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本多安房守は色々御話を申し上げた

2017年09月21日 18:46

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/21(木) 03:22:10.82 ID:bTnaNMaE
一、本多安房守(政重)は大献院様(徳川家光)の御代に、毎度御前で色々
と御話を申し上げた。これがあまりに御話申し上げ過ぎているとして、

酒井讃岐守殿(忠勝)などは御笑止(気の毒に思うこと)に思いなさったとの
由、岡田豊前殿(善政)が相公様(前田綱紀)に申し上げられた。

一方で申し過ぎることは、微妙院様(前田利常)や陽広院様(前田光高)の
御為によろしきことも多くあったとの由である。

これは右の記事と同じ時(享保5年8月12日夜)に仰せになった。


一、本多大夢が安房守と申した時、大献院様の御代に参府し、何れの時か
御目見えした折、大献院様の仰せがあると、何やら色々申し上げたという。

その後に岡田豊前殿が申されたことには、松平伊豆守殿(信綱)が御申しに
なったそうで、安房守は何やら御前で申し過ぎたとの由を御申しになられた
との旨の噂があったとのことである。

これは前述の豊前殿の物語りを聞こし召されたとの由を、右の記事と同じ時
(享保8壬卯年5月25日)に仰せになった。

――『松雲公御夜話』



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人の挨拶

2017年06月10日 21:19

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/10(土) 04:47:37.43 ID:OWDQQE2A
この掃部頭殿(井伊直孝)は大坂の御陣の時、家来の者が槍を合わせている
に付き、高い場所に上り、馬から下り立って槍を杖について見物しておられた。

そこへ本多安房守(政重)が足軽2百人ばかりを召し連れてやって来て挨拶を
致したところ、掃部頭殿は目の前に気を取られたのか挨拶を返さなかった。

すると安房守は、「掃部は腰が抜けたのか? 人の挨拶も聞き付けぬとは!」と
大声で憚りも無く申して、罷り帰った。

その後、対面の折に挨拶したとの旨、癸巳正月11日の夜に(松雲公前田綱紀
より)拝聴仕る。それ以後も度々この話を仰せでござった。

――『松雲公御夜話』


我々両名はここを抜け出し

2016年11月21日 17:33

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 18:48:03.06 ID:xqceRrEW
慶長4年正月19日の夕方、徳川家康の屋敷に、石田三成が大将となって攻めかかってくるとの沙汰があった。
徳川屋敷では俄な事でも有り、屋敷の角々に材木、石、棒などによって縄からけの櫓を掛け、敵が
攻めてくるのは今か今かと待ち構えていた。

この時、本多大和守(政重)と本多三弥(正重)は、こう話し合った
「屋敷のうちでどれだけの働きをしても、家に火をかけられ、煙の下で果てるのは口惜しい事だ。。
敵の軍勢が来て屋敷に火をかけてくれば、我々両名はここを抜け出し、その時治部少輔は城の大手広庭に
腰を掛けて下知をしているだろうから、そこに『家康内の者、降参人』と名乗り出よう。
そうすれば、屋敷の様子を聴くために、呼び出されるであろうから、その時二人のうち一人でも、飛びかかって
治部を刺し殺そう。」

このように言い定めたが、その夜、軍勢が攻めかかってくることもなく、翌日から世の中も、
普段と変わりない様子であった。

(慶長年中卜斎記)



335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 09:29:13.20 ID:hkhrhd0c
>>333
本多政重はこの時期どの家中よ?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 20:47:42.74 ID:177qegiu
例のやらかしで徳川家出奔中なんだけど、この時期だと大谷なんだか宇喜多なんだか

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/22(火) 16:12:52.35 ID:JNcF8IPW
>>336
宇喜多騒動は何月だっけ?

慶長年中卜斎記もそういうところは研究ってされてるのかね

鼻毛を伸ばす理由

2014年09月03日 18:55

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/02(火) 22:30:00.18 ID:gLSh0Sgh
前田利常は鼻毛が伸び過ぎていた。それは大変見苦しいものであったが、誰もこれを
申し出す者は居なかった。

重臣である本多安房守(政重)は、出張の土産として鏡を進上し、
また近習の者達に申し付け、夜詰めの際には利常の前でわざと鼻毛を抜かせ、
それとなく気付いてもらうようにしたが、まったく気にする様子はなかった。

この頃、利常の近くで仕えている掃除坊主が湯治に行った。これに横山左衛門佐が指図して、
鼻毛抜きを土産として利常に捧げた。彼はこれを見ると老臣以下を呼び集めた

「私の鼻毛が伸びているのを、何れもおかしな事だと思い、世上にては『鼻毛の伸びたうつけ者』などと
言われている事は、この利常も心得ておる。

近頃安房守が鏡を送ってきたり、近習の者達が懐に顔を差し入れて鼻毛を抜き、痛そうな顔をしていたり、
今度この坊主が鼻毛抜きを持参してきたりしたのも、お前たちが指図しなければどうしてこのような
事があるだろうか。

私は全て解った上で、そのまま差し置いていたのだ。その意味をお前たちに申し聞かすため、
今呼び集めたのである。

私は現在、大名の上座にして、官禄も日本有数の存在である。
この利常が利口を鼻の先に顕すようなら、人々は気を使い大いに疑いを持ち、考えもしないような難儀を
被ることもあるだろう。
私がたわけであると人に知らせてこそ、心やすく三ヶ国を領し、何れも楽しむことが出来るのだ。」

(明良洪範)

前田利常の、鼻毛を伸ばす理由、である。