182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:20:39.08 ID:NjN3kGqd
天正14年(1586)、
豊臣秀吉は
徳川家康を上洛させるため、実母大政所を、家康に嫁いだ秀吉の妹朝日姫への
見舞いという名目で三河岡崎へと送ったこと、これは有名である。
さて、大政所の滞在する屋敷の側に、薪が山のように積まれさらに次々と運ばれていることに、大政所の
女房たちが気がついた。「あれはなんでしょう?」「一体何事でしょうかね?」
この段階では彼女たちにもあまり危機感はなかったようだが、気になるので端女に命じ、薪を積んでいる
下人の一人に接触させ酒など飲ませて心安くなり薪のことを聞き出させた。するとこの下人言うには
「いやいや、確かなことは私は何にも知りませんよ?ですが話に聞いたところでは、関白様が都で
我が国の殿様の命を奪われるか、もしくは抑留するような事になれば、今度京都より下られた、こちらのお屋敷に
いらっしゃるお方を、尽く焼き殺すための薪だとか言われて、本多様の下知であるからと、毎日山や林から
切り出しているのです。
この本多様というのがまた、極めて気の短い方で、『殿のお帰りが遅い!遅すぎる!』と待ちかね、
今朝には火をつけよう、晩には焼きたてようと仰っているのを、同じく留守居の井伊様や大久保様が
『いやいやいや!しばししばし、もうちょっと待ちましょう!』と今迄はどうにかお止めになっているのだそうです。
それにしても痛わしいこと。美しき京都の上臈衆が灰や土になってしまうなんて、なんと無残なことだろう。」
端女からこれを聞いて女房たちは、一瞬で恐慌を起こした!あまりにも思いもよらぬことだったからである。
「ああ、何ということでしょう!そういえばその本多という男、毎日ここに参って、恐ろしい声で
『家康の命によりここに付けられました。御用の事があればなんでも仰ってください。』
などと言っていたが…、そうだ思い出した!於義丸殿(のちの結城秀康)が人質として初めて参られたときに、
そのお共に仙千代丸という子どもがあったのを、関白殿下(秀吉)がご覧になって『あれは家康の家臣の、
三奉行とか言ううちの一人、鬼作左衛門という者の子じゃ』と仰せになっていた!
あの時は『鬼も子を生むのですね』『鬼の子とはどの様な者でしょう?』などと騒いで、物ごしに覗いたりした
ものでしたが…、あれがその親の鬼!本多作左衛門!!なるほど鬼なら、このような事するでしょう!
そういえばあの男、ここに来る度に『家康が帰国の途についたという御沙汰は聞いておりませんでしょうか?』と、
一昨日も言った、今朝も、昨日も言った!彼の待ち遠しさが限界を超えてしまったら!!」
女房たちは直ぐに大政所の所へ行き、「本多という男がこう言うことを企んでいます!どうか関白殿下に頼んで
家康殿を一刻も早く帰国させてください!」と泣いて訴え出た。大政所も大いに驚き「このような有様になっています」と
緊急に秀吉に伝えさせ、その甲斐あったか、程なく家康は帰国となり、大政所も帰京した。
さてさて、黙っていられないのが大政所の女房たちである。
彼女らは帰京するとすぐさま秀吉の前に出て涙を流しながら訴えた!
「あんなところにお母上様を下されるとは、なんと情けない事をされたのでしょう!
鬼本多という者が、かくかくしかじか、こんな事をしたのですよ!
いくらかつて争ったとは言え、今は御妹君たる朝日の姫様を参らせたまったのですから、家康殿にとっても
大政所様はお母上であると言うのに、いかに鬼だからと言って自分の主君も知らぬ間に、あんな事をして
良いものではありません!それに大政所様や私たちをあんな辛い目に合わせたのですから、
どうか、どうか徳川殿に仰って、あの本多と言う者にいかなりとも罪を与え、大政所様のお恨みを
お晴らし遊ばせてくださいませ!」
と、これを聞いた秀吉はいかにも愉快そうに笑い出し
「家康という男は、良い家臣をたくさん持っているものだ。わしも、そう言う家臣が欲しいものだな。」
とだけ言って、座を立って行ってしまったという。
有名な
本多作左衛門重次の逸話、被害者(?)大政所女房の側の視点からのおはなし。
183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:23:19.82 ID:Z6B+vZPZ
女の言葉ってくどくて面白いなww
戦国時代の話にしては、事実の羅列でなく感情を伝えてくれる珍しい文章だw
184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:34:20.99 ID:CQa5WnPi
一筆啓上 火の用心 殿殺したら 母燃やせ
185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 00:35:41.06 ID:hlcASQoP
さくざはやっぱりいいなあ
186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 01:12:01.83 ID:50sZjgfi
作左の乱行はいつものことだけど秀吉はさすがに大人っつーか、鷹揚としたもんだな
187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 01:26:25.59 ID:nSdZJihR
最後に悲哀を感じるな。
作左の行動原理は、累代の家臣はこうあるべしという伝統と経験だろう。
秀吉には持ちようどころか、顔色を伺う連中ばかりだ。
188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 03:29:21.94 ID:vrFzomZj
>>187
石田さんが必死にメモってるよ
189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 05:21:22.33 ID:atpdVHqr
でもこの後蟄居処分なんだよね
190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 05:44:11.43 ID:09N9qrQX
「家康という男は、良い家臣をたくさん持っているものだ。わしも、そう言う家臣が欲しいものだな。」
笑いながら内心ブチ切れてるから
やっぱ将になるには、感情を表に出すようじゃ駄目なんだよな・・
191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 06:13:40.06 ID:dMxCO+7l
この件は秀吉はもちろん家康もぶちきれたという説もあるしなぁ。
めんどくさい云々じゃなく、ただの馬鹿だもの、この作左の行動って。
192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 06:30:05.39 ID:5UwazSvW
でも作左が蟄居したのって大政所が秀吉の元へ帰ってずっと後、
徳川の関東移封後だから処分にしてはだいぶルーズなんだよね。
小田原の役で戦功挙げたりしてるし。蟄居の体で隠居したって感じ。
193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 10:56:49.50 ID:mauyQIj2
>>191
だって、一歩間違えたら徳川家そのものが地上から消滅していただろうからね。
この頃の秀吉なら実際に可能だったろうし、
道義的にも徳川に味方する大名はいないだろうし。
194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 12:45:00.81 ID:yMicKBbw
天下人が出した人質、しかも実の親を焼き殺した
殲滅戦されても文句言えんわな。
195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 12:50:39.29 ID:50sZjgfi
家康とのあそこまで屈辱的な和睦は絶対に避けられなかったのかな
確かに徳川・北条・長宗我部と四面が敵、毛利もどう転ぶかわからない危うい状況だったけど
政治的には織田家の実質的継承を果たし、京を押さえてるんだから朝廷を動かせばもう少し有利に戦えたと思うんだが
196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:11:50.02 ID:iS7fQI7P
家康に土つけられるまで秀吉は本能寺以来、負け無し状態だったからね。
197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:30:32.69 ID:hYow5ZL2
神子田「あんな馬鹿げた策採用するからw」
198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:35:58.59 ID:Z6B+vZPZ
勝って実を得るためであれば屈辱でも何でも耐えてみせるのは秀吉のすごいところだろ。
同じことは家康にも言えるけど
199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 13:41:00.92 ID:mauyQIj2
>>195
徳川が一番御しやすくてメリットがあると考えたんでしょ。
おそらく三河者の面倒くさい性格を把握した上で
自分ならその気になれば徳川家を敵対出来ないようにさせる自信があったんだと思う。
ただ最初は武力で簡単に蹂躙できると踏んでたんだろう。
戦までの流れ、戦の後の流れ全て秀吉の思惑通りに進みすぎてるもの。
200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 15:23:00.84 ID:5RMlYVLU
中入りが成功していたらどうなっていただろう。
201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 15:24:34.52 ID:eXMhb0ul
公の天下を取るは、大坂に在らずして関原に在り。関原に在らずして小牧に在り
208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 20:23:55.22 ID:ueGBn5NX
>>193-194
徳川家からしたって万万が一、上方で家康謀殺されたらアウトだもん
さくざの仕業はそりゃあ極端だし女子衆相手に大人気の欠片もないけど、
「万一(上方で殿様に)変事あらば大政所を必ず殺す」覚悟の入り方は妥当なもんじゃないか?
しかも既に信康いないし秀康は和睦と一緒に上方へ差し出してて、
もし家康を消されたら、後継者が初陣もすませてない秀忠くらいになっちゃう段階だろ~
どんな人柄だろうとばあちゃん一人と、大大名の戦上手を極めた当主なんて引き換えにできんよ
ってこれは徳川贔屓で秀吉を全く信用してない意見になっちまうんだがね……
209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 20:35:05.76 ID:NjN3kGqd
まあ調略で基本的には講和していた徳川家中に手を突っ込んで石川数正を一本釣りした
秀吉を信頼しろというのは非常に難しい。
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 20:43:13.46 ID:4PS1vCqY
大久保忠世に小田原城与えたのも家康との離間を狙ったらしいし
211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 20:53:02.74 ID:eR0aRn9P
>>208
それは家康が秀吉の方に居る時に情報が伝えられて無いと意味がなくないか?
人質送った時点で既に「万一(上方で殿様に)変事あらば大政所を必ず殺す」状態なんだし。
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 21:12:00.67 ID:4+bCU/pf
>>209
石川数正のそれは一本釣りというか、数正が勝手に秀吉の所へ転がり込んできたというか・・・
今だに数正が転んだ理由ははっきりしてないからなぁ、色々妄想できて楽しいけど
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 21:33:55.43 ID:bhxQwN9w
むしろ逆で、作左のやってることが知れたら、
秀吉が家康を殺す「正当な理由」が生まれるんだがな
作左がやったことは、家康を守るどころが危機に陥れている
214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 21:41:29.18 ID:UbnDjnkW
家中で親秀吉派ということで他の三河武士から虐められてたもんな>数正
面倒臭いとかネタにしてるけど陰湿さは洒落にならない
215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/10(木) 21:52:50.15 ID:KylRJdBs
>>213
あの時点でそういう事態になったら秀吉的にも洒落にならんから殺せなかったんだろうが
218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/11(金) 00:52:53.84 ID:qkTn/AOU
別に殺すだけならそこまで派手な準備は要らないし、
明らかに嫌がらせな気がするんだけど作左
219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/11(金) 01:06:18.38 ID:XUZymlBs
単なる嫌がらせであって、そのことによって誰か得したわけでもないのが問題
脅された大政所や女房連中は戦々恐々、
彼女らの接待を任された井伊や大久保も重次の暴走にビビりまくり
そして重次本人は秀吉の恨みを買って後に蟄居
家康だって「余計なことしやがって」と思ったんじゃないの?
作左が女性連中に嫌がらせを繰り返した反面、
イケメンの井伊直政はお菓子を持って大政所や女房連中を訪れ慰労、
彼女たちに「井伊殿井伊殿」と慕われたという(『改正三河後風土記』より)
作左が零落する反面万千代は秀吉にも気に入られ
出世街道を驀進するが、このときの対応で明暗が分かれたような気がしてならない
220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/11(金) 02:09:58.42 ID:4h5CEtA1
と、彦左が申しております
222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/11(金) 03:42:04.16 ID:BEHlgopP
>>218-219
薪の逸話、もし本気じゃなくてパフォーマンスだったとしても効果は十分あったわけでそ。
大政所や女房衆が「鬼作左こわい、徳川へ証人に出されるのはもう嫌!」とビビってくれたら、
以後秀吉から人質をダシに使って家康への無茶振りはしづらくなる
つい先年に天正伊賀越えの難事もあったし、作左は……家康が小勢で上洛して
家臣団と引き離される事態を減らしたかったんじゃないかな?
関連
家康一筋・井伊直政
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