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すなわち鬮取りにされたという

2021年02月06日 17:58

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/02/06(土) 14:53:10.50 ID:CAEJcein
大阪冬の陣の時、伊勢の大将であった本多美濃守(忠政)殿の陣屋に、組の人々を集めて、
天王寺表での、それぞれの陣場の配置を渡した。

その時、古田大膳(重治)殿は病気で、家来の原十兵衛が名代として来ていた。
十兵衛は陣場の割付、地形、剣難を見渡して
「このような御割付については、ひとまず大膳に申し聞かせないことには請け取ること出来ません。
願わくば鬮取りにて仰せ付け下されますように。」
と申した。

この言葉に、本多殿は以ての外に腹立たれ、あれこれと議論したが、十兵衛は少しも臆せず
「いかに仰せられましても、この分にては請け取れません。」と申しきったため、話が進まず、
その場も苦々しい様子に見えた所に、分部左京(光信)殿が進み出て十兵衛に向かい

「其の方などの身として、美濃守殿の御言葉を言い返すなど、慮外千万、沙汰の限りであるぞ。」
と戒められ、また美濃守殿に向かい

「十兵衛の申す所は、一途に己の主人を大事に考えていることで、その身分を忘れ、御前を憚らず
慮外を申し上げたのだと思います。それを思召し分けられ、御赦免なされ、鬮取りを仰せ付けられれば、
十兵衛にとっても当座の面目、一代の名誉となるでしょう。」

そう、理を尽くして申すと、本多殿も機嫌を直し、すなわち鬮取りにされたという。

この原十兵衛は、後に森内記(長継)殿の家に仕えたという。

備前老人物語



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有馬直純と栄寿院の婚姻

2020年08月30日 17:43

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/30(日) 16:59:23.49 ID:PeXmEUO7
慶長十五年、去る春、越後国主堀越後守(堀忠俊)が改易と成った時、徳川家康はその妻女
(本多美濃守(忠政)娘)を召し上げ駿府に居住させていたが、今月(十一月)九州長崎の
有馬修理息子(直純)が駿府に出仕した折、これを娶るようにと大御所が仰せに成り、彼も
異議なく承諾し、駿府に於いて見参した。
そして有馬直純が伏見に上がる時、美濃守娘も共に上ったが、これは国元の長崎に先ずこの事を
伝え、迎え船を乞うていたのである。しかし寒中にて海上が荒れ、翌春まで伏見に逗留した。

この婚姻に関しては、彼女の父である桑名の本多美濃守としては、遠国に娘を差し越すのは迷惑な
事であった。また修理の息子も二十三ばかりの者で、既に妻子があり、殊に三歳の男児も有ったのだが、
この事は大御所よりの特命であったため、元の妻を退けてこの儀に及んだのである。

『当代記』

典型的な政略結婚ですが、この後有馬直純と本多忠政娘(栄寿院)は二男三女を儲け、夫婦仲は非常に
良好だったようです。



502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/30(日) 17:34:14.64 ID:QPV2KjHo
いい話なのか

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/30(日) 17:54:53.26 ID:LrGtNjxf
その政略結婚にあたって、前妻である小西行長の姪を離縁したというのは悪い話では・・w

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/30(日) 18:25:19.10 ID:7LjCLwai
家康「儂なんて無理やり離縁させられた閉経ババアを正妻にした事あるし」

時節相応に主とする所を、

2017年02月13日 08:40

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/13(月) 00:02:48.09 ID:X+1KO4ez
本多忠勝の嫡子・美濃守忠政がまだ平八郎と名乗っていた時、弟の内記忠朝と共に
鑓の稽古をしていた所、これを見た忠勝が言った

「私が若かった頃は小身であったがために、鑓の働き第一と心がけていた。
しかし今は御厚恩を以て大身となった以上、人数を取り廻す采配の取り様や備立てなど、
総じて大将が知らなくてはならない道こそ、専一に学ぶべきである。
かといって、鑓の稽古を止めろと言っているんのではない。時節相応に主とする所を、
専らに励むべきなのだ。」

そう戒めたという。

(武野燭談)



629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/13(月) 02:27:47.87 ID:1F6Bnp81
>>627
父には遠く及ばないので新たな才能を開花せよ、と言ってます

以後、桑名城下は

2015年06月17日 13:30

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/17(水) 00:14:07.52 ID:W70920PV
本多美濃守忠政が伊勢桑名城に在った時、幕府の公金の輸送があり、その荷物が桑名城下を通り、
今晩は城下に宿泊するという事になった。この時忠政は指図して、

「御金の荷物を城下の宿舎に一夜置くというのは不用心です。城内に入れ置くように。」

と、一行に伝えた。金奉行始めこの一行は提案を大いに喜び「今晩こそ安堵して眠れる!」と
早速城内に持ち込み、奉行、差添えの者達は城下の宿舎に戻って睡眠をとった。

さて翌日、奉行たちが御金を受け取りに城内に行くと、忠政出てきて金奉行に言った

「我ら近年不勝手に相成っていた所、幸いにも御金が来ました。よって昨夜の金は、そのまま我らが
拝借仕る。もっとも、お手前の不調法にならぬように、今朝江戸表にこの事を知らせる使者を立てました。」

金奉行および差添えの者達は大いに驚いたが、忠政は大名であり、金奉行は小身者であるので
さすがに口論も出来ず、その旨を京都所司代の板倉周防守(重宗)に申し立てた。これより江戸表に
お伺いを立てた所、これを聞いた将軍秀忠は笑い出した

「美濃守が城下の旅館では不用心と、城内に入れさせたのは計略である。金奉行の者が
尤もと心得て城内に持ち込んだのは、計略に陥ってしまったものである。
美濃守は一旦城内に入れた金子を再び出すような性格ではない。まあいい、貸して遣わせ。」

こうしてこの件は決着した。以後、桑名城下は公金の輸送が決して通過しなくなったそうである。

(明良洪範)




939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/17(水) 02:02:04.82 ID:LtKvEyJd
姉も姉なら弟も弟か・・・

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/17(水) 10:01:52.07 ID:1eeJbUS9
あの親父はどういう教育をしてたんだ?

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/17(水) 10:03:08.63 ID:yAcR5MEi
>以後、桑名城下は公金の輸送が決して通過しなくなったそうである。

ワロタw

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/17(水) 13:00:43.30 ID:jxbQ0s9G
>>940
槍への蜻蛉のとまらせかただろ?

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/17(水) 13:51:44.67 ID:Ojl85Zqh
秀忠も太っ腹だなーw

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/17(水) 14:06:19.75 ID:tqWGlp97
わしの命は殿のもの
だから殿のものはわしのもの

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/18(木) 11:57:20.09 ID:RfU0esW0
ちゃんと返済されたんだろうか?

陣所割渡しの事

2014年12月17日 18:50

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/16(火) 22:02:37.52 ID:3TvIUqZA
大阪冬の陣の折のこと。

本多美濃守(忠政)は陣所割渡し方を仰せ付けられ、これによって天王寺方面の陣所を
諸大名へと割渡していた所、この方面軍の一人、古田大膳(重治)がこの時病気により、
家老の原十兵衛が受け取りにまかり出た。

ところが、古田家に割り当てられた陣所が至って難儀な地形であり、原十兵衛はこれをじっと見て
「このような難地であるなら、一応は主人大膳に申し上げた上でなければ受け取るとは申せません。
さりながら籤で決めるというのなら、ここで直ぐにお受け取り致します。」

これを聞いた本多美濃守は大いに立腹した
「上よりこの役儀を仰せ付けられた美濃守が割渡すというのに、かれこれ申すのは不埒である!」

しかし十兵衛は少しも屈せず
「何れから仰せ付けられた誰が割渡すと言われても、受け取る拙者が納得出来ない場所ならば
決して受け取り申さず!」

本多美濃守は自身の権威を挫かれたことに心中烈火の如く憤ったが、何と言うべき言葉もなく
甚だ見苦しい体であったため、この時、分部左京亮進み出て十兵衛に向かい

「その方、陪審の身でありながら美濃守殿へ言葉を返す事、慮外千万である!…ですが、」
美濃守の方を向き

「美濃守殿、この十兵衛の言葉は慮外とは申しながら主の為を思う心より出たものですから、その本心は
忠義であります。であれば、慮外を許され、再度籤によって割り当ての陣所を決めお渡しに成っては
いかがでしょうか。」

この言葉を聞くと美濃守も表情を和らげ、左京亮の言葉に従い「ならば籤で決めよう。」と、
籤によってそれぞれの持場を決め直し、割り当てを済ませた。

この事について、本多美濃守にはこの地所割渡しに関して依怙があり、権威を以って
押し付けてしまおうという所存で叱りつけたのであった。
しかし原十兵衛は依怙があることを察知して承知せず、強いて権威によって押し付けるのなら
美濃守を討ち果たして切腹せんと覚悟を決めて言葉を返したのである。
その決心は自然と顔に出ていたため、美濃守もそれを察し、怒っていても一言半句も出ず口ごもって
しまったのだ。

そこで分部左京亮は、美濃守の依怙には最初から心付いていたが、この時あまりにも見苦しい体であったので
気の毒に思い、また幕府の御威光にも関わることだと思ったので、中に入り事を済ませたのである。

この時、諸士は皆、原十兵衛を賞したそうである。

(明良洪範)




25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 11:47:14.99 ID:hVYyFq6L
親が親なら子も子だねえ

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 12:14:37.68 ID:JuL/FsgL
>>25
実父の古田重則や養父の古田重勝ってなんか逸話あったっけ?
古田織部の息子の古田重広と混同してる?

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 14:32:22.87 ID:FdCj3lmi
そっちじゃねえw

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 15:53:02.49 ID:JuL/FsgL
本多忠政は忠勝の死後に弟の忠朝と相続争いをした際、家康から
「(決定に対して異議を唱えなかった)忠朝のほうが忠勝に似て
武将にふさわしい」と皮肉られたという逸話の持ち主だから、
他にも悪い逸話は色々ありそうな予感。

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 16:45:05.76 ID:5RJcqGfR
幼少時に姉に弄られて鬱屈したのか?

「さすが忠朝の子だ」

2014年05月05日 18:08

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 15:25:17.84 ID:CRF45HGC
大坂夏の陣で本多忠朝が討死した時、彼には二歳になる男子(政勝)がいた。

その男子はいまだ御用には立ち難いということで忠朝の兄忠政のところへ引き取られ、
忠朝の家督は忠政の二男甲斐守(政朝)が相続して元のとおり五万石を領した。

ある時、忠政は引き取った二歳の甥に蜜柑をやろうと思って彼を呼んだのだが、
甥はどのように思ったのか忠政の側に来なかった。そのため忠政は蜜柑を甥へ
投げて与えたが、それでも甥は蜜柑を取らなかった。

そこで乳母が蜜柑を拾って甥に「さあ頂戴なさいませ」と言ったところ、
甥は「投げたものは嫌だ」と言った。忠政はこれを聞いて「さすが忠朝の子だ」
と言って褒めた。

――『明良洪範続編』


続き
貴殿の御一言で私めの胸中は開けた


221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 20:58:08.56 ID:llXB0Lk/
ちょっと悪い話スレだから、子供が折檻される話かと
思ったがそうではなかった。

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 21:13:59.58 ID:IFd5Lhkm
>>219
最初に受け取らなかったのはなんでかな
毒か・・・とか思ったのかな

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 22:03:21.23 ID:vUnb2zlB
物にはつられない二歳児。

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/06(火) 00:32:47.55 ID:/dH2LL0X
>>219
凄く普通っぽい反応なのに「さすが」って言われるのも何か気の毒だな

稲垣掃部の出奔

2014年01月09日 18:55

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/08(水) 23:58:43.85 ID:owMR+MAn
稲垣掃部本多忠政の士である。忠政に怨みあって、白昼姫路を出奔し、船に乗って下った。
彼は以下の狂歌を書いて、その座敷の床の中程に張り付けた。

「破笠頸にかけてはこじくとも天下にてみのは頼まじ」
(たとえ破笠をかけて乞食になろうとも、天下において忠政を頼りにするつもりはない)

忠政は大いに怒って稲垣を追わせた。追手の士が坂越で稲垣の船を見て言葉をかけたところ、
稲垣は近くで相手になり、半弓を射て二士を殺し、逃れて赤穂の商家に入った。
忠政の士十人ばかりは、その家を囲んだが、一向に家へ入らず時を移した。

そこは池田輝興の城下なので、その家士である木梨清右衛門と澤市郎右衛門はこの有り様を見て
戸を押し破り、ただちに家へ入った。木梨は澤に先立ち、稲垣は引き絞った半弓を木梨に射る。
矢は木梨のまん中に当たり、彼は倒れた。

稲垣は二の矢をつがえて、今度は澤を射た。矢は澤の左腕から片腹をかけて貫いた。
澤は射られながらも、たたみかけて稲垣を斬り殺した。木梨はすぐその場で気絶して
また蘇生したものの、最後には傷を病んで死んだ。

――『武将感状記』




226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/09(木) 01:01:55.68 ID:H1szDz4j
三河武士の日常ですな

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/09(木) 23:12:41.12 ID:Eau0S45F
稲垣も澤も木梨もテレビでよく見る名前だから、なんか無駄な笑いがこみ上げてくる

本多忠政、父の貰った兜に

2013年07月20日 19:57

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 16:49:44.20 ID:f8XvPY5n
豊臣秀吉が本多忠勝以外に思い当たらないとして、忠勝に佐藤忠信の兜を与えたことを、
当時の人は羨ましく思った。(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7733.html)

ところが、忠勝の嫡子平八郎忠政はこの年十六歳になったが、父に向かって、

「父御は正しく徳川殿の侍大将でございます。義経の侍の兜が何ほどのことがありましょうか!
すぐにお返しになってください!」と、怒った。

――『藩翰譜』





「これは愚かな例えではあるが、深く覚悟すべき事だ」

2013年07月17日 19:51

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 18:50:44.56 ID:PbZX7DTZ
本多美濃守忠政は「昔から自分が楽しもうとして天下を望まれる主君は、
人が長く楽しませぬものと思われる。我が主君の御側に仕え、朝夕見奉って感じたことだ」
と言った。

また「今とても富める者がいたとして、他人に『十年のうちに家を潰し、朝夕の生業も
ままならなくなるだろう』と言い聞かされて怒らない者がいるはずはない。

しかし、贅沢を教えて淫酒を勧め、家を亡ぼさせて困窮に及ばせても人は怒らない。
これは愚かな例えではあるが、深く覚悟すべき事だ」と言った。

――『責而者草(太平将士美談)』





ある武将が、天寿をまっとうし、亡くなった

2013年02月19日 19:52

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:52:07.03 ID:FVy3qKxR
まとめを見た所、出てなかったので。
ある武将が、天寿をまっとうし、亡くなった。
武将には、すでに他家に嫁いだ娘がおり、嫡男と次男に遺言を残した。
『家督、武具、茶道具は、嫡男に譲る、金5万両は次男に譲る。』
これに、嫡男は『嫡男である、自分が、全部相続するのが筋ではないか。』
と、遺言を守らず、金を蔵に仕舞い込んでしまった。嫡男付きの家老が、次男に申し訳なく、説明したら、
次男は、『さもありなん、兄上は自分と違い、大身の身、小身の自分には、もったいない、どうぞ
役立っててください。』と、恨み言を言わず、笑顔で、家老に申し渡した。
それを聞いた、嫡男は、自分の大人げい振る舞いを、恥じ、『遺言どうり、お前が受け継いでくれ。』
しかし、次男は『いえいえ、兄上がお持ちなってください。』
と、譲りません。
困った両家の家臣達は兄弟の親戚に説得をお願いします。
これに次男が『では、使う機会がある時まで、兄上が預かってください。』
で落着します、が、次男は永遠に使う事ありませんでした。
父の名、本多忠勝、兄の名は、本多忠政、弟の名は、本多忠朝


関連
本多忠勝と二人の息子・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-806.html


454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 01:03:07.36 ID:KhJv7QCW
どうでも、いい、が、ちと、読点、が、多いの、が、気に、なる
渡辺、陽一、です

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 01:36:10.06 ID:r6zJgGQQ
「ある武将」とか、伏せる意味あったのだろうか

まあ、このスレに住んでる人ならみんな知ってる話だけど、
まとめを補充してくれるのは助かる

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 10:08:31.48 ID:3nifdYVc
>>453
既出ですな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-806.html

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 13:57:35.70 ID:N2MeEExr
>>455
誰もが知ってる有名逸話がまとめサイトにない場合あるからな
知られてるからあえて誰も投稿してないのかも

本多忠勝からの、息子への訓戒

2012年11月19日 19:53

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 19:56:07.35 ID:LSDQzCQm
本多忠勝の嫡男、美濃守忠政が未だ平八郎と呼ばれていた頃、その弟の内記忠朝と共に槍の稽古をしていた。
それを見ていた忠勝は、二人にこのように声をかけた

「私が若い頃は小身であったために、槍の働きこそ第一だと心がけた。
しかし今は、御厚恩を以って大身となった以上、軍勢を指揮する采配の取り様や備立てなど、
全て大将が知らなくてはいけない分野こそ、第一に学ぶべきだ。

だからといって、槍を学ぶな、と言っているのではない。
時節相応に、主とすべき分野を、専らに励むべき、ということなのだ。」
(武野燭談)

本多忠勝からの、息子への訓戒である。




459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 20:12:58.00 ID:M4aIiWhx
だったらお前も老いてからだろうと手習いくらいしとけよ

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 21:10:51.12 ID:knmQNTW/
>>459
忠勝は内政も頑張ってるぞ。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:32:26.52 ID:Yy+lfbdE
清正や市松もそうだけど、槍一筋の武辺者の癖に統治能力が高いのはどういことなんだろ

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:43:10.30 ID:TEbo4fL0
森武蔵みたいにしがらみを押し通しているのだろうか?
清正は築城名人だったりするから元々統治の才があったのかもしれないけど

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:45:07.32 ID:uukB3FHG
軍隊を維持するのって高度な組織力、つまり優れた官僚機構が必要
それを上手く内政に転化すればいい
トップが暴走しなければ組織が支えてくれるので、たいていはそこまで酷いことにはならんよ

問題は駆け引きとか組織を上手く行きぬく処世術的な意味での、政治力だな
市松さんは政治力無いから、統治能力はあっても失脚しちゃったわけだし

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 23:20:57.48 ID:V8QOjqds
ほんとうの意味での馬鹿でなければ
それなりの官僚機構があれば酷い事にはならない気がする

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 01:08:56.24 ID:749WevT5
忠勝 「>>459の忠告に従って彫り物でもするか」

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 07:38:17.00 ID:Itc9X9lt
>>470
桜吹雪ですね(違

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 12:30:12.04 ID:h3wlSL+V
>471
本多忠勝が彫刻刀ミスって生まれて初めて指に傷をおって
「そろそろ俺も死ぬのか」と言った話の方でないかい?