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我々両名はここを抜け出し

2016年11月21日 17:33

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 18:48:03.06 ID:xqceRrEW
慶長4年正月19日の夕方、徳川家康の屋敷に、石田三成が大将となって攻めかかってくるとの沙汰があった。
徳川屋敷では俄な事でも有り、屋敷の角々に材木、石、棒などによって縄からけの櫓を掛け、敵が
攻めてくるのは今か今かと待ち構えていた。

この時、本多大和守(政重)と本多三弥(正重)は、こう話し合った
「屋敷のうちでどれだけの働きをしても、家に火をかけられ、煙の下で果てるのは口惜しい事だ。。
敵の軍勢が来て屋敷に火をかけてくれば、我々両名はここを抜け出し、その時治部少輔は城の大手広庭に
腰を掛けて下知をしているだろうから、そこに『家康内の者、降参人』と名乗り出よう。
そうすれば、屋敷の様子を聴くために、呼び出されるであろうから、その時二人のうち一人でも、飛びかかって
治部を刺し殺そう。」

このように言い定めたが、その夜、軍勢が攻めかかってくることもなく、翌日から世の中も、
普段と変わりない様子であった。

(慶長年中卜斎記)



335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 09:29:13.20 ID:hkhrhd0c
>>333
本多政重はこの時期どの家中よ?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 20:47:42.74 ID:177qegiu
例のやらかしで徳川家出奔中なんだけど、この時期だと大谷なんだか宇喜多なんだか

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/22(火) 16:12:52.35 ID:JNcF8IPW
>>336
宇喜多騒動は何月だっけ?

慶長年中卜斎記もそういうところは研究ってされてるのかね
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死にたくて死ぬる馬鹿者はあるまじ

2015年10月20日 10:06

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/20(火) 06:59:49.20 ID:TfHHbej3
大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した後、徳川家康の御前において本多上野介(正純)がこんな事を言った

「木村長門守(重成)の討ち死には早かった。せめて7日まで生きていれば、秀頼公を連れて参っただろうと、
佐渡守(本多正信)も申しておりました。」

これを聞いた家康は何も感想を述べなかったが、非常に機嫌の悪い様子であった。

また正信はこんなことも言ったそうだ
「木村重成によって佐竹家の渋江内膳が討ち取られたのは早すぎた。三弥(本多正重)はどう思うか?」

これに本多正重は答えた
「いやいや、死にたくて死ぬバカはいないだろ。」
(いやいや死にたくて死ぬる馬鹿者はあるまじといはれし)

(武功雑記)



513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/20(火) 07:44:32.09 ID:MCiCx0uG
最後のは正信じゃなくて正純だろうな
正純は失言が多いって印象付けしてんのかしらん

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/20(火) 17:32:29.27 ID:GQyXHJc6
「木村長門と佐竹家人の渋江内膳の討死は早かった」じゃないかな

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/20(火) 23:29:01.93 ID:YdwXRHRU
前者と後者は違うエピだからそうだな。。。
指摘してて間違ってたな サーセン 

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/21(水) 07:36:05.72 ID:2CfP03AX
切腹を申しつける!でゴザル

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/21(水) 09:52:26.83 ID:NJU4BYQk
泣いて馬謖を斬るでゴザル

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/21(水) 11:46:50.92 ID:k4uaGpXi
ノッブ「バザールでゴザール」

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/21(水) 19:50:03.53 ID:nHOmSxEM
乙坂家秘伝のピザソースでゴザル

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/21(水) 21:42:07.57 ID:TiZG/uFK
いやぁ~乱世乱世!17世紀始めの大坂の話でゴザルよ。

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/21(水) 23:47:17.98 ID:zMeGdL5U
訳わかんねーこと言ってんじゃねー

本多正重、「旗を・・・」

2015年10月15日 16:00

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 12:13:29.45 ID:bC+R0SwA
本多正重、「旗を・・・」
関ケ原の戦の9月15日辰の刻、東照宮は桃配に御旗を建てた。
本多三弥正重がそこにやってきて「もう少し先に旗をたてましょう。ここからでは敵に遠すぎます」と東照宮に言うと「若輩者が言うことではないわ!」と仰せになった。
正重は後ろに下がったが「俺は若輩者かもしれんが、遠いもんは遠いんじゃ・・・」とブツブツ独り言を言っていたそうな。

『常山紀談』
ただし正重、この時55歳である



491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 23:10:21.52 ID:1bGiAIUY
石田三成と本多正信は武断派武将から恨まれる嫌な奴なのに
三成兄の正澄と正信弟の正重は良い奴ら

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/15(木) 02:07:36.32 ID:UYJcDkYl
カリスマ性って大事だよね

例え弁慶に似た臣下が居たとしても

2013年08月05日 20:02

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 20:41:13.64 ID:vnMPtFQG
慶長6年(1601)、徳川家康は伏見にあって、幸若舞の幸若八九郎を召し高館の舞(源義経の最期を歌った曲)
を舞わせたことが合った。

舞が終わった時、家康は機嫌よく近臣たちと物語をしながら

「武蔵坊弁慶は世に優れた人物だな。今の世に弁慶の如き人物は無いだろう。」

と言い、近臣たちも、そうですなあ、などと答えていたところ、そこに控えていた本多正重
この家康の言葉に気が触ったらしく、大声を出して

「例え弁慶に似た臣下が居たとしても、今の世に判官(義経)に似た主君はございません!」

そう言い放つと、退出していったのだという。
(徳川武士銘々伝)





125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 07:03:26.07 ID:V5u4yfNk
なぜ三河武士はああも嫉妬深いのか

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 10:30:19.45 ID:tG/GdoVg
よりによって、かなりdeepにめんどくさい政重の前で...

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 10:36:21.62 ID:UhHZ5Ynx
家康的には、そういう反応も既に予定調和だった可能性が

128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/08/05(月) 13:16:45.16 ID:xPoEgNsV
>>124
安定の三河武士クオリティ

「又、三弥の持病が起こったぞ。」

2013年07月18日 19:50

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/17(水) 21:05:36.71 ID:nlw2eaiU
本多三弥正重といえば、あの本多正信の弟であり、徳川家康の配下として三方ヶ原、長篠などでも
武功が在ったが、何を思ったか三河を出奔し滝川一益の足軽大将となり、前田利家の足軽大将となり、
蒲生氏郷の軍奉行となり、慶長元年(1596年)に到って徳川家に帰参するという経歴の持ち主で、
その経歴にふさわしい武勇の人であったが、性格がきつく、ちょっとした事で拗ねるという厄介な人で、
家康の前でも散々その拗ね者っぷりを見せ、家康から「あいつもあれでは大名に成れないなあ」と
苦笑交じりの発言を引き出した人物である。

そんな本多正重であったが、二代将軍となった徳川秀忠の下に仕えるようになってからは、
少しく着実、謹厳の人となった、という評判が聞こえてきた。

これを知った徳川家康は正重を呼び出し、こう声をかけた

「三弥よ、この頃はすこし嗜みの心が生ぜたか?随分拗ねることが無くなったように聞いたが。」

こう言われて正重は、目を丸くして答えた

「将軍様(秀忠)は誠に御奉公しやすい方です!あのようなご主君に拗ねごとを申すものは、
気違いに違いありません!」

(将軍様は御奉公いたしよく候。あのごとき主君にすね申す者は、気違にこそ候へ)

これを聞くと家康、笑い出し
「又、三弥の持病が起こったぞ。」
と言われたそうである。

(徳川武士銘々伝)




72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 19:56:21.51 ID:81fUZ/QC
>>67
いまさらながら似たような話があった
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4431.html


本多三弥(正重)は隠れ無き武勇強直の士である

2013年05月15日 19:58

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/15(水) 18:50:21.59 ID:sB46zRyn
本多三弥(正重)は隠れ無き武勇強直の士である。本多美濃守の家臣で、後に蒲生氏郷に属した。

蒲生殿が筑紫の岩石の城を攻めなさった時、氏郷が貝を吹かれたところ、三弥は、
「腰抜けの吹きは鳴らぬものぞ」言い、貝を引き奪って、音高く吹いた。

帰陣の後、氏郷はこれを恨みに思い、ある時、三弥が禁所で鳥を撃ったことを口実にして、
三弥の屋敷を取り囲んで誅しようとした。

ちょうどその時、都筑惣左衛門という東照宮(家康)麾下の武士が通り合わせて理由を尋ねた。
しかじかと答えると、都筑は大知音なので槍一本を持って三弥宅へ駆け入った。

そして、攻める者が氏郷に注進して「この者もともに討ち取りますか」と言ったところ、
氏郷が「何があっても、二人ともに逃がすのだぞ」と命じたので、ついに命をまっとうしたのである。

この都筑は、顔つきが生まれつき猿に似た人だった。今、麾下にその子孫がいる。

――『老人雑話』





295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/16(木) 08:21:47.42 ID:XGQ9uYst
>>290
この都筑惣左衛門は都築秀綱かな?
子孫は大身旗本と本多(忠勝)家付家老だね

古き三河者共

2013年03月06日 19:51

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/05(火) 20:10:43.24 ID:VsUemcKT
大阪冬の陣の慶長19年(1614)12月6日、徳川家康は茶臼山の本陣に到着した。
この時家康を出迎えた者達が初めに報告したことには

「諸大名の仕寄場は何れも能く敵陣に対して付けています。思った以上に敵の近くに攻め寄せています」
(諸大名の仕寄場何れも能く付き候。存の外近く攻寄せ候)

とした。
ところが、御前においてこれを聞いていた本多三弥(正重)は

「各々は偽りを言っている!私が見廻った限りでは、そなたたちが言うほど仕寄も寄ってはおらぬ!」
(各偽申上げられ候。我等参り見候所に、存候程には仕寄も寄らず)

続いて小栗又市が声を上げた

「大名たちは皆々臆病で、竹束の内から敵を見るばかりです。かなりの距離を隔てて
相まみえている状況ですな!」
(皆々臆病にて。竹把の内より見申候。中々間隔相見え候)

このように、家康に報告した者たちの面目を丸潰しにし、また参陣した諸大名もまとめて侮辱したと
見られても仕方がない両人であったが、彼らに対して家康からいかなるお咎めも無かった。
(両人共に如何様とも御咎これなく)

(村越道伴物語留書)

おそらく諸大名の体面に気を使った報告だったのでしょうが、そんなモノは断じて許さない
古い三河者共の頑固さはこの時も健在であったのだ。





642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/05(火) 21:23:10.47 ID:mpEY66VU
本多正重も生涯無官だったっけ
三河は変わりもん多いよなぁ

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/05(火) 21:34:03.33 ID:g8S3FBo3
>皆々臆病にて。竹把の内より見申候

真田丸の大勝利フラグキタ━━━━━━ヽ(゚∀゚)ノ ━━━━━━!!!!

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/05(火) 22:03:05.02 ID:KHw0VDMU
そんな中せっせと竹取りに勤しむ数寄者が約二名

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 18:45:50.16 ID:czIbHRKJ
なにしろ、武勇でならした上杉の将でさえ竹束に隠れる始末
景勝がいなければ

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 19:18:11.85 ID:lmVmGrPq
大坂の陣は完全に銃撃戦
弓とか槍主体で戦ってたジジイの現役時代に比べたら
格段に危険度増してる。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 19:57:02.00 ID:dGvlQ3f4
当たらなければどうということはない

って神保さんがゆってた

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 20:41:39.25 ID:0+QW8g4Q
( ゜Д●)<我が伊達軍の鉄砲隊は日本一ィィィ!当てられぬものはないイイィーーーーーーーッ!!

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/06(水) 21:53:29.22 ID:ydGIfX9g
???「おい、俺味方味kギャーー

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/07(木) 06:49:25.83 ID:nYw0Pjl1
>>657
神保さんは知らんけど
赤い池田さんが言ってるのは直で聞いた事がある

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/07(木) 07:35:20.15 ID:3UWd2YfW
天下に名高き伊達鉄砲隊
その餌食となった味方は数知れず…


前田利家「だから追わなかったのだ」

2012年10月20日 19:59

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 12:44:03.97 ID:LeYLfUYG

末森城の戦いの時、前田利家は素早く末森城を後援したために佐々成政は敗軍した。
この戦いで本多正重は武者修行をして利家の備えを借りていたが、利家が士卒を
制して隊列を固めているのを見ると、馬を乗り寄せて声高に、

「恐れながら勝ちに乗るとは今ですぞ! 敵は崩れて一足も返しません!
御下知あるべき所なり!」と言った。しかし、利家は「お前に何が分かる!」と
大いに罵って城に入り兵を収めた。佐々軍が引いて後、利家は子息利長に話すべき
ことがあると、同道して七尾に帰った。

「私が正重の諌めを用いなかったのは思慮があったからだ。およそ武者修行の者は
自分の功を立てるのを目的とし本当の忠がない。あれは自分の一言で敵を追わせて
利を得たのだと他家の誉れにしようとしたのだ。もし私が負けたとしても正重の負け
にはならないし、仮合の徒である正重にとって損にもならない。

その上、道の往来を考えた時に後援の兵が三千から四千程度だと分かるところを、
その推測ができなかったのは成政の失敗だった。一旦は不意にあって敗れ去るとしても、
成政の志なら後援の兵が少ないと知れば、私が追わなくても兵を返してきたことだろう。
ましてや急に追ったなら総返しにされた。そうなれば味方の負けは必定であろう。
だから追わなかったのだ」

――『名将言行録』




6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 13:17:21.96 ID:8exgBFE5
金銀をケチって兵力が足りていなかったというオチが無ければ名将なのに

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 13:20:21.23 ID:g2VVUmd0
金銀をケチって譜代を増やしてなかったから
渡り奉公同然に主君を変えていく奴に
軍勢の一翼任せる羽目になってるんだろうな

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 13:40:39.84 ID:yebQoZPm
こ、これは南蛮渡りの「あうとそーしんぐ」と言ぅてだな…

本多正重、蒲生氏郷に兜を見せられ

2012年05月20日 21:18

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 15:31:52.60 ID:nhqIHFtx

本多正重は元々徳川家に仕えていたが出奔して
滝川一益、前田利家と仕官先を転々とし、一時期は蒲生氏郷のもとにいた。

ある時、氏郷が自分の兜にある二つ三つの銃疵を正重に見せたことがあった。

「あー、この御方の武辺も底が知れたな。
徳川の殿様だったら、こんなつまらないことを誇らしげに語ったりはしなかったぜ。

……よし、たとえ領地を貰えなくとも、懐かしき御方にまた仕えるとするか!」

そのように決意した正重は慶長元年には徳川家に帰参したという。


何だかんだ言ってお前家康が好きなだけなんじゃないのかと。




258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 16:12:16.27 ID:GoSTjIYI
ほんとめんどくさい三河武士だなw

一方、家康は直政の傷を数えていた…
( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-779.html 参照)

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 16:46:30.96 ID:gNbcvUdq
>>258
ワロタwww
しかし自分の兜の片手に余るほどしかない銃疵を誇らしげに語るのは小せえいう事だな
それにしてもそれを自慢げに語る氏郷に一方のこの現場を見せてやりたいw

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 16:58:48.61 ID:dDiLE+Ij
直政『殿っ…、その穴は銃痕で御座います……』

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 17:14:27.78 ID:xk6C+k6i
なぜ家康は直政の傷の詳細を知ってるんだろ?
めんどくさい三河武士たちは疑問に思わなかったのだろうか・・・

はいはい、無粋な問いですねw

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 19:17:27.86 ID:HsB3uCxE
大将が銃砲が届くところに出てくるのは問題なんだがな・・・先方100騎しとめると工場長がそこにいるだっけ?

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 19:31:31.19 ID:DHQe+AVh
信長「武辺たろうとする気概は立派だが、大将には大将の戦があると教えたのに……」

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 20:17:44.73 ID:shwInrdG
>>260
一方、鮭様の兜についている弾痕は誰がどうみてもヤバいw

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 20:19:04.41 ID:g0Xsl+xM
氏郷はその若い晩年に大大名になったけど織田時代はは城一つくらいだろ
矢玉避けて後方に居るような立場じゃないしなあ
秀吉に抜擢されていきなり10万石貰ったあとも変わらなかったのはあれだけど
天下人から目をかけられていただけに逸る気持ちもあったのかもしれないね

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 20:53:58.93 ID:RZupEueK
大して功もないし譜代でもないのに信長の娘なんかもらっちゃったから
嫉み嫉みはかなりのものだったんだろうしそれに負けまいと気負ってたんじゃないだろうか

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 21:11:11.46 ID:idqZrqpj
>>269
譜代に娘やるか?
譜代にしたいからとか、縁固めして囲いこみたいから娘ってやるもんじゃないの?

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 21:17:34.88 ID:QPFmaYER
やるでしょ。代々縁組して硬い絆の一門衆を作るわけで。
武田の穴山家とか。 ダメなときはダメだけどな。

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 21:34:50.53 ID:MI6AVIXI
そういう時は姓を下賜してやればいいんだよ!

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 22:02:00.03 ID:RZupEueK
あといらなくなった中古女押し付けたりとかな

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 22:08:38.33 ID:pSZAnek9
嫁も中古、名前も中古にされた人はキレてもしょうがないよね

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 22:58:11.22 ID:50V2Y3sl
蒲生氏郷は信長の娘を側室に差し出しているんだよな、ちゃっかりと。

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 23:03:42.35 ID:p4gqCVmF
それはどっち側が望んだことか言うまでもないと思うが…

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/21(月) 00:05:27.40 ID:DnWk8Q1w
おにいちゃんに養女を押し付けたたぬきはどういう心境だったんだろ?

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/21(月) 00:50:27.54 ID:y+MGeZr2
>>276
そんなのわかんないさ。氏郷は良い意味での計算高さもあるし。

本多正重「いかにこの正重に超えたる武功があって!」

2011年03月22日 00:00

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 03:02:12.91 ID:1Ly9naeR
お詫びにもう一つ本多正重話、こっちは出てないはず。

大坂の陣も終わった後のこと、旗本の坂部三十郎久世三四郎に大阪での働きが賞され、
加増されることになった。

と、これを聞いて怒り狂ったのが本多三弥左衛門正重である。

「あの三四三十、いかにこの正重に超えたる武功があって賞を与えられるというのだ!?
許さんぞ!」

側にあった刀をひっつかみすぐさま登城した。無論場合によっては二人をたたき殺す気満々である。
ちなみにこの頃本多正重は70歳を超えている。呆れるほど枯れない爺さんである。

さて、そのころ坂部・久世の両名、ちょうど城から帰る所で、大手の門を出たところであった。
正重この姿を見つけ

「わしの方に向かって、加増をもらって足取り軽く向かってくるわ!なんとけしからん奴らだ!」

と(一方的な思い込みで)憤り怒り心頭。彼らが橋の半ばに至ったとき、大音声を上げて怒鳴りつけた!

「お前たちはいかなる高名をして所領を賜ったのか!?語れ聞かせろ!!」

これを聞いた久世三四郎、すぐさま全てを察した!そして左手で自分の耳たぶを取って見せた。

「こ、これのおかげかな…?」

久世も坂部も耳たぶがとても大きかったのだ。それを見ると正重、大いに納得し

「うははははそうかそうか、生まれながらの幸運のおかげであるか!お前たちは耳たぶが
大きく生まれ幸運が付いているのだろうが、武功においては何条正重には及ぶべきか!」

などとつぶやきすっかり機嫌を直し、坂部久世と連れ立って(二人にはいい迷惑だったであろう)
仲良く帰っていったという。

武功で加増なら許さないが運で加増ならオッケー、という、本多正重の解るような解らないような
価値基準のお話である。


関連
江戸ゆとりvs戦国ジジィ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5503.html




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 09:17:34.72 ID:vylA11jo
すげー僻み屋だなw

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 12:29:06.90 ID:RYsF2p9H
>>325
ワロタw

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 12:58:06.77 ID:RXxwj/fk
家康「耳たぶの大きな奴は何か他人と思えんのじゃ。」

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 13:18:53.54 ID:bEUnfmy+
>>325
めんどくせえジジイだw

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 15:13:34.65 ID:mE42iHWI
ノリ突っ込みの流れで双方ボケ倒したまま…だと…

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 16:36:10.85 ID:Tz0Sa+Eg
久世と坂部もなかなか機転が聞くけど、なんか三河者っぽくないな
普通の三河者なら文句あんのかジジイ!→口論→抜刀→切腹がセオリーなのに