.94 ID:tjUQOI5Q
>>592
>それでも判決は変わらず、今度は不正を言い立てたこの百姓を斬って捨てた。

さくざがしかる(物理)
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どんなことを言われているか、どうか想像して下さい

2015年11月03日 17:53

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/02(月) 18:53:30.73 ID:rCRkRMqS
天正十八年三月二十日、小田原征伐のため東下した豊臣秀吉は、徳川家康の居城である駿府城へと入った。
この時、家康は長久保の陣より参って対面した。
秀吉の家来が数多並ぶ中、本多作左衛門重次が家康の後ろから現れ、立ちはだかって
大声で怒鳴った

「やあ殿よ殿、あっぱれ不思議をなされることよ!
国をも保とうとする人が、我が城を明け渡してしかも人に貸すことがあるか!?
そのような気では、人に貸せと言われれば、北の方をもお貸しなさることでしょう!」

そう罵って帰っていった。
家康は唖然とする人々のほうを向いて

「今の老人の言うことをお聞きに成られたでしょうが、あの老人は本多作左衛門重次といって、
この家康の累代の家人であり、私が幼い頃より仕えている者です。

彼は若い頃から弓矢打物を取っては人にも知られた者ですが、今では、ご覧になったように
歳もいたく寄りまして、私も不憫に思っているのですが、天性わがままな根性の持ち主にて、
他人を虫けらとも思わず、多くの人々が聞く所でも、あのように私を、事がましく言い立てるのです。
ましてや私が彼とただ二人でうち向かった時、どんなことを言われているか!どうか想像して下さい。

普段ならそれでも構わないのですが、どうしたわけか今日もあのような奇怪な振る舞いを
してしまうとは。これを人々がどのように思われるか、大変恥ずかしい事です。」

これに、その場の人々は
「本多作左衛門の事、久しく聞き及んではいたが、実際に見たのは今が初めてだ。誠に聞きしに勝るものかな。
あのような家臣がいるというのは、実に奥ゆかしいことだ。」
そのように感じ入ったという。

(藩翰譜)



927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 08:46:08.44 ID:glgRbPNv
>>926
ちょっと悪い話じゃないのこれ
家康が恥かいちゃったんだろ

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:03:10.43 ID:zW7lJDMw
>>927
どう考えてもいい話だろ

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:44:46.42 ID:+0I1cAWu
調子こいてる太閤に主の代わりにガツンと言ってやったぜ
と捉えるか
天下一統の志を棄てて従順に振る舞う主に対する強烈な嫌味
と捉えるか

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:46:58.28 ID:tLSsGUMD
奥ゆかしいって悪い意味なのかい?

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 09:52:00.43 ID:IPdjQDCL
そもそも北の方、て作左が焼き殺そうとした秀吉の妹の朝日姫じゃん
て思ったら二ヶ月前に死んでた

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/05(木) 02:05:24.88 ID:Bra8mrhk
>>926
何かの小説では、
「殿!城内からサルのにおいがしますぞ!ああくさやくさや」
みたいなことを言ってたと思うんだが、原文ではそんなこと言ってないのか

作左三カ条

2013年07月20日 19:56

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 17:50:47.38 ID:HtKZ9df0
東照公が三州をお手に入れられた時、これまで今川領地の村々は
先代の事などで争い治まりかねない所もあった。

これによって本多作左衛門がやってきて制札を見た所、法度の箇条
が多くて内容も難しかったので、

一、人を殺すものは命が無いぞ
一、火をつけると火あぶりになるぞ
一、狼藉をすれば作左しかるぞ

と言う三カ条にして仮名文字へと書き改めた。
その後はよく治まったと言う

(古老物語)

作左が叱るの別バージョン




737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 18:09:53.27 ID:7Rhnmpwc
劉邦「法三章のみ」

違うのは傷害が火付けになってるとこか

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 21:34:39.98 ID:x8GhauMr
>>735
わかりやすくていいな
法の抜け穴を探すまでもない簡潔さ

或本に、本多飛騨守成重は

2013年07月05日 20:01

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/05(金) 18:24:48.86 ID:6IvEpCWo
或本に、本多飛騨守成重は作左衛門重次の子息なり。童名は仙千代丸(おせん)、
成人して丹下と称す。

父重次が訳あって上総国小原の荘に籠居した時、成重も出仕を止められた。

関ヶ原御陣の時には御後に陣を構え、慶長18年に越前国の丸岡の城を賜って
忠直朝臣に属せられる。

5月7日に、一番に合戦を始め、真田の陣を打ち破り、自ら敵2騎を切って落とし、
大勢の敵を追い崩し、首273を討ち取り、大手の城門を破って左の脇より
城に乗り込み、あちこちに火をかけて首28を切った。

手勢の者たちは討たれた者5人、傷を被る者7人であった。

元和9年、忠直朝臣が配流の後に再び将軍家に召され、慶安4卯年12月に卒す。
時に62歳なりと云々。

――『新東鑑』

実際の没年は正保4年で76歳。





三河三奉行

2013年05月01日 19:51

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 14:16:35.37 ID:ZEPS/1lc
永禄八年(1565)
三河一向宗問題も落ち着き、
東三河の今川氏の吉田城を攻め落としたことで、
徳川氏悲願の三河統一を果たしたときのこと。
家康公は民政にあたらすために、
岡崎に三奉行をおくことにした。
その三人というのが、
高力清長、本多重次、天野康景
この三人はそれぞれの気質から、
『仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野』
とそれぞれに異名がついていたのである




162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 15:05:54.48 ID:hDelicPc
「何方偏無し」か

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 22:14:44.51 ID:bwMuGTIT
前々から疑問だったんだけど、
天野康景の「どちへんなし」っていうのは、公正無私っていう解釈でおkなのかな?

>>158
帰参した善助さんがどれくらいの知行を貰ったのかが気になるw

164 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2013/05/01(水) 22:56:49.69 ID:AQh68GHL
「どっちつかず」とも取れる。

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/01(水) 22:59:08.37 ID:u3rwnvl2
仏でも鬼でもない
つまり外面如菩薩内面如夜叉

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/02(木) 16:30:16.37 ID:adGYcaG/
葵徳川三代で津川家康が女官縛り上げながら興奮し能を舞うw

両人取り取りの政道である

2012年11月06日 19:59

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 19:33:52.32 ID:gMarZj1v
三河柏崎の百姓たちが、とある紛争における判決の非公事(敗訴)を不当だと言い立てて裁判で争ったが、
しかし負けてしまった。
この時の町奉行は、あの本多作左衛門重次であった。

百姓たちは敗訴に納得せず、勝訴した側への作左衛門の依怙贔屓であるとして方々で悪口を吐き、
あまつさえ落書までしてこの裁判を誹謗した。

本多作左衛門はこれを聞いて、再びその裁判における公事人(裁判関係者)を呼び出し、
再吟味を行ったが、やはり同じ判決となった。

そこで作左衛門、今度は非公事を言い立てた百姓たちを、全員斬って捨てた。


それから暫くして酒井河内守重忠が、これとほぼ同じような訴訟の奉行となった。
非公事を言い立て敗訴した百姓たちが散々悪口を言っている、とのことを重忠は聞いて、
再び裁判関係者を全員呼び出した。

そこで忠重は全員に対して、その判決に至った理由を順を追って説明し、非公事を言い立てた
者達にも、その理を言い聞かせ、得心するように理由を説明した上で、悪口をした百姓も
そのままにさし赦した。


この両裁判のことを聞いた徳川家康は、本多、酒井を呼び出し両人がどうしてそのような
処分をしたのか理由を聞いた。

本多作左衛門は
「上を犯すものをそのまま差し置いていては、秩序の締りが無くなり悪事が募るものです。
ですので毅然としてそう申し付けました。」
と答えた。

酒井河内守重忠は
「この様な裁判で人を殺してしまえば、以後奉行人は必ず事あるごとに威を振るい、
驕りが出てしまうものです。」
と答えた。

まさしく両人取り取りの政道である。

(武野燭談)






221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 20:07:50.02 ID:4R9zL7AU
似た状況って言っても、具体的にはそれぞれ別のことだし、
本多作左と酒井重忠のどちらが正しということはないんだろうな。
それにしても百姓が好きな事を言って、一度はその言い分を聞いてもらえるって社会は、なかなか良い社会だな。


225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/05(月) 22:03:40.58 ID:sIbB3lqJ

>>220
ものすごくざっくり見れば作左と兼続やってること一緒なんだな
やっぱそっちのタイプの人間だな


227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 04:40:04.06 ID:TerQt6Ow
隣にいる人がテンション高いと逆に冷静になるってパターンでは

しかし徳川水軍の場合、本気で戦う時がたまに見られる

2012年01月27日 21:58

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 10:51:49.06 ID:pSDdBLVJ
東海道の水軍(織田・徳川・武田)は基本的に伊勢水軍系列なので、身内同士の戦いとなる
当然ながら、仲間内で本気にはならないので小競り合いが殆どであった

しかし徳川水軍の場合、本気で戦う時がたまに見られる
その時の指揮官は常に「本多重次」であった




896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 11:08:35.88 ID:HD992qgQ
さすが三河武士
全く空気を読まない

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 11:10:24.14 ID:PoJZ4VvT
煙たがられてたんだろうなw

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 15:10:02.55 ID:uIaqvim+
ほんま作左さんは…

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 15:23:33.34 ID:ehS28Uyg
困ったことに梶原景宗のような本職をもフルボッコにしてしまってもいるしな

向井正綱や旧今川→武田水軍の面々が優れていたとも言えるのだろうけど

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 17:16:23.76 ID:KWt9lrMn
あれは数があったからではなかったか

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/28(土) 16:38:23.41 ID:L7pgtpy6
北条家傘下の三浦半島の海賊衆は相模湾から江戸湾にかけてへばりついてて、
里見と親しい木更津水軍の連中と争ってたからね

大政所女房衆、鬼に会う

2011年03月11日 00:03

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:20:39.08 ID:NjN3kGqd
天正14年(1586)、豊臣秀吉徳川家康を上洛させるため、実母大政所を、家康に嫁いだ秀吉の妹朝日姫への
見舞いという名目で三河岡崎へと送ったこと、これは有名である。

さて、大政所の滞在する屋敷の側に、薪が山のように積まれさらに次々と運ばれていることに、大政所の
女房たちが気がついた。「あれはなんでしょう?」「一体何事でしょうかね?」
この段階では彼女たちにもあまり危機感はなかったようだが、気になるので端女に命じ、薪を積んでいる
下人の一人に接触させ酒など飲ませて心安くなり薪のことを聞き出させた。するとこの下人言うには

「いやいや、確かなことは私は何にも知りませんよ?ですが話に聞いたところでは、関白様が都で
我が国の殿様の命を奪われるか、もしくは抑留するような事になれば、今度京都より下られた、こちらのお屋敷に
いらっしゃるお方を、尽く焼き殺すための薪だとか言われて、本多様の下知であるからと、毎日山や林から
切り出しているのです。

この本多様というのがまた、極めて気の短い方で、『殿のお帰りが遅い!遅すぎる!』と待ちかね、
今朝には火をつけよう、晩には焼きたてようと仰っているのを、同じく留守居の井伊様や大久保様が
『いやいやいや!しばししばし、もうちょっと待ちましょう!』と今迄はどうにかお止めになっているのだそうです。
それにしても痛わしいこと。美しき京都の上臈衆が灰や土になってしまうなんて、なんと無残なことだろう。」

端女からこれを聞いて女房たちは、一瞬で恐慌を起こした!あまりにも思いもよらぬことだったからである。

「ああ、何ということでしょう!そういえばその本多という男、毎日ここに参って、恐ろしい声で
『家康の命によりここに付けられました。御用の事があればなんでも仰ってください。』
などと言っていたが…、そうだ思い出した!於義丸殿(のちの結城秀康)が人質として初めて参られたときに、
そのお共に仙千代丸という子どもがあったのを、関白殿下(秀吉)がご覧になって『あれは家康の家臣の、
三奉行とか言ううちの一人、鬼作左衛門という者の子じゃ』と仰せになっていた!

あの時は『鬼も子を生むのですね』『鬼の子とはどの様な者でしょう?』などと騒いで、物ごしに覗いたりした
ものでしたが…、あれがその親の鬼!本多作左衛門!!なるほど鬼なら、このような事するでしょう!

そういえばあの男、ここに来る度に『家康が帰国の途についたという御沙汰は聞いておりませんでしょうか?』と、
一昨日も言った、今朝も、昨日も言った!彼の待ち遠しさが限界を超えてしまったら!!」

女房たちは直ぐに大政所の所へ行き、「本多という男がこう言うことを企んでいます!どうか関白殿下に頼んで
家康殿を一刻も早く帰国させてください!」と泣いて訴え出た。大政所も大いに驚き「このような有様になっています」と
緊急に秀吉に伝えさせ、その甲斐あったか、程なく家康は帰国となり、大政所も帰京した。


さてさて、黙っていられないのが大政所の女房たちである。
彼女らは帰京するとすぐさま秀吉の前に出て涙を流しながら訴えた!

「あんなところにお母上様を下されるとは、なんと情けない事をされたのでしょう!
鬼本多という者が、かくかくしかじか、こんな事をしたのですよ!
いくらかつて争ったとは言え、今は御妹君たる朝日の姫様を参らせたまったのですから、家康殿にとっても
大政所様はお母上であると言うのに、いかに鬼だからと言って自分の主君も知らぬ間に、あんな事をして
良いものではありません!それに大政所様や私たちをあんな辛い目に合わせたのですから、
どうか、どうか徳川殿に仰って、あの本多と言う者にいかなりとも罪を与え、大政所様のお恨みを
お晴らし遊ばせてくださいませ!」

と、これを聞いた秀吉はいかにも愉快そうに笑い出し

「家康という男は、良い家臣をたくさん持っているものだ。わしも、そう言う家臣が欲しいものだな。」

とだけ言って、座を立って行ってしまったという。

有名な本多作左衛門重次の逸話、被害者(?)大政所女房の側の視点からのおはなし。




183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:23:19.82 ID:Z6B+vZPZ
女の言葉ってくどくて面白いなww
戦国時代の話にしては、事実の羅列でなく感情を伝えてくれる珍しい文章だw

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:34:20.99 ID:CQa5WnPi
一筆啓上 火の用心 殿殺したら 母燃やせ

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:35:41.06 ID:hlcASQoP
さくざはやっぱりいいなあ

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 01:12:01.83 ID:50sZjgfi
作左の乱行はいつものことだけど秀吉はさすがに大人っつーか、鷹揚としたもんだな

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 01:26:25.59 ID:nSdZJihR
最後に悲哀を感じるな。
作左の行動原理は、累代の家臣はこうあるべしという伝統と経験だろう。
秀吉には持ちようどころか、顔色を伺う連中ばかりだ。

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 03:29:21.94 ID:vrFzomZj
>>187
石田さんが必死にメモってるよ

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 05:21:22.33 ID:atpdVHqr
でもこの後蟄居処分なんだよね

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 05:44:11.43 ID:09N9qrQX
「家康という男は、良い家臣をたくさん持っているものだ。わしも、そう言う家臣が欲しいものだな。」

笑いながら内心ブチ切れてるから
やっぱ将になるには、感情を表に出すようじゃ駄目なんだよな・・

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 06:13:40.06 ID:dMxCO+7l
この件は秀吉はもちろん家康もぶちきれたという説もあるしなぁ。
めんどくさい云々じゃなく、ただの馬鹿だもの、この作左の行動って。

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 06:30:05.39 ID:5UwazSvW
でも作左が蟄居したのって大政所が秀吉の元へ帰ってずっと後、
徳川の関東移封後だから処分にしてはだいぶルーズなんだよね。
小田原の役で戦功挙げたりしてるし。蟄居の体で隠居したって感じ。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 10:56:49.50 ID:mauyQIj2
>>191
だって、一歩間違えたら徳川家そのものが地上から消滅していただろうからね。
この頃の秀吉なら実際に可能だったろうし、
道義的にも徳川に味方する大名はいないだろうし。

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 12:45:00.81 ID:yMicKBbw
天下人が出した人質、しかも実の親を焼き殺した

殲滅戦されても文句言えんわな。

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 12:50:39.29 ID:50sZjgfi
家康とのあそこまで屈辱的な和睦は絶対に避けられなかったのかな
確かに徳川・北条・長宗我部と四面が敵、毛利もどう転ぶかわからない危うい状況だったけど
政治的には織田家の実質的継承を果たし、京を押さえてるんだから朝廷を動かせばもう少し有利に戦えたと思うんだが

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:11:50.02 ID:iS7fQI7P
家康に土つけられるまで秀吉は本能寺以来、負け無し状態だったからね。


197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:30:32.69 ID:hYow5ZL2
神子田「あんな馬鹿げた策採用するからw」

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:35:58.59 ID:Z6B+vZPZ
勝って実を得るためであれば屈辱でも何でも耐えてみせるのは秀吉のすごいところだろ。
同じことは家康にも言えるけど

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:41:00.92 ID:mauyQIj2
>>195
徳川が一番御しやすくてメリットがあると考えたんでしょ。
おそらく三河者の面倒くさい性格を把握した上で
自分ならその気になれば徳川家を敵対出来ないようにさせる自信があったんだと思う。

ただ最初は武力で簡単に蹂躙できると踏んでたんだろう。
戦までの流れ、戦の後の流れ全て秀吉の思惑通りに進みすぎてるもの。

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 15:23:00.84 ID:5RMlYVLU
中入りが成功していたらどうなっていただろう。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 15:24:34.52 ID:eXMhb0ul
公の天下を取るは、大坂に在らずして関原に在り。関原に在らずして小牧に在り

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雑談・何この無駄な連携力w

2011年01月31日 00:00

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 23:28:37 ID:hMx5wnvo


570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/29(土) 23:30:55 ID:hMx5wnvo
誤爆失礼

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:16:12 ID:xRSqDpq0


572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:30:31 ID:toLUb0vv


573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:44:52 ID:A16Wvp5r


574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:51:06 ID:fxVtuhGE


575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:54:28 ID:N9F3f4Xw


576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 00:54:56 ID:4Emvb3Sd


577 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/30(日) 01:32:27 ID:hXY1ZQQc


578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 02:27:14 ID:09VHSzYN
何この無駄な連携力w

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/30(日) 02:34:28 ID:0D/7hF+i
>>569-577
おい、おまえら!



大好きだ

本多作左衛門重次、しかる・いい話

2008年10月16日 00:48

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/09(水) 22:56:07 ID:7CyMyOiZ
三河時代の徳川家。
とある法令が守られず、当時徳川の名物と言われた三奉行、仏の高力清長、鬼の本多作左衛門重次、
どちへんなしの天野康景が会議を開いた。

高力「法令が厳しすぎて守れないのだ。もっと守りやすい法令に改めるべき」
天野「いや、むしろ罰則を厳しくして、法令を徹底させるべきだ」
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた

「まもらねば、さくざがしかる」

これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。




452 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/07/10(木) 18:21:55 ID:ZVTe9j0Q
>>445
サクザはその辺の民衆にも読みやすいように
法令の発表の際にはわかりやすい文体で平仮名で書いてたんだよな
甲が乙に~とかはやらなかったんだよな
単なる鬼ではない
隻眼片足で秀吉のおかん焼き殺そうとしたけどな